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もう一度、あの人形の姿を思い出してみる。花を見るふりをして、顔を隠しているみたいだった。僕は出口の向こうの明かりを見ないように、このアトラクションを降りてから母たちを何を話そうか考えながら、そっと目を閉じた。この経験を誰かに話す気はない。でも、すぐには忘れられそうにない。やり場のない気持ちと共に、外に出なければならなかった。僕はため息をついて、ゆっくりと目を開いた。
おとぎの国には、続きがあった。
目を開いた先は外ではなく、まだアトラクションの中だった。慌てて周りを見渡すと、乗客が一人残らず消えていた。後ろを振り向いても、岸には、ペンキで塗られた白い木が無数に立っているだだけだった。水面に目を落とすと、進行方向に沿って組まれていたはずの銀のレールがなくなっている。舟は、水の流れに導かれるままに進んでいるようだった。ペンキで水色に塗られていた水底は、今は発光するような青に変わっていて、光源となっている。岸にはまた、新しい世界が広がっていた。白いペンキで塗られたブランコにシーソー、滑り台。手すりや階段までも、白いペンキで塗られた遊具で構成された公園があった。白と青で作られた世界は、美しくも不気味なものだった。
もしかして僕は、このアトラクションに乗っている途中で、水に落ちて死んだのか?ここは死の世界なんじゃないか?そんな考えさえ浮かんできた。
僕はいよいよ吐き気がして、水面に顔を向けた。すると、進行方向から紙のようなものが流れてきた。それは花びらのようだった。破裂した風船の破片のようでもあった。白い破片は、いくつも流れてくる。水面から拾い上げようとすると、水にさらわれて離れていく。何度やってみてもそうだった。水は案外暖かく、僕は両手をびしょびしょに濡らしながら白い花のようなものを追った。結局どうやっても捉えられなかったので、両手で水面の水ごと掬い上げるように捉えることにした。
掌にできた水たまりに、二枚の花弁がおさまる。すると花弁は、翼のようにはためいたと思うと白い蝶になって、また手の中から逃げていった。それと同時に、何かが固い床に落ちる音がした。
「誰?」
鈴を指先で撫でたような小さな声がした。水面から顔を上げると、また岸の景色が変わっていた。花を追っている間に、角を曲がっていたのだろうか。
岸には、さっき見たさみしい女の子の人形がいた。背格好が僕と同じぐらいになっているが、顔つきも、服も、間違いなく彼女のものだった。足元には、開いたままで落ち着ている本と、数匹の白い蝶が羽を休めている。その中の一匹が、ふいに二枚の羽をはためかせて彼女の手の甲に止まる。彼女は顔をしかめ、それを両手で包み、開く。すると手の中にいたはずの蝶はいなくなっていた。
僕がその様子に目を奪われていると、彼女は少し首をもたげ、言った。
「”向こう”から流れてきてしまったのね。今外に送るわ」
「待って」
僕はほとんど無意識に言った。”向こう”とは、ここから出た外の世界のことだろうか。
「君のことを教えてほしい」
彼女のきれいな目が大きく開かれた。
「さっき、この洞窟の出口で君を見つけたんだ。すごくさみしいそうだった。だから」
僕が言い終わるより前に、舟は、音もなくゆったりと岸に引き寄せられた。彼女は裸足で、右足を船縁に乗せ、少し身をかがめた。そのまま、左足をそっと持ち上げ、舟に飛び移った。地面を蹴った勢いでバランスを崩し、彼女は、僕の体に寄り掛かった。身構えたよりもずっと軽い衝撃が体に降りかかり、ずっと遠巻きだった彼女がすぐそばにあった。発光しているように白い肌が、青い水に映えている。
「ごめんなさい」
長い髪からは、何の香りもせず、体を受け止めた拍子に握った彼女の手からは何のあたたかみも感じなかった。釣られた魚が氷漬けされる、発泡スチロールのようだった。
君は人形だった。
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