光る腕(かいな)(1)
――森の中が、暗闇に沈み込んでいく。
瘴気により小迷宮と化した名も無き森。夜が近づき、光を飲み込むような黒に染められていくその空間には、命そのものを拒むような静けさに満ちている。
そんな場所を、我が物顔で歩く影たちがあった。
一際大きな影はアーマードベア。ヒトより遙かに大きなその巨体を甲殻類のような鈍色の鎧で覆っている。たくましい脚から生えた爪は普通の熊よりも少しばかり大きめで、その巨体と相まって下手に近づけば命はないと思わせるのに十分だ。
そんなアーマードベアの周りを取り囲むように歩いているのはワーグ。一定の距離を開けつつ、さながら王を守る兵士のごとくペースを合わせながら歩いている。締まったその身体は剥き出しの凶暴さに満ちており、下手に触れれば命を刈り取られるだろう。
静けさに満ちた森を「王」の行列が練り歩く。小迷宮の核となっている魔物はその中央部から離れられない。もし離れてしまえば小迷宮が不安定化し、最悪自らを巻き込んで崩壊してしまうことを本能的に理解している。そのためこうして中央から数
――と、ふと近くの草むらから葉がこすれるような音が響いた。ヒトより遙かに鋭敏な耳を持つワーグたちがいち早くそれに気づき、うなり声を上げながら臨戦態勢に入る。
――だが、それでも遅すぎた。
「う ご く な」
薄闇が、一瞬で音で満ちる。聞き耳を立てていたワーグが、アーマードベアが、静止画のようにその動きを止める。
「ワンダ!」
「はいっ!」
再び声が響き、アーマードベアとワーグの足下へと青白い光が伸びていく。【氷結】の術で生み出された冷気。それはあっという間にアーマードベアたちの足下を凍り付かせ、周囲を青白く照らし出す。
「よし、突っ込め!」
マンジの号令が響くないなや銀色の閃光が漆黒を切り裂いていく。
ワーグの目でも追いきれるかどうかという速度で突貫するのはレイシア。薄暗闇の中でもはっきりと分かる淡い暖色系の光をその身に纏っている。身体強化の法術を使っている証だ。あっという間に比較的近くにいたワーグとの距離を詰め、抜き放った剣をその身へと突き刺す。
(一つ――!)
突き刺した剣を引き抜くと、赤黒い体液が泉のようにあふれ出す。手応えは十分。確実に魔石の近くまで達している致命傷。だがそんな傷を受けながら、ワーグはピタリとも動かず声も上げない。そんな様子にレイシアは背筋が冷えるのを感じつつ、そのすぐそばにいる個体に意識を集中する。
(二つ――!)
振り上げた左手の短剣は、思ったより浅く入った。それでも喉元に開いた大きな傷口から、体液が勢いよく吹き出す。魔物でもまず間違いなく生命に関わる傷。それでも脚どころか指先一つすら動く様子が無いことに、レイシアの目はほんの一瞬捕らわれる。
と、そのとき切りつけたワーグの目がゆっくり動き、こちらと合った。
自分が死んだことを思い出したかのように、ぐにゃりと倒れ込む。見ると先程致命傷を負わせたものもその身を地面に横たえていた――【
――静かだった森の中が、にわかに騒がしくなり始める。
比較的【
(もう一匹――!)
【氷結】の術が生きている間に仕留める――レイシアは直線上にいたワーグに向かって突貫した。だが視界にレイシアを認めたワーグは凍り付いた脚を強引に地面から引き剥がしにかかる。うなり声を上げ、体液を地面へと垂らしながら四肢を解放するその姿に、「なんてやつ」とレイシアは内心舌打ちする。
ワーグが跳躍する。レイシアの胸元に向けたタックル。咄嗟にレイシアはのけぞり、仰向けに倒れ込んでスライディングをかけた。
凍り付いた地面を利用して、飛び上がったワーグの下へと滑り込む。そして左手の短剣を相手に突き立てた。短剣は易々と相手の腹へと入り、赤く大きな一本の線を描く。
(――三つ)
うつ伏せのまま地面に滑るワーグ。その姿を横目に見ながら、レイシアは足を地面に突き立てるようにして立ち上がる。息を整える間もなく、周囲を見渡した。
見れば、遅れて飛び出していたマンジのほうも一匹ワーグの首を落としていた。もう一匹――そう思い次のワーグへと目を移した瞬間、凍り付いていた足下が砕け融解し始めていることに気づいた。
――【氷結】の術が解け始めている。
「――ちょ、待って待って待ってえええええ!?」
声のした方にレイシアが目を向けると、ワンダとミャオがワーグに追い立てられて草むらの中から出てきたところだった。アーマードベアを囲んでいたものたちとは別の個体――予想はしていたがやはり後詰めのものたちがいたのだ。
援護に向かおうとしたレイシアの視界の端に、何か動くものが飛び込んできた。咄嗟に空いていた左手を前に出して防御すると、その牙を突き立てて食らいついてくる。先程まで動きを封じられていたワーグだ。
「そっちに行けない! 自力でどうにかしろ!」
「簡単に言ってくれますけどねえ!?」
手元のナイフをワーグに向けて振り回しながらミャオが叫ぶ。ワンダはそんなミャオと背中合わせになりながら、周囲を見渡す。
――思ったより厳しい局面になりつつあった。シエルの【
「ああ、もうこっち来るなってばあ!?」
ミャオがナイフを振り回し、目の前のワーグを牽制する。伏兵のワーグの数は二匹。レイシアが残ったワーグたちを、マンジがアーマードベアを引きつけている。どこかに隠れているシエルは、おそらく術の反動で動けない。今のところどうにかしのいでいる状態だが、いつどこが崩れてもおかしくは無かった。
――と、ワンダは次の瞬間頭の奥で「何か」を感じ取った。
目や耳、その他諸々の感覚器官を通さずに直接身体に流れ込んで来る違和感。それに従って違和感のしたほうへと目を向けると、草むらからワーグが音を立てて飛び出してくる瞬間だった。今のは――それよりこの距離は――思考をかみ砕き、飲み込む前に、ワーグが真っ直ぐこちらの至近距離まで跳躍する。
――考えるより先に、ワンダの脳の奥底が動く。
【火球】の術と【疾風】の術を同時展開。空中に発生させた火の玉がかき消えない程度に、大量の空気を送り込む。普段ならもう少し細かい調整もできなくは無いが、今その余裕は無い。
火の玉は一気に膨れ上がり、大きな音を立てて破裂する。それは今にもワンダの頭に食いつかんとするばかりに接近していたワーグに直撃した。通常よりも遙かに膨れ上がった炎の熱と衝撃に一瞬で包まれ、黒焦げになりながら後方へ吹き飛ぶ。
同時に爆発した火球から火の粉が四方八方に飛び散った。ワンダは咄嗟に背を向け、ミャオを自身のマントで覆うようにしてかばう。熱のかたまりが手の甲をかすめ、思わず声が出る。
「っつ――!?」
「ちょ、大丈夫!?」
「大丈夫!」
本当はそれなりに痛かったが、気にしているヒマはない。ワンダは吹き飛んだワーグへと目を移す。真っ黒に煤けたワーグはピクリとも動かず、完全に失神しているようだった。
見ればミャオの正面にいるワーグたちも微妙に後ずさりしている。大きな音と飛び散った火の粉がプレッシャーとなっているらしい。意図しない形で生じた間隙。それが結果から言えばワーグたちの命取りとなった。
――黒い影がワーグへと躍りかかる。
鈍い銀色の輝きが影の中から突き出たかと思った次の瞬間、ワーグの一匹から赤黒い噴水が吹き上がる。刃物で切りつけられた傷。浅いが注意を向けるには十分なもの。黒い影は勢いをつけたまま跳躍し、二匹の上空を舞う。シエルだ。
苦痛に満ちた表情。おそらく術の反動がまだ抜けきっていない。それでも右腕をもう一匹のほうに向け、ボウガンから針を放つ。針はワーグの首元へと吸い込まれ、深々と突き刺さる。シエルはそのままゴロゴロと転がるように着地した。
完全に虚を突かれた形になったワーグたちだったが、仰向けになったまま動けない獲物――シエルへと意識を切り替える。だがその動きは少しずつ鈍くなり始めていた。時間差を見るに、針とナイフに塗られた毒。それが静かにワーグたちの身体を侵しつつあるのだとワンダは感付く。
「わん、だ……! みゃ、お、さんっ……!」
「う、うおりゃああああああっ!?」
シエルのかすれ声に合わせ、ミャオがナイフを構え突貫する。シエルに気をとられ、がら空きになったワーグの脇腹に向かって深々とその刀身を突き刺した。ミャオに組み伏せられながらワーグはしばらく手足をバタバタさせていたが、やがてピタリとも動かなくなる。
ミャオが一匹を仕留めている間に、もう一匹のワーグはどうにか手足を動かしながらシエルに突貫をかける。だがそれより先にシエルをかばうようにしてワンダが立ち塞がった。杖を突きつけ一瞬ワーグがひるんだ瞬間、ワンダはすでに呪文の展開を終えていた――この距離なら、狙いをつける必要も無い。
(【風切刃】!)
ワンダの目と鼻の先に真空の刃が展開し、ワーグの身体をズタズタに引き裂く。傷だらけになりながらもしばらくの間立っていたワーグだったが、やがてその場に静かに倒れ込んだ。
「シエルさん!」
ワーグが倒れ込んだのを確認するやいなや、ワンダはシエルのほうを振り返った。同じく駆け寄ってきたミャオとシエルの身体を抱え、安全な場所まで引きずっていく。
シエルの身体は異様に冷たく氷のようだった。こんな状態で飛び出したのかとワンダは内心寒気を覚える。すると力なくしなだれかかるシエルからかろうじて聞こえるかどうかと言うぐらいのかすれた声が響く。
「……だい、じょうぶ?」
「いや、それはこっちのセリフだってば!? こんな状態で無理しちゃダメでしょ!?」
ミャオが半分泣きそうな、半分怒ったような声で叫ぶ。シエルはそんなミャオの様子がちゃんと見えているのかいないのか「……よかった」と小さな声で返した。二人の安全を確認できたからか、あるいは術の反動が多少落ち着きつつあるのか。その目つきは幾分柔らかい。
「……しごと、だから。ぶじに、かえすの。みんな」
だからと言ってこんな状態で――決して大きくないシエルの身体を見ながら、ワンダは小さく息を飲む。
――と、次の瞬間甲高い音が響き、ワンダの視線はそちらに持って行かれる。その先にいるのはアーマードベアーと、それと向かい合うマンジ。
そしてその握る刀は――中ほどで折れていた。
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