第5話 C’est la vie (セ・ラ・ヴィ)

 ついに『ドイツ語集中講座』の授業が始まった。このクラスには、陸の他に日本人が4人ほどいたが陸は軽く挨拶を交わして、彼らとは少し距離をとった。

―なぜなら、陸は昔からただ単に意味もなく群れるのが嫌いだった。部活の後などにダラダラと、これからどこ行く?とかマック行かない?とかダルい雰囲気が嫌だったから、さっさと「お先に、またな。」と群れを離れた。

 教室の中央のホワイトボードが見やすい中程の席に着いた。右隣にはポーランドの女の子、左隣にはガーナの女の子が座った。

ポーランドの子は、名前をリディアといい、肌の白い真面目で聡明そうなブルーの目をした、外見は清潔でどちらかといえば質素な印象を受けた。また、ガーナの子はパペチュアルという名で、アフリカ系の女の子に特有な縮れた黒い髪に大きな目と口をしていて、耳にゴールドの大きなリングと色鮮やかなグリーンのチュニックに白いパンツを穿いていた。

 講師はドイツ人の中年の女性で、ショートカットの栗色の髪、ソバカスが多く緑色の目をしていた。授業はABCから始まり、あっという間にhave動詞とsein動詞の使い方まで猛烈なスピードで進んだ。各国からの留学生は皆、自分の国のトップクラスの大学から来ているので、こんなスピードでも問題なくついていけるのだ。

 陸は日本の大学の単位でドイツ語を選択していたので、このスピードの授業にもどうにか授業についていくことができた。

 授業の中盤、「Dann, Machen Sie einen kleinen Test.(じゃあ、小テストをします。)」そう言って、講師は10問くらいの設問がプリントされたA4の紙を配った。

30分の時間が与えられ、講師はタバコを吸う仕草をして教室を出て行った。


 設問自体は基礎的な問題ばかりで、陸にとっては動詞を使った例文を作る設問だけに多少時間がかかったくらいだった。

 陸がプリントに手を置いて考えていると、左から手を触ってくるヤツがいた、パペチュアルだ。左側を振り向くと、パペチュアルが左手をプリントからどかせとジェスチャーしてきた。

陸は「はあっ、堂々とカンニングか?」と思ったが、パペチュアルは悪びれることもなく、

「Your answer may not be correct.(アンタの答えが正しいとは限らないでしょ。)」と言い放った。

右隣のリディアはしかめっ面をして、陸にうなずいて見せたが、そのやりとりが聞こえた周囲の学生達は薄笑いを浮かべていた。



 授業を終えて昼食をとりにメンザに向かうと、ドンクンとアニクが入口で待っていた。手を上げて近寄り、「Wie geht's?(どう、元気?)」と挨拶した。

「Danke, Gut. Und du?(ああ、いいよ。君の方は?)」

「Danke auch, Gut.(ありがとう、こっちもいいよ。)」

メンザは昼どきで、いつも以上に混んでいた。

 陸はビュッフェから白身魚のフライとブロッコリーにスパゲティボロネーゼを選んだ。ドンクンはアントルコート(牛のリブステーキ)にサラダとご飯、アニクは鶏モモ肉のソテーにサラダとブローチェン(小さいパン)にした。

 学生証についてるチャージ式のメンザカードで重量分の金額を支払うシステムなっているので、トレーを持ってレジに順番に並びそれぞれに会計を済ませた。見渡す限り空いているテーブルがなかったので、3人は屋外の芝生の上で食べることにした、裸の女の子はいないけど、これが『草上の昼食』だ。

 長い冬が終わって、太陽が新緑をキラキラと照らし、北ヨーロッパの人々が待ちに待った季節、それがこの5月なのだった。

少しでも太陽の光を浴びようと、芝生の上も学生達でも賑わっていた。日本の大学では考えられないが、ビールを飲んでいる学生もかなりの数見受けられた。

芝生は長めにカットされていて、クッション性もあり座るには適していた。陸たちは適当な場所を見つけて、トレーを置いて食事をはじめた。

 陸はドイツ語のテストでのカンニングについて、どう感じるのか、2人に尋ねてみた。ドンクンは韓国ではカンニングなどの不正行為に厳しいのでありえないし、もしカンニングが見つかったら即停学か落第、場合によったら退学もあると言った。どこの国だっけ、賄賂や脱税で何人もの大統領が失脚したのは?と陸は思ったが口には出さなかった。

 アニクは逆にパペチュアルの行為自体は褒められはしないが、論理には一理あると言って理解を示した。さすが人口14億人の大国は大らかさというか、寛容さが違った。

 ドイツに来て口にした食事はどれも悪くなかったが、スパゲティボロネーゼだけはパスタが柔らかすぎて美味しくなかった。アルデンテという言葉はこのパスタを見る限り、此処には存在していないだろうし、ドイツに住むイタリア人達は絶望しているか、イタリア人であることをやめてしまっているかのどちらかだろう。


 食事を終えトレーを片付けようとしている時に、誰かが陸の尻を手で撫でた。陸はびっくりしすぎてトレーの上の皿やフォークをぶちまけてしまいそうになった。

「ゴメンゴメン、びっくりしたあ? アンタここの学生だったんだ。」

振り返ると、ずいぶん雰囲気は違ったがフランクフルトのオープンテラスの店で会った『赤い髪のウェートレス』がニッコリ笑っていた。

「な、なんで…ここにいるの?」まるでお化けでも見たように陸は言った。

「だって、アタシもここの学生だもん。ねえ、アニク?」と言って、アニクにウィンクした。アニクもニッコリして、同じ医学部の学生だと陸に向かって言った。

何故かドンクンはいやらしい目で赤髪をじっと見つめていた。


 彼女の名前はフィオナ、フランクフルトの郊外に実家があり週末や長期の休暇の時にあの店でアルバイトしているそうで、母親が日本人で12才まで東京に住んでいたと言っていた。

 しかし、到底医学部の学生には見えない缶バッジのいっぱい付いた黒革のライダージャケットにピンクパイソン(フェイク)のタイトスカートに黒いショートのウェスタンブーツ、おまけに赤い髪。個性的なファッションの学生はいっぱいいるけど、その中でもフィオナは目立っていた。

ドンクンが陸のことをヒジでつついて、紹介しろとうるさかったが陸も良く知らないし、アニクに聞けばと言ってやった。



 フィオナには2才上にザビーネという姉がいた。ザビーネは利発で人見知りなフィオナにいつも優しかった。そんなザビーネの後をフィオナは片時もくっついて離れなかった。

ザビーネが7才(フィオナ5才)の時、ドイツの大手銀行に勤めている父親に転勤の辞令が出て、家族で遠い東京に住むことになった。母親・麻里恵の実家は浦和にあって、母親の両親も健在で地元では大きな造園業を営んでいたので、麻里恵はその転勤をとても喜んだ。

 当時住んでいたのは銀行が用意した広尾の高台にあるマンションだった。寝室とトイレがそれぞれ3つ、30畳のリビング、その他にダイニングキッチン、書斎、プレイルーム、シャワー室付きのバスルームなど200平米ほどの広さで当時でも家賃が100万円超もする邸宅だった。また、ハウスキーピングサービスが週に一度家に入った。

 ザビーネとフィオナは横浜にあるドイツシューレに通うことになり、すぐに友だちもできて日本での暮らしに慣れるのにさして時間はかからなかった。


 日本に来て、ザビーネは母親に教わってチェロを習いはじめた。フィオナも姉の真似をして、ピアノを習いはじめた。

母親からの才能を受け継いだのか、ザビーネはメキメキと上達して、4年生になった頃には上級者が弾くドヴォルザークの『ユーモレスク』を弾けるようになった。それに比べてフィオナはろくすっぽ練習もしないで、泣いてばかりでちっとも上手にならなかった。

 ザビーネが7年生になって、例年通りドイツシューレで秋の文化祭が開催されることになった。今年の文化祭ではザビーネがヴァイオリンとヴィオラとのアンサンブルでチェロを弾くことになっていた。トリルやプリルトリラーなど様々なテクニックが必要となるバッハの『G線上のアリア』を、その発表会のためにザビーネは一生懸命に練習を続けた。

 そんなある日、ザビーネに異変が襲った。トリル(トリルの付いた音と、その1音上の音をすばやく上下すること。この曲では3番と2番を動かすという技巧が求められる)のところで、指が動かなくなった。今までこんな感じになったことがなかったし、腕全体も痺れた感じがあった。すぐに練習をやめて、母親の麻里恵に見てもらったが、もちろん麻里恵に分かるはずもなく、行きつけの病院へ連れて行ってもらった。

 主治医は診察を終え、精密検査してみないとわからないが一時的な症状の可能性もあるからと、しばらく安静にしていることをすすめ、大学病院への紹介状を麻里恵に渡した。

 ザビーネは心配をかけまいと、きっと大丈夫よと気丈に振る舞っていたが、内心はとても落ち込んでいた。病院から帰ってきた姉の様子を見て、フィオナはそのことに気がついた。それでも何をどうしてあげたらいいのかわからず、ママが具合が悪い時に作ってくれたカモミールのお茶にハチミツを入れた温かい飲み物を、持っていってあげることくらいしか出来なかった。

 暗い部屋の中でザビーネはベッドの中で羽毛ふとんにすっぽり包まれて横になっていた。しかし、彼女は眠ってはいなかった、だって小さな泣き声が聞こえてきたから。

フィオナはカモミールのカップをそっとサイドテーブルに置き、そのまま部屋を出て行こうとした。内側のドアノブに手をかけた時、ザビーネが声を発した。

「待って、フィオナ。こっちに来て。」

ザビーネはベッドの上にふとんをはいで、上半身を起こしていた。目は真っ赤になっていた。フィオナが近づくと、片方の手で引き寄せて強く抱きしめた。

「わたし死んじゃうのかな?もう、チェロ弾けないのかなあ?」そう言って肩を震わせている姉に、かける言葉を見つけられず、ただ一緒に泣いてあげるだけしか小さなフィオナには出来なかった。


 数日後、精密検査の結果が出た。

『多発生硬化症』、指定難病で、手足に力が入りにくい、しびれ、ふらつき、目が見えづらいなどの様々な症状を起こし、再発を繰り返す病気。

難病と聞いて麻里恵は泣き崩れた。父親のゲオルグはすぐにこの病気の事を調べ、有効な治療法や研究の進んでる病院や医師をあらゆる方面にあたって探した。

でも、診断を出した大学病院のまだ若い橘(たちばな)先生は、2日ほど検査入院が必要になるが、治療法が確立されてない病気とはいえ、日々研究は進んでいてザビーネちゃんにとって最善と思われる治療を病院全体で進めたいと優しく、けれどもキッパリと話してくれた。

 話を聞いて麻里恵はこの若い医師が信頼できる人物だと感じ、神戸の病院への転院を考えていたゲオルグを説得して、まずはこの大学病院で治療することを決断した。また、第一に麻里恵にはザビーネが橘先生には心を開いているように見えたのだ。

 検査入院は12才の少女にとって過酷なものだった。血液検査からはじまり、腰から針を刺して行う髄液検査、脳・脊髄MRIなど体力的にも耐えられるか皆んな心配したが、橘先生は検査ごと付き添い優しい言葉をかけ、ザビーネは歯をくいしばってそれに耐え、泣き言ひとつ言わなかった。

 退院後、腕の痛みと手指のしびれはウソのように収まり、橘先生から少しずつチェロの練習を始めて良い許可をもらい、ザビーネは『G線上のアリア』の練習を再開した。どうしても頑張り過ぎてしまうザビーネのことを麻里恵は気遣って、少しでも疲れが見え始めると、早めに練習を終えるように促した。

だけど今回のことで一番変わったのは、フィオナだった。麻里恵の手伝いだけでなく人一倍勉強するようになり、ピアノも真剣に取り組むようになって別人のように上達した。


 ドイツシューレの文化祭でのザビーネらによるアンサンブルは、日本ならば中学生とは思えないほどの出来栄えで、聴衆から鳴り止まないほどの大喝采を浴びた。

一度は諦めかけたチェロを続けてよかったと思えたし、やっぱり私は音楽が好きだとザビーネは心からそう感じた。


 橘先生をはじめ大学病院の懸命な治療もあって、視力が弱ったことを除けばザビーネの症状に悪化の気配はなかった。

そしてフィオナが12才になった年、父親のゲオルグに帰国の辞令がおりた。麻里恵はザビーネの治療のこと、また親戚や家族のいる日本の方が心強かったが、橘先生がフランクフルト郊外のヴィースバーデンにある病院に勤める、アメリカ留学時代の先輩を紹介してくれた。ザビーネはもちろん、今ではクラス一の秀才になったフィオナもフランクフルトのギムナジウムに編入が決まった。

ギムナジウムとは、大学進学を目的とした日本の小学5年生から高校3年生にあたる年代の学校で、『アビトゥーア』という高校卒業認定試験と大学入学資格試験を兼ねた試験合格を目的としていて、ドイツ学生の約40%が学ぶ学校。


 帰国までの日々は慌ただしく時間が過ぎて、家事全般を一人でこなしていた麻里恵は自宅の荷物を航空貨物便の業者に預けてしまうと、ガランとした部屋が7年前に日本に来た日のことを思い出させて、少しだけ感傷的になった。

 帰国前日、家族全員で橘先生に挨拶をするために病院を訪れた。橘先生は診察中だったがわざわざナースステーションまで来てくれた。相変わらずパリッとした白衣にパーカーの万年筆を胸ポケットに挿していた。そして、お礼に持ってきた色々な色のコスモスの花束をザビーネから受け取ると照れ笑いを浮かべ、頭の後ろを手でかいた。

「お世話になりました、橘先生。先生じゃなかったら、私こんなに頑張れなかったかも。」

「そう言ってくれるのはありがたいけど、頑張ったのは君自身の力だよ、ザビーネちゃん。ドイツのクライン先生はすごく優秀で、僕以上に優しいから安心してね。しばらく会えなくなるのは、寂しいけどね。」

「橘先生、“ちゃん”はいらないわ。それに『C'est la vie(セラヴィ)』よ。」

橘医師は突然、大人っぽい言葉が出てきたので驚いた。

「んっ、フランス語だね。『セラヴィ、それが人生さ』。」

「この前、フランス語の授業で習ったの。」ザビーネはそう言ってウィンクした。

『C'est la vie』という言葉の語感は軽くサラっとしているのに、逆に中身は重い。ただ、その軽い響きと語感が『諦め』と『ささやかな希望』を含んでいるようにザビーネは感じていて、とても気に入っていたのだ。


 柄にもなく大人しくじっとしていたフィオナが口を開いた。

「橘先生、アタシ決めたから。絶対、橘先生みたいなお医者さんになって、お姉ちゃんみたいな病気やっつけてやるからっ。」

橘はしゃがんでフィオナの頭をなでて、「わかった、待ってるよ!約束だぞっ。」そう言って、涙ぐんだフィオナの瞳を見つめた。



 偶然にも麻里恵はドイツに向かう飛行機の機内誌のコラム記事で、コスモスの花言葉が、「純潔」「幼い恋ごころ」と書いてあるのを見つけた。そして、隣のシートであどけない顔で眠っているフィオナを見てクスリと笑った。

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