森の底(2)
レイシアの言葉にほんの一瞬――マンジの表情が引きつったのをワンダは見逃さなかった。けれど出かけたそれをあっという間に引っ込め、いつもの飄々とした表情に戻る。
「……毒の類じゃないとは?」
「文字通りの意味よ。その飛ばしてる針――毒なんて塗ってないんじゃない?」
「いやいや、お前さんも見たじゃろ。確かにワーグに当たって――」
「……すいません、わたしもちょっと思ってました。毒にしては変だなって」
レイシアの問いかけにワンダもおずおずと手を上げる。
先ほどの馬車での追いかけっこを思い返す。あのとき――三回目にシエルの撃った針は命中するにはしたが、弾かれて刺さらなかった。しかしワーウルフは倒れた。あの時も少しだけ「おや」と思ったが、レイシアの言葉でワンダも改めておかしいことに気がついた。
「……変とは?」
「その……毒だとしたら効くのが早すぎるなって」
毒の種類にもよるだろうが、矢や針が相手に深く刺さって体内を回らなければどれほど強力な毒でもさして意味は無い。さらに言ってしまえば毒が回りきるまでの時間も必要である。しかしあの時針はただ当たっただけで、よくよく思い返してみれば倒れるまでの時間もさほどかかっていない。
いつぞやのゴブリン討伐のときを思い返すと、効果が出るまでもう少し時間がかかっている印象があった。無論ゴブリンとワーグという種族の違い等も考慮に加えると単純比較はできない。しかし加えて――
「あんた言ったわよね? 『当たりさえすればええ』って。 本当に毒ならあんなこというはずがない。……あんたあいつが何したか大体分かってるんじゃないの?」
「そりゃ……」
マンジは口元を押さえてもごもごとくぐもった音を出す。おそらくうっかり言ってしまったのだろう。飄々としたマンジの顔がいまやすっかり崩れている。おそらくだが、すべて図星だ。
しかし、毒でないとなると――
「相手を動けなくする方法となると、かなり限られてくる。あたしの知る限りじゃね。……本人からは聞き出せそうにないし、あんたから聞かせてちょうだい。さもないとこの場にそいつだけ置いていかなくちゃ行けなくなる。秘密が多いやつに背中は預けらんないわ」
「ぐ……」
「マンジ」
暗い森の底に、スカーフ越しのくぐもった声が響く。シエルが意を決したような目でこちらの方を見ていた。
「シエル、その……」
「大丈夫」
首を横に振り、レイシアに近づく。いつの間にか手に握っていた
『あんたの 言う とおり 毒 じゃない』
そう言って針の先端を指さした。よく見ると針の先端に黒いものが少しだけ付いている。
『毒も 使っては いる。 けど 馬車に 揺られてた から ちょっと 当てるだけでも 効果 ある こっちを』
「これは――血ですか? となるとやっぱり――」
シエルはこくりと首を縦に動かす。ワンダの中でうっすらとあった可能性が、実際のものとして示される。
すなわち、呪文によって自然界の物理現象等を模擬再現する――魔術。
祈りの力により、治癒や身体強化等の奇跡を実現する――法術。
そして負の感情を利用して敵の行動を縛る等、身体に悪状態を与える――呪術。
例えばものに塗られた血を媒介として、相手に魔力を送りこみ様々な症状を引き起こす――それはさほど明るくもないワンダでも知っている、呪術の手法の一つだった。
「……
「……呪術使いはいい顔されんからのう……」
マンジは頭をかきながらレイシアの質問に答える。シエルと同じくもう隠すことのほうが障害になると理解したらしい。
「だから基本黙ってるし、お得意さんにはみんなこいつの事情ある程度知った上で雇ってる連中もおる。とはいえそばには置きたくはないようじゃが……お前さんも似たようなもんじゃないか?」
「……まあ、少しビビりはするわね」
祈りの力を媒介とする法術同様、呪術もまた認知が効力に強く関わってくる。たとえそれほど強力な呪詛で無くても、術をかけられる側との相性等の条件によってはより効力が上がるということも決して珍しくはない。
そのため効果にばらつきのある魔物よりも、精神がより複雑であるヒュームらヒト族に向けて使用されることが多かった。今でこそある程度知識が広まったのもあって判別や対処も容易であるが、昔はその足の付きづらさから嫌がらせや脅し、果ては暗殺に用いられてきたという歴史もある。
そのため防衛策はともかく、使い方を積極的に学ぼうとする人間はさほど多くなく、実際に使う人間となるとさらに少なくなる。ワンダもある程度知識は持っていたが、実際に見るのははじめてだった。
『黙ってて ごめん』
『本当なら 組む 前に 話すべき でも 』
文字の出力が止まる。スカーフでほとんど見えないシエルの表情が、明らかに消沈していた。その姿がなんだか自分より遙かに幼く見えてしまい、思わずワンダは身を乗り出してしまう。
「あ、あの、そこまで落ち込まなくても……」
「そうね、さっさと言っておいてほしかったわ」
相も変わらずつっけんどんな態度を取るレイシアに、ワンダは思わず口を挟みそうになるが、シエルが制止したので喉の手前で止まった。
「……けどまああの場で自分にリスキーな手のほう使っても、切り抜けようとしたってのは感謝する。とりあえず謝ってる暇があったら今この場を切り抜けるのを手伝ってちょうだい。隠してたことはそれでチャラにする。後ろから撃たれる心配ってのも今のところ無さそうだし」
……とりあえず今は不問に処す方向らしい。ワンダが胸をなで下ろしている脇で、シエルもまた安堵の目をしている。
「……もうちょい怒ると思うとった」
「こんな状況でケンカしててもろくなことになんないわ。……というかよくごまかせてるわね」
「毒を使ってるのも事実じゃしの。併用して血を使った
「……『だけ』なら? まだなんかあるの?」
……どうも今日は口が良く滑る日らしい。思わず口元を押さえたマンジをレイシアが再びきつくにらみ付ける中、くぐもった声が響き渡る。
「みんな」
シエルが手で「こっちに来い」とジェスチャーを出してくる。それに全員従いすぐそばに寄ると、シエルが手に持った
『その場で 身を かがめて 囲まれてる』
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年末年始は更新をお休みとさせていただきます。
次回更新は1月5日の予定です。
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