嵐が来る(3)

 ――一瞬何が起きたのかレイシアは分からなかった。


 マークしていたホブゴブリンが他の班の連中のもとへと向かい、一瞬で前衛二人を吹き飛ばした。


 フォローに向かおうとするも、他のゴブリンがここぞとばかりにレイシアを取り囲みにかかられ、動けなくなった。


 そうこうしているうちに、ホブゴブリンが一人の止めを刺そうとし――


 ――次の瞬間には倒れていた。


 一瞬、見えたのは淡い緑色の光を纏った影。至近距離を吹き抜けていったのは、葉っぱどころか木ごと吹き飛ばしてしまいかねないほどの突風。


 ――次の瞬間、ちょうどゴブリンたちの群れの真ん中に現れたのは、深緑色のマントにブカブカの三角帽子。今朝からさんざん見ているはずなのに、それがワンダだと気づくのにレイシアは時間がかかった。つい数時間前には頭をカチ割られそうになって半泣きになっていた女の面影は欠片すらない――見違えたという言葉では生ぬるい、決定的な雰囲気の変化。


 ――背筋が一気に冷たくなっていくのをレイシアは感じる。


 同時に、小さな疑問が芽生えた。あれがワンダだとするなら、一瞬で遥か後方からあそこまでどうやって移動したのかと。だがレイシアはその答えをすでに知っている。


 ――飛んできたのだ。高出力の風の魔術で。


「――なんじゃ、ありゃあ」


 気の抜けるような声が聞こえ、レイシアは後ろを振り返る。マンジだ。


「ようやっと追いついたと思ったら、急にあそこまで飛んで行って――ワンダで、ええんじゃよな、あれ」


 どこか呆気に取られたような声を出すマンジ。けれどその様子はどこか呑気でもある。恐らく雰囲気が変わったことは分かっても、その異様さにはまだ気づいていない。


 ――と、レイシアは思う。


 すると、ややあってからワンダが大きく息を吸って叫んだ。




「――逃げてくださああああああああい!!」




「――は?」


 マンジが気が抜けたような声で聞き返す。ゴブリンたちも何が起きているか分からなくて呆然としているようだった。


「えっと、あの、こいつらわたしが全部引き付けますんで! だからそのオーツさんと、もうひとりの盾持った人! 名前ちょっと分かんなくて! とにかく連れて逃げて!?」

「いやいやいや何言っとるんじゃお前!? この数相手に一人でしんがりとか――」

「退くわよ」

「はあ!?」


 ますますわけが分からないと言った感じの声でマンジが聞き返すが、レイシアは意に介さず続ける。恐らくだが、もうそんなに時間はない。


「今なら、ゴブリン共があいつに集中してる。あたしはそこの盾持ちを引きずってくから、あんたはあの木のそばで伸びてる大男をお願い」

「ちょ、ちょっと待て!? ワンダの方に加勢せんでええんか!? あのままじゃと間違いなくタコ殴りにされるぞ!?」

「人命救助のほうが先でしょ。加勢したきゃその後で勝手にしなさい。最も行ったところで――」


 ――


「――巻き込まれるわよ」


 奇しくもレイシアがそう言った瞬間――


 ――鏖殺が、始まった。






 ――先手を打ってきたのはゴブリンたちの方だった。


 どういうわけだか「王」をなぎ倒し、突然自分たちの目の前に現れたニンゲン。その理解を超えた光景に最初こそ混乱し、動けなかった。ホブゴブリンは倒れたときに頭部を強く打ち付けてしまったのか動けない。軍団の中に動揺が染み込んでいく。


 けれどすぐに思い直す――敵は一人、こちらは大群。勝てない道理などあるはずがない。


 タイミングこそバラバラながら叫声を上げ、突撃する。戦略も何もない、数に任せた突撃。それでも間違いなくものの数秒もしないうちにヒト一人ならあっという間に蹂躙し、すりつぶすことができる。


 やがて比較的ワンダに近かったものたちが、飛び上がりナタを振り下ろそうとする。仕留められればそれで良し。たとえかわされたり防がれたりしても後続がやってくる。どのみち逃げ場など有りはしない――


 ――そのはずだった。


 瞬間、ゴブリンたちの視界いっぱいに広がったのは燃え立つような赤色。そして耳をつんざくような爆音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には派手に後方へと吹き飛ばされていた。黒焦げになったゴブリンが、後方にいたゴブリンの足元にドサリと落ちる。


【爆炎】――火炎系の術で小さな爆発を起こす術。術者にもよるが単体でも十分な火力を持つこの術に、疾風系の術を使って空気を一気に送り込む。こうすると燃えるための空気を取り込み、炎は通常よりも遥かに広範囲に一気に燃え上がる。


【爆炎】は高い破壊力を持つが当然制御には高い魔力を必要とする。一方ワンダは一つ一つの範囲は狭く設定しつつも、疾風系の術を併用することで、魔力をある程度節約しつつ、より高い効果を得ることに成功していた。


 更には無詠唱。普通ならばどれほど短縮したとしても「呪文」を唱える予備動作が必要となる。特に強力な術ならなおさらだ。しかしワンダに関してはこの限りではない。流石に強力な術では多少時間はかかるものの、術の展開自体は比較的短く済む。


 ――これがワンダの本懐。基本四元素への適正と、無詠唱での複数の術の同時展開。そしてその合せ技。特に得意な疾風系を中心とした、術の併用による戦術。


 吹き飛ばされたゴブリンの後続にいた者たちが一瞬怯みつつも突撃を続ける。例え二、三匹吹っ飛ばされたとしても十分に対処できる数。けれどすでにワンダの次の術は展開されている。


 地面からワンダを覆うように隆起したのは、大きな岩の壁。土の防御系の術である【土壁】の術。だがその側面には鋭い突起が槍衾のように展開され、突き進むゴブリンたちを待ち構える。すでに止まるに止まれない距離にまで達していたゴブリンたちはブレーキも虚しく、次々と串刺しにされる。


 胸部の魔石や頭部を一瞬で破壊されたものはまだ幸福だった。何人かは身体を刺し抜かれ、ろくに動くこともできぬまま痛みと苦痛でうめき声を上げる。だが、ワンダには聞こえない――何も、聞こえてはいない。


 次の手が打たれる。石の壁が砕け散り、扇状に広がって辺り一面に飛散する。【土壁】から比較的繋げやすい【石礫】の術。ただでさえ鋭利な石片が辺り一面に飛び散り、また何匹かが絶命する。さらに疾風系の術が同時展開され、砕かれた岩が細かい砂となって辺り一面を覆う。


 ――攻撃が一瞬止む。ここまでですでに半数近くがやられ、手負いのものも複数いる。ゴブリンたちは息を飲みながら、次の手を伺う。まるで嵐が何事もなく過ぎ去ってくれるのを待つように。


 しかし嵐は止められない。周囲のもの全てをなぎ倒しながら、突き進む。


 一面に広がる砂埃。その奥の方で青い光が一瞬だけ光る。そして次の瞬間、鋭く尖った氷の針が、幾つも突進してくる。


 空中に展開した氷の針を敵にぶつける【氷柱針】の術。それを幾重にも展開し周囲の砂埃の「壁」の中へと数を打ち込んでいく。この視界の悪さではワンダも狙いなど定めることはできないが、その必要性はない。


 ――時間が立ち、砂埃が収まる。徐々に視界が晴れていくと、そこに広がっていたのは見るも無残な光景だった。


 四肢を潰されたもの。腹に大きな穴が空いたもの。頭部がひしゃげたもの。黒焦げになったもの。ありとあらゆる破壊の限りを尽くされたゴブリンの死骸があちこちに転がっていた。中にはまだかろうじて生きているものもいるが、もはや虫の息。長くは持たない。


「GYAあああアアアッ!?」


 いや、まだ一匹いた。この状況でかろうじて生き残ることに成功したものが。全身傷だらけながらもどうにか動くことができたそれは、最後の力を振り絞ってワンダに向かって石ナタを振り下ろす。


 だが、それが当たることはなかった。


 瞬間、ワンダは高く飛び上がり石ナタは虚しく宙を切る。疾風系の術【突風】を応用した跳躍。そのまま敵の背後を取ったワンダは空中で【風切刃】の術を発動した。彼女の周囲で発生した真空の刃が、ゴブリンの身体を幾つもの小さな肉塊へと一瞬で変える。


 ワンダは戦場の真ん中へとふわりと着地する。すでに辺りは死屍累々、ゴブリンの体液の匂いでむせ返りそうなほど。生きているものはもはや虫一匹いない――ように見えた。


「――GおAAAあああアッ!!」


 ――大きな岩の刃が、ワンダに向かって振り下ろされる。瞬間、ワンダは【突風】を使い、宙返りをしながら躱した。そのまま足をついて着地する。


 目の前にいたのは、先程吹き飛ばしたはずのホブゴブリンだった。その身体にはワンダが使った幾つもの魔術によるものと思しき傷が生々しく刻まれており、特に左手はひどく捻れて変形している。


「――GあAAAAッ!!」


 腹の底まで響くような重低音を上げながら、再びワンダに向けて突貫する。間違いなく重傷を負っているはずなのに、その動きは鈍るどころかペースを上げていくようにも見える。これだけの傷を負いながらまだ動ける地点で、魔物として――いや生物としての格が段違いであると言わざるを得なかった。


「GおU!  GOウA!  GAあアU!?」


 傷の痛みか、あるいは配下を皆殺しにされた怨念か。重たい岩の刃を無茶苦茶に振り回し続ける。だがその刃はワンダにかすることすら無かった。荒々しく、純化された殺意をワンダは術による跳躍で躱し続ける。その動きはまるで花の周りを飛び回る蝶のようだ。


 だが、この期に及んでまだホブゴブリンの動きは速度を上げていく。次第にワンダの動きに対応し、躱すのも紙一重という一撃が増えてきた。躱しながら【風切刃】や【氷柱針】を打ち込むがろくに打撃すら与えられない。このままではそう遠くないうちに、ホブゴブリンの一撃がワンダを完全に捉えるだろう――


 ――


 怒りに任せて刃を振るうホブゴブリンは気づきすらしなかった。


 周囲がだんだんとうっすらとしたモヤに包まれつつあることも。


 暗く、冷たい湿気に満ち始めていることも。


 少し遠くから見ればその周囲一体がまるで分厚い雷雲のようなものに覆われ始めていることも。


 ――魔術の基本四属性。そのうちの風と水。比較的相性の良いとされるそれらは自然界において雨や雪といった天候を構成するとされる。すなわち両方にある程度習熟したものは、擬似的にそれらを再現することができる。


 そう例えば――雷すらも。


 ホブゴブリンが異変に気づいたときには手遅れだった。


 周囲の空気に満ちる細かい水の粒子と、それを伝うように光る小さな青白い光。そして冷たい風。それらがワンダを中心に集まり、収束しつつある。もはや逃げ場はない――そのことに気づいたホブゴブリンは、何か起きる前にワンダを仕留めようと剣を振り下ろす。


 ――しかし全て、遅すぎた。


「――【雷槌】」


 ――地をも裂くような轟音。そして光の奔流が一瞬でホブゴブリンを飲み込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る