光る腕(かいな)(2)

 折れた刀を見た瞬間、マンジは頭の中が真っ白になった。


 さして思い入れのある刀と言うわけではない。むろん安くも無いが、ここサン=グレイルのあるアリオス領なら手に入れるのも対して苦労はしないぐらいの代物だ。さらに言ってしまうとサン=グレイルに来てからすでに一回買い換えているし、正直いつ折れてもおかしくはないぐらいには使い込んではいた。


 とはいえ、このタイミングで折れるのは正直いただけない。


 目の前にいるのはアーマードベア。前足を持ち上げ、後ろ足で立ちながらマンジに唸り声を上げている。願うことなら後ろを向いて駆け出したいところだが、アーマードベアの身体能力を考えると到底できそうにない。


 ――作戦は大幅に狂いつつある。


 第一段階はうまく行った。シエルの【からくごえ】とワンダの術による敵の群れの拘束。その次の周りのワーグの排除もほぼ成功した。あとはその間に用意を済ませたマンジが「隠し球」をアーマードベアにたたき込めれば勝利できた「かも」しれなかったのだが――そうは世の中問屋が下ろしてはくれない。


 ある程度予想はしていたものの、伏兵が現れ、ワンダの術が予想より早く解除された。ワーグの排除はある程度済んでいたので即座に囲まれると言う事態は免れたが、自由になったアーマードベアを一人で引きつける羽目になってしまった。


 刀を振り回しつつ、一定の間合いを保ちながらしばらく立ち回る。だが、ワンダたちが伏兵のワーグに対処しているのに目を取られている間に、相手の間合いに想像以上に近づいてしまっていた。慌てて距離を取ったはいいものの、アーマードベアの豪腕が刀の横腹を直撃し、あっと言う前に刃の先端はどこかへと消えてしまっていた。


 非常にマズいという思考が、マンジの中で急速に膨らんでいく。


 思考とは裏腹に、マンジの口は先程からずっと動き続けている。低く休みなく紡がれる音節はヴォダラ教の経文。マンジの「隠し球」を使うために必要な儀式。だがただ漫然と唱えるだけでは足りない。集中し、その先にある「空白」まで意識を伸ばさなければ「奇蹟」は舞い降りない。


 今マンジの思考は集中とはほど遠い状態に置かれている。いくつもの雑音が集中を削ぎ、祈りは空転してしまっている。


「――エセ坊主!!」


 レイシアの怒声がマンジを現実へと引き戻す。すぐ至近距離でアーマードベアが、その腕をマンジに向かって振り下ろそうとしていた。咄嗟に横っ飛びで距離を取るも、その爪先がマンジの衣服をかすめ大きな破れ目を作る。


「こんのおっ!?」


 アーマードベアの後方から駆けつけたレイシアが剣を敵の体に突き立てようとするも、乾いた音が響く。アーマードベアの全体を覆う、甲殻類のような鎧。細身のレイシアの剣では貫くどころか小さな傷をつけるのもやっとだ。


「ちいっ!? やっぱそうそう簡単じゃないか!?」

「お前! ワーグは!?」

「片付けた!」


 さも当然のようにレイシアが返す。見れば先程までレイシアがつかみかかられていたワーグは体液を流しながら地面に突っ伏していた。そこそこ体格差もあったはずなのになんてヤツとマンジは舌を巻く。


「おおらあっ!!」


 レイシアが再びアーマードベアに向けて突貫していく。迎撃するアーマードベアの腕を紙一重のところで躱し続け、あわよくば鎧の隙間から一撃食らわせようと剣を突き出し続ける。その様はまるで鬼神のようだった。


「何呆けてんの!」

「へ?」

「あんたが片付けるって言ったんでしょ!? あとどのぐらいでその術は使えんの!?」

「……もう少し待て! どうにかする!」

「急げ!」


 マンジの返事を聞くやいなやレイシアの攻撃が再開される。捕まれば命は無い爪の一撃を、飛び、あるいは地面を滑り、躱して剣を振るい続ける。その切っ先がアーマードベアの身体まで届くことはまず無かったが、その注意を削ぐことには成功していた。


 急がねばならない。マンジは再び経文を唱え、意識を研ぎ澄ませていく。


 相変わらずはやる気持ちが無いわけではないわけではなく、雑音も多い。だが先程までとは違い、その中に一本の道のようなものがあるのをはっきりと感じる。奇蹟をもたらす「空白」へと通じる、一本の道。


 ――ヴォダラとは東国イーストの古い言葉で「百の頭」という意味である。


 その言葉の通り、ありとあらゆる場所に様々な神が存在しそれが信仰の対象とされる。


 例えばとある地域では水の神を崇める一方で、別の地域では火と土の神を崇める。


 商売の盛んな地域では動物の頭を持った富をもたらす神を崇め、武人たちの国では鎧を身につけた武運をもたらす神を崇める。中には修行の結果として半神に至ったものを崇める地域も存在する。


 そのため、地域によって信仰の対象は微妙なバラつきがあり、結果として法術も独自の発展の仕方をしていった。


 例えば術をかける側とかけられる側の聖なるもののイメージが比較的一致していることが効果を左右する回復術はさほど発展しなかった。一方で、自己の身体強化の術、そして比較的「邪悪なもの」としてイメージがしやすい魔物を退ける【祓い】の術――すなわち【浄化】の術もまた発展した。


 ――読経を続けるマンジの身体から光が溢れだす。


 邪なるものを退け、打ち払う聖なる輝き。それがマンジの右腕へと集まり、濃縮され、一点へと収斂されていく。マンジは右腕に布を巻き付けていった。そこにはヴォダラの経文がびっしりと書かれており、光はそれによってより強く腕へと引きつけられていく。


「ぐうあっ!?」


 くぐもった叫びと同時に、レイシアの身体が派手に吹っ飛ばされる。アーマードベアの豪腕が周囲を動き続けていたレイシアの身体を捉えたのだ。幸いギリギリのところで身を引くことができたので吹き飛ばされるだけで済んだが、アーマードベアからは大きく離されてしまう。


 マンジが走り出したのはそれとほぼ同時だった。


 右腕に集められた聖なる輝きは、今や燃えさかるようなオーラとなって暗闇を煌々と照らしている。吹っ飛ばされたレイシアが何か叫んでいるようだったが、経文を口ずさみながら突貫するマンジには聞こえていない。術の大詰めに入り、軽いトランス状態に入りつつある。


 そんなマンジに気づいたアーマードベアは、本能的にその豪腕を振り上げた。だが――


 突如爆音が響き、周囲の空間が赤々とした光に照らし出される。一瞬その場全てのものの思考と動きが停止し、一点に目が集まってしまう。


 視線の先にはワンダ。杖を頭上高く掲げている。先程と同じ【火球】の術に【疾風】の術を吸わせ破裂させたもの。頭上に向けて撃ったので音と光を周囲にまき散らしただけだが、そのとき生まれた一瞬の隙こそが狙いだった。


 音も無く細い針がアーマードベアの眉間へと突き刺さる。一瞬激痛に声を上げかけたが、その動きは即座に硬直した。時間差が発生し辛い、血を媒介とした【縛】ばくの術。もちろんシエルだ。


 連携によって生まれた大きな隙。そしてそこにマンジがするりと入り込む。臨界点に達した聖なる光がアーマードベアの懐へと突き刺さる。


「――破ァ!!」


 ――マンジの掛け声と共に光が爆発する。次の瞬間アーマードベアの腹に大きな穴が空いた――

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