光る腕(かいな)(3)

 ――レイシアの目から見ても何が起きたのか分からなかった。


 マンジの拳がアーマードベアの腹に触れた瞬間、集まっていた光が爆発し、反射的にレイシアは目を細めた――そして次の瞬間目を開けたときには、腹に大きな穴があいたまま立っているアーマードベアと、その反対側で仰向けに倒れているマンジが目に飛び込んできた。


 アーマードベアに空いた大きな穴からは、身体の中央にあるはずの魔石が明らかに欠損した状態で露出していた。あれだけ大きく身体を傷つけられたはずなのに体液などはほとんど流れ出ていない。まるでその部位だけこの世界から忽然と消えてしまった――そんな風に見える。


 やがて致命傷を負っていることを思い出したかのように、アーマードベアがゆっくりと地に伏した。そのままピクリとも動かなくなる――実感は無いが倒したのだ。おそらく。


「マンジさん!」


 ワンダとミャオが慌ててマンジに駆け寄った。マンジの右腕に巻き付けていた布は完全に焼け焦げ、腕も少しばかり黒ずんでいる。当人はと言えば、意識はあるようだったが身体はぐったりとして動けないようだった。


「イタタタタ……クソっ、思った以上にようじゃの」

「大丈夫ですか……?」

「ああ、確かこっちでいう超過反動バックラッシュってやつじゃ。できるならもう少しこのままでいさせてくれると嬉しい」


 ワンダの問いにマンジは力なく答える。レイシアはそんな様子を横目に突っ伏したアーマードベアのそばまで行った。念のため剣を深く突き刺すがまんじりとも動かない。よくよく見ると爪先から肉体の崩壊も始まりつつある。


「……倒したのよね」

「……たぶん」


 レイシアの問いにワンダは魔素計マナメーターを取り出して見せる。戦闘開始近くまで強く反応していた真ん中の石の光が消え、それを取り囲む石の部分の光も消えつつあった――ヌシが死に、迷宮化が解かれつつあるのだ。


「……あー、ダメじゃ思った以上に動けん……すまん、しばらく周りを頼む」

「本当に大丈夫なの?」

「しばらく休んでりゃ動けるぐらいにはなるはずじゃ。やっこさん思った以上にレベルが高くて魔力を想像以上にしもうた」

「引き出された?」

「ワシゃ、魔素マナを一時に流せる量も留めておける量もそんなに多くなくてな……だからああして必要以上に経文唱えたり、経文書いた布巻いたりしてどうにか使えるだけの魔力を確保してるんじゃが……相手の魔物としてのレベルが高すぎると必要以上にしまうんじゃ」


 魔素マナを体内で流せる量と留めておける量、そしてそれをコントロールする力を総合したものが「魔力」であり、汎用術式レギュラードの使い手の実力に繋がってくる要素である。それが両方低いとなると――


「ようはあんたは術を一発撃つだけでぶっ倒れるぐらいに魔力が低くて、術師としてはクソ雑魚もいいとこってことね」

「……返す言葉が無いのう……」


 できれば使いたくない――というか「使えない」理由をレイシアは理解した。これでは仮に倒せなかった場合あまりにも危険すぎる。今回も恐らく運良く核を破壊できたようだが、そうでなければ間違いなく命が無かっただろう。


「使えるのか使えないのか本当によく分からないやつねあんた……」

「まあ、結果オーライじゃ……さてと、立ち上がりたいんで肩貸してくれんか。シエルもまだそんなに動けなそうじゃし……」

「仕方ないわね……眼鏡あんたも……」


 そこまで言ってワンダに目を向けたレイシアの、背筋が一瞬で凍り付く。


 ワンダがこちらに杖を向け、その周りで風の刃が渦を巻いていた。






 ワンダが「それ」に気づいたのは魔素計マナメーターを胸元にしまった瞬間だった。


 先程まで強く反応していた魔素計マナメーターは完全にその光を失い、森は不気味なほどの静けさから解放されつつある。全員ひとまずは無事――そのことに胸をなで下ろしつつ小さく息を吐いた瞬間、「それ」は突然頭の中に飛び込んできた。


 ――マンジのすぐそばにいるレイシア。その背後にある草むら――その奥に何かがいる。


 先程草むらからワーグが飛び出してきたときと同じだった。目や耳、鼻といった感覚器官を一切通さず直接頭の中へと飛び込んでくるその感覚は、違和感を通り越してはっきりとした不快感すらあり、ワンダの目をそちらの方向に向けさせるのに十分だった――が、そこには何も見えない。


 ワンダの視界の先には深緑の草むらが音も立てず静かにたたずむ。だがワンダの頭の奥底では相変わらず大きな鐘の音のように「何か」の存在を強く訴え続けていた。視覚では捉えられない。耳でも、あるいは匂い等でも。だが確かにそこにいる。


 恐らくワーグだと、ワンダは唐突に理解する。小迷宮から生まれた魔物はたいていその消滅に巻き込まれて消えるが、そのままその場に残ってしまうものも少なくは無い。恐らく先程までの乱戦に入ることができず、あの草むらの陰でまだこちらの隙をうかがっている。


 瞬間、ワンダの中に流れ込んでくる違和感の質が変わる。


 先程よりもはっきりと不快感が増し、こちらのほうへと真っ直ぐ向かってきている。それが殺意だと精神が気づくより早く、ワンダの頭は動き出していた。


 比較的展開できるのが早い【風切刃】の術式がワンダの脳内で展開される。ここまでわずか数十秒。未だに草むらの奥にいる何者かは姿を現さない。だが、ワンダの脳の奥底ははっきりこちらに向かってくる害意を、そしてすらはっきりと知覚していた。あと数秒もすれば間違いなく後ろを向いているレイシアに、草むらから一気呵成に飛びかかる。


 ――レイシアが杖を向けているワンダに気づいた。こちらの様子に気づいてその表情に一気に緊張が浮かぶのを、ワンダはひどく冷静な頭で観察する。視界は相変わらず微妙にぼけているのに、どういうわけだかはいつもより明快に頭の中へ飛び込んでくる。


「お前何して――」

「伏せてっ!!」


 ワンダの声色にレイシアが反射的に身をかがめるのと、草むらから何か飛び出してきたのがほぼ同時だった――やはりワーグだ。だが、ワンダの精神がそれを認識する前に全て終わっていた。


 真空の刃がレイシアの頭上をかすめ、ワーグへと一気呵成に襲いかかる。完全に直撃コースに入っていたワーグの身体は立った状態でズタズタに切り裂かれた。それでもそのままよろよろとこちらに足を進めていたが、やがてゆっくりと地面に伏す。


 ――ここまでたかだか数分。その間その場にいた全員の時間がしばらくの間止まっていた。ワンダもまた、何が起きたのか自分でも分からず立ちすくむ。


 やがて弾かれたように動き出したのはレイシアだった。立ったまま呆けていたワンダの首根っこを掴んで一気に引き寄せる。


「……お前~~~~!?」

「ごめんなさい!? ごめんなさい!? ごめんなさい!?」

「落ち着け!? とりあえず落ち着け!?」


 半泣きになっているワンダに凄むレイシアを、どうにか起き上がったマンジが引き剥がす。


「お前あれほど言ったのに……!?」

「とりあえず!? とりあえず助かったから今はええじゃろ!? あのままじゃと間違いなくお前さん後ろから襲われとったぞ!?」

「ぐ……」


 両腕を掴まれジタバタさせていたレイシアの動きが止まった。若干バツが悪そうにワンダから目をそらす。


「しかし、よう気づいたのう。影も形も見えんかったのに」

「ええ、まあ……」


 ――と言って通じるだろうか、と思いワンダは言葉を濁す。自分でも上手く説明がつかないのだ。特にレイシアあたりはまた首根っこを掴みにかかってくるだろう。


「……ちょっとだけ草むらが揺れたように見えたので」

「ふーむ、やっぱり目がええんかのう」


 マンジはワンダの言葉にひとまず納得したようだった。他のメンバーたちも気持ちを帰還する方向に切り替え、準備をする中でひとりワンダは考える。先程までのひどく物事がクリアに見通せている感覚はウソのように消え失せていた。代わりにいつもより雑音が頭の中で強く響く世界だけが、ワンダの周りを取り囲んでいる。


(……なんだったんだろう。あれ……?)


 先行して歩く他のメンバーを急いで追いかけながら、ワンダはずっと考えていた。






「見えたあ! 見えたよおサン=グレイル!」


 歩いていたミャオが急に走り出したかと思うと、ぴょんぴょん跳ねながら彼方を指差す。見ればサン=グレイルのオレンジ色の明かりが遠くに見えていた。


 ――森を出るまでにはそれほどかからなかった。運良くサン=グレイルへと向かう街道のそばに出ることができたワンダたちは、そのままサン=グレイルへと向かう道を歩き出した。


 予想はしていたがすでに太陽は地平線の彼方へと消えつつあり、空は深い青から黒へと染まりつつある。全員疲労困憊の中、言葉も無くとぼとぼと小一時間歩いていると、やがてサン=グレイルの街の明かりが見えるところまで来た。


「良かったあ! 助かったよお!!」

「うん! うん! 良かったあ!!」


 緊張から解き放たれたからか、ワンダとミャオが手を取り合ってはしゃぐ。一方その後ろではレイシアとマンジが同じ街の明かりを見ながら、ひどく遠い目をしていた。


「……あとどのぐらいだと思う?」

「……少なくとも日付が変わらんうちには着くじゃろ」


 いつの間にか近くにいたシエルが音も無く二人のそばを通り過ぎる。レイシアとマンジは揃ってため息を吐くと、再びとぼとぼと歩き出した。

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