夜の入り口(3)
マンジがバーでヴォルフと相対しているのとほぼ同じ頃、ワンダは街灯がつき始めた街中をとぼとぼと歩いていた。
今日の仕事が終わり、ギルド本部を出てから小一時間。普段ならもう家に着いていてもおかしくない時間帯だったが、その日のワンダはまだ街中をうろついていた。仕事を終えた
頭の中で今日一日あったことが、言葉が、渦を巻き、駆け巡る。
(……言っちゃったなあ)
昼間ステラに問いに向かって返した言葉はウソではない。自然に会話の中で言葉が滑り落ちていた。このままで終わりたくない。変わりたい。それは本心だ。
しかしそれを言葉に出したからと言って、そこからどうすればいいのかはまるで見当もつかない――ステラはまずは意思確認をしたいとのことだったが、たとえそれをしたところでどうだというのか、というのがワンダの嘘偽らざる本音だ。
(――って、あれ――?)
ワンダがふと立ち止まって周りを見ると、見覚えのある場所の近くまで来ていることに気づく。先ほどまで歩いていた通りから少し離れた場所――ここ最近通るのを避けていた朝焼け亭のすぐ近くの場所だった。
(――無意識に来ちゃってたか)
ここ一週間近く避けて通っていた朝焼け亭に面している通りのほうが、ワンダの家には近い。考え事をしていたせいだろう。気づかないうちに習慣に従ってしまっていたようだ。戻るか――そう思って一瞬別の道に向きかけた足が止まる。
――オーツさん、大丈夫かな。
この一週間ちょっと、ずっと気がかりだったが確かめる勇気が出なかったこと。それが今この瞬間、どうしても確かめたいことになってしまっている。
(……ちょっと外から、様子を見てすぐ戻れば……)
そうしてワンダは朝焼け亭の方へと足を向けた。
ほぼ一週間ぶりに訪れた朝焼け亭からは、淡いオレンジ色の明かりが漏れ出していた。
店の近くまで来たワンダは、それを見て安堵する。いつも通りならそろそろ閉店準備をする時間。そんな時間帯にワンダは仕事帰りに寄って、食料を調達していくのが主だった――この時間に明かりがついていると言うことは営業はしていると思われる。
とはいえここからはそれほど中はうかがえない。もう少し近くまで寄ってみようか――と思った矢先、中から誰か出てきて咄嗟にワンダは建物の陰に身を隠した。
そろそろと頭を出すと、店の前で看板を片付けているライザがいた。たかだか一週間と少ししか顔を合わせていないというのに泣きそうになる。しかしオーツの姿は見えない。いつも通り店の奥にいるのかもしれないが、ここから中は覗えない。どうしたものか――そう思いながらのぞき込んでいると、ライザと目が合った。
一瞬互いに動けなくなる。が、しばらくするとライザのほうからこちらに向かって歩いてきた。その表情が今まで見たこともないくらい厳しいものだったので、ワンダは思わず立ちすくんでしまう。
(お、怒ってる――!?)
状況の判断ができないうちにライザはワンダのすぐ至近距離までやってきて、仁王立ちでその前に立った。ワンダが力なく「あ、あの……」という声を出して後ずさりをする中、さらに距離を詰められ――
――気がつくと抱きしめられていた。
「良かったあ~! ここ数日姿見せなかったからどうしたものかと思ってたのよ。怪我とかは!? 大丈夫!?」
「あ、ええと、わたしは全然……オーツさんは、その……」
「ああ、あの人? 平気よ! 確かに数日動けなかったけど今はもうピンピンしてるから! それより――」
ライザは両腕からワンダを解放すると、今度はその両肩をガッシリと掴んだ。その勢いが強すぎてワンダの身体はぐらつく。
「ご飯は!? 大丈夫なの!?」
「ええと、他の場所で買ってて……すいません……」
「良かった、ちゃんと食べてるのね! ちょうどいいわ、ほら来て来て!」
ワンダが次の言葉を出す前にライザはその手を掴んで店まで連行していった。店の中ではオーツが閉店の作業をしているところだった。思った以上に元気そうなその様子にワンダは胸をなで下ろす。
「そこでちょっと待ってて! あんたー! ワンダちゃんのことよろしくねー!?」
そう言ってライザは慌ただしく店の奥の方へと向かっていった。あとに混乱しきりのワンダと、頭をポリポリとかいているオーツだけが残される。なんだかよくは分からないが、怒ってるとかそういう感じではないらしいと、ワンダはどうにか整理する。
「……久しぶりだな」
不意にオーツの低い声が響き、ワンダは顔をそちらに向ける。よく見るとその顔にはまだ新しい生傷が走っていて、思わず目をそらしてしまう。
「……その、お身体の方は……」
「普通に働く分には問題ない。あんたは」
「わ、わたしは、全然」
「そうか」
そう言ってオーツは再び作業に戻る。閉店間際の店の中を流れる静かな時間。今日はその沈黙がどうしても耐えがたい。しかしワンダが口を開けずにいると――
「――何か言いたいことがあるのか」
「え……」
「ずっと俺の方を見ているから。なにかあるのか」
オーツは作業を続けながら、いつも通りの口調で話しかけてくる。その様子にワンダは意を決して切り込んだ。
「……怒ってませんか?」
「何を」
「その、確かに助けようとしたけど――殺しかけたから」
「……俺は見てないからなんとも言えない。凄かったらしいな」
オーツは作業を続けながら話を続けていたが、一区切りついたのかワンダの方に向き直った。彼の表情を見て今の自分は酷い顔をしているのだろうなとワンダは想像する。
「責めてほしいのか」
「……そうかもしれないです」
「なら無理だ。俺は生きてて、あんたが助けてくれた。それはひっくり返せない」
ワンダは言葉を失って立ちすくむ。オーツは続けた。
「戻るのか、
「……まだ、分からないです」
「ライザからもしょっちゅう言われるんだが、俺は口下手でな。こういうときどういう風に言ったらいいか、よく分からない」
そう言ってオーツは頭をボリボリとかく。多分次の言葉を考えているのだとワンダは気づく。
「――でも、あんたは多分スゴいやつなんだと思う。まだいくらでも出来ることがあるだろう。俺を助けたみたいに」
「変に頑張れとは言いたくないが」と小さな声でオーツは付け加える。これだけ話すオーツを見たことが無いという驚きにワンダが襲われている中、裏からライザが騒々しく戻ってきた。
「おまたせー! ごめんねえ待たせちゃって! はいこれ! どうぞ!」
そう言ってワンダに大きな紙袋を手渡してきた。一瞬肩が抜けるかと思うほどずっしりと重たい。中を見てみると袋一杯にパンが詰められていた。いつもワンダが買っているものはもちろん、普段価格帯的にあまり買わないようなものまで入っている。
「えっと、これ……」
「こないだのお礼! と言ってもほぼ売れ残りのもの詰め合わせただけなんだけど……たぶん二、三日は持つぐらいの分はあるから!」
「お、お代……」
「そういうのいーの、いーの! というか命の恩人に対してこんなんじゃ足りないぐらいなんだから! そうでしょあんた!」
オーツが首を何度も縦に振った。ワンダがどう答えたらいいか考えあぐねていると、穏やかなライザの声が響く。
「……だからさ、受け取ってよ。ね。なんか色々あったみたいだけど、あたしたちは少なくとも感謝してるし、それだけは覚えていてほしいからさ」
「……はい」
腕の中の袋が、ひどく重たく感じられる。それはほのかに暖かくて、まるで生き物を抱きかかえているようにワンダは感じた。
「またおいで」
店から出ようとするワンダにライザは言った。ワンダはそれに深く一礼をして返すと、ぎこちなく回れ右をして夜の街へと飛び出す。最初のうちはいつも通りとぼとぼと歩いていたが、店から離れるにつれ、少しずつ早足になっていく。
――そしていつしか、走り出していた。
胸の中で嵐が吹き荒れる。ありとあらゆるものをなぎ倒しながら強くなっていく。
全力疾走に呼吸は早々に荒くなり、足はもつれる。それでも身体は止まってくれなかった。
酸欠でぼんやりとしていく頭の奥底で、言葉が強い輪郭を帯びていく。
このままでいたくない。変わりたい。
――あんな風に言ってくれる人たちの前で、堂々としていられる自分になりたい。
両手に抱える袋が重たくなっていく。それでもそれを置いていくことなどできない。
――何度ももつれて転びそうになりながら、ワンダは自宅への道を全速力で駆け抜けていった。
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