ネクタル

 僕は舟から水面に手を浸し、指で水をならした。水の底一面に水色のペンキが塗ってあるが、ところどころ剥げて元の茶色い板の部分がむき出しになっている。それは、舟に乗って移動しながら周りの景色を楽しむという、よくあるアトラクションだった。舟はレールに定められた水路をまがうことなく進み、乗客をおとぎの国に連れていく。洞窟のようなアトラクション内ではオーケストラ音楽がちいさく流れていて、夢の世界の住人である人形たちがそれぞれの演目を披露している。きれいな衣装を着こんだお姫様に、パネルで建てられた薄い城。ワイヤーで吊り下げられた月が、宙ぶらりんになって輝いている。

 今日はこのテーマパークで、久しぶりに家族と再会した。僕は三年前、両親の離婚により親戚の家に預けられ、今もそこで暮らしている。数日前、母さんから昔行ったあのテーマパークに行こうというメールが突然送られてきて、今日に至る。母さんと、父親違いの弟と、僕の三人だ。二歳違いの弟は、会わないうちにずいぶん背が伸びていて、最初はそのような話題で場を持たせていたが、だんだんと話すこともなくなり、僕はついに、ちょっと一人で乗りたいのがあるからと二人の元を離れてしまった。

 僕がそう言ったときの母さんのさみしそうな顔は、父さんと暮らしていたころを思い出させた。


 舟の乗り心地は、正直なところ快適ではなかった。ゆったり進んでいたかと思うと、レールに合わせて角を曲がる衝撃が直接がくんと体に響く。水だって、もちろん潮の匂いなんかじゃなくて、地下からくみ上げられた用水の匂いだった。夢の世界といいながらも、人工物に身を任せていることがありありと伝わってきた。周りの乗客の華やいだ笑い声が、洞窟の中を反響して広がっていく。一人だけで乗っている客は、僕以外にはいないようだった。

 それでも、母さんたちといるよりはましだと思った。

 おとぎの国もいよいよ佳境に入り、岸では、人形たちが両サイドを花に囲まれた道を歩いていた。王様を先頭に、王子様と姫君、ロバなんかの動物たちも一緒に行進している。まあ、それぞれの持ち場で足踏みをしてるだけなのだけど。まばたきのタイミングがリアルだとか、周りの乗客たちの会話から聞こえてきたけど、所詮は決まったようにしか動けない人形だ。

 また、舟が乱暴に角を曲がる。角を曲がった先には、教会があった。白いおおきなベルの元で、結婚式が行われている。王子様とお姫様はもちろん、召使たち、さっきまでただ近くで歩いていただけのロバや、犬や猫でさえもその輪の中で仲良く寄り添いあっている。花を模したカラフルなプラスチックの仕掛けが、上下に動いて彼らを祝福している。結婚式は、幸福に満ち足りたものであった。

 僕が注意深く彼らを観察していると、その光景の中に、一体だけ身動き一つしない人形がいた。みんなが集まるチャペルから一歩引いて、花壇の草花に目を落としている。その地味ないでたちに、その人形の存在に気づいていない乗客もいそうだ。しかし一度見つけると、一体だけ動いていない分余計に目についた。下を向いて、瞬き一つせず立っている、さみしい女の子の人形だった。長い髪を背中に垂らし、花嫁と同じ白い色の飾り気のないワンピースを着て、たった一人で岸にたたずんでいる。

 どうしてあんなところにいるんだろう。それまでの人形に対して抱いたこともない疑問が、僕の中に浮かび上がった。

 そう思っているうちにも、アトラクションは終了に近づいているようだった。短いトンネルが連続して続き、乗客たちを出口に導いていた。あの女の子の出番は、最後だけだったのか。母さんと弟から距離を置きたいという理由だけで乗ったアトラクションだったのに、なんとも言えない、なぞなぞを残されたような気持ちになった。

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