閃くは銀の風(2)

 不敵な言葉が響くと同時に、ワンダの目の前からレイシアの姿が一瞬にしてかき消える。そして次の瞬間にはゴブリンのすぐそばに姿を現した。


 魔力のリソースを速度と動体視力のみに振った加護。瞬間なら人間の目に追いきれないこともある動きで、「目の前に敵が来た」、という認識を与えすらせず神速の蹴りを繰り出す。


 敵を囲もうと隊列を広げつつあったゴブリンたち。そのうちの一体がもろに一撃を食らい、そのちょうど後ろにいたものもろとも真後ろに吹き飛ぶ。そして二匹まとめて進行上にあった木に打ち付けられ、仰向けになって動けなくなる。


 瞬間、動揺と恐怖で残り二匹の足が止まるのをレイシアは見逃さない。自分の右手から来ていたものへと細身の剣をまっすぐ突き出す。剣は魔物の体の中央を貫いて、鋭い切っ先が背中から顔を出す。


 事態をようやく認識したもう一匹は鈍い光を放つナタをレイシアに振り下ろそうとしたが、その前にレイシアが左手で抜いた短剣で目元を切りつけられた。切られた箇所を押さえながら耳障りなうめき声を上げるゴブリン。その喉元へともう一体から引き抜いた細身の剣を突き立てる。喉が体液で満たされ、金切り声が低くくぐもったあと完全に消える。


 二匹目が沈黙した瞬間、レイシアの横を緑色の影が通り抜ける。沈黙させた四匹の後ろから来ていた、後続の二匹。先行した者たちがあっという間にやられたのを見て、彼女の後ろにいた者たちに標的を絞る。


 細く小さな針が一匹の肩のあたりに深々と突き刺さる。続けてもう一匹。当たった一瞬怯むがそのまま猛進し続ける――が、突然動きが緩やかになり、フラフラとし始める。シエルの毒針だ。


「――なるほど、まあ確かに必要ないかも、なっ!」


 マンジが刀を抜き放ち、目の前のゴブリンに向かって振り下ろす。赤黒い体液が派手に飛び散り、逃げようとしたもう一匹が背を向けたところにもう一太刀を浴びせる。両方ともしばらくその場で痙攣していたがやがて動かなくなった。


 収まったか――そう思い草むらからワンダが立ち上がろうとした瞬間、目の前の木にナタが突き刺さった。思わず声にならない悲鳴が口から漏れ出る。


 見れば、先程レイシアが蹴り飛ばしたゴブリン二匹が起き上がっている。いいのを食らっていたように見えたが、少しのダメージだけで済んでいたらしい。へなへなとその場に座り込むワンダの耳に怒声が飛び込んでくる。


「不用意に出てくるんじゃない! 死にたいの!?」


 叫ぶやいなやレイシアがゴブリン二匹へと向かって行き、ゴブリンもまた彼女の方へと突進する。互いが至近距離に入り、敵が得物を振り下ろした瞬間、レイシアが高く跳躍した。


 二匹の頭上を軽く飛び越え、背後へと回る。幾重にも放たれる剣戟。眩い銀色の光が相手を穿ち、痛みすらほとんど意識させないまま命を刈り取っていく。


 ――長い、しかし一瞬にも感じるような時間が終わる。先ほどまで聞こえていた金切り声は全てかき消え、森の静寂の中に飲み込まれる。


 改めて安全を確認し、草むらの陰に隠れていたワンダは立ち上がろうとした。が、うまく立ち上がれない。どうやら少し腰を抜かしてしまったらしい。


 するとシエルが右手を差し出してきた。ありがたくその手を取って立ち上がる。


「――ありがとうございます」


 シエルは首をかしげるポーズをした。「大丈夫か?」ということらしい。


「はい、久々でちょっとだけびっくりしちゃったんで……」

探宮者エクスプローラーならあんなんで腰抜かしてんじゃないわよ」


 足元に転がったゴブリンの死体に剣を刺しながらレイシアが言う。まったくもってその通りであり、ワンダが落ち込んでいるとマンジが口を出した。


「そう言うてやるな。久々の実戦なんじゃろ? 足引っ張らなかっただけでも上々じゃ……というか二匹ほど討ち漏らしがおったじゃないか」

「だからそっちにあげたじゃない」

「……いつか後ろから刺されるぞお前」

「その前に返り討ちにするわよ」


 けんもほろろに返されたマンジは小さなため息を付く。シエルはというとレイシアが完全に止めを差したゴブリンの死体に向かっていった。


 探宮者エクスプローラーを呼び表すもう一つの言葉がある。“死体漁りスカベンジャー”――文字通り魔物の死体から魔石や素材を漁るために付けられた蔑称、あるいは自嘲的に付けられた名前だ。


 魔物の死体は長くはその場に残らない。生物で言う死の状態となるとそれほど時間をかけずに肉体が崩壊し、消滅する。あとに核としての機能を停止した魔石のみが残されるが、一方でそれ以外の部位でも完全に崩壊する前に切り取ればそのまま残すことができる。


 ゴブリンの場合は爪や牙、目といった部分が主に用いられるものだ。シエルは大きな方のナイフをゴブリンの死体に突き立てて切り取っていく。手付きは極めて早く、迷いがない。


「すごい……早いですね」


 ワンダが驚嘆を示すと、シエルは相変わらず手だけ動かしながら首を横に振った。


「数、だけ、たくさん。それだけ」

「言うたじゃろ、こいつは元々運び屋じゃ。剥ぎ取りの仕事ならお手のもんよ」


 謙遜するシエルに対してマンジが自慢げに答えた。パーティに雇われる運び屋はこういった死体からの素材の剥ぎ取りも担当することも多い。あちこちで働くうちに必然的に身に着けざるを得なかったといったところか。


「……なんであんたが自慢げなのよ」

「そらあ古い馴染みが褒められたら、誇らしいからのう」

「褒められる、もの、違う」

「お前はもう少し自分を高く見積もってもええと思うがのう。そんなだと安く買い叩かれてまうぞ?」

「……安くても、いい」


 シエルの言葉に小さく息をつきながら、マンジは近くのゴブリンの死体へと刃を突き立てようとする。先ほど背中から切りつけたものだ。


 だが、次の瞬間――ゴブリンがまるで飛び上がるように起き上がった。


 死んだふり――攻撃をうけたものの致命傷まではいかなかったゴブリンがよく使う手。身体を微動だにさせないことで敵をやり過ごし、相手が油断したタイミングを狙って反撃をする古典的な手。


 瞬間、虚を付かれた一同は硬直する。そこをゴブリンは見逃さなかった。


 とっさに敵を見渡し、目が合った人間――ワンダに向けて金切り声を上げながら突撃する。


 ワンダも身構えようとするが、あまりにもとっさの出来事で身体がまるで動かない。当然呪文も頭の中で走らせることができない。


 全てが異様にゆっくりと見える。


 至近距離まで入るゴブリン。手に持ったナタを振りかぶり、ワンダの頭の位置まで飛び上がる。鈍色の光がきらめいた瞬間、ワンダは思わず目をつぶった。


 ――が、しばらくしても何も起きない。


 恐る恐る目を開ける――すると目に入ってきたのは銀の光をまとった人影だった。レイシアだ。


 足元を見る。そこには先程までワンダに飛びかかろうとしていたゴブリンの死体が転がっていた。間一髪というところでレイシアが胸を一突きにして仕留めたらしい。


「――世話かけてくれてんじゃないわよ」


 レイシアが吐き捨てるように言う。徐々に全身の感覚が戻りつつある中、ワンダは立ち上がって礼を言おうとする。


「……あ、あの……」

「……何もできないなら不用意に出てくんな。足手まといだ」

「あ……」


 レイシアは吐き捨てるようにしてワンダのすぐ横をすり抜けていった。何事か言いかけたマンジも振り切り、来た道をずかずかと戻っていく。突っ込むのもあっという間だったが、立ち去るのもあっという間だった。


「……すまんな、大丈夫か」


 マンジが気まずそうに頭をかきながらワンダに向かって手を差し出す。だが、ワンダには何も目に入らないし、聞こえない。ただ延々とレイシアの言葉が頭の中でループし続ける。


 ──何もできないなら不用意に出てくんな──


 まだ戦えると、使いものになると、少しでも思えたから戻ろうと思った。けれど。


(──やっぱり何もできないかな、わたし)


 杖を強く握ったままの手が、そのまま固まっていく気がした。






 ──なんで、どうして。


 森の中をずかずかと突き進みながらレイシアは心の中で問いかけ続ける。


 擦れる草の音が、踏みしめる柔らかい土の感触が、眩しい光に溢れる世界が、どうしても慣れない。イラついてしょうがない。


 ──迷宮の中が恋しい。


 光も無く、肌に張り付くような湿気と、緊張感に満ちたあの場所。自分が一番輝ける場所。


 ──そして突然取り上げられてしまった場所。


 本来ならするはずの無かった仕事だった。けれど、金が無かったこともそうだし、こちらの事情を知っているステラにやんわりと諭されて受けざるを得なかった。ステラからすれば完全に善意なのは分かっているが、こちらからすれば脅しと同じだ。


 いや、それ以上に──


 森の真ん中で足を止める。先程まで目の前にいた少女の顔を思い浮かべる。


 ──


「──なんでよ」


 周囲に誰もいない森の中で小さく呟く。誰にも聞こえないように。誰にも知られないように。


「──あのときはあんなに強かったじゃない」


 小さく噛み締めるように呟いた声は、すぐに静寂の中に吸い込まれて消えた。

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