嵐のあと(1)

 血のような夕日が、森の中を赤く染め上げている。


 ウッドラ村落から少し離れた森の中の開けた場所。つい数時間前には探宮者エクスプローラーたちとゴブリンたちが死闘を繰り広げたそこには今は人っ子一人いない。


 ――代わりにあるのは、夥しい破壊のあと。


 周囲の木々には幹に大きな穴や傷が付き、中には人の腕程もある枝が引きちぎれているようなのもある。地面には土系統の魔法を使った後特有の不自然な凸凹。なにより周囲一体が黒く焼け焦げている。無論、最後にワンダの雷の魔術が直撃したときのものだ。


 そんな場所にブラブラと入っていく影があった。東国イーストの僧衣にサムライの鎧を身に着けた長身の男。マンジだ。


 もともとそれほど綺麗な身なりとは言い難かったが、その僧衣はいつもにも増してあちこち汚れ、泥やら黒ずみが目立っている。辺りを周回する足取りには少しばかりの疲労も見られるが、ふらつきなどはない。


 やがて、近くにあった小岩に腰掛け、小さく息を付く。辺りを見渡せば手ひどく破壊された木々や地面が目に入ってくる。


「……まるで嵐の後じゃな」


 マンジの故郷――東国イーストの小さな寒村には短い夏のあと、秋にかけて嵐がやってきては木々をなぎ倒し、川を氾濫させた。後に残るのは、湿っぽい空気と荒れた景色。マンジの中に残る故郷の数少ない記憶。


 それに近しい光景が、今マンジの目の前に広がっている。それもたった一人の少女によってもたらされたものが。


「――お疲れ様です」


 不意に涼やかな声が響き、マンジは振り返る。ステラがそこに立っていた。


「おう、お疲れさん……大変じゃったろ、今日は」

「さすがにちょっと疲れました」


 そう言ってすこしだけ伸びをする。昼間の一騒動以降この時間まであちこち走り回っていたはずだが、疲労の色はほとんどない。そのいつもと変わらない様子に、マンジは改めて只者ではないと言う認識を強くする。


「改めて、ありがとうございました。おかげでオーツさんもナンギさんも大事には至らなそうです」

「わしゃあ、何もしとらん」


 頭を下げるステラにマンジは謙遜して返す。事実何もしていない――いや何もできなかったと言ったほうがいいかもしれない。


 レイシアに退くと言われた直後、先頭でワンダに飛びかかったゴブリンが轟音と共に吹き飛んだ瞬間。直感で命の危機を感じたマンジはどうにかオーツを背負ってその場から離脱した。その間にも石の瓦礫やら氷の欠片やらが飛んできているのは分かったため、とにかく無我夢中だった。そうしてレイシアと共にオーツとナンギ――吹っ飛ばされたもう一人の討伐班のメンバーだ――を連れて安全圏まで避難した瞬間――ワンダによる雷の魔術が炸裂した。


 その後、応援を連れてきたシエルと一緒に現場に戻ったマンジたちを出迎えたのは、そこにあったのは雷の魔術の余波で黒焦げになった木々やゴブリンの死骸。そしてその真ん中で倒れているワンダだった。近づくと息はあり、魔術の過剰行使で倒れたようだった。


 その後動ける者全員で後片付けを行った。ゴブリンの死骸は最後の落雷の影響か損傷が激しく、素材に関してはかなりの量を断念せざるを得なかった。ホブゴブリンに至っては、どうやら死骸と思しき炭化した塊があるだけだった。


 そうこうしているうちに夕方になって撤収作業もほぼ終了し、あとは帰還するだけという状態になっている。長い一日だったがどうにか平穏無事に終わりつつある――ひとまずは。


「……やっつけたのは全部あの嬢ちゃんじゃ。全部な。……さあて」


 マンジは立ち上がってステラに向き直る。声色がほんの少しだけ変わったのを感じ取ったのかステラが身構えた。


「――あの嬢ちゃんはなんじゃ?」

「……まあ、そこ聞いちゃいますよね」

「当たり前じゃろ。あんだけヤバいのとは聞いとらん」


 レイシアは分かりやすく厄介だし、ワンダも正反対の方向に分かりやすくはあった。だからこそ組ませるに当たってマンジが緩衝材になることを期待したのだろう――実際はワンダのほうが見た目より大きな「爆弾」だったわけだが。


「――ゴブリンを二〇匹近く。ついでにホブゴブリンを一人で片付けた。少なくとも迷宮の外でリタイア組と仕事してるようなやつじゃない。ありゃ下手したら“中層超え”――そうでなきゃ“深層組”にいてもおかしくないやつじゃ」


 ――グレイルに潜る大半の探宮者は最大でも中層ぐらいまででそのキャリアを終える。そこまででも十分に生活ができるだけの収入は得られるし、その先にあるものを得るためには否応なしに諸々を天秤にかけることになる。だが、一部には中層を超え、更にはグレイルの最深部を目指す者たちもいる。いわゆる“中層超え”あるいは“深層組”だ。


「あんなのがこんなところでうろちょろ――いやそれどころか半リタイア状態でギルドの職員やってるのが異常じゃ。――ちゃんと答えろステラ。あの子は何なんじゃ?」


 マンジの詰問に珍しくステラが困った表情を浮かべる。それからややあってから切り出した。


「……ヴォルフさんが連れてきた子の一人って言えば分かりますか?」

「ヴォルフ? ……まさか“千里眼”のヴォルフか?」

「はい、そのヴォルフさんです」


 その名はマンジにも聞き覚えがあった――いやこの街でその名前を知らないやつがいるなら超の付くド新人かモグリのどちらかしかいない。


 ――三十年前、王国北のフェグダル領にあるフロスト=グレイル。そこで現在まで語り継がれる大事件が発生した。


 魔素マナが生物の負の感情に反応し、発生する瘴気。そしてそれによって生み出される魔物と迷宮。グレイルは間違いなくその解決策の一つではあったが、一部にはそれに別の懸念を唱える声もあった。


 魔物は人、あるいは魔物間の捕食で魔素マナを取り込み凝縮させ、成長する。もし仮にそれを一箇所に集めるようなことをすれば、さらなる脅威を生み出すことになるのでは?――と。


 フロスト=グレイルでその懸念は現実となった。グレイルの最下層から異常な進化を遂げた魔物――【特異体】シンギュラスマウグが出現したのである。


 地下深くから一気に地上へと駆け上ったスマウグはその圧倒的な力で周辺地域一帯を文字通り占拠。そこからドワーフの居住地であった北壁ノースウォールの山の洞穴にねぐらを構えた。付近は王国騎士団によって封鎖されたが、ある探宮者エクスプローラーの一団がとある騎士の手引きを受け、封鎖地域へと侵入した。


 目当てはドワーフたちが溜め込んでいた貴金属等のお宝をくすねることだったという。しかし結果的にはスマウグと相対することになり、あろうことか退治してしまった。一夜にして彼らは英雄となり、くすねるはずだったはずのお宝をドワーフたちから正式に贈られ、文字通り生きる伝説となった。


 その一人が“千里眼”のヴォルフだ。銃使いにして彼しか使えない【個有術】ユニーク【千理眼】サウザンド・サイトの持ち主。彼はその後も探宮者エクスプローラーを続け、複数のパーティやクランを渡り歩いて名声を確固たるものにした後、五年程前に突然姿を消したのだが――


「――二年ほどまえに突然戻ってきたかと思うと、復帰してパーティを組んだって話は聞いた。それもどこからか見つけてきた、親子ほども離れた若いモンと一緒にな」


 と言っても当時はそれほど話題にはならなかった。姿を消す数年前からヴォルフには探宮者エクスプローラーとして目立った功績がなく、姿を消したのもこの稼業に見切りを付けたのだろうと誰もが噂し合っていたからだ。実際作られたパーティは話題になるような功績を作ることもなく、そのうち突然一人抜けてパーティを維持できなくなったという。


「――で、半年ほど前にヴォルフの知り合いのクランに残りのメンバーともども身を寄せたって話を聞いたが――つまりワンダがその抜けた一人か」


 ステラの首肯に、改めてマンジは周囲を見渡す。人の業とは思えない力で破壊された景色。伝説の男の眼鏡にも叶うだけのものが、確かな実感を持って目の前に広がっていた。


 ――しかし同時に疑問も生じる。


「しかしなんで抜けた? あの動きなら十分通用するじゃろうに」

「……魔法が暴発して味方にケガをさせてしまったんですよ」

「……そりゃまた」


 自分の服についた泥や傷をチラと見ながらマンジは答える。異常とも言える集中力と魔力の出力量。そして無詠唱による同時展開――間違いなく味方につけば強力だが、同時にこちらも傷つきかねない諸刃の剣。


 加えて――あの性格だ。優しく一生懸命。だが思い込みも強く、不安定。ひとたび調子を崩してしまえば、ズルズルとそのまま崩れてしまいかねない。昼間の様子を思い出し、マンジは何もかも納得せざるを得なかった。おそらくだがあの感じを見るに、ワンダは一度派手に「壊れて」いる。


 そしてその結果、仲間に危害を加えたとなれば――


「……確かにあの通り強くはあります。それでも――」

「心が折れてたらどうしようもない、か」


 ヴォルフの所を抜けるに当たってどういうやりとりがあったかまでは分からないが、少なくともいろいろとキツい目に遭ったことは容易に想像できてしまう。半リタイアまで行くには十分だろう。


「……とりあえず色々スッキリはした。しかし、色々お膳立てしたりしてずいぶん思い入れとるようじゃの? ……まあ、今に始まったことじゃないが」


 そう言ってマンジはステラの顔を見る。いつも涼やかな笑みを貼り付け、その奥底は伺いしることができない。けれど、時折――その奥にある何かがはみ出るように感じられるときがマンジにはあった。


「・・・・・・それはまあ」


 ステラが自分の右肩に手を乗せる。揺らぐことないような涼やかな笑みが、ほんの少しだけ緩む。


「……他人事って思えないからですかね。やっぱり」

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