嵐のあと(2)
――体が重い。
薄ぼんやりと覚醒した意識の中でワンダが真っ先に感じたのはそれだった。
少しずつ鮮明になっていく頭で、以前にも似たようなことがあったと思い出す。
小さいとき、祖父から魔術を習いだしたころ。初めてできた術が使えるのがうれしくて何度も使っていたら突然視界が暗転したとき。あのときは夜まで意識を失っていたワンダに祖父がつきっきりでついていてくれた。
レクスたちと一緒に
そうだ、確か――オーツさんたちが襲われてそれで――
「――ゴブリンはっ!?」
一瞬で脳の回路が繋がり、ワンダは跳ね起きる。だが次の瞬間何かとぶつかりそのまま勢いよく倒れた。
「いっ、た――!?」
鈍く痛む額に手を当てる。そのまま前方に目をやると同じく額を押さえているシエルがいた。
「……痛い……」
「ご、ごめんなさい!? 大丈夫ですか!?」
シエルが縦に首を振る。そして
『のぞキkonで居た俺ガwaルい。木に品いで』
……出力されている文字が変だ。だいぶ痛かったらしい。ぐねぐねと曲がった文字を見ながらワンダは申し訳ない気分になる。
落ち着いてきたワンダは少しだけ周囲を見回す。頭上に見えるのは馬車の幌の天井。おそらくは来たときに乗ってきた馬車の中にワンダは寝かされていた。夕方が近いのか中は薄暗く、どこかからオレンジ色の光が差している。
『ぶじで、よかった』
赤く腫れ上がった額のこぶをさすりながら、シエルは改めて文字を出力した。相変わらずスカーフ越しで表情は読み取りづらいが、目元はだいぶ優しげだ。
『ずっと 倒れてた。 だいぶ 苦しそうだったから 心配した』
「ご心配かけてすいません……皆さんは、その、無事でしょうか?」
『怪我してるけど たいしたことない 全員 生きてる』
「良かった……」
「――なあにが『良かった』よ」
険のある声が視界の外から響く。それを聞くまでワンダは馬車の隅っこにレイシアがいることに気づかなかった。
「い、いらっしゃったんですか」
「ええ、ずっと」
そう言ってワンダに近づくと突然胸ぐらをつかんで引き起こした。弛緩していた馬車の中の空気が一気に緊張を帯びる。
「……ちょっ……」
「黙ってろ、スカーフ。 こっちは殺されかけてる」
制止しようとシエルが手を伸ばしかけたのを、レイシアが突っぱねる。心臓の拍動が急激に早くなるのをワンダは感じた。
「……ええ、全員無事よ、確かに。でもあとちょっとで大惨事だった。分かってんの?」
「それは……」
ワンダの言葉は澱む。レイシアの言うとおりだからだ。
――全て咄嗟の判断だった。オーツを救うために飛び込み、気がついたときには敵陣のど真ん中。敵の数は多く、多少調子は戻ってきてはいても魔術の精度には不安が残る――動揺する頭の中でどうにか選んだ戦術が、「周囲の人間を待避させた上で精度を無視して広範囲に魔術をばらまく」ことだった。
けれどそれも、周りの人間が上手く対応できなければ瓦解する。
実際ワンダの動きにレイシアたちが反応したおかげでどうにかなったようなものだ。一つ間違えば全員巻き込まれていたのは間違いなかった。
――倒れたレクスたちの姿が、不意にフラッシュバックする。
「……ごめん、なさい」
「ごめんなさいってあんた――!」
レイシアがさらに食って掛かりそうになった瞬間、横からレイシアの腕に手が伸びる。シエルだ。
「……どけなさいよ、その手」
シエルは首を横に振り、それ以上の動きを制した。怯えも見えるが、毅然とした目に射すくめられたのか、レイシアは手の力を緩める。
「――ちっ、まあいいわ。あんたの手柄よ。結果オーライってだけだけど」
そう言ってレイシアは馬車から出て行こうとする。その背中に向かってワンダは呼びかけた。
「あ、あの――ありがとうございます! レイシアさんがいなかったらわたしまた、ちゃんと、できなかったと思うから――だから――」
レイシアは無言でそのまま去った。ワンダはその背中を見送って再び仰向けに寝転がる。疲労が一気に襲いかかってきていた。今はただどうしようもなく帰りたい。
『気にしなくていい』
不意に隣を見るとシエルが
『俺が 言えたことじゃない かも だけど その場に いなかったし』
『けど 君がしたことは 誇るべき やり方は ムチャクチャかも でも できたこと は 誇っていい』
『だから 次は うまく やれる はず もっと』
「次……」
現れる文字を見ながら、ワンダは考え込む。次。次回。また今度――そんなものがあるのだろうかと。今の自分はただ、こうしているだけで青色吐息だというのに。
(でも――)
確かに落ち込んでいる。半年前と同じく今この瞬間も。けれど――あのときのような、すべての終わりのような感覚は、今この瞬間には無い。
次。次回。また今度。
そういうものがあるのなら欲しいと、今のワンダには思えた。
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