森の底(1)
――「迷宮化」は瘴気が引き起こす災いで特に大きなものの一つだ。
大地の内側を流れる
具体的にいうと、迷宮化した範囲の地形が広大かつ複雑化する。また周囲の空間と隔絶され、外との方位が一致しなくなる。迷宮化に気づかず森に入ってしまったものが、出れなくなってしまったなどといった話は珍しくはない。
ましてや中では魔物も徘徊し、生存率はさらに低くなる。
森や洞窟、うち捨てられた廃墟など人が畏れや恐怖を抱きやすい場所は特に瘴気の汚染も広がりやすく、迷宮と化しては多くの被害を生み出してきた。プラウジアの各地にグレイルが成立し、瘴気による被害がほぼ無くなった今でもまだ、こうした「小迷宮」が時折立ち現れては魔物を生み出し、時に人間を飲み込んで悲劇を広げていく。
そしてワンダたちは今、そのただ中にいた。
「迷宮化って、そんな都合のいい……てかこれ壊れてんじゃないの?」
「……いや、どうやら本当のようじゃ。こっち見てみい」
マンジの声が響く。ワンダがそちらを向くと、シエルが
「こいつの
「魔物はあらかた退治したって話だったじゃない。瘴気の発生源とかも潰したんじゃないの?」
「いやー、魔物退治とその原因の瘴気だまりの調査とかは確かにやったみたいだけど、街道付近だけみたいだからね。森の中の小さい吹き出し口を見逃しててそこから迷宮が発生したとかは十分あり得るかも」
レイシアの疑問の声にミャオが答える。現在プラウジアの地を治めているのはグラン=シャリオ連合王国。そしてその王国騎士団がサン=グレイルのあるアリオス領を始め、各地で魔物退治を行うことが多いが、国土に対してカバーできる人員は決して十分とは言いがたい。
「まあそういうのもあるから
「……まあ、そうだけど……」
ミャオから銀星の名前が出た瞬間、ほんの一瞬レイシアの顔が強ばったのをワンダは見た。もし銀星のもとで魔物駆除をやっているなら、その辺の事情に関してもある程度は理解しているのだろう。
「――で、どうするマンジさん? こうなってる以上入ってきた方向に進んでも同じ場所に戻れるとは限らないっしょ?」
「今考えとる……お前ら小迷宮に入ったことのあるやつは?」
マンジとシエル以外の面々が顔を見合わせる。やがて各々自分の経験を話し出す。
「無い。
「……同じく。グレイルの外の討伐に何度か参加したことはあるけど、小迷宮のほうは……」
「一度だけ……前のパーティで」
「となるとワンダだけか……まあここらへんは小迷宮絡みの案件も少ないしの……」
「マンジさんは?」
「ワシは二、三度。シエルも似たようなもんじゃな」
マンジが腕を組んで小さく唸る。
「やはり、未経験者二人抱えてってのは痛いのう……」
「というか適当な方向に進んでいけば迷宮の外に出れるんじゃない? いくら外と隔絶されてるからって、端っこに進んでいけば境目は絶対にあるでしょ」
「確かにそうじゃが、迷宮がどの程度まで広がっているか分からんし、魔物もうろついとる。たどり着くまでにおっ死ぬのが先じゃろな」
「『糸』があれば違ってくるんだろうけどねえ。まああっても今回みたいな状況じゃそれどころじゃないけど……」
レイシアとマンジの問答を眺めながらミャオがつぶやく。『糸』とはアリアドの糸と呼ばれる魔道具のことだ。迷宮の外に対となる装置をあらかじめ設置しておくことで、どこにいても出口の方向を光線で差し示してくれる。本来小迷宮に入る際には絶対必要なものだ。
「じゃあ、どうすんの? ここで救助でも待つ?」
「そうできれば一番ええが、糧食とかも今日は最小限じゃしな……となるとあるいは――」
「――奥に進む」
ワンダの声に、他の全員の視線が一斉にそちらの方へ向く。瞬間ワンダは臆しそうになるが、どうにか言葉を継いだ。
「えっと、どんな小迷宮にも必ず核となる大きめの魔石があるから、それを破壊すれば迷宮化が解除されて、外に出れるはず――ですよね?」
「確かにその通りだけど……実際それがどこにあるか分かんないんじゃない」
「……分かるかも」
「? どういう……?」
「その、さっきから微妙に反応があるんです。核の魔石の」
ワンダは手のひらの
「さっき、見てたら気がついたんです。ごくごく微弱ではあるんですが、方角によってはもう少し強くなるところも……」
「ふむ、シエルちょっとそっちのやつ見せてくれ……確かにこっちも微妙に反応があるな」
「街道の往来許可が出たのが大体一週間ぐらい前ですよね? ということはこの迷宮、そんなに広がってないのでは? あるいは核のあるポイントの近場まで来てるか……いずれにしろ核がそう遠くないところにあるなら……」
「……それを壊せば確かに外には出れるのう」
マンジが軽く頭をかく。そうしてしばらく考えていたがやがて意を決したように、軽く頬を叩いた。
「……やるしかなさそうじゃな」
「いやいやいや……大丈夫なんでしょうね。確かに理には適ってるけど」
「何の準備も無しに小迷宮に飛び込んだ地点ですでに大丈夫じゃ無か。それにここで待ってるよりも生き残れる可能性は高い。張るならこっちじゃろ」
「嫌っていうならここで救助待っててもええぞ。なんなら糧食も少し置いてくし。無理強いはせん」
「こんなところに一人で置いてく気? 冗談よしてよ」
レイシアはマンジをにらみ付けながら言う。やがて大きなため息をついた。
「やるわよ。何もしないってのも性に合わないし、あんたらが失敗したら一蓮托生だしね。……あんたは? どうすんの?」
「え、あたし?」
急に話が飛んできて一瞬戸惑いの表情を見せたミャオに、レイシアが再び大きなため息をつく。
「あんた一応依頼主でしょ。ついでに言うと戦えるなら一人でも多い方がいいわ」
「あ、ああそうか、あたし依頼主になるのか……あたしは別にかまわないけど……」
「……よし、決まりじゃ。見たとこ『核』はそう遠くない位置にあるし、夜も近い。さっさと見つけ出して終わらせるぞ。
「待って」
一同がそれぞれ準備をして出発しようと仕掛けた矢先。レイシアの声が響き渡る。
「何じゃ、まだなんかあんのか」
「あるわ。こっから一緒に動くならどうしても確認しとかなきゃいけない。……最悪こっちの身の安全にも関わる」
そう言ったレイシアの視線が、次の瞬間シエルに向けられる。
「スカーフ。あんたが針に使ってるそれ……毒の類じゃないわよね?」
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