第3話

なにを言っているんだと思った。

今日初めて会ったはずの彼女からそんな提案を受けるとは思ってもみなかった。


「人は誰でも疲れることがあります。頼れる人がいなくて抱え込んでしまう人、頼れるひとがいても強がってしまう人。どちらも同じことです。どちらもだんだんと疲れてしまって、日々の楽しさがわからなくなるんです。あなたがどちらかはわかりませんが、少しでも力になれるなら私はあなたの助けになりたい。」


彼女の強さと覚悟だ。


「誰かに甘えて、すべて忘れて……。そんな時間が必要なんです。誰かに縋って年甲斐もなく声をあげて泣いて、不確かな自分の気持ちにすこしだけでも近づく。人生において取るに足らないくらいに短いそんな時間です。」


彼女の優しさと気遣いだ。


「かつての私がそうだったように……。」彼女はそう言った。

ゲームの中での彼女はそうだった。

学生の姿で強がって友達と楽しくおしゃべりをする。配信者の姿で取り繕ってリスナーと遊んだ。

みんなの憧れである彼女は反面で誰に話すこともなく心の奥底でずっと叫んでいた。

それには最後まで気がつかなかった。シナリオが終わるまで彼女はすべてを騙し通した。


「あはは……。なんて言ってしまうと、普通に過労で疲れていたときに来にくいですよね。どっちでもいいですよ。」


彼女はごまかすように煎餅を食べた。

見えないくらいに細かい煎餅のかけらが彼女の太ももに落ちたのがわかった。


「ほら。どうしますか?」


気がつくと立ち上がっており、彼女のとなり、彼女のベッドに腰を降ろしていた。

ふわりとした布団にベッドのスプリングが良く効いている。

冷静ではない。自分は疲れているのかもしれない。


「ん。よく頑張りました。あとは私がやりますね。」


そう言うと彼女はこちらの首に腕を伸ばして包み込んだ。

引き寄せられると体がゆっくりと倒れていく。桃によく似た香りがした。


「はい。とうちゃーく。」


頬に彼女の肌が触れた。冷たくて心地よかったが、好きなキャラクターの肌に触れていることが信じられなくて、恐れ多くて、身体の先から先までが緊張で固まった。


「はーい。どうですか?女学生の太もも枕の感想は?」


顔こそ見えないがきっと彼女は笑っているのだろう。

そんな表情が簡単に想像できる。からかうように彼女は言っている。


「緊張してるんですか?ふふ、そんなに堅くならずに楽にしてくださいねー。」


彼女の手が優しく髪に触れた。

線に沿うように撫でられると安らぐというか、安心し少しだけ体が緩んだ。

日頃の暮らしが遠くに揺らいでいく。


「すこしだけ楽になりましたか?ゆっくりしてくださいね。」


今日初めて会って、初めて話をしているのになぜか懐かしい感じがする。

甘い匂い、やわらかい肌、どこをとっても知らないのになぜだろうか?


「こうしていると懐かしい気持ちになります。あのときは逆でしたけどね。」


「ほら、あのときですよ。えっと……。これ言っていいのかな?」


「まぁ、いっか。」


そう言うと彼女は、「緊張するなぁ……。」と言いながらひとつ大きく息を吸い。

「よし。」というとゆっくり語り始める。


「覚えていますか?あの日、生まれて初めて泣いた私を抱きしめてくれたこと。」


もちろん覚えている。あの日……というかゲーム内での話だろう。

強がって生きてきた彼女は一度すべてを捨てようと走った。家を飛び出し、涙を流しながら脇目も振らずに公園まで走ったのだ。

そして、走り疲れて気づくのだ。「ああ、自分はどこにも行けないんだな……。」と。

公園には名前はわからないが遊具が置かれている。半球状で中が空洞になっているやつだ。

そこで彼女は主人公に一言だけメールを飛ばす。「助けに来てよ。」


「あのときすぐに助けに来たこと、息を切らして私を見つけてくれたこと。すごく嬉しかったんです。」


それは自分ではない。ゲームの中の主人公の話だ。

彼は行動力があり、優しく、誰でも助ける聖人だった。自分にはなかった姿、できなかった活躍を何事もなくやってのける人物だった。

かっこいい言い回しや恥ずかしい台詞を平気で言っていた。


「もしかして、自分のことじゃないって思っていますか?」


彼女は笑った。


「確かに私はあの人に恋をして、あの人に心を許しました。涙を流して、彼の胸で泣きました。あなたもそれは知っているでしょうけど……。でも、私は何回も何回も同じ気持ちを経験して、その度に彼に救われてきた人間なんです。」


ルートとリスタートの話だ。

このゲームにはヒロインの数だけエンディングが存在する。主人公の選択肢でルートが分岐し決まったエンディングに辿り着く。

しかし、ルートが変われば当然に報われないヒロインが出てくる。いくら万能な主人公でも全員は救えない。ひとつのルートで救えるのはたったのひとりだ。

彼女は何度もそのループを経験し、救われない、救われるを繰り返してきたのだろう。

胸が痛んだ。


「でも、その先にはあなたがいたんですよね?彼の行動はあなたが決めていて私を孤独の海から何度も掬ってくれていたのもあなただった。」


「それは違う。」と言いたかった。ただの『マッチポンプ』だ。自分で着けた火を自分で消していたにすぎない。初めて見たエンディングの感動を何度でも思い出したくて繰り返していただけだ。自分本位な結果に過ぎない。

でも口にすることはできなかった。


「だから、あなたに会いたかったんです。私を何度も救ってくれた人だから。話をしてみたかったんです。」


「……。」


「でも、なんていうか。よかったです。あなたが疲れていてくれて、ほんとうに。おかげで私が何度ももらった恩を、こうして返すことができるんですから。」


「それに、この光景。あのときの公園の逆パターンみたいでいいですよね。」

と無邪気に笑う彼女。「そうかもしれない。」と曖昧に返した。

自分は彼女に優しくされる資格はない。そう思った。


ふいに、口元に硬く香ばしいものが押し付けられる。


「難しいことを考えるのは禁止です。それは一人でいる人間が一人で勝手にすることですよ?今、ここには私とあなたの二人がいて。そして、私はあなたとお話がしたい。あなたはかわいい私に会えてうれしい。あなたは一人じゃないんです。それともここに来たことは不本意でしたか?私には想像よりも魅力がありませんでしたか?」


「いや……。」そんなことはない。彼女は想像よりも魅力的だし、こうして触れ合えるのは願ってもないことだ。


「だったら、今は私だけを見てください。一緒に楽しい時間を過ごしましょう。」


「ありがとう。」と言った。

そうだ。それこそ神様だ。これを逃してはその機会を作ってくれた人に失礼というものだろう。だから。


しばらく、他愛も無い話をしているといつの間にか眠ってしまっていた。

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