転機(3)
その日の夜遅く、ワンダは寝付けずにいた。
ミャオと別れたあと、まっすぐ自宅へと帰り、そのまま就寝の準備をして床に就いた。昨日も夜ふかしをしてしまっているので、流石に今日は早く休まないと明日に響きかねない。そう思って。
――が、眠れない。
今日あった色んなことが自分の頭の中で回り続けていて、全然眠ることができない。暗闇の中でひどく冴えてしまっている頭を必死で寝かしつけようとしながら、延々と寝返りを打ち続ける。
そうしてしばらく眠ろうとする努力を続けたのだが、とうとう諦めてベッドから起き上がった。
ややあって、ベッドの下からトランクを取り出す。
家に泥棒が入っているとかそういうことでもなければ、中にはかつて迷宮に潜っていたときにずっと来ていた衣装一式が入っているはずで――果たして衣装はきっちりと畳まれてそこにあった。
窓から入ってくる月の光を浴びながら、しばらくそれを見つめていた。やがてそれをゆっくりと手に取り、おもむろに着替え始める。
――着替え自体は数分で済んだ。茶褐色のローブに、深緑色のマント。そして最後に広いつばのついたとんがり帽子をかぶる。祖父の形見の品なのでワンダには少し大きかったが、気に入っている代物だった。
部屋の中の姿見を覗き込むと、半年前までよく見た自分の姿があった。腹の底から湧き上がってくる様々な感情を、深く吸った息とともに飲み込む。そして杖を手に取り、ひっそりと家を出た。
目指すのはいつも鍛錬を行っている、下宿裏の林。けれどさらに今日はそのさらに奥へと足を進めていく。
どうやらご近所さんに見守られているらしいという話が頭の隅にあったが、同時に今日はもう少し広い場所に出る必要があった。部屋から持ち出していた小さめの魔石ランプと月明かりを頼りに闇の奥へと突き進んでいく。
数十分、あるいはもっと歩いていると、前方にうっすらと月の青い光が差してきた。さらに歩を進めていくと、急にワンダに向かって突風が飛び込んでくる。
下宿裏の林を抜けると広がっている大きな原っぱ。普段は近所の子供の遊び場になっているらしいそこは、今は誰もおらず草木が風に揺れている。ここならいいだろう――ワンダはそう思い、原っぱの中央に立つ。
深く息を吸い、意識を集中させていく。できるだろうか、と少しだけ考える。けれどそんな思考も呼吸と心臓の音の奥へと埋没させていく。
(来て――)
瞬間、風が止まる。そしてもう一度強く吹き出し――緑色の淡い光を帯びながらワンダの周りを舞い始める。魔力を帯び、魔術師の意思によって自由自在に動かす事のできる特別な風。
(――行け!!)
瞬間、緑の風はいくつかに収束して鋭い刃となり、ワンダが狙いをつけた方向へと飛んでいく。【風切刃】――風系でももっとも扱いやすい真空の刃を飛ばす術。刃は草木を薙ぎ払い、切れ端が宙に舞う。
(次――)
次の瞬間、空中に青い光を帯びた水の玉がいくつか出現する。それはワンダの周りをしばらく回ったかと思うと、頭上でさらにいくつものかたまりに別れた。
(【氷柱針】――)
ワンダが呪文を脳内で展開させた途端、水は一瞬で凍りつき、氷の針となって地面を襲う。あるものは地面に突き刺さり、あるものは落下の衝撃で細かい破片となって消える。
(次――)
ワンダが杖で指し示した方向の黄色く発光した地面がせり上がり、大きな茶色の壁が出現する。【土壁】の術だ。ワンダはまるで踊るように回りながら、自分の周囲に壁を展開させていく。
まるで円を描くようにして展開しきると、急に砕けていくつもの破片となる――が、そこで地面に落ちることはなく浮き上がり、硬い石の固まりが地面に降り注ぐ――【石礫】の術。
土埃が舞い、ワンダの姿が隠れる。そしてその奥から、赤い光が現れる。
一つ、二つ。土埃が晴れ、ワンダの姿がはっきりと見えるようになるにつれ、赤い光源はその数を増やしていく。炎の帯が、ワンダの周りをゆらゆらと舞う。
(【火球】――)
いくつかの固まりに収束した炎が、夜闇に赤い線を描きながら飛んでいく。そして地面にぶつかったかと思うと、周りの草木に引火して燃え広がった。黒一色だった空間が、オレンジと赤で塗りつぶされていく。
ワンダは少しの間それをボーッと見つめていた。が、やがて慌てて【流水】の術を使って消火に当たる。すぐ火が消えたあともこれでもかと言うレベルで水をかけ続け、鎮火を確認してから術を解除した。
息が上がっている。急に大量に術を使ったせいか、あるいは少しパニックになったせいか――とにかく呼吸が浅く、早い。ワンダはその場で大の字になって寝転がった。背中に地面の冷たさを感じながら、少しずつ呼吸を深くしていく。
――できた。ちゃんと使えた。
一年以上前ほどではない。息が上がっているのも分かる。それでもちゃんと一通り使える――
戦えるかどうかなど分からない。
それでも、まだ全部を手放さなくてもいいのかもしれない――そう信じたい。
思わず泣きそうになったけれどなんとかこらえる。けれど次から次へと色んな感情が渦となって襲ってきて耐えきれそうにない。
涙に歪む視界の中で、ワンダはずっと頭上の月を見つめ続けていた。
数日後、討伐日当日。ワンダはギルド本部内の廊下を歩いていた。
身につけているのは探宮者用の衣装一式。これから組むことになる他のメンバーのところに、ギルド側の引率として同行するステラと共に向かっている。
「――ありがとうございます、お話受けてくださって」
廊下を歩いている途中ステラが話しかけてきた。その声色が普段なかなか聞くことのないようなものだったのでワンダは思わず足を止める。
「えっと……」
「どうしても人数が揃わなくて、そしたらギルド長からワンダさんを使う案が出まして。もし揃わないなら自分が出るとも言っていたのでどうしたものか――って思ってたんですが」
ステラが突然こちらに向き直って頭を下げてきた。普段ではなかなか見られない彼女の姿にワンダは思わず動揺してしまう。
「ワンダさんには負担をかけてしまいますが――」
「い、いいんですって、このぐらい。お役に立てて光栄です」
「ですが……」
ステラが聞いたことの無いような声色で聞いてくる。ひょっとしたら思った以上にこの人は完璧では無いのかもしれないと、ワンダは思う。
「……そうですね。大丈夫じゃないかもです」
ステラの問いに、ワンダは正直に答える。この場でウソはつきたくない。
「たぶん思った以上に動けないかもですし、正直すごく怖くて――それでも――それでも、やりたいです」
「……それなら私から言えることはあまり無いですね」
それだけ言うとステラはいつもの彼女に戻る。
「なるべくバックアップはしますから。と言っても私も今回指揮する側なのであまり個別では見てあげられないんですけど――あと、少しでも体が変だと思ったら言ってください。いいですね?」
「はい!」
ワンダが目の前のドアを開き、ギルド内の中庭に出た。そこには馬車が何台か停まっている。その中の一つへとワンダとステラが向かっていくと、すでにそこには三人の男女が待っていた。ワンダが今日組むことになる、即席のパーティ。
一人は金髪、銀の軽装を纏った少女。背格好はワンダとそう変わらない。細身の剣を腰にぶら下げている。
一人は全身黒尽くめ。男か女かもよく分からない。口元をこれまた真っ黒なスカーフで隠している。
一人は
「皆さん、今日はよろしくおねがいしますね」
ステラが軽やかに挨拶する。その傍らでワンダは一人、深呼吸した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます