取引(2)
「何よ、もう――」
「――マナリア鉱!」
「は?」
「マナリア鉱じゃ! 今回の仕事、受けてくれたらオプションで現物支給してもいいという話を先方がしとる! というか取り付けた!」
立ち上がりかけたレイシアがその場に再び腰を落とす。こちらに向ける目線に先ほどまでのトゲトゲしさはない。明らかに様子が異なっている。
「アンタ、どこまで――」
「詳しくは知らんがその辺はどうでもええじゃろ。大事なのはお前さんが喉から手がでるほど欲しいもんを向こうが用意できるってことじゃ。違うか?」
「……量は?」
「この紙に。ついでに一筆書かせておいてある」
マンジが懐から紙を取り出してレイシアの前へと差し出した。レイシアは手に取ってしげしげと眺める。
「……これだけあれば確かに十分ってとこかしら……どこでこんなのを?」
「いろいろあって倉庫内にあったモノじゃ。売るには量が中途半端じゃし、かと言って捨てるにもといった感じで処分に困っておったらしい」
「で、上乗せ分の報酬の代わりに現物支給? 悪い話じゃないけど……」
「お前さんがどういうわけかは知らんがこいつを欲しがってるらしいというのを耳に挟んでな。ベンティア商会の倉庫にあったとかいう話を思い出したんで、お前さんの上乗せ分報酬に出せないかと交渉してみたんじゃ。――で、どうする? 考え直してもらえんか」
「チッ――」
レイシアが小さく舌打ちをしてから考え込む。示された条件に対して、どうすべきか計っているように見える。
やがて、面を上げた。
「――いいわ、やってやろうじゃない」
「おお、そうかそうか!」
「週末までにちゃんと向こうに書類とか用意させてよ。タダ働きは困るから。――それとアンタ」
「は、はいっ!」
安心しかけたところでレイシアから呼び止められ、ワンダの背筋が一瞬で伸びる。強ばったワンダの顔に向かって刺すような視線を浴びせながら言った。
「――こないだと同じことしてみろ。そのメガネ叩き割ってやる」
眼鏡どころかそれ以外の場所も割ってきそうな声音に、ワンダは首を何度も縦に振るしか無かった。
「――というわけで、今週末イースビルまでのベンティア商会の護衛の依頼をお受けしたいと思いまして……えっと、どうかしました?」
「ええ、いや、その……こうまでトントン拍子に話が進むとは思っていなかったので……」
ワンダたちがレイシアと話を纏めた日の翌日、ステラはワンダからの話を聞いて目を丸くしていた。何せつい数日前にこれからどうするか少しずつ考えましょうと言う話をしたばかりである。
(マンジさんが訪ねてきてたってのは小耳に挟んでましたが……)
まさかここまで一気に話が進むとは思っていなかったステラは軽く驚愕している。とはいえ決して悪いことでは無い。
「とりあえずギルドとしては問題ないですよ。ギルドも業務時間外の日ですし」
「ありがとうございます」
「ちなみにメンバーはマンジさんの他には?」
「ええと、先日の討伐でも一緒になったシエルさんとレイシアさんが」
……飲んでいたお茶を思わず吹き出してしまった。その場で少し咳き込むステラにワンダが心配そうに声をかける。
「だ、大丈夫ですか……?」
「ええ、まあなんとか……え? レイシアさん? 本当に?」
「ええわたしもちょっと驚いてはいますが……あ、こちらギルドへの書類です。マンジさんがついでに出しておいてくれと」
ステラはワンダから手渡された書類に目を通す。メンバー欄に確かにレイシアの名前が記載されていた。この間の面談の様子を思い返し、ステラは首をひねる。
「いったいどんな手使ったんですか? この間の討伐の件だって結構私説得に苦労したんですよ?」
「えっと、マンジさんから上乗せの報酬分の代わりとしてマナリア鉱の現物支給を掲示されたら目の色が変わって」
「マナリア鉱?」
ステラは首をひねる。報酬として欲しがるにしては若干奇妙なものだったからだ。
マナリア鉱はかつてマナライト鉄と呼ばれる特殊な鉄を作る際に使用された鉱石だ。魔素との親和性が極めて高く、対魔効果を持つ防具や魔力を帯びさせた武器に使用されていたが、後により加工が楽かつ対魔力等も強いミスリル鉄が普及した結果、現在ではほとんど流通しなくなっている。希少品であることには間違いないが、使い道はほとんどないはずだ。
「なんでまたそんなものを?」
「わたしにもなんとも……正直今ならミスリルのほうが安く手に入るでしょうし。ただ、あれで心境が変わったのは間違いないかと」
「ふーむ……?」
事情まではよく分からないが、とりあえずマンジは上手いことやったらしい。何度も使える手ではないだろうが実際レイシアは食いついてきたし、パーティにも魅力を感じてもらえれば儲けものだ。
「何か心当たりでも?」
「いえ、私もちょっと……それより気を付けてくださいね。確かにイースビルまでの街道でしたらほぼ安全は確保されてると思いますが、それでも魔物が出ないとは言い切れませんので」
「ほぼ討伐されてると聞いてますが」
「あくまで“ほぼ”ですよ。騎士団も人員やら予算やらは限られてますので。だからこそ商会さんも護衛を付けたいんですし」
「そうですよね……」
「まあ、実際最初の仕事としてはちょうどいいんじゃないですか? たぶん夜までにはこっちに戻ってこれると思いますよ」
「だといいんですが……」
ワンダが不安そうな声と表情をこちらに向ける。先日もほぼ安全と言われた仕事であの騒ぎだ。不安がるのも無理は無いとステラは思う。
「不安なら無理をする必要はないかと思いますよ。この間も言いましたけどこれから少しずつ復帰に向けて考えていきましょうって話ですし。急ぐ必要も無いかと」
「それは……無い、です」
「……それなら私から言うことはあまり無さそうですね」
決然とした目つきに変わったワンダを見て、ステラは言を引っ込める。それなりに覚悟しているのならこちらにできることはせいぜい励ましの言葉をかけることぐらいだろう。
(とはいえ心配ですねー……)
(――何も無いといいんですけどね)
内心うっすらと感じる不安を横目に、ステラは手元の書類に「許可」の判を押した。
当日はあっという間にやってきた。
それまでの数日間、ワンダはギルドの仕事の間に諸々の準備を進め、気がつくと当日の朝を迎えていた。まだ日も出ていないような朝早く、久方ぶりに仕事用の衣装に着替えながら慌ただしく家を出る。
週末の朝はさすがに街中の人影も少ない。暦の上では初夏に入りつつあるが、まだまだ肌寒い朝の空気の中を、小走りでワンダは駆けていく。時間にして十分か二十分程度、通りを走っていると、やがて目的のベンティア商会の建物が見えてきた。
「おー、こっちじゃこっち!」
ここ数日でだいぶ聞き慣れた声が響いてきてワンダはそちらに目を向けた。商会の建物のすぐ脇に横付けされた馬車。そのすぐそばにいるマンジがこちらへ手を振っている。近くにはシエルとレイシアの姿もあった。
「すいません、ちょっとギリギリで……おはようございます」
「おはようさん。迷わんかったかの?」
「知らない場所ではないので……シエルさんもおはようございます」
マンジのすぐ脇にいたシエルが手を上げて返してくる。その後ろのほうではレイシアが馬車に寄りかかるようにしてまんじりともせず立っていた。
「えっと……お、おはようございます」
「……ん」
チラとワンダのほうを見て、レイシアは気のない返事を返してきた。それほど機嫌は悪くはなさそうだが、相変わらずつっけんどんな態度ではある。早くも不安感が増してきたワンダの心情を察したのか、マンジが話しかけてくる。
「よし、これで全員集合じゃな! とっとと行って帰ってこようじゃないか、のう?」
「そう言えば商会の方はどちらに? 一緒に行かれるんですよね?」
「今ちょっと裏のほうにおる。それでなんじゃが実は……」
「――ワンダ?」
聞き慣れた声が横から響き、ワンダはそちらに目を向ける。真っ先に目に付いたのは、オレンジ色の髪の毛の間から除く獣耳だ。
「護衛の人ってワンダなの? すっごい! 百人力じゃん!」
ベンティア商会の制服に身を包んだミャオが、すぐそこに立っていた。
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