行きはよいよい、帰りは――(3)
マンジの声に一同はすぐに馬車に飛び乗った。ミャオが手綱を振ると、馬のいななきと共に車は速度をぐんぐんと上げていく。トップスピードに達するまではさほど時間はかからない。が、それでも影が追いすがってくるのはあっという間だった。
最初丘の陰から見えていたのはほんの小さな茶色い塊。けれどそれほど時間をかけないうちにどんどん大きくなり、気がついたときには馬車から数
狼と比べて短い鼻面に、太く強靱な四本足。汚れた茶褐色の体毛からは剥き出しの野生の匂いが漂ってくる。大迷宮の中でも何度となく対峙した、ワーグの姿だ。
数は三匹。すでにトップスピードに達しているはずの馬車から、一定の距離を取りながら疾走し続けている。こちらが少しでも速度を落とせば確実に食らいつかれる――そんな距離。
「おい、もう少し速度出せんか!? 追いつかれるぞ!」
「無茶言わないでよお!? この子も朝から歩きっぱなんだよ!? これ以上無理だって!!」
ワンダたちもそうだが馬車を引いている馬もそこそこの強行軍で動いている。ある程度休ませこそしているものの、実際の話疲れはピークには違いなかった。
応戦するしかない。そうワンダは判断し、頭の中で詠唱を組み立て始める。ひどく揺れている馬車の中、【氷柱針】の術をどうにか展開させる。狙いは無論馬車の外で全力疾走しているワーグだ。
――が、次の瞬間ワンダの身体は大きく跳ね、後ろに倒れ込んでしまう。同時にほぼ展開しきっていた氷の針が、馬車の後方で四方八方に飛び散っていくのが見えた。
「マヌケ! 何してる!?」
「ごめんなさい!?」
レイシアの叱責にワンダは叫んで返す。自分ではコントロールできない揺れが常に発生しているようなこのような状況で、魔術を使うのはこちらも危険だとワンダは直感する。
すると、横から黒い影がヌッと現れでた。シエルだ。
腰のホルダーから針を取り出し、腕の小型のボウガンにセットすると、馬車の荷台に体育座りのような体勢で座りながら構える。そうしてしばらく狙いを定めたあと、ワーグに向かって放つ。
針は白く細い影を残し、先頭を走っていたワーグの胴体へと吸い込まれるように当たる。ワーグはしばらく何事もないように走っていたが、やがてつんのめるようにして倒れ込み、動かなくなった。
「一つ」
あっという間に小さくなっていくワーグの身体を見ながら、シエルがつぶやく。そのあまりに淡々とした一連の動きは、緊迫した今の状況から隔絶されているようにワンダは感じた。その間にもシエルは次弾を装填し、ワーグへと照準を合わせる。
再び、ワーグへと放たれる針。今度は首の根っこの辺りに深々と突き刺さり、ややあってからその場で横転してぐったりとしたまま動かなくなる。
「二つ」
さしたる反応を見せないまま、シエルは再度針を装填する。群れの同胞が立て続けに二匹倒れたのを見て警戒心を煽られたか、最後に残されたワーグは一気に距離を詰め、勝負にかかった。一方シエルも相手に狙いを定め、針を射出する。だが――
「外れた!?」
情けない声をワンダが上げる。シエルが狙ったのは先ほどと同じ、首の根っこ部分。針は当然のごとくワーグに引き寄せられ、そのまま深々と突き刺さるかと思われた。が、微妙に位置がずれるか何かしたのか――針は深々とは刺さらず、ほんの少しだけ当たってそのまま弾かれてしまった。
そうこうしているうちにワーグは、馬車の後ろ正面にいるワンダたちに今に食いかからんとばかりの距離にまで近づいてくる。――と次の瞬間、マンジの声が響いた。
「あれなら問題無い! 当たりさえすればええ!」
果たして――ワンダたちに向かって跳躍したワーグが空中で突然硬直し、まるで糸が切れた人形のように力なく落下した。何事かと思っているワンダが思っている間に馬車はスピードを上げ、倒れ込んだままのワーグは小さくなっていく。妙に力なく倒れ込んでいるその身体はまるで部屋の隅にたまった大きめのほこりのようだった。
なんにせよ助かった――と、ワンダは胸をなで下ろす。ふと隣を見ると一仕事終えたシエルが一息ついていた。
「……すごいですね、今の」
「まぐれ」
先程までと同じように、淡々とシエルは返す。それでも声色はだいぶ緩んでいた。馬車の内部も緊張状態から少しばかり解放され、マンジはもちろんさしものレイシアもホッとしたような顔をしている。ワンダもまた座り込んでいた馬車の床から自分の座席に戻ろうと立ち上がった瞬間――
馬車の車体が、大きく前方に揺れた。
馬車の中にいた大半のものがバランスを崩し、特に立ち上がろうとしていたワンダは派手にすっころんで顔面を強かに打った。明らかに急ブレーキをかけたときの制動。「何事じゃ!?」というマンジの叫び声に呼応し、どうにか起き上がったワンダは、目に入ってきた光景に言葉を失った。
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来週から更新は火曜・金曜になります。
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