迷宮のヌシ(2)

「……おったな」

「……いますね」


 森の中を彷徨うこと数十分、ワンダたちはおそらく迷宮内のひどく開けたポイントまで来ていた。小迷宮の「核」となっているヌシは、本能的に迷宮の中央部に留まり、あまり遠くまで出歩くことはないとされる。すなわちそのヌシがいる場所がその小迷宮の「中心」と言って差し支えない。


 そして今ワンダたちの目の前には、その小迷宮のヌシと思われる魔物がいる。


 ぱっと見は大きな熊だ。だが、本来なら毛皮で覆われているはずのその身体に、甲殻類のような外装甲が被さっている。アーマードベア。文字通り全身を「鎧」で固めた熊。その身を覆う装甲はまず剣では刃が立たず、そこに熊同様の獰猛さと身体能力を誇る。倒すならそれなりに準備をしなければまずやられる、凶悪な魔物の一つだ。


 大きさは二メルタメートルほど。この間のホブよりは若干小さい印象を受けるが、それでも放つ威圧感はこちらと生物としての格が遙かに違うと感じさせる。今は広く開けた場所をゆったりと歩き回りながら、周囲に目を光らせている。そのアーマードベアのすぐそばにはワーグたちがまるで護衛のように取り囲み、歩幅を合わせつつこれまたゆっくりと歩いていた。


「……見た感じ少し大きいかの。ありゃ人……そうでなけりゃ魔物何匹か食っとるな」

「ワーグが従ってるところを見ると、群れのボスを倒してそのままボスになったみたいな感じですかね」

「たぶんな……」


 魔物の群れの「王」になるのは同型の上位種だけとは限らない。時にその群れのボスを倒した別の種がそのままボスとして君臨することも珍しくはない。それこそ小迷宮の核となっているような魔物ならば十分にあり得る話ではある。


 ワーグたちはまるで王に従う親衛隊のように、一定の距離を保ちながら整然と周囲を囲んでいる。今さらながらではあるが、自分たちはここに誘い込まれたのではとワンダは思い始めていた。なんなら先程の森の中での襲撃もより奥へと誘い込むためのものだった可能性すらあるが、今この状況下でそれを言ってもももう遅いだろう。


「……よし、全員こっちに集まれ。奴らに気づかれんようにな」


 マンジの呼びかけに、全員が草葉の陰にしゃがんで寄り集まる。葉が揺れる音でも大きく響いてしまいそうな薄闇の底で、ようやく聞こえるほどの声で会議をする。


「まず取り巻きのワーグじゃが、こっちは動けなくなんなりして首を落としてしまえばどうにかなると思う。幸いこっちにはそういう『手札』も多い。問題は――」

「デカブツのほうね。あたしらの装備じゃ確かに厳しいわ」


 アーマードベアの全身を覆う鎧。剣はもちろん、打撃武器でも何回も叩かなければ身体にダメージすら与えられない。装甲の隙間に刃を通すという手段もあるが、楽とは言いがたいだろう。


 となるとこのメンバーで可能性があるとすれば魔術だ。さしものアーマードベアの鎧にも抗魔力は無く、炎の熱や冷気ならば十分な威力を持ちうる。


 ただしこちらも――


「ワンダ、調子はどうじゃ? いけそうか?」

「……厳しいです」


 ワンダは正直に告げる。先程も足下に展開させる形で【氷結】の呪文を使った時も、いつも以上に集中力を要した。おそらくだがこのまま使い続けた場合いつもより早く「燃料切れ」が来る。


「最悪狙いを付けないで弾をばらまくだけでいいならとも思ってたんですけど……さっき確信しました。この状態だと本当にどこに飛んでいくか分からないです」

「ついでに言っちまうと倒しきれるかどうかも分からんしのう……それこそ変なところで意識失ったら最悪じゃ」


 確かに戦闘中に超過反動バックラッシュで意識を失えばそれこそ最悪の事態だ。今更ながら、いつぞやはだいぶ無茶なことをしていたのだとワンダは気づく。


「それこそ眼鏡の凍りつかせるやつとか、スカーフの……えっと、【からくごえ】だっけ? そういうので動きを止めて鎧の隙間から剣を刺せば?いくらあれでも、何度も刺されればそのうち死ぬでしょ」

「……できなくはないじゃろうが、そこに行くまで何度懐に入らなきゃならんか分からん。シエルもワンダも途中でぶっ倒れる可能性がある。うまくはないな」


 レイシアの意見をマンジは一蹴する。手札は決して悪くないが、置かれている状況と微妙にかみ合っていない。難しい状況だった。


 マンジはその場で腕組みをし、しばし考え込んでいたが、やがて顔を上げる。


「……ワシが行くしかないかの」

「何かあてでも?」

「ああ。うまく行けばやつをどうにかできるかもしれん」

「あんたの言う『隠し球』ってやつ?」

「まあ、そうじゃな」


 マンジは頭をかく。


「ただ使うにしてもヤツの懐に飛び込まんと行かんし、使えるまで時間がかかる。周りのワーグはお前らに頼むしかない」

「別にいいけど……倒せるの?」

一撃じゃ。……の」

「あのー、運が良ければというのは……」

「……あのクラスの魔物に使ってみたことがあまり無いんじゃ」


 ワンダの問いかけにマンジは若干不安そうな声色で返す。


「こいつは少々使い勝手が悪くての。以前同クラスぐらいのやつに向けて使ったときには、。まあそれでもワシの知る限りあの程度なら決して倒せなくはないんじゃが……」

「それは『少々』じゃなくて、『だいぶ』使い勝手が悪いって言うのよ」


 レイシアの冷ややかな言葉も織り込み済みだったのかマンジは続ける。


「じゃからまあ賭けじゃ。最悪の場合はワンダに頼ることになるが……そうなる前にやれることはやらんとの」


 そう言ってマンジはワンダのほうを見る。本当にのっぴきならなくなったときには、リスクも覚悟の上でワンダが魔術を使って仕留めろということだろう。


「どうにかできるならあたしは別に構わないけど……大丈夫なんでしょうね」

「さっきも言ったが、この状況がすでに大丈夫じゃない。なら多少危ない橋も渡らんとのう。それに……」

「それに?」

「これから本格的に一緒に仕事するかもしれん相手じゃ。手札は見せといたほうがええじゃろ?」

「……まだこのメンツで組める気でいるのあんた」

「そりゃあもちろん」


 マンジはレイシアの表情を意に介さず、にっかりと笑いかける。それから皆の顔を見ながら静かな声で告げた。


「他のやつもええな? ええなら作戦を伝える。今日中にこの森とはおさらばじゃ」


 薄暗い草むらの陰で、全員が頷いた。

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