第7話. Autobahn (アウトバーン)

 今日もまた遠くの方から『ゴーン、ゴーン』という教会の鐘の音が、窓の外から鳴り響いてきて 陸は目を覚ました。 すでに陽は高く上り、窓を開けると、初夏の爽やかな風がやさしくレースのカーテンを揺らした。

陸がもっとも日本での生活とこのドイツとで違いを感じたのが、『サマータイム』 だった。 6月に入ると朝の4時にはもう陽が差し込み、夜は夜で 10時過ぎに陽が落ちる。子供達も夜 9時くらいまで道端で遊んでいるのを普通に見かける。

 時間とは絶対的で不動の概念だと感じてた、いや信じてたが、欧米の人はいとも簡 単にその時間を時間早めたり遅らせたりしている。

 これは陸にとってカルチャーショッ クの大きな一つだった。案外今まで正しいと教わってきたことが、かつての天動説や地動説のように間違っていたり、デタラメだったりするのかも知れないと考えるようになってきていた。


アパートを出て大学へ通う道すがら、コーヒースタンドでコーヒーとクロワッサン を頼み、昨日の授業の復習をしようと思ったが、朝の通勤前にエスプレッソを飲むサラリーマンや女性客で店は混んでいた。ここハイデルベルクにもスタバが何店舗かあっ たが、陸は昔ながらのコーヒースタンドの方が、価格も安いし美味しい気がしていた。 たしか、世界のコーヒー豆の良質な大部分はヨーロッパが買っていると聞いたことがあったが、それもうなずけるほどの美味しいと思った。

 それにしても、ドイツ人を含めヨーロッパ中大柄な人が多いのに、どうしてカフェテー ブルがこうも小さいのか? いつも疑問に思う。

日本のファミレスで友達と期末テスト の勉強をしていた頃と比べると、教科書とノートを一緒になんかテーブルの上に広げ ることなんてできやしないのだから。

 陸はここ(ドイツ)の生活にも慣れてきて、町中でもドイツ語をしゃべる機会も増えてきて、相手のドイツ語も徐々に聞き取れるようになってきたが、大学の授業では最近落ちこぼれ気味になってしまっていた。

受動態の過去 形、過去完了、未来形で少し遅れをとるようになり、最初は教えてあげる立場だった ポーランド人のリディアには、完全に教わる側に立場が逆転していた。Zertifikat Deutsch(ド イツ語基礎統一試験)のテストまで、後2週間しか残っていなかったので、陸は少し 焦っていた。ガーナ人のパペチュアルはほぼ陸と同じレベルだったが、さすがは大陸 出身で島国出身の陸とは違い、分からないことがあっても気にもしていない風に見えた。また、堂々とカンニングでもする気かもしれなかった。 


1ヵ月ぶりに海から電話があった。メールでは何度かやり取りしたが、電話は久し ぶりだった。

「リクー、元気でやってるか?」

「あゝ、カイこそどうしてる? バリの大会惜しかったね。相手が強すぎたからね!」

「ありがとっ。でも、あのライディング見たカリフォルニアのメーカーから 7月のマ リブの大会に招待されたよ。」

「へえ、スゴイじゃん!それで、アメリカ行くの?」

「うん、行くつもり。親父には許可もらった。」

「それ、母さんはダメだったってことね?」

「そういうこと。親父がどうにか説得してくれるって。」 「凪沙ちゃんや陵は元気でやってる?」

海は先日の『surfers』での陵のバンド『Flamming Torches』のライブの件、その時の代打で出た凪沙の歌声がSNSで大反響になり、『surfers』はもちろん陵のところ にも雑誌だのプロダクションだのから問い合わせが殺到してることを、かいつまんで話してくれた。

「そう、凪沙ちゃんてそんなに歌上手だったんだ?カイに聞いて曲作るのは知ってた けど。」

「さすが蛙の子は蛙だよ、両親の血を受け継いでる。それにあのルックスだろ? オレも気が気じゃないわけよ。」

「あー、ハイハイご馳走さま。失意のどん底にいる弟にそんなこというかね、お兄さま。」

「ほー、冗談が言えるほど回復したんだね、ハートブレーカーくん。」

子供の頃は顔を見たらケンカばっかりで、優しいお姉さんのいる同級生が羨ましかったけど、陸はやっぱり海が兄弟で良かったと今になってつくづく思った。

 


昨日の授業でのこと、赤縁のメガネをかけた講師がドイツでの移民問題、出生率向 上の政策など説明した後、生徒たちの祖国での現状を質問してきた。 いわゆる先進国では押し並べて出生率の低下が取りざたされているが、アメリカと同 様に出生率が2.0に近い数値のフランスでは手厚い家族手当だけではなく、独身者や 同性同士にも生殖補助医療を認めていると、フランス人のフランソワーズはそう答え た。

 世界的に見ても0.81と突出して低い韓国のチョン・ジェウンは政府の政策が子育て 支援に重きを置いていて、若者層の晩婚化・非婚化の根本原因とに乖離があると思うと自分の意見を述べた。

また、ナイジェリアのムサはアフリカ全般に言えることだが、出生率は高いけど幼児 の死亡率も同様に高く、多産でなければ国が存続できないし、子供も経済を支える労 働力だという考えも根強いうえに、一夫多妻の制度もほとんどの国で認められている からだと発言した。

 日本については、京都の大学からきている吉見由依が、子育て支援や女性の労働環境の改善、公共教育の無償化などの政策を打ち出しているが、先進国でも低い労働賃金 や所得格差などで晩婚化の歯止めがきかず、結果的に女性の生涯出産回数が増えてい ないからだと思うと持論を述べた。

ドイツ人女性講師は周りを見回して、今度は『セックス』についてはどうか?と尋 ねてきた。自分は生活の一部だと思うし、同性同士であっても必要なものだと思う。 また、文学や芸術文化はこのエロティシズムの昇華である側面を必ず持っていると思うと言った。

 陸は少し戸惑った。あまりこういう場所で、『セックス』の話題が出ることに慣れ ていなかったからだ。他の日本人を含めアジア人は大体同じ反応だったが、欧米人は さして珍しくもない、当然のような顔をしていた。

やはりヨーロッパでは、こういう 話題に対してオープンだということを感じた。

基本的に語学講座なのに、社会問題や文化まで掘り下げて学ぶことがドイツでは普通であること、自分の内側の壁がグイグイと外側に向かって押し広げられている感覚に、陸は改めて留学して良かったと感じた。



ドイツに来る前から母親の雪乃に訪ねるように言われていた、雪乃の大学時代の友 人であるオスト夫人に、陸はようやく連絡を取った。

 友人とはいえ、陸はオスト夫人と は 3度くらいしか会ったことがなくて、ほんの子供の時に大柄なヒゲをたくわえた外 国人のご主人と、可愛い陸よりお姉さんの女の子と一緒に銀座のレストランで会ったのが最初で、あとは逗子の自宅に夫人一人で雪乃に会いにいらしたことが 2度ほどあっ たくらいだと覚えている。

  雪乃に比べオスト夫人は、いつもシンプルだけど良質の服に身を包み、子供のしつけ には厳しい感じがした。話し方も言葉少なく、余計なことを言わず、たまに本質をつ くようなことをポツリと話すタイプの人だったイメージを持っていた。

陸がドイツに来て早くも一ヶ月半が経とうとしていた。異国での生活にも慣れて、 少しハイデルベルクの外に出てみたくなったのと、雪乃から預かったオスト夫人へのお土産も早く渡さなければと思っていたのだ。 電話で夫人の都合を聞き、今週末土曜日の午後に伺うことにした。


オスト夫人はフランクフルトの郊外、フランクフルト中央駅からSバーンで 25分ほどにあるBad Homburg(バート・ホンブルグ)に住んでいた。この辺りはフランクフル トの金融街で働くお金持ち達が住む高級住宅街で、第二次世界大戦で破壊を免れたため、中世ドイツの木組の家が残る綺麗な街並みで有名だった。

 バート・ホンブルグ中央駅に着いて、タクシー乗場(日本のような流しのタクシー はドイツにはない)でタクシーに乗り込み、オスト夫人に電話をかけて直接ドライバー に家までの道順を告げてもらった。

 ドライバーは若いトルコ系ドイツ人だったが、中国人かと聞くので日本人だと答えると、エルトゥールル号という船の事を知っている かと尋ねてきた。知らないと答えると、トルコ人は誰でも知ってる有名な話で、トルコでは小学校の教科書にも乗っていて、ドイツ生まれの自分はおじいちゃんからその話を聞いたそうだ。

 エルトゥールル号事件というのは、1890年トルコ人600人を乗せたエルトゥールル号が日本の和歌山県沖の海岸で座礁し、沈没したが沿岸の住民が献身的に救助・介護をして大勢の人命を救ったというものだった。だからトルコ人は今でも日本に感謝しているし、家族のような感情を持っているんだとドライバーは話してくれた。でも自分自身は三世でトルコ語は少ししか話せないんだと言ってウィンクをした。 陸は一瞬ドキリとしたが、このウィンクには性的な意味はなかったようだった。


リーゼン通りという中世のような綺麗な街並みの目抜き通りを過ぎて、おとぎ話に 出てくるようなお城の手前を曲がった、お屋敷が立ち並ぶ通りの中ほどに夫人の家はあった。ド ライバーに料金とチップを少し加えてタクシーを降り、門の前に立って家を見上げた。

 石造りの土台に白い漆喰の壁、深い緑色の観音開きのカバーがアクセントなっている美しい家で、街路樹の大きなリンデンバウム(菩提樹)にすごくマッチしていた。

呼び鈴を押すと、すぐにオスト夫人が玄関から出てきて、金属製の門を開けてくれた。

「ようこそ、いらっしゃい。陸くん、 5年ぶりくらいかしら?」そう言って、玄関までの階段を上り家の中に案内してくれた。

「ええ、確か僕が高校一年生の頃だった思います。」

 玄関を入ったところに広い空間があり、正面には大きな花瓶に花がいっぱい飾られていた。その玄関ホールの右手を進むとこれも100平米はありそうな居間が続いていて、グラン ドピアノが置いてあった。

 そのピアノの傍らには、栗色の長い髪をした細身のキレイ な女性がニッコリ笑って立っていた。 「こんにちは、陸くん。覚えているかしら? 小さいときに東京で一度会ったわよね、 覚えてる?」それは、昔銀座のレストランで会ったあの可愛い少女だった。

「あっ、ハイ覚えてます。たしか、ザビーネちっ、さん!」 「『ちゃん』でいいのよ。海くんもお母様もお元気?」容姿だけではなく、声も抜群 にキレイだった。あのレストランで会った後、海がザビーネに一目惚れして大変だっ たのを思い出した。

 陸は母親からの日本土産を渡し、家族の近況を話した。ザビーネはドイツでは盛んではないサーフィンのことと、海が大学生でプロサーファーになってることに興味がある様子だった。

 ザビーネの方は子供の頃に大きな病気にかかって、今もその治療を続けるかたわら、 チェロのプロ演奏家として活躍しているということをサラリと話した。

 オスト夫人はダージリンティーとケーキを用意してくれていて、 3人で白い革張りのソファの前にあるガラスのローテーブルでいただいた。

紅茶も美味しかったが、die Scwartwälder Kirschtorte(シュバルツバルト・キルシュトルテ)というケーキが最高に美味かった。 ココア風味のスポンジ生地をスライスしてその間に生クリームとサクランボのコンポー トをはさみ、生クリームで表面をコーティングしてサクランボのコンポートとチョコ レートを薄くけずってデコレーションしたものだが、サクランボの少し苦味のある濃 厚な甘さに軽い生クリームとチョコレートのハーモニーが見た目以上に美味しいケー キだった。


 陸がドイツに来て驚いたことや気づかされたことなどを話している時に、家の前で うるさい車が停まる音がした。

「あらまあ、珍しいこともあるもんだわ。」

オスト夫人はそういうと玄関の方へ向かっ た。ザビーネは陸に向かってニコッとして、「妹よ、 つ年下の。陸くんとは初めてかな? 銀座のレストランで食事した時は、あの子数日前からレストランで食事ってはしゃぎ過ぎて、その日の朝に熱出しちゃったの。」

「Ich bin wieder da!(ただいま!) Herzlichen Wilcommen ...(ようこそ、いらっしゃ いました...)」

 挨拶しようと立ち上がって、振り向いた陸の目に映ったのは、赤い髪 のフィオナだった。

「フィオナッ!」

「リック!」フィオナと陸は互いに目を見合わせて、名前を呼んだ。

「えっと...お知り合い?」オスト夫人が驚いたように尋ねた。 「知り合いも何も...アルトシュタットで男に言い寄られてたのを助けてあげたのワタ シだから。ねえ、リック?」

「ええ...まあ、別に助けられた訳ではなくて、自分で逃げたんですが....。」

「まあ、本当に偶然ってあるのね。同じ大学に行ってるのは知ってたけど、この子は 気まぐれな猫みたいに、気が向いた時にだけお家に帰ってくるの。だから、陸くんの ことも話せてなかったのよ。」

それから、大学のメンザでまた会ったことやフィオナのお転婆な昔話で盛り上がって、陸はシュバルツバルド・キルシュトルテをおかわりした。

 オスト夫人は、お持たせだけどと言って、雪乃が持たせたお土産の『三笠山』を日本茶と一緒に出してくれ た。ザビーネもフィオナも餡子のお菓子が大好きで、広尾に住んでた頃によく食べた 『うさぎ屋』のどら焼きの味が時々恋しくなると二人とも同じことを言った。


また、母親の雪乃とオスト夫人との学生時代の思い出を話してくれた。二人は音大 付属の小学校からの知り合いで、小学校・中学といつもクラスが別だったし、楽器も ピアノとチェロで違ったため、顔は知っているけどという程度だったそうだ。

  高校に上がって間もない頃、ある晴れた日曜日に上野の美術館で『オルセー美術館展』が開催されていて、絶対行きたいと思っていたけど家族も友達も都合が悪く、仕方なく一人で出かけて、見たかったクロード・モネの『日傘の女』と『アルジャントゥ イユのひなげし』の前でジーッと見とれていると同じように見入っている女の子がいて、それが雪乃だった。

 二人は目を合わせ、ぎこちなく挨拶を交わして、別々の方向 へ別れた。 美術館を出て、広小路の方へ歩いて行き、例の『うさぎ屋』で家族に頼まれたどら焼きを―買おうと行列の後ろに並ぶと、列の 3人前に先ほど別れた雪乃が並んでいた。

まあ偶然とは言っても美術館のそばだしと思って、またすれ違う時に会釈で挨拶を交 わした。 さらにその後、電車に乗って吉祥寺駅で降り、お気に入りの輸入雑貨店で『パディントン』 のノートを見ていたら、またもや隣に雪乃がいた。

これはもう、ただの偶然じゃない と二人共感じて、一緒に東急百貨店裏の通りにある喫茶店でお茶を飲んだ。 すると、使ってるサイフも好きな本や映画もいっしょで意気投合して、紅茶ワンポッ トで 5時間も話し込んでしまった。それが 30年以上の付き合いになる二人の関係の始 まりだったそうだ。


話し込んでるうちに夕方になり(とはいってもまだ太陽は遥か上に輝いていた)、ザ ビーネが病院に用事があるというので、良かったらドライブがてらに陸も行かないか とフィオナが誘って、帰りも同じハイデルベルクだから送ってくと言ってくれたので 陸も行きたいと喜んで応じた。

 また近いうちに遊びに来てと言うオスト夫人にお礼を言って、 3人でフィオナの赤いプジョー206に乗り込んだ。

エンジンをかけると懐かしいガソリン車の音が響いた。最近ではハイブリッド車や 電気自動車が増えて、後ろに近づいて来ても気づかず、振り向いてビックリすること がよくあったが、このクルマからは「ブルン、ブルル。」というエンジン音と強いガソリ ンの匂いがした。

フィオナのプジョーは 年前の型で、隔週で行われる『Auto Markt(アウト・マ ルクト)』という、車ユーザーによる譲渡会で2,000ユーロで買ったばっかりだけど、走りは最高だと彼女は言った。iphoneで音楽を選ぶと、もの凄いメタルロッ ク(アイアンメイデン?)の爆音が車内に響いた。

 後部席のザビーネがうるさいと文句 を言って、フィオナは曲を切り替えてスコーピオンズの曲にして、ヴォリュームを落 とした。音楽自体に大した変化はなくて、音が少しだけ絞れただけだと陸は思った。 フィオナがアクセルを踏むと、陸は助手席でシートの端を強めに握りしめた。

「スコーピオンズって、ドイツのバンドなんだよ、知ってた?」フィオナが訊いてきたので、知らなかったと言うと、ドイツの歌で知ってるモノあるかと重ねて訊いてきた。

ネーナの『99 Luftballons』なら知ってると答えると、

「Scheisse !(シャイセ)」とフィオナは吐き捨てた。

ザビーネは親指と人差し指で輪っかをつくり、ルームミラー越しにフィ オナに向かって、口の前でチャックのポーズをした。

  バートホンブルグからヴィースバーデンまでは『Autobahn(アウトバーン)』にのっ て約 30分くらいの道のりだった。フィオナは180キロくらいのスピード(日本の高 速道路だと100キロくらいの感覚)でアウトバーンを疾走し、もっと早い速度で隣 の追い越し車線を走り抜けるメルセデスやポルシェには中指を立てた。

 車内の音楽とフィオナのドライビングを気にしなければ、助手席から見 えるのどかな田園風景や緑の丘陵に点在する石造りの小さな町はとても可愛く見えた。

ヴィースバーデンはフランクフルトを含むヘッセン州の州都で、バートホンブルグと同様に第二次世界大戦の砲撃を受けなかったので、昔ながらの街並みも残っていたが、街の規模は比べものにならないくらい大きかった。ドイツ国内でも有数の保養地で世界各国から長期療養に滞在するゲストも大きな病院施設も幾つも有していた。

 そして、その他に有名なのはカジノで、かのドストエフスキーが通い詰めて、スッカラカンになったという逸話があり、それを題材に「賭博者』という小説を書いたことで知られていた。

 ザビーネの通ってる病院は街の北側の市営の大規模温浴施設のそばの緑豊かなアウカム地区にあった。病院併設の駐車場に車を止めて、病院の正面入口に向かうとザビーネの主治医ヨハン・クルツ医師が待っていた。

 フィオナとも顔見知りのようで、親し げに挨拶を交わした。クルツ医師は陸を見て、フィオナのボーイフレンドか柔道の先 生かとドイツ人らしいつまらない冗談を言った。

 ザビーネが診察を受けている間、陸とフィオナは病院のカフェテリアでコーヒーを 飲んだ。

フィオナは陸にザビーネの病気がわかった時の哀しい気持ちと、医学部を目指した理 由を明るく話してくれた。同じ年齢なのに自分の進むべき道を見定め、その目標に向 かってコツコツと努力を重ねている姿が、アウトバーンをハードロック聴きながらブッ 飛ばしてる横顔とうまく重ならなかったが、陸にはひどく眩しく見えた。

ザビーネが診察を終えて、クルツ医師と談笑しながらエントランスに現れた。クル ツ医師は、帰り際に 月中旬にヴィースバーデンで大きなワインフェスト『Reingauer Weinwoche(ラインガウ地方ワイン週間)』があるから、是非また遊びに来てと言ったので、酒好きの陸は間髪を入れずに「絶対に来ます。」と答えた。


ザビーネがタウヌスの森を抜けて帰りたいというので、少し遠回りだけどと言いながら、フィオナはアクセルをふかしてヴィースバーデンの豪奢な市街地を通り抜け、山あいの道を走った。Taunus(タウヌス)は標高はさほどないが、平地とわずかな丘陵帯がほとんどの中部ドイツに位置するので、日本でいえば軽井沢や箱根の道路を少し緩やかにしたような道脇の森林や爽快な道が続いていた。

 ところどころに小さな集落があり、 感じのいいレストランも何軒か見かけた。昔アメリカのフォード自動車がドイツで生 産・販売したクルマにここのタウヌスという名をつけた車があったらしい。

 もっとも標高が高い場所に近づくと、辺りが開けて一面緑の牧草地と牧場があり、眼 下に遠く先まで小さな町や川が流れているのが見渡せた。 道の脇にある展望スペースに車を止め、 人は車を降りてそれぞれに新鮮な空気を思 い切り吸った。

ミントガムのテレビCMに出てきそうな景色だった。

「ここに来たかったんだ。」ザビーネがそう口を開いた。「ずうっと家や街の中にいると、同じような毎日に息が詰まることあるじゃない?」

「そうね、たまにはこんな自然の中で深呼吸して、まだまだ世界は広いし、明日はきっ と来ると思うとなんか元気出てくる。」そうフィオナが答えた。

二人のやり取りを聞いて、陸も何だかスッキリとした気分になった。


ザビーネをバートホンブルグの自宅前で下ろして、フィオナはプジョー206をハイデルベルクへ向けて走らせた。 また例によって、車内のスピーカーからは陸の知らないハードロックが流れ、フィオ ナは時々ハンドルを指で叩いてリズムをとっていた。 

ブドウ畑の連なるライン川を渡り、フランクフルト国際空港の近くの松林を抜けていく車窓の風景には、およそ似つ かわしくない音楽だと陸は思った。 遠くにフランクフルトの高層ビル群が近づいてくると、陸も知ってる曲が流れた。

KISSの『Detroito Rock City』、翔太の持っているCDの中にあった白黒のメーキャッ プした 4人組のバンドの曲だった。他のハードロックバンドとは違い、メロディアスなフレーズが多くて陸は好きだった。

「この曲聴くと、フランクフルトがデトロイトかニューヨークに見えてくるよ。」

「KISS知ってんだ? イイよね、アタシも好きだよ。」

 そのあと、『Hard Rock Woman』『Beth』とKISSの曲が続いて流れ、ドラムのピー ター・クリスのしゃがれた感じの声も好きだとフィオナは言った。


 ハイデルベルクまでの間、子供の頃見た日本のアニメの話(『時をかける少女』を 今でも覚えてると言った。陸も好きなアニメだった。)や、ドイツに帰ってきてイジ メにあった時、ザビーネがそのいじめっ子を馬乗りなって殴ってくれてスッキリした エピソードを話してくれた。

  陸はドイツ留学にきた本当の理由(一年間付き合った初恋の彼女と別れたこと)を正直 に話したが、フィオナは茶化すでもなく静かに聞いていた。

そして、自分は半年前ま で付き合っていた同じ学部のギリシャ人の男がセックスの時に変態行為ばかり求めてくるようになったから別れた話、両親がバイトなんてしなくてもイイというのに、自分はなるべく自立していたいから続けているということを話してくれた。



フィオナのアパートはネッカー川の旧市街地とは逆側のテオドール橋に近いレンガ 色の 階建てビルの 階にあった。陸のアパートまでは歩いて 7・8分もあれば着く距離 だった。

 フィオナはアパートの前の路上に住民駐車許可証を出して駐車した。さすがに辺りは陽が沈みはじめて、建物も街路樹も金色に色づき出した。

陸はここから歩いて帰るからと言って帰ろうとすると、フィオナがビールでも付き合ってと言うので、ア パートに行くことになった。

エレベーターで 4階に上がり、通路の中程のドアがフィオナの部屋だった。どうぞ とドアを開けると、陸のアパートの倍くらいのリビングがあり、中央にソファとガラスのローテーブル、右手にキッチンとカウンター、突き当たりには大きな窓があり、 ネッカー川の向こうに旧市街とハイデルベルク城が夕陽に照らされて眩しく光っているのが見えた。

 リビング左手にもうひと部屋あって、そこにベッドとノートPCがのったテーブルとイス、それに相当な数の書籍が並んだ書架がついていた。部屋は適度に整頓され ていて、フィオナのイメージからは想像できないほどシンプルで清潔だった。

 ソファで少しくつろいでと言って、フィオナはテキパキと動いて、あっという間にアーティチョークとブロッコリーとトマトのサラダ、それとマルゲリータピザをテー ブルに並べて、取り皿と缶ビールを運んできた。

「今日は付き合ってくれてありがとう、プロスト!」そう言って、フィオナは缶ビー ルを目の高さまで上げて陸と缶をぶつけた。

「ピザは冷凍だし、サラダはあり物で作っ たから、気にしないで食べて、食べて。」 ビールはいつも飲んでいるモノより、少し苦味があった。ラベルには『Bitburger Pilsner』 と書いてあった。『Veltins』と同じルール地方のブルワリーだが、同じ地方でもこ れほど個性が違うと、他のブルワリーのビールも飲んでみたくなった。


フィオナは 2本目のビールを持ってきて、陸の隣に腰掛けると「ねえ、リック。セッ クスしよう。」と言った。

  陸は全く予想していなかったフィオナの言葉に、ドキリとして、シャワー浴びた方が いいのかとか、コンドーム持ってないやとか、雪乃の友達の娘と大丈夫かと、酔った 頭の中をフル回転して考えていたが、そんな事お構いなしでフィオナは陸に全身をあずけて、キスしてきた。

 フィオナの唇は柔らかくそして温かく、服の上から感じるその柔らかな乳房に、陸 は興奮してきている自分と、すでに硬くなったペニスに気づいた。

 キスしたままのフィオナを抱き上げベッドまで運び、そのままブラウスのボタンをはずし、ブラトップを左腕を上げさせて脱がした。

 形の良いきれいな二つの膨らみとピン ク色の乳頭が陸の目の前に現れた。フィオナは口づけをしながら、陸のウィリアム・ モリス風の小紋柄のネイビーのシャツのボタンをひとつずつはずし、下着の シャツ も脱がした。お互いに上半身裸になり、ベッドに横になって陸はジーンズを、フィオ ナはベージュのパンツを自分で脱ぎ捨てて重なり合った。

フィオナが上になり、陸の耳の後ろから首筋、肩、脇、胸とゆっくりと大きな河の水の流れが大地を縫うように愛撫をした。そして陸の下腹部が一層硬く大きくなるのを乳房の下辺りに感じ、右手で窮屈になったトランクスからペニスを解放してあげた。 陸はフィオナぼ右側の乳房に手をあて、指ですでに硬くなった乳首を摘んだ。

 そして、お尻の方からサテン地のような手触りの下着を脚に沿って脱がした。その時、甘い野生的な匂いが立ちのぼり、陸はたまらなくなってフィオナの上になって、乳房を強く揉んで、乳首を口に含んだ。フィオナが「あっ...」と声を漏らした。陸は優しくフィオナの脚を広げ、自分の体を両脚の間に入れると、柔らかい恥毛が湿っているのを肌 に感じた。

  窓の外が暗くなり、部屋は間接照明でヨーロッパのホテルのように薄暗くなってい た。ベッドサイドのオレンジ色に近い柔らかな灯りの中で、フィオナの緩やかな丘の恥毛が金色に輝き、朝露のような分泌液が光って見えた。先ほどの甘い匂いが強くなっ て、陸は舌先でクリトリスを弄ぶと、フィオナがまた小さな声を漏らした。陸はたまらなくなって起き上がり、自分のペニスに手をあてがって、すでに充分に濡れた温かいフィオナのヴァギナに挿入した。陸は激しく腰を動かすと、すぐに甘い恍惚が襲っ てきて、フィオナの絞り出すような喘ぎ声に果ててしまった。

 ティッシュで精液を拭いて、「ゴメン、コンドーム持ってなくて。」と陸が気づいたように言うと、「ううん、大丈夫。ピル飲んでるから。」とフィオナは答えて、ティッシュで拭いて萎びてしまった陸のペニスを口に含んだ。その熱い唇に陸のペニスはす ぐに反応した。

結局、陸はフィオナの中にあと2回射精した。

 行為が終わるとフィオナは羽毛フトンの中、陸の胸に腕を置いて、小さな寝息を立てていた。

まるで、生まれたての子猫のようで、陸はその姿を愛おしく思った。 考えて見れば、今日フィオナ一人に100キロ以上もの距離・アウトバーンを運転させてしまっ た。

陸もドイツで運転できる国際免許を持っていたので、今度そんな機会があれば運 転を交代してあげたいと思った。

時計を見るともうすでに深夜 時をまわっていた。陸はフィオナを起こさないよう に、そっとベッドを出て服を身につけると、テーブルの上の残った料理や皿、フォー ク、空缶をキッチンに片づけて、洗い物を済ませると部屋のブラインドをおろし、ベッドサイドの灯りだけ残して照明を消した。

そして、音を立てないようにしてドアを閉めて、フィオナのアパートを後にした。


自分のアパートに帰って、シャワーを浴びて、ベッドに入り眠ろうとしたが、まだ フィオナの肌の感触が残っていてなかなか寝つけなかった。

仕方なく深夜テレビをつ けて、モノクロの古いアメリカ映画を見た。ボルサリーノをかぶったハンフリー・ボ ガードがドイツ語で何かをつぶやき、銃を 発ぶっ放して屈強そうな男を倒して、カールした金髪(多分?)の美女を片手で抱き寄せたところで、急に睡魔が襲ってきて陸は 眠りに落ちた。


翌日、いつものように教会の鐘の音で目覚めると、頭は意外にスッキリしていて、 体も軽く感じた。

思えば、女の子と寝たのは半年以上も前だった。 フィオナからはメールが入っていて、「食器まで洗ってくれてありがとう、すっか り眠ってしまってリックが部屋出て行ったの気づかなかった。

『またね。』の後にハー トマークが3つついていた。陸はこのハートマークが何を意味するのか、しないのか 考えたが結論は出なかった。


 結果的に、ドイツに来て最初に話した女の子とベッドを共にすることになった。

これが、母親の雪乃が好きな韓流ドラマで言うところの『運命(ウンミョン)』だったのだろうか?

 陸はこれが『運命』でなくて、何が『ウンミョン』なんだと思った。

 陸の脳裏の中で、アウトバーンを疾走する赤いプジョー206の猫のようなフォルムが、赤い髪のフィオナの姿に重なって、すぐにボヤけた。

 

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