嵐が来る(1)

 ――その少し前のこと。


 オーツとその仲間たちの班はとある巣穴と思しきポイントにて待機していた。


 ――今回はここまで遭遇したゴブリンの数も少なく、オーツは内心ありがたかった。リタイア組としてたまにギルドに協力することもあるとはいえ、ここ数年はもっぱらパン焼き用のかまどとの格闘が主だ。歳も歳だからか、一日得物の斧を振り回すと普段動かさない筋肉が痛くなるし、数日引きずることもある。


 準備が整い、メンバーの一人が煙玉を投げた。玉は穴にきれいに吸い込まれ、やがて穴の中から白い煙がもくもくと漏れ出てくる。


 ――そろそろ潮時か、とオーツは思う。


 店も食いっぱぐれない程度には軌道に乗ってはいるし、免状を返上することも考えつつある。なによりパン生地やかまどと格闘しているほうが楽しい。


 ――穴からは何も出てこない。ここも外れか――そう思い、空気が弛緩した矢先――


 ――横穴が、轟音を立てて吹き飛んだ。






 ――結論から言ってしまえば、すでに「罠」は張られていた。


 探宮者エクスプローラーたちは一班あたり四人の三班。それらを適度な距離まで分断するまでこまめに偵察を行い、ゴブリンを数匹ずつ小出しにしていた。何匹かは犠牲になっているが、「王」であるホブゴブリン率いる「本隊」は十分すぎるレベルで温存されている。


 ゴブリンだけの群れならまず思いつけない策。だがある程度の知能があるホブゴブリンがいる統率が取れた群れなら――十分に行う可能性のある策。


 その「本隊」が今、オーツたちが向かい合っている横穴の奥のほうで待機していた。


 数はホブゴブリンを除いておよそ二十匹弱。ホブを含めても十二人全員で当たれば対処できなくも無い人数だが、他の班とは距離が離れすぎている。


 そして四人という少人数で相手をするには――あまりにも分が悪い。


 煙玉が投げ込まれる。たちまち煙が洞窟内に充満しゴブリンが叫声を上げる中、ホブゴブリンが出口に向かって前進する。ホブゴブリンが出るには少々小さい穴だが、密かに細工が施され少し力を加えれば穴が広がるぐらいには周囲がもろくなっている。


 やがてホブゴブリンが大きな岩を持ち上げた。人間には到底持ち上げることができそうにない大きさのそれを安々と持ち上げ、煙が立ち込めつつある洞穴内を少しずつ進んでいく。そして穴にある程度近づくと、それを投げつけた。


 瞬間、当たり一面に響く轟音。それとほとんど同時に強い光が横穴内に差し込む。人一人が入れるか入れないかぐらいだった穴は大きく広がり、立ち込めていた煙が外へと吐き出される。


 ホブゴブリンが咆哮する。先程まで煙の中で叫声を上げていたゴブリンたちは、広がった穴の向こう側へと一気呵成に走り出す。


 ――緑色の濁流が今、オーツたちを飲み込もうとしていた。






 ――音を聞き、真っ先に駆け出したのはレイシアだった。


 戸惑う他の三人を尻目に即座に走り出し、あっという間にトップスピードにまで達する。身体強化の術は使っていないはずだが、その背中はあっという間に小さくなる。他の三人も慌てて駆け出すが、差は縮まるどころか広がっていく。


「あいつ術使わなくても足速いんか……!」


 必死で足を前に出しながらマンジがボヤく。ワンダも必死で付いていこうとするがまるで追いつける気がしない。


 ――と、突然レイシアがスピードを落とす。他の三人も慌てて足を止めた。


「何じゃ急に!?」


 レイシアの回答の代わりに目の前から人が走ってきた。その顔にワンダは見覚えがあった。午後の作業開始前に参加者全員で点呼を取ったときにオーツの班にいた男だ。


 急速に嫌な予感が膨れ上がっていく。


「今の音は何!?」


 レイシアが食って掛かるように聞く。息せき切るように走ってきた男はなかなか話し出すことができない。


「――突然横穴が吹っ飛んで――ゴブリンがたくさん――ホブも――いる――」

「数は!?」

「二十はいた――それもかなりレベルの高いやつ――ホブも相当――」


 数が多い。四人で考えても一人あたり五匹弱。その上上位種もいるとなると――


「ちぃっ――!」


 レイシアが再びトップスピードで駆け出す。マンジが瞬間止めようとするも、すでに木々の向こう側へとその姿は向かっていた。


「あんにゃろ――!?」


 マンジが遠くなるレイシアの背中に向かって悪態をついた。ワンダは走って来た男に向かって精一杯心を落ち着かせながら話しかける。


「あ、あのすいません。 オーツさんは? 同じ班にいましたよね?」

「他の二人と一緒だ――応援を呼んでこいって――それまでどうにか持ちこたえるからって――」


 ――瞬間、ワンダもまた走り出していた。 一瞬マンジの声が聞こえた気がしたが、それは早鐘のような心臓の音に塗りつぶされる。全身を回る血液が、火傷しそうなほど熱い。


(だめ、だめ、だめ――!!)


 様々な思いが全身を駆け巡る。身体が怖いと訴えているのに止まってくれない。


 呼吸すら忘れて、ワンダは走り続けた。






「――ええいっ!? 何じゃあの女どもは!?」


 去っていく女性陣二人の姿を見送ってしまった後マンジが地団駄を踏む。間違いなく緊急事態が起きているし、こういうときこそ一息つく必要がある。しかし――


(――その前に突っ込まれてはどうしようも無かろうが!?)


「マンジ」


 見るとシエルがマンジの着物の裾を掴んでいた。視線が「落ち着け」と促してくる。それを見て少しだけ冷静になるのを感じた。


「……お前はそいつ連れて村の本部に行け。数が数じゃし、ホブもいるとなると話が違ってくる」

「マンジは?」

「あいつら追っかける。五人いても厳しい数じゃし、あの女がどんだけ強くても同じじゃ」


 ただでさえ一対多の状況に持ち込まれると厳しい上に、上位種であるホブゴブリンがいるとなると、また別の立ち回りが加えて要求される。リタイア組では厳しいだろうし、レイシアでも苦労しかねない。


 加えて、マンジが知る限りのワンダでは――


(本当に人の性分見透かしおって――)


 後でステラに何を要求してくれようか――頭の端でそんなことを考えながらまたマンジも二人が向かった方に向けて走り出した。

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