嵐が来る(2)

 ――巨大な刃が、風を切って振り下ろされる。


 人間の身の丈ほどの石――いや岩か。それを乱暴に削り、砕き、大ぶりな剣のように仕立てている。ヒトの力では持ち運んだり、振り下ろすのも難しい代物。


 だが、ホブゴブリンなら別だ。


 ヒトより遥かに優れた膂力。それを持って振り下ろされる重量級の刃は、空気を切る瞬間、暴風のような音を響かせる。鎧を着ていたとしても重傷は必至。切れはしなくても、骨の一本や二本は覚悟しなければならないと雄弁に伝えてくる。


 そんな一撃を前にヒトができることは躱し、逃げ回ること。だからレイシアもそうした。


 自分の頭上に降ってくる殺意のかたまりを、横っ飛びで躱す。確実な死を帯びた音が脳髄をビリビリと震わせ、一瞬足が止まりそうになるが、止まればやられるという実感が身体をどうにか動かしてくれる。


 幸い敵は大振りだ。常にフルパワーで刃を振り回してくるが、どうしても攻撃の合間に隙が生まれる。ゴブリンの上位種ということもあり、重量級の魔物の中でも機敏なほうだが、隙を付くのはたやすい。


 回避から体勢を立て直したレイシアは大きく回りながら再度ホブゴブリンに突撃する。敵の死角から狙うのは武器を持った腕。後少しで刃の切っ先が届く、その瞬間――


「ギャゴッ!!」


 ――耳障りな叫声が、レイシアの左右から飛びかかる。石ナタを振りかぶったゴブリン二匹。即座に前転しながら打点をずらし、すんでのところで鈍色の強襲を躱す。砂埃を上げながら、体勢を立て直そうとするレイシア。だが瞬間、その視界にいっぱいに暗緑色が広がる。


(もう一匹――!)


 前転して飛び込んだ先にはもう一匹のゴブリン。至近距離に入ってきた獲物に、容赦なく石ナタを振り下ろす。受けるか――いや――


(距離を取る――!)


 バク転をするように敵を蹴り上げ、高く舞い上がった。空中で一回転しながら降りようとした瞬間、目の前を石ナタの横腹が通過する。ちょうど横脇からもう一匹接近していたらしい。受けていたら時間差で横から突っ込んできていたものにやられていた――肝が冷える感覚を覚えながら、体勢を立て直し、着地する。


(――数が多い!!)


 いつの間にか切ってしまったらしい口元を拭いながら、心の中で悪態を付く。一匹一匹は大したことがなくても数で囲まれると怖い――どんな魔物にも言えることだが、今この瞬間特にゴブリンのそれを噛みしめることになっている。


(加えて――)


 接近してきたホブゴブリンが再び大剣を振り下ろす。重量級の、当たればただ事では済まない一撃。今度はバックステップでどうにか躱した。大振りで躱すこと自体は容易。だがそこにまた違う対処を要求されるゴブリンが加わると一気に複雑化する。


 単純に言ってしまうと、


 一匹ずつ確実に仕留めようとしても他のゴブリンがすぐに援護に入る。加えて一撃が恐ろしいホブゴブリンからの攻撃も時折飛んでくる。事実援護に入ってそう間もないとはいえ、レイシアはほとんど敵の数を減らせていなかった。


 最も一人で戦っているわけではない。本部に向かった一人を除いた他の三人も必死で他の援軍が来るまで持ちこたえようと奮闘していた。とはいえ疲労の色は濃い。


 他の班の連中もどのぐらいで来れるかは不明だ。レイシアが加わり狙いを分散――特にホブゴブリンをこちらに惹きつけることでどうにか持たせているような状態だが、何かあれば間違いなく一気呵成にすり潰される。


(援軍が来るのが先かこっちが全滅するのが先か――)


 ――死地へと飛び込んでいる。そう気づくまでさほど時間はかからない。理性も本能も警笛を鳴らし、撤退を促している。だが――


 ――剣どころか逃げ足も速いようだな――


 頭の中で何度も聞いた声。それがレイシアをその場に縛り付ける。


 ――違う。自分は、騎士だ。


 他の人間が死ぬかもしれない状況で背を向けるわけには行かない。絶望的な状況下でも逃げ出すわけにはいかない。そうしなければ積み重ねてきたものが――自分という人間が溶けて、消え去ってしまう。


 そうだ――自分は――


(臆病者なんかじゃ、ない――!)


 ゴブリンがこちらに向かってくる。レイシアが再び剣を構え深呼吸をした瞬間――


「――オーツさあああああああああああん!?」


 ――気の抜けるような叫び声が、森の中にこだました。






 ――息せき切るように走ってきたワンダの目に飛び込んできたのは「混乱」という言葉がピッタリの空間だった。


 森の中に小さく開けた土地。そこを埋め尽くすゴブリンたちと、遠くからでも十分見えるサイズのホブゴブリン一匹。辺り一面に広がるように暴れまわるそのさまは、氾濫し、侵食する濁流のようだ。


 そしてその中で奮戦する人影。三人ひとかたまりになってゴブリンたちに応戦する者たちと、一人大量のゴブリンをいなし続ける銀色の影――オーツたちとレイシアだ。ひとまず全員生きていることにワンダは安堵する。だが――


(多すぎる――!)


 視認できる限りだと、ゴブリンの数は二十匹近く。そこに加えてホブゴブリン。レイシアも含めて四人弱では厳しい数だ。今はギリギリ持ちこたえられているが、いつ戦列が崩壊してもおかしくない。


 不意に、あの日のことがフラッシュバックする。グレイルに潜った最後の日。視界いっぱいを覆い尽くす魔物、魔物、魔物の群れ。


 ――心臓のあたりが、嫌な痛みを発する。


 走っているとき、戦っているときのものとはまた別種の痛み。この半年近く忘れていたはずのそれが、今この瞬間彼女の奥で蠢いている。


 ――考えるな。


 嫌なイメージを頭から締め出し、目の前のことに集中しようとする。ただ前方で展開することのみに集中しようとする。


「――オーツさあああああああああああん!?」


 気がつくと声を上げていた。叫んだ自分自身でも気が抜けてしまうような声。瞬間、目の前で奮戦していた他の人間にすらそれが波及する。


 ――それが仇となった。


 戦っている敵の空気の一瞬の緩み、隙――それらを見逃してくれる敵ではなかった。特にホブゴブリン――他のゴブリンと比べても高い知性と獲物への強い害意を持つもの――彼に関してはこの一瞬の緩みこそチャンスだった。


 それまで集中的にマークしていたレイシアから他の三人へとターゲットを移す。レイシアもそれにいち早く気づいたが、その動きに対応したゴブリンたちに阻まれる。オーツたちもまたホブゴブリンがこちらにターゲットを移したことに気づき、迎撃体制を取るがそれすら遅すぎた。


 ――ホブゴブリンの一撃により、まず一人派手に後ろに向かって弾き飛ばされる。オーツと同じく前衛を張る一人。片手に構えていた盾で、切り上げを反らしつつ受けたがそれでも勢いを止めきれず後方に吹っ飛ぶ。それを見た後衛の一人が叫び声を上げて逃げ出す。


 一人残されたオーツにホブゴブリンの次なる攻撃が飛来する。振り下ろすような一撃。どうにか躱すと、幸運にも剣が地面に突き刺さる。地面の中の岩か何かに引っかかってしまっただろうか――ホブゴブリンが石剣を引き抜くことに集中するなか、オーツは思い切って向かって突撃する。狙うは無防備となっている首。


 だが幸運もそこまでだった。


 オーツの動きに反応したホブゴブリンは剣を持った手を離し――振り抜くような蹴りをオーツに向けて放った。ヒトよりも遥かに高い身体能力から繰り出される蹴り。ヒュームの男性としては決して軽い部類では無いオーツの身体がぐにゃりと曲がって吹き飛び、大木に当たって止まる。


 ――自分の声が、息が、止まるのをワンダは感じる。


 ホブゴブリンはややあって引き抜いた石剣を引きずりながら先程蹴り飛ばした人間のもとへと向かう。太い木の幹にしたたか打ち付けられたオーツが、うめき声を上げつつ逃れようとするも、その体は進まない。


 時間が、ひどくゆっくりになる。


 ――こういうのは結局自分たちのためにもなるからやるんだよ――


 ――だめ


 ――やれる範囲で助け合うことはそんなに悪くないってことだよ――


 ――だめ、だめ


 ――また店開けたときにはよろしくね?――


 ――だめ!  ――だめ!  絶対に駄目!


 呼吸をしろ――意識を集中させろ――身体を動かせ――!


 熱い空気が全身を回る。意識が一点へと収束していく。


 ――ホブゴブリンが石剣を振りかぶる。そしてそれを振り下ろそうとした瞬間――


「――やあめろおおおおおおおおおおおおおお!?」


 ――ワンダの身体は、飛び上がっていた。

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