薄闇に、声響いて(2)

「はあ……はあ……よし、ええぞ。いったん止まれ」


 マンジの声に、一同は足を止める。森の中を必死で走り続けて数分。皆すっかり息が上がり、ミャオに至っては地面に突っ伏している。


「ぜー……ぜー……やっば、久々に視界真っ白だわ。この明るさひょっとしてもう迷宮の外出てたりしない?」

「残念じゃがそれは無い……お前らも全員無事か」

「な、なんとかー……」


 ワンダもまた浅い呼吸の中から、どうにか声を引きずり出す。――と、ワンダの隣で膝に手をついていたレイシアがおもむろにシエルのほうまで近づく。


 そしてその胸ぐらをひっつかんだ。


「――お前、何した」


 一瞬止めにかかろうとしたワンダはレイシアから出た声に思わず足を止めた。彼女から出た声が怒りのそれ以上に、畏れが多分に含まれたものだったからだ。


「――塞いだ耳越しに声が聞こえた瞬間、身体が死ぬほど重たくなった!ほんの少しだけしか聞こえなかったのに、まるで全身石になったみたいに! 答えろ、お前――」


 レイシアの詰問が不意に止まる。何事かと思ったワンダはシエルのほうを見てその理由を理解した。


 白い顔はいつも以上に血の気が無くて呼吸も荒く、額には脂汗も浮かんでいた。先程まで走っていたせいだと一瞬思ったがそれにしても様子がおかしい。立っているのも辛い――そんな印象を受ける。


「……その辺にしといてやれ」


 二人の間に入ってきたマンジに、レイシアは力なく胸ぐらを掴んでいた手を下ろす。シエルは少し安心した風にその場に座り込んだ。ワンダはそのすぐそばに駆け寄る。


「だ、大丈夫ですか?」

「……慣れてる」


 ワンダの問いかけにシエルはそう答える。慣れている――それは今のような症状にか、それともこのような事態にか。どちらともとれる言い回しにワンダが困惑していると、再びレイシアが口を開いた。


「……さっきのは何? あのワーグたち、あいつの声を聞いただけで足一つ動かせなくなってた――あたしもあとちょっとで――いったい、何したの?」

「……【からくごえ】じゃ」


 マンジが頭をかきながら答える。いまいちピンと来ていないレイシアに向け言葉を選ぶように続けた。


「発する言葉に魔力を乗せて、聞いた側の意思に関わらず行動を強制させることができる。。相手に負荷やら縛りを与えることが主な呪術の中でも、一種の極地にある術――らしい。ワシもこいつに聞いた範囲でしか分からんが」

「何それ――『死ね』って言えば死ぬわけ?」

「まあ、平たく言えばそうじゃが……アレを見ればそう簡単にはいかんのは分かるじゃろ?」


 マンジはそう言ってシエルのほうを指さす。時間がある程度経ったからか多少楽になりつつあるようだが、相変わらず顔色は良くは無い。


「……『人を呪わば首二つ』っちゅう諺が東国むこうにあってな。人を害しようとすれば必ず何かしら自分に返ってくる――それこそ相手を呪えば最後には自分の首も地面に転がることになるって意味の言葉なんじゃが、呪術もそういうとこがあっての」

「“返し”、ですか」

「ああ――特にこいつの『声』は特に強力な代物らしくてな。当然“返し”もデカい。特に今回は『動くな』って指示をかなり複数に聞かせたからな。動くのもキツいじゃろ」


 魔術や法術が使いすぎれば超過反動バックラッシュが来るように、呪術もまた術式が強力であればあるほど反動が来る。しかも魔術のようにただ倒れるだけならいいほうで最悪身体に重大な障害が残ったり、死に至ることもありえるらしい。いわゆる“返し”と呼ばれるものだ。


 ワンダはふとここまでのシエルの相手とのコミュニケーションの取り方を思い起こす。


 長い会話は極力念紙マインドペーパーを使用する。


 直接話さなければならない側面では、極力動詞を使わないような話し方をする。


 特に誰かに指示やお願いをするような話し方をしない。


 おそらくだが――下手にそういう話し方をすると相手に影響が出てしまう可能性があるからだろう。


「だからあんな風なしゃべり方だったり、念紙マインドペーパーを使ったりしたりしてたんですね」

「ああ、相手の身もそうだし、自分の身を守るってためでもある。下手な言葉遣いをしたら自分にどんな風に返ってくるか分からん」

「……あれ、でも確かゴブリン討伐のときわたしに向かって……」

「……あん時は心底肝が冷えたわ」

「――ごめん」


 いつの間にかシエルが立ち上がってワンダの前に立っていた。少し落ち着いたらしい。


『だいぶ 元気無かったから 思わず 使った  効果は 限定してたけど 何も 言わずに 使って ごめん』

「い、いえお気になさらず……むしろ分かって良かったです」


 念紙マインドペーパーに映し出された文字に対して慌ててワンダが返す。正直臆している部分もあるもののそれはなるべく気取られないよう努めた。


「これがどこにも居つけない最大の原因ってわけね」

「なんやかんやでこいつが一番効くのは同じ人間じゃからな。話し方もそうじゃし、スカーフの裏側にも認知妨害の経文書いたりして対策はしとるみたいじゃが、ここまで見せてまあ近くに置きたいやつはそうはおらん。……幸い使う機会もそう無いようなんで、今のところ知ってるやつも限られてるようじゃが」

「あたしにも見せる必要無かったでしょうに」

「……パーティ、組むなら、知るの、大事、教えない、だめ」


 その意味をここにいるほとんどの人間が知った今、シエルが決して軽くない口を開く。


「……こんだけ大っぴらにしといてまだ組んでもらえると思ってるの」

「それでも」

「……生真面目なヤツ」


 シエルが向けてきた真っ直ぐな目に、レイシアはバツが悪そうに舌打ちをして返す。


「……まあいいわ。今この状況で知らないよりはいいし。あんたもこいつみたいに何か隠してることないでしょうね」

「……一応隠し球があるにはある」

「危険な代物じゃないでしょうね」

「こいつほど危険なもんじゃない。……めんどくさいものには違いないが」

「……あのさーあたしだけ蚊帳の外なんだけどそろそろいい?」


 ミャオが四人に対して呼びかけてきた。

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