行きはよいよい、帰りは――(1)
「……よいしょっと」
倉庫の床の上にワンダはポーションの入った木箱を下ろした。日も当たらずかび臭い床の上に、細かいほこりが舞う。これが最後の一つだ。
サン=グレイルから馬車で半日近く、
ワンダたちが中に入ったときには空だった倉庫は、いまや食料やポーション等の生活必需品や、日用雑貨で一杯になっている。街道の封鎖が結構な期間になっており、あと少しで店が開けなくなるところだったので助かった――と店の店主はいたく感謝していた。
「おつかれさまー。ワンダーご飯にしよー?」
「あ、ミャオ。分かった」
ミャオの声に返事をして、ワンダは倉庫の出入り口へと足を向ける。
倉庫の外に出るとすでに太陽は天井高くへと登り、木々や芝生を一段と青く照らし出していた。暖められた地面からは熱が漂っていて、作業終わりの身体には少し熱く感じる。
「悪いねー。仕事とはいえ重いものたくさん運ばせちゃってさ。まさかワンダがいるなんて知らなかったから」
「普段からそれなりに似たようなことしてるから大丈夫。ミャオは? 朝からずっと馬車の運転してるし」
「そこはまああたしも似たようなもんだし。……実際これからまた何時間も手綱握るのは確かにしんどいけどさ」
休日出勤にしちゃあ重いなあ。と小さく付け加える。本来今日の仕事はミャオがやるはずではなかったのだが、派遣されるはずの従業員(マンジに今回の依頼を持ってきた者だ)が体調を崩してしまい、ミャオにお鉢が回ってきたとのことだった。頭から飛び出ている獣耳も、心なしか元気が無い。
「おー、おつかれさん」
商店の脇に停められた馬車のところまで行くと、マンジとシエルが並んで座っていた。近くには木のお椀とコメを丸めて作ったむすび飯。お椀の中では東国の味噌を溶かしたスープがかぐわしい匂いを立てながら揺れていた。
サン=グレイルのあるアリオス領は、
「ここの店員が用意してくれての。お前さんらの分もあるぞ。ほれ」
「わー、ありがたいです。いただきます」
ワンダはマンジから手渡された器の中身をすすった。先日のゴブリン討伐のときに食べたものとはまた違った味わいのスープが、疲れた身体に染み渡る。
「やー、うまいのうこいつは。たぶん動物の肉じゃなくて
「あれ、マンジさん本当に
「まあな。身内もおらんし、おかげでこっちじゃ色々苦労し通しじゃ」
皆で車座になりながら、食事を口に運ぶ。マンジとミャオは初対面のはずなのだが、すでにだいぶ打ち解けている。マンジも人当たりはいい方だとは思うが、ミャオの懐に潜り込んでいく能力も相変わらずたいしたものだとワンダは改めて歓心する。
のどかな陽気の中、弛緩した時間が流れる。しかし一方でワンダはその中にぽっかりと空いた空白を嫌が応にも意識してしまう。
「……あの、レイシアさんは」
「……自分の分だけもらってどっか行ってしもうたわ」
いつぞやと全く同じような顔と声でマンジが応える。またしてもというか案の定というかこちらとなれ合う気は全くないらしい。
「せめて飯ぐらいは一緒になあ……」
「まー、こればっかりは個人の自由だし……とはいえありゃすごいね。移動中もほとんどしゃべって無かったし」
事実道中、マンジやミャオが話しかけても生返事を返すだけだった。この二人の力を持ってしても切り込めないというのはなかなかに難易度が高い。
「あたしが聞くのもどうかと思うけど、あの子本当に大丈夫? なんかマンジさん曰くこれからも組むかもしれないって言ってたけど」
「……どうなんじゃろうな……」
「……どうなんだろうね……」
「二人して質問に質問で返されても困るんだよなあ……」
ミャオは小さくため息をついた。それから手元のお椀を見つめながら訥々と続ける。
「あたしとしてはさあ、ワンダが
ミャオの口調は相変わらず軽いが、こちらを慮っているのは伝わってくる。
「行きの道中もずっとちゃんと周囲に目配って護衛の仕事はしてたしさ、悪い人じゃないってのは分かるよ? けど全体的に人当たりそんなに良く無さそうだし、あたしはそれが不安だなーって。……ワンダともそんなに相性良く無さそうだし」
実際、ミャオの心配は間違っていない。ワンダ自身が一番心配に感じてはいる。……そもレイシアがワンダたちのパーティに本当に入ってくれるかどうかも分からないのだが。
……とはいえ。
「あのね、ミャオ」
「ん?」
「わたしね、本気だから」
きょとんとした顔をこちらに向ける友人にワンダは続ける。ミャオがこちらを慮ってくれるのはとても嬉しい。だから言っておきたい。
「正直不安ではあるけど、せっかく来たかもしれないチャンスだし賭けてみたいの。どうなるか全然分かんないしまた傷つくかもしれなくても、それでも」
「……ふーん」
ミャオの顔がひどく面白そうな笑顔に変わる。
「……言うようになったじゃないのー。いいよーそういうの。ワンダはそれぐらいじゃないとねえ」
「なにそれ」
「……あのー、すいません。お話のところよろしいですか?」
声が響いたほうへと、ワンダたちは一斉に顔を向ける。イースビルの商店の店主が、そこに立っていた。
「どうかしました?」
「いや、そのですね。ちょっと気になる話を耳にしまして一応お伝えしとこうと」
「気になる話? 何じゃ?」
「昨日、サン=グレイルからこちらに来た旅人が道中でワーグを見かけたらしいんです」
ワーグ――「魔狼」とも称される獣型の魔物だ。その名の通り、狼にある程度似てこそいるものの遙かに大きく強靱。加えて数匹の群れで行動し、連携した素早い動きで獲物を確実に追い詰めてくる。
「襲われたとかではないんですか?」
「ええ、だいぶ遠くで群れで動いていたのを見かけたとのことで、幸い気づかずに行ってしまったらしいです。ただの狼の群れの可能性もありますが――」
「本当にワーグなら面倒じゃの……」
ワーグがその気になれば、馬を全速力で走らせたとしても余裕で追いつくことも可能である。足を止めて応戦するにもその力と敏捷さは決して油断できない。
「場所はどの辺だと?」
「そこまでは何とも……ただグレイルを出てから小一時間ほど行ったところでとの話でした」
「……夜になる前にどうにかサン=グレイルまで着くようにしないとマズいかもな」
「だね」
ミャオとマンジが顔を見合わせながら話す。可能性は十分にあったとはいえ――なにせそのための護衛だ――いざ本格的に魔物が出たとなると一同の中にも緊張が走る。
「もうちょい休んでから出発しようと思ってたけど、なるべく早めに出たほうがいいね」
「そうじゃな。夜になる前だったらどうにかなるじゃろ。あの女にも伝えとかんと」
「あ、じゃあわたし探してきます」
「えっと……ええんか?」
「……別にただ連絡するですし」
たぶん、と言いかけた言葉をどうにか寸前で飲み込む。マンジも浮かべかけた心配そうな表情を引っ込めて「んじゃ頼む」と言った。ワンダはお椀の中の残りをあおり、立ち上がる。
午後の日差しが降り注ぐ。少しだけ――いや大いに不安を感じつつもワンダは歩き出した。
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