第10話 Ole Ua, Ole Anuanue(オレウア、オレアヌアヌエ)

 カリフォルニア・マリブの大会では、ピロも海も二日目のラウンド8に進み、大会関係者や取材に来ていた記者、選手たち、目の肥えたギャラリーたちを驚かせ、推薦枠を用意した主催者を喜ばせた。

ラウンド8でピロはオーストラリアの選手、海はブラジルの選手にどちらも僅差ながら敗れて、ラウンド4でのジョンジョンやフェレイラとマッチアップできる機会を失ったが、ピロは次回のCS(チャレンジシリーズ)への参加を認められた。

 そして、海はこの予想外の活躍でまたしてもワイルドカード(推薦枠)で、11月開催のハワイのノースショアでの大会CS最終戦「ハレイワ・チャレンジャーズ」に招待されることになった。



 マリブの大会で海の闘志あふれるライディングを見た後、あまり感情を表に出さない凪沙のハートに火がついた。

その日の競技が終わった後、海とピロに祝福の言葉を送って、父親のロサンゼルスの事務所で働くキャサリンの車で、父親のベニスビーチの運河沿いの別荘に向かった。

 この別荘には母親の真弓と一緒に何度か来たことがあった。ここはひときわ高級な住宅地で、冬彦の別荘も運河に直接出られるボート・ドックが付いている小綺麗な家だった。凪沙は防音設備のあるこの家で、来週のオーディションに向けて発声と課題曲の練習に打ち込んだ。

 父親の芦澤冬彦は来週の前半にロサンゼルスに入り、現地の制作会社と打ち合わせ後に別荘に戻ることになっていた。

 オーディションの課題曲は、ケイティ・ペリー『California Gurls』ともう一曲はオリジナルOKの自由選択曲、凪沙はどちらかというとポップな曲は苦手だけど、ここ数日聴き込んでリズムに慣れて、音程や歌詞もほぼ頭の中にインプットさせた。自由選択曲は迷った。オリジナルでいこうかと思ったが、英語の歌詞をつける時間を考えると諦めざろうえなかった。

 仕方ないので、別荘にあった冬彦のレコードやCDのコレクションから手当たり次第に聞いてみた。

知っている有名な歌手もいたが、凪沙が生まれる前のアルバムが多かったので知らないグループや歌手が多かった。

そんな中でセピア色のジャケット写真に内気なバレエダンサーのような男が写っているCDを聴いた時、鏡のような湖の水面に投げた小石が作り出す波紋のように凪沙の気持ちが少し動いた。

 それは、エリック・カルメンの『All By Myself』という曲だった。ネットで調べてみると、セリーヌ・ディオンやシェリル・クロウもカバーした事がある曲だった。

どこかで聞いたことがある旋律だと思っていたら、ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番、第二楽章』をアレンジした曲だというのもわかった。凪沙はこの曲に決めた。

 冬彦はレンタカーの白いシボレーSUVで夕方に帰ってきた。

玄関のドアを開けると、防音処理が施してあるリビングからピアノの音が微かに聞こえた。凪沙がピアノに向かって練習しているのが分かって、冬彦は茶色いトッズのドライビングシューズを脱いで白いルームシューズに履き替え、静かにリビングのドアを開けた。

後ろ姿の凪沙はピアノに向かって、歌の音程を確かめているようだった。人の気配に気づき、振り向いた凪沙はほんの少しの間に大人びたように冬彦は感じた。

「パパ、お帰りなさい。お邪魔してまーす。」

比較的几帳面な凪沙が、ピアノの周りに楽譜や何かをメモしたノート、CD、ミネラルウォーターのボトルと飲みかけのコップなど雑然と散らかしていた。それだけ集中していたのだろう、自分も熱中すると身のまわりにモノを散らかし、いつも妻の真弓に注意された。

「うん。ナギ、お腹空いてないか?」

「そう言えば、空いてるかも。」とお腹を手で押さえ、少し笑った。「ごめんなさい、散らかしちゃって!」

「大丈夫?順調かな?」と、冬彦は落ちていたCDを拾い上げ、そのジャケットを見た。エリック・カルメン、古いアルバムで冬彦も10年くらい聴いてないかもしれないと思った。

「うん、課題曲は大体マスターできた。なんせ、オーディションは初めてなので、しかもこんな海外で!」

「そうだよな。まあ、これが最後な訳じゃないから、自然体でいいよ、自然体で。」そう言って、凪沙の方をポンと叩いた。

「あゝ、それからエントリーの名前だけど、『ナタリー・アサオカ』にしといたから、よろしく。」

「『ナタリー・アサオカ』? なんかピンと来ないけど、わかった。ナタリーね。」凪沙は指でOKマークを作って、ウィンクした。

 

 冬彦が美味しい店があるからと言って、車で10分ほどの丘に建つ大きな洋館の駐車場にシボレーを止めた。一見なんのお店か分からない作りだったが、入口の上部にアメリカでは珍しく、控えめに『Chinese Restrant』と書かれていた。

 黒服の痩せた支配人らしき東洋系の男が、冬彦の姿を捉えると笑顔で駆け寄ってきた。冬彦はこの店の常連らしく、黒服の男は奥のベニスビーチの海岸線の夜景を、全面に見渡せるテラス席へ案内した。

 店内のインテリアもシックで、飾ってある陶器や墨絵も洗練されていた。きっと横浜中華街の高級レストラン並みの値段がするんじゃないかと凪沙は思った。

凪沙の好みを冬彦は知っていたので、注文は冬彦に任せて、凪沙はベニスビーチの煌めく光の夜景を眺めた。

 小太りのウェートレスがプーアル茶のポットと海老の揚げせんべいと前菜の蒸し鶏の甘酢ソースがけ、くらげと胡瓜のサラダを運んできた。次に、セイロに入った色とりどりの点心と凪沙の好きな空芯菜の炒め物。

 どれも冬彦が常連になる理由がわかる。薄味なのに新鮮な素材の味がして、食べ飽きない。

 メインは大海老のマンゴーマヨネーズソースと鮑の煮込み、それに冬彦の大好物の上海風五目焼きそば。

ベニスビーチの夜景を堪能しながら、二人で凪沙の子供の頃の話や真弓のドラマの話など久しぶりに他愛もなく笑って、冬彦はこんな時間のために自分は生きているんじゃないかと、大人になった凪沙を見ながらそう思った。

 デザートはもう入らなそうだったので、食後にコーヒーを頼むと先ほどのウェートレスが笑顔でコーヒーとフォーチュンクッキーの入った皿をテーブルに上に置いた。

 凪沙自身は占いをあまり信じる方ではなかったが、母親の真弓は朝のテレビでやってる星座占いを信じていて、その日のラッキーカラーに合わせて、服のコーディネートを決めることにしていた。そのコーディネートにして、良いことがあったかどうかを凪沙は聞いたことがなかった。

 凪沙は皿のフォーチュンクッキーを一つ手に取って、パリンと割ると中から文字が書かれた紙が出てきた。

「Do or do not.There is no try. (やってみるのではない。やるか、やらないかだ。)」そう書かれていた。

「あっ、それスターウォーズのヨーダの有名な言葉だ。」と冬彦がつかさず言った。

主人公のルークが修行中に「やってみる」と答えた時に、ヨーダは「『やってみる』という姿勢だと出来るものも出来なくなる。たとえダメでも、『やった』という過程が大事なのだという教えだと冬彦が説明すると、凪沙は妙にその言葉が腑に落ちたみたいで、その紙をiphoneのカバーの表面に挟んだ。

 冬彦のフォーチュンクッキーには、「No rain, no rainbow.(雨が降らなければ、虹は出ることがない。)」これも西欧の有名な格言の一つだった。



 カリフォルニアでの大会が終わった直後に、イリウの義母の容体が良くないとイリウからピロに連絡が入り、ピロはエージェントに頼んで最速でバリに帰る航空機を予約してもらったが、どうしても一日半はかかってしまうそうだった。イリウはピロに心配をかけないように大会が終わるのを待って連絡してきたのだ。

 バリの空港に着いたのは、2日後の昼下がりだった。空港でイリウに電話をかけたが、ワヤンとカデックの祖母、プトゥ(イリウの元夫)の母親は息を引き取った後だった。

ワヤンやカデックがさぞや心を痛めていることだろうと思い、急いでサヌールの自宅に戻ったピロは、葬儀に集まった人達(暗い色のバリの正装『クバヤ』を着た人が多かった)の表情や雰囲気に驚いた。全くしんみりした様子や悲壮感がなく、日本に例えれば公民館で祭りの準備に集まった近所の人達のように、どちらかと言えば和気あいあいとしたものだった。

 帰って来たピロにイリウが気づいて駆け寄って来た。そして、カデックとワヤンも走ってきてピロに抱きついた。

イリウはピロの顔を見て気が弛んだのか、少し涙目になっていた。ピロが大変だったな声をかけると、イリウは首を振り、

「お義母さんは、とても安らかに亡くなった。一人息子のプトゥとお義父さんが待ってるから、早く会いたい。そして、ワヤンやカデック、それにイリウにもピロが居るから安心して逝けると幸せそうに話してくれた。」とそう言った。

 それからお祈りの後、幾つかの儀式が行われ、金色の派手な棺桶に入れられて、屈強そうな男達が棺を担ぎ、回りながら近所を練り歩いた。その様子は熱気に溢れて、本当にお祭りのような雰囲気があった。遺体は一旦土葬され、後で『ガペン・マサル』という盛大な地域の合同葬で火葬にされて、僧侶によって清水で清められ、川や海に流されるそうだ。

 バリ・ヒンドゥー教では、死者は新たに蘇える『輪廻転生』の教えがあり、葬儀は悲しむべきものではなく、新たな旅立ちを祝う儀式だと後になって、ピロはイリウからそう聞いた。



 アメリカから帰国後、海は将来のことや目前に迫った就職のことを翔太と雪乃じっくり話し合わなければいけなかった。帰って数日間は、『Backyeards』のモリケンのところに行き、悪い癖や新しいターンとコンビネーションの習得に打ち込んだ。内心すぐに答えを出すのが少し怖かったのだ。

 そんな海のことを気遣ってか、モリケンは余計なことは喋らないで、テクニカルなアドバイスやYouTubeで見つけた映像を見せてくれた。

『Backyears』とは違い、相変わらず『アヌアヌエ』は繁盛しいて、少し日焼けした夏美さんは新しいアルバイトの子たちに仕事を教えたり、お店の切り盛りにと忙しそうだった。

「ナギちゃんいないと大変なのー。ナギちゃんみたいに優秀な子、なかなかいないんだから?カイくん、明日の昼2時から手伝ってくれる?貸し切りで結婚式の二次会が入ってるんだ。」

「イイっすよ、夏美さんの頼みなら、断れないでしょ。」

「ありがとう。ナギちゃん帰ってくるの、来週だよね?」

「ハイ、そう聞いてるけど、今日連絡してみます。」海も凪沙のオーディションの結果が気になっていたが、オーディション前に彼女の気を散らすんじゃないかとずっと連絡を控えてたのだ。でも、今日の夜にはオーディションも終わっているので、

たぶん凪沙のことだからすごく集中して疲れていると思うと、結果はどうあれ海は早く優しい言葉をかけてあげたいと思った。



 オーディションは老舗の映画会社『パラマウント・ピクチャーズ』の一室を借りて行われた。LAの中心地メルローズ通りにある全体が映画のセットのような建物で、実際に観光客向けにスタジオツアーも行われていた。

 冬彦はこのオーディションの審査員の一人なので、ベニスビーチの家を凪沙を助手席に乗せて出て、近くのスタバの前で凪沙を下ろして、先にオーディションスタジオに入っていた。

今回のオーディションの審査員は7名で、プロデューサー、映画監督、音楽監督(冬彦)、外国語版のプロデューサー、配給会社役員、外国語版の音楽ディレクター、サントラのレコード会社制作責任者のメンバー。

 会場はバレエのレッスンスタジオのような作りで、天井は高く大きな窓が一面に並び、反対の壁は鏡張りになっていた。

そこにオーディオ機器とスタンドマイクにピアノが一台、それにオベーションのギターが1本置いてあった。また、それと対峙する形で反対側に審査員が座る長いテーブルがあり、テーブルの上には各自にノートPCとヘッドホンが用意されていた。

 簡単な審査員と進行役を含めたミーティングがあり、デモ音源とエントリーシートで選抜された約25名を午前中の一次審査で8名前後に絞って、昼休みをはさんで午後の2次審査を行うことになっていた。

 スタジオの審査員たちは事前にデモとエントリーシートをPCでチェックすることに余念がなく、静かな、しかし張り詰めた空気が室内に充満していた。冬彦もひと通り全員のデモと書類は確認しておいた。やはり凪沙のことが気になったが、今日一日は『ナタリー・アサオカ』として見るように努めた。

 応募者の中にはすでに歌手としてデヴューしているプロも十数人いたし、バークレーに通ってる学生やミュージカル俳優の卵たちもいて、アメリカ国内だけではなくカナダ、中南米からもこのオーディションに駆けつけていた。

番号の若い順番に5名がオーディションスタジオの隣の控え室に入り、それぞれに発声練習など行なって、それ以外は少し大きめの部屋で順番を待った。

 凪沙の順番は14番だった。どんなオーディションでも同様だが、最初の数人が自ずとその日の基準となってしまい、採点も辛めになってしまう傾向がある。だからここでは、最初の採点をイニシャルポイントとし、最後のひとりが終わった時点で後から加点、あるいは減点出来るシステムをとっていた。

 大部屋で待機してる間、ヘッドホンやイヤホンをしてそれぞれが練習している姿を見ると、自分以外の皆んなが凄く優秀に見えてきて、凪沙はその緊張感に押しつぶされそうになった。

 凪沙はゆっくりと目を閉じ、深く息を吸うと、カリフォルニアの波を生き生きとすべる海の姿がまぶたに映った。「イヤに楽しそうじゃない?私は今苦しいのに!」

「どうして、ナギ?音楽が嫌いなの?イヤ、好きだよね? だったら、音楽はオトを楽しむと書くとおり、楽しんでおいで!」

「わかったよ、カイ。『Do or Do not !』だよね。」そう、まぶたの海にそう答えた。

 

 課題曲の『California Gurls』はポップでアップテンポな明るい曲で、凪沙は自分で得意じゃないと思っていたが、練習しているうちにこんな曲もイイなと思えてきた。ケイティみたいにハッキリとして力強い声ではないが、自分なりの『California Gurls』が掴めてきたような感触を凪沙は感じていた。

『ナタリー・アサオカ』の名前がアナウンスされ、控え室を移動した。また、緊張が襲ってきたが、もう凪沙は平気だった。その緊張感さえ楽しんでやろうと強い勇気が湧いてきた。13番目のヒスパニック系女性が呼ばれた後、しばらくしてオーディションスタジオに案内された。

 スタジオのドアを開けると、中央に椅子とマイクスタンド、左手にピアノとギターが用意されていた。凪沙は中央に向かって歩いて行くと、正面のテーブルに7人の審査員が並んでいた。冬彦は左から3人目に座っていて、サングラスに近い濃いレンズの眼鏡をかけていたので、その表情は読み取れなかった。審査員とは別の端のテーブルにいた進行役が凪沙の番号と名前を読み上げ、すぐに課題曲のイントロが流れ始めた。

 凪沙は自由に歌った。マリブの海岸線やベニスビーチの海沿いのパームツリーの風景を思い浮かべながら、明るくポップにそして少しセクシーに。審査員席の冬彦は、自分の娘のこんな表情や仕草、その歌声にかなり動揺したが濃いレンズのおかげで悟られることなく、少し頬を赤らめたくらいに抑えられた。

 そして自由選択曲の『All By Myself』、凪沙は中央のマイクから離れピアノに近づきイスに座ると、いきなりラフマニノフの『ピアノ協奏曲第2番、第二楽章』を弾き始めると、少しテンポを落として歌い始めた。先ほどのカリフォルニアのカラッとした眩しい陽射しの風景が、急にスコットランドの古城に降る雨の小高い丘へとワープしたように、スタジオ内に湿気含んだ冷気が吹き込んで来た。一人芝居のカットが移り変わるように、そこには明らかに違う人格の女性がいた。

 凪沙が歌い終わっても、審査員たちは氷の魔女に白い息を吹きかけられたように、唖然として誰一人身動きすらしなかった。我に戻った進行役が慌てて、凪沙に退室を促し、次の応募者をスタジオへ招き入れた。


 


 海がカリフォルニアから日本に帰る時に、陸からもお祝いのメッセージが届いていた。そして、夏休みを利用してフランス・パリに旅行に行くことも聞いていた。

 逗子の自宅に戻って日常の生活がはじまると、「正直、アイツ何遊び呆けてんの?」と思っていたが、パリからの電話で叔父の諒太の話を聞いて、海も驚き、そして電話口で泣きながら話す陸につられて、海も涙声になった。

寡黙な叔父の諒太にそんな過去があったこと、多分親父の翔太も知らないと思う。   

海はしばらく顔を出していない神楽坂の叔父の店へ、今度ナギと行ってみようと思った。


 その夜、翔太が帰宅し、シャワーを浴びてリビングでくつろいでいるのを確かめて、海はシェーズロングソファの奥、翔太の横顔が見える位置に座り、ボソッと話しかけた。

「先日、陸がおじいちゃんと諒太叔父さんがお世話になったパリのレストランに行ったみたいで、連絡くれたんだけど…」

つかさず地獄耳の雪乃がキッチンから「あらっ、イイわね!パリなんて、もう10年以上行ってないわ。」と言った。子供の頃から不思議だったが、雪乃には絶対に頭の後ろにも目と耳が付いてるはずだと陸と良く話していた。

「それで…どうした?」

「諒太叔父さんのこと…知ってる?」

「いや、諒太は昔から口数が少なかったし、特にヨーロッパでの話は聞いてもほとんど話してくれなかったな。」

「奥さんがいた話は…?」

「なんだって!諒太が結婚してた?」翔太は飲みかけて、手に持っていたビールグラスを落としかけた。

 キッチンにいた雪乃も手を止めて、リビングに来ると翔太の横に腰を下ろした。海は陸から電話で聞いた話を、出来るだけ丁寧に二人に話した。話の途中から雪乃はエプロンで涙を拭い、声が出ないように口を手で押さえた。翔太は口を固く閉じたまま、ローテーブルの端をじっと見つめていた。


 翔太は諒太に対してずっと負い目を感じていた。本来ならば、自分が父親の太一の跡を継ぐべきなのに、諒太にそれを押し付けてしまったのじゃないか?自分は母親に似てあまり手先が器用ではなく、どちらかといえば勉強が出来たのを理由に家業から逃げたのではないか?

 しかし、諒太は翔太に対して不平を言うわけではなく、「親父の店、オレがやるから心配すんな、兄貴。」と言って、すんなり神楽坂の店で働きはじめた。

太一は別に自分が引退したら、自宅ごと売って海沿いの町でのんびり暮らせれば良いと言っていたが、諒太が店を継ぐと言った時は「そうか!」と嬉しそうな顔を見せた。

翔太は胸の中で、「ゴメンな、親父、諒太。」と謝りながら、商社での仕事に没頭した。




 一次審査が終わると急にお腹が空いて、凪沙はスタジオビルのお土産物を売ってる売店の隣りのカフェで、西海岸でポピュラーな『French Dip Sandwitch(フレンチディップ)』のセットを頼んだ。『French Dip Sandwitch』は、薄くスライスしたローストビーフをカットしたバゲットに挟んだサンドイッチで、ホースラディッシュの入った肉汁ソースが脇に付いていてディップして食べるみたいだった。

そのサンドイッチを食べ終えて、セットで頼んだアップルジュースを飲んでいる時に、一次審査の結果メッセージが届いた。そのメールには、最終審査の開始時間と場所が書いてあった。

 最終審査も一次審査と同じスタジオで行われた。隣の控え室には5人の姿があった。渚の番号14番の前には9番の女性がいて、渚は2番目にスタジオへ呼ばれた。最終審査はいくつかの質問と自分の得意な自己アピールが要求された。

 審査員が並ぶテーブルの中央に進み椅子に座ると、早速審査員が個別に質問してきた。

「何故、自由選択曲に古い『All By Myself』を選んだのですか?」中央に座る白髪のメガネをかけた男がまず質問してきた。

「たまたま父のCDコレクションにあったアルバムの一枚を聴いた時に、雨の日が続いた日に曇ったガラス窓から見る薄いグレーの空が目に浮かび、このカリフォルニアの空と対照的だなと感じ、絵画的に捉えて面白いなと思ったんです。」と凪沙は答えた。

「ヴォイストレーニングは受けてますか?ピアノがお上手だけど、いつくらいから習っていますか?」

「ピアノは生まれる前から家にあったので、気がついたら弾くようになり、先生についたのは3才くらいだったと思います。特別なヴォイストレーニングは受けていません。」

「英語はネイティブに聞こえるけど、どこで習ったんですか?」

「父の仕事で小さい時にロスに、そして14才までフランスのインターナショナルスクールにいたので、英語を話すのは苦になりません。」

「作曲をするとプロフィールにありますが、今まで何曲くらい作曲したことがありますか?」

「はい、約300曲くらいです。」

「その中の一曲を聴かせてもらえませんか?」

「わかりました。」と答えて、凪沙はピアノに向かった。

そして、海のために作曲した『潮風に逢いに』をピアノに合わせて、あえて日本語で歌った。


『潮風に逢いに』


「誰かの価値観の中で泳いでるような気がしていた

人混みの中でずっともがき続けていたね

時の波に流されて、失った大切な友達

帰っておいで 潮風に逢いに

波が足を洗い ちっぽけな自分を見つけられる

君が君のままで いられる所へ


Easily come to the place you can be who you are. The gentle sea breeze will wraps you around. Feel the sea breeze, Feel the sea breeze


小さな嘘を自分について また朝を迎える

朝陽が眩しすぎて 目を閉じてしまう

ため息の間を乾いた笑い声で埋めている

帰っておいで 潮風に逢いに

風が髪をなで たわいも無い過去を忘れられる

君が君のままで いられる所へ


Easily come to the place you can be who you are.

The gentle sea breeze will wraps you around. Touch the sea breeze, Touch the sea breeze


時の波に流されて、失った大切な友達

帰っておいで 潮風に逢いに

波が足を洗い ちっぽけな自分を見つけられる

君が君のままで いられる所へ


Easily come to the place you can be who you are. The gentle sea breeze will wraps you around. Feel the sea breeze, Feel the sea breeze 」

 

 審査員の一人が気がついたように、ワンテンポ遅れて手を叩くと、それにつられるように全員が拍手をした。

 冬彦は目の前の女性が自分の娘なのか自信がなかった。「ナタリー・アサオカ」であってくれた方が、余程心穏やかでいられた。「見慣れた容姿のこの女性が、もし仮に自分の娘ならば、自分はこの女性の何を知っているのだろう?」と途方に暮れた。

 「自分の今できることは、やれた。」凪沙はそんな快い達成感の中にいた。



 8月に入り東京や神奈川でも熱帯夜が数日続いた。週末の金曜日、翔太は昼過ぎ雪乃に取引先の担当者と飲むことになったから、今夜は帰りが遅くなるとメッセージを送った。

 本当は約束など無かったが、溜まっていた人事関係の書類を片付けてから、会社の帰りにたまに一人で行く、東京駅から有楽町に向かう通りの地下にある居酒屋のカウンターに腰をおろした。瓶ビールを注文し、突出しの鯵のナメロウに箸をつけた。

この店は最初同僚と入ったのだが、新潟出身の親父の料理と客が話したそうにしていたらさりげなく話しかけ、一人にして欲しそうな時には静かにそんな心配りができる女将さんが気に入って、たまに会社帰りに立ち寄った。女将さんが熊本の長十郎茄子を勧めてくれたので一本焼いてもらい、好物の納豆とネギがたっぷり入った栃尾揚げと新潟・吉乃川の辛口の冷やを一本頼んだ。

焼き茄子は皮の表面を真っ黒に焼いてあり、その皮をつるりと剥くと長い薄黄色の中身が現れて醤油とショウガをほんの少しかけて口に含むと、これまで食べた茄子が味気ないと思うほど美味かった。皿から顔を上げて女将さんと目が合うと、美味しいでしょう?という顔で微笑んでいた。また、肉厚の栃尾揚げに挟んであるこぼれそうな納豆とネギ、これがキリッとした吉乃川にピッタリとくる。

 いつもならこれで逗子の自宅に帰るのだが、今夜は神楽坂の実家跡と言うか、諒太の店に行くつもりでその前に少し酒を入れたかったのだった。

 看板の灯りが消えたレストランの窓から店内がオレンジ色に照らしだされ、姉の奏(かなで)がテーブルのクロスを変えているのが見えた。

 翔太が「 CLOSED」の札が掛かった入口のドアを開けると、「すみません、今日は…もう…、あらっ、翔ちゃん、正月でもないのに珍しい。どうしたの?」

「もうすぐお盆だから、おばあちゃんに呼ばれたんだよ。」

「諒ちゃん、翔ちゃんが来たわよ!」と奥のキッチンの方へ声をかけた。すると、諒太がカウンターに顔を出して手を上げて挨拶すると、すぐに片付け終わるからと言って、カウンターでサッと飲物を作り、小皿に何か載ったモノと一緒に翔太の前に置いてキッチンの奥に消えた。

 グラスの内側に縦に薄くスライスしたキュウリが張り付いていて、グリーンのオーガニックデザインのようだ。一口飲んでみると、ジン特有の苦味がソーダで薄れて、ライムの爽やかな酸味、そしてキュウリの香りがほんのりして夏らしい辛口の飲物だった。それに小皿に載っているのは、萎びた沢庵漬けにキューブ型のチーズの上からオリーブオイルをかけたモノ。フォークで刺して口に放り込むと、燻製の薫りとチーズのクリーミーな口当たり、そして硬い沢庵の食感と塩味がさっきの飲み物にピッタリくる。

「リョウタ、これどっちも美味いなあ?」

「あっそう、『ジンリッキー』と『いぶりがっことクリームチーズ』。結構イケるだろ。」キッチンの中から諒太が答えた。

「どれっ、ホントだ、美味しい。」仕事を終えた奏が翔太の横から手を出した。

 奏が両親が移り住んだ真鶴の家に行った話をしていると、黒いTシャツとホワイトジーンズに着替えた諒太が、カウンターの棚から『ワイルドターキー』の瓶を抜き取り、氷を入れたロックグラスにトクントクンと注いで、スイングドアを通って翔太の隣に腰をおろした。奏は勝手にワインケラーから栓の開いたスパークリングワインを取り出して飲んでいた。

「3人で会うの久しぶりね?去年のお父さんの『喜寿』のお祝いの時以来かな?」と奏が言った。

「何か…話でもあったか?兄貴。」諒太が翔太の様子を察したかのように口を開いた。

「…何で…オレに…話してくれなかった?」グラスの中のライムを見つめながら、翔太がつぶやいた。

何のことを言っているのかわからなかったが、先日送られてきた陸からのパリの写真のことを諒太は思い出した。

「パリでのこと…海から聞いたよ。オレが…頼りないからか?オレが…実家の仕事をお前に押しつけて、好きなことやってるから恨んでるのか?」

「バカ言うなよ、兄貴。兄貴は今でも自慢の兄貴だよ。子供の頃から頭が良くて、スポーツ万能で学校中の人気者だった。でもね、いつまでも兄貴の後を鼻を垂らしながらついて来るガキじゃないんだよ。」諒太のグラスの氷がカランと音を立てた。

「カナ姉は…知ってたのか?」と翔太は奏の方を向いた。

「何となくね。私だって女よ。諒ちゃんとこんだけ長い間一緒にいるんだから…。たまに『フランソワーズ・アルディ』かなんか聴いて、奥で泣いてんの知らないと思ってんの?パリで酷く辛いことがあったのは、ずっと前からわかってたわ。」

「俺くらいの年になったら、胸の奥に一つや二つくらいの傷は持ってるだろ。もし持ってないというヤツは、自分で選ぶことをしなかったか、自分をちゃんと生きていないかだ。」諒太はそう言うとグラスのバーボンを飲み干した。

「オレは…何にもしてやれない…ダメな兄貴だよ。」

 翔太の気持ちが嬉しかった。フランスから帰国した時にこんな話を兄貴が聞いたら、逗子の家に監禁されただろうと諒太は思った。

「いやあ、そうじゃない。これは俺の問題で、こんな男が世界中に一人くらいいたってイイんじゃないか?」と言って、カウンターの中に入り、空のグラスにバーボンを足して、もう一個のグラスにも氷をと酒を注いで翔太の前に置いた。

「ああ…わかったよ。オレはちょっと淋しくなっただけだ。諒太はいい男になった。認めるよ。」翔太は目の前のバーボンに口をつけると、一つため息をついた。




 オーディションの結果はすぐに届いた。

最後の一人にはなれなかったが、凪沙は清々しい気持ちだった。いや、そんな言葉は適切ではないかもしれないが、『楽しかった』。自分の枠から少し飛び出した、そんな感覚が残っていた。

 しかし、不合格の通知の直後からスマホの電話やメールが立て続けに入ってきた。元々友達も少なくて、こんなにスマホが煩くて仕方ないので、父親の冬彦に助けを求めた。

 オーディションの審査員をしてたレコード会社やアメリカの映画会社、何故かは知らないが大手WEB会社からも何度もメッセージが届いていた。凪沙からそれらのメッセージを見せられると、冬彦は自分の会社で、『ナタリー・アサオカ』とエージェント契約交わし、一旦全てのオファーについての交渉窓口を引き受けた旨の返信を、事務所のキャサリンに依頼した。

 こういったオーディションでは良くある事だが、グランプリを取った人が必ずしも売れる保証はどこにも無いのだ。


 冬彦はロスの事務所の駐車場で車のキーを出すときに、スラックスのポケットの中から出てきた紙きれに目を止めた。それは凪沙と行った中華料理店のフォーチュンクッキーの紙片で、そこには「No rain, no rainbow.」と書いてあった。




 ダニエル・K・イノウエ国際空港は快晴だった。

ハワイに来るのは3度目になる。過去二回は家族旅行だったから、海が仕事というか用事で訪れるは今回が初めてだった。

以前はイミグレーション(入国審査)で何時間も待たされた記憶があったが、自動化が進んでイミグレーションのフロア自体にも海が乗ってきたJALの東京便とほぼ同時刻に着いたANAの大阪便の乗客がほとんどで、審査自体もあっけなく終わった。

 海はボードが2本入ったソフトケースとスーツケースを受け取り、日本で予約しておいたレンタカー会社のブースで手続きを済ませ、地上階のフロアから屋外に出ると、知っているハワイの太陽と空気が待っていた。


 ノースショアへはホノルル空港から北へ向かって進み、ハイウェイ『H1号線』を「WEST(北)」方面へ走ると、左手に『アロハスタジアム』が見えてきたら、『H2号線』への分岐があり、後はノースショアへ一直線。ワイキキのビル群とは対照的に野菜などの農地やパイナップル畑が果てしなく続いていた。

時間があれば、ワイキキからダイヤモンドヘッドの風光明媚な東海岸沿いをドライブしながら、ノースショアへ行くコースが海のお気に入りだが、スポンサーメーカーのトムが宿泊先のタートルベイリゾートですでに海を待っているようなので、島を縦断するこのルートを選択したのだった。

 ノースショア付近にはワイキキとは違って、大型のホテルが少なく、最寄りで唯一最大なのがこのタートルベイリゾートだ。ホテルの名前の通り、ウミガメの繁殖地で産卵でも有名なラニアケアビーチが近くにあり、ノースショアの壮大な海原が見渡せる人気のホテルだった。

 ホテルのエントランスに車を停めると、バレットサービスのスタッフがスーツケースを出してくれた。お礼を言ってチップを渡し、引き換えに車の預かり券を受け取ってロビーに入ると、黒のアバクロのポロシャツを着たトムが中央のソファから海に向かって手を振っていた。

 

『Backyards』はノースショアの有名なポイントの一つで、『Sanset』ポイントの右側に位置する上級者向けのポイントだ。ノースショアのサーフシーズン(10月〜5月)が始まると、世界中からサーファーがここに押し寄せる。ロコ達でもよほど腕に自信がないとこのポイントを選ばない。

 海はモリケンの店名にもなっているこの『Backyards』で一度波に乗ってみたかった。モリケン曰く、「世界でここにしかない波が立つ」、その波を体感したかったのだ。

『Sanset』ポイント側の駐車場に車を停め、ボードを担いで岩とブッシュの細い道を降りてゆくと、遠くにブレイクポイントが見える。岸に着くと10人くらいのロコ達がいた。

「The waves are tough here, be carefull !(此処の波は手強いぜ、気をつけな!)」その中の長い金髪の男が海に声をかけた。海は礼を言って、ストレッチを始めた。持ってるボードを見れば、その持ち主がどれくらいの実力があるのかは察しがつく、海のボードを見てさっきの金髪は声をかけてくれたのだ。

 トムに聞いていた通り、此処のカレントは弱く、沖に出るまでにかなり体力を消耗する。さっき岸から見たブレイクポイントは小さく見えたが、目の前にある波は想像していたよりも大きかった。

 先ほどの金髪の青年が少し離れた場所で波を捉えた。このポイントの波はリップの水量がハンパない、その厚いリップから滑れ降りるともの凄いスピードで波を捉えて流れに乗り、大きくターンして素早くカットバック、水飛沫の中で濡れた金髪がスローモーションのように揺れて眩しく光を弾いた。

 海は心の中で「ヒューヒュー!」と口笛を吹いて、金髪のライディングを瞼に焼き付けて波を待った。

そして水平線が大きくうねって来るのを見て、テイクオフの準備に入った。海が今までに経験したことのない、ほとんど暴力と言えるくらいの力強いうねりが襲ってきた。

「こりゃ、スゲーや!」恐怖を通り越して、武者震いを感じたが、何故か海は笑っていた。

『Sanset』のポイントとの間には危険な「ボーンヤーズ」という岩の浅瀬があり、その方向に流されないように注意して波に乗ろうとしたが、湘南で初めて波に乗った時のように何度もワイプアウトしてしまった。

 モリケンの言う「世界でここにしかない波」、それがこの波なのか? 海には分からなかったが、ただ立ち向かう価値のある波であることは分かった。

何十回ものチャレンジで海はかなり疲れてしまったので、一旦オカに戻り体力を回復しなければならなかった。

「Take it easy, Brave !(気楽に行きなよ、勇敢なる者!)」先ほどの金髪の青年が、海に声をかけた。海は辛うじて彼にむかって手を上げて応えるのが精一杯だった。



 ハワイの11月、雨季とはいえ東京の7月と同じくらいの気温で東京よりも湿度は低く、朝方の雨が樹々を濡らし朝陽を浴びてキラキラと光を空気中に拡散させていた。

 「ハレイワ・チャレンジャーズ」の舞台は、「冬のビッグウェーブ」で世界的に有名なハレイワビーチで行われる。ここはジョンジョンの地元で、実際彼はこの大会を連覇していたし、この大会の当日も6メートル級の波が次々と沖から生まれていて、それだけでサーファーはもちろん、これから始まるスペクタクルな戦いに皆んな胸を高鳴らせていた。

辺りにはこのサーフィンの一大イベントを一目見ようと人々が押し寄せ、普段は椰子の木の木漏れ日が降りそそぐ芝生が美しいハレイワパークが、その芝が全く見えないほどの人で埋め尽くされていた。

 この盛り上がりに選手達が燃えない訳はなく、最初のラウンドヒートから熱戦が繰り広げられた。しかし、海の調子はなかなか上がらなかった。昨日の「Backyeards」でのライディングですっかりタイミングを掴めなくなっていた。

 海の組はペルー人のルーカ・メシナス、ポルトガル人のギリェルメ・フォンセカ、アメリカ人のナット・ヤングの4人でのヒートでポイント上位の2人が次のヒートへ進むことになる。

 ヒートが始まると、4人は一斉に勢いよく沖へパドリングで出て行った。最初にヤングが波を捉えたが、すぐに波が崩れポイントには結びつかなかった。その後、海とメシナス、フォンセカもライディングしたが、3人とも気持ちが昂ぶっているからか、力任せのライディングになってしまっていた。低調なポイントのまま時間だけが過ぎて行き、30分の制限時間が間近に迫っていた。

 まず動いたのはフォンセカで、波に乗ると小刻みなアップスダウンでスピードに乗り、大きなボトムターンからのオフザリップを無難に決めて首位に躍り出た。続くようにヤングがテイクオフすると、何度かカットバックを決めたがポイントを伸ばすには至らなかった。優先権を持っていたメシナスも最後のチャンスだと感じて、リップから滑り降りるとボトムターンからカールの下に滑り込み、一発逆転のチューブを仕掛けた。しかし、ブレイクした波からボードは出てこなかった。

 優先権が海に移り、海も最後のチャンスに賭けた。波を見定めると素早くテイクオフして、小刻みな動きでスピードに乗る。浅いターンからのカットバックを2度決めて、最後のエアー「アリウープ」に集中した。今度は深いターンからリップの先から大きく波の上に飛び出し、その勢いのままボードに合わせて腰をひねる。ボードが180度回転するのを、まるで自分の体では無いような感覚の中で、水の飛沫に虹が映ったのを見た。着水の時にバランスを崩し、ブレイクした波にのまれてしまった。オカの方から大きな歓声が聞こえてきたが、同時に制限時間終了のブザーがその歓声を切り裂くように響いた。

 海のノースショアでの大会は終わった。

 丘に引き上げ、海がブースに戻りボードを立てかけているとトムが声をかけてきた。

「Hi, Kai! It was a little disappointing even though it was a little more successful.(よう、カイ!もう少しで成功だったのに、残念だったな。)」

「No, it's my current real ability.(いや、これが俺の今の実力なんだ。)」そう海は答えたが、何か胸の奥で説明の出来ない小さな熱い塊があるのを感じていた。

 これは、初めてモリケンに逗子の海でサーフィンを教えてもらった時にも感じたモノだった。

海は運動神経が周りの子供達より良かった。ほとんどのスポーツ、水泳や野球、サッカー、スキー、テニス、バスケット、卓球などすぐに上達して同学年だと相手にならなかったので、大人や年上のグループに引き上げられることが常だった。だけど、その海をしても、サーフィンは簡単ではなかった。いやだからこそ、海をこれほど夢中にさせたのだ。

 ギャラリーの人混みから、1人の男が海の方に一直線に歩いてきた。「Backyeards」で海に声をかけてきた金髪の青年だった。横からトムが手を上げて「Ivan! What's up?(イヴァン!元気だった?)」と挨拶してその青年とハグをした。

トムは海に気づくと「Kai, Let me introduce you to John John's younger brother, Ivan.(カイ、紹介するよ、ジョンジョンの弟のイヴァンだ。)」と言った。

彼はジョンジョンの弟だったんだ。

イヴァンは海の肩を抱いて「It was a good challenge. Brave man.(いい挑戦だったよ、勇敢な人。)」と笑顔で話すと、トムが知り合いだったかと驚いた顔をした。

 イヴァンは上の2人の兄、ジョンジョンやネイザンと違ってコンテストサーフィンには興味がなく、フリーサーフィンやスケボーなどで有名だったので、カイに関心があることがトムには意外だったのだ。

 トムとイヴァンはブースの奥のフォールディングチェアに並んで座り、トムはコーラをイヴァンはレモネードを飲みながらしばらくの間話し込み、時おり海の方を見やりながらスマホのアドレスと電話番号を交換していた。そして帰りがけにイヴァンは、海に微笑みかけてカラフルなショップカードのようなモノを手渡すと、大きな手で握手してブースを出て行った。

 手渡されたカードには七色の虹がデザインされていて、イヴァンの名前とモバイルナンバー、メールアドレスと共に「Ole Ua, Ole Anuanue.」とたぶんハワイ語?の文字が書かれていた。「Anuanue(アヌアヌエ)」は、逗子の夏美さんのハワイアンカフェレストランの名前と一緒だから「虹」という意味だと思うが全体の意味はわからなかった。


 今年の「ハレイワチャレンジャーズ」は、全ヒートで圧倒的な強さを見せたジョンジョン・フローレンスが優勝し、前人未到の3連覇を達成した。決勝のヒートは土砂降りのスコールが降っていたが、ジョンジョンはそんな雨を全く気にすることもなく華麗にエアーを決めていた。

 表彰式の頃には、山からの風が雨を波の生まれる沖の方へ運んで、傾きかけた太陽が海がこれまでに見たこともないほど大きな七色の虹を空いっぱいに作っていた。

 ジョンジョンの優勝を喜び合う群衆の中にイヴァンの姿もあった。海は自分は散々な結果だったのに、何故か清々しい気持ちでその光景を見ていた。






<Epilogue-エピローグ>


 ハワイを離れる日にトムから連絡があり、イヴァンが「Sunset」ポイントの近くに住んでいて、兄のネイザンが結婚して家を出て行ってしまってから部屋が空いているので、海にその気があれば部屋代は要らないから住んでみないか?とオファーがあったと聞いた。とても信じられない話だったが、イヴァンが海のライディングを見て、サーフィンに夢中になった子供の頃、二人の兄の後ろ姿を追いかけていた純粋な自分を思い出したそうだ。

「ノースショアは僕ら兄弟の遊ぶ場、きっとカイはここで大きくなれるから楽しみに待ってる。」とトムにメッセージを託してくれた。

 今の海には選択の余地はなかった。心が大きくサーフィンに傾いているのだ。ここで選ばなかったら、将来後悔することになるのがわかっていた。

来年3月に大学を卒業したら、ハワイでサーフィンに没頭する、そう決めた。ここを拠点に色々な大会にも挑戦することにトムも賛成してくれ、ビザなどの手続きを間に合うように進めてくれることになった。

 凪沙は海と同じく来春に大学を休学して、父親・冬彦のロサンゼルスの事務所に籍を置き本格的な活動を開始することにした。海もカリフォルニアでの大会などで西海岸に来ることも多くなるようだし、凪沙も気晴らしにハワイに出かけるのもいいなと思っていた。それに日本に帰るより断然近いし、飛行機の便も段違いに多かった。



 パリ旅行から陸とフィオナがドイツに帰って来て、新学期が始まると慌ただしく時間が過ぎた。陸は本来のカリキュラムが始まったし、フィオナは物凄い量の書籍とレポートに実習とハードな日々を過ごしていた。ただ、陸の中ではあのパリのレストラン『ラリコ・ルージュ』のことが頭から離れなかった。

 11月に入り、ハイデルベルクの旧市街広場にもこの時期恒例の『クリスマス・マルクト』市場が立っていた。フィオナは毎年代わり映えがしないと言っていたが、このマルクトを心待ちにしている人々も沢山いて、湯気の立ち上る陶器マグの「グリューワイン」をお店の前で立ったまま美味しそうに飲んでいる人たちやツリーの形、サンタクロースの形をしたジンジャーやアニスの入ったクッキーを軒先に吊るした出店、クリスマスのオーナメントや木製の煙吐き人形、ロウソク立てのビラミッド、それに宗教的な人形達が所狭しと並べられた賑やかなお店など観光客や陸みたいな留学生にとっては見て歩くだけで楽しく感じられた。日本の騒々しくて煌びやかなクリスマスとは違い、控えめでもっと内面的な厳かな雰囲気がそこにはあった。

 陸はドイツの体の芯から冷える寒い冬を迎え、ひと気のめっきり少なくなった逗子の海岸、真冬でも風さえ強くなければ陽射しが暖かい海岸の波打ち際をフィオナと歩いたら、どんなに幸せだろうかと思った。



*「Ole Ua, Ole Anuanue.(ハワイ語)」は、「No rain, no rainbow.」と同じく「雨が降らなければ、虹も出ない。」の意。



 

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潮風に逢いに〜ワイルドサイドを歩け〜 降布 麻浪(ふりふ まろう) @eastblue_440

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