嵐の前の(1)

 馬車の車輪が、カタカタと音を立てて回る。


 ワンダが乗っている幌馬車はサン=グレイルを出て目的の場所へと向かう街道の途上にる。目的地はサン=グレイルから南、数時間のところにあるウッドラ村落。そこでここ数週間の間に魔物の目撃例と被害が出ているらしい。ワンダはこれから即席で組んだ探宮者エクスプローラーのパーティと共にその討伐に当たることになっている。


 と言っても道中は至極のんびりしたものだ。初夏の陽気に加え、手綱を取る者の腕が良いのか乗り心地はとても良い。心地よい断続的な揺れにワンダはうっかり船を漕ぎそうになる。


 しかしそうも行かない。というのも今馬車の内部はほんの少しだけ緊張感に満ちていた。


 原因はワンダの目の前に座っている少女だ。金色の短く切った髪を両サイドで縛り、銀色の軽装鎧に細身の剣を腰からぶら下げた彼女――名はレイシアと言ったか――とにかく彼女の機嫌が出発前からすこぶる悪いのである。


 一時間ほど前、馬車に乗り込む前にステラから他のメンバーの紹介をされたときからもうすでにレイシアはピリピリしていた。それが今この瞬間まで続いており、馬車の中は奇妙な緊張感に満ちている。あいにくと他の二人もそれほど喋るたちではないからかずっと黙っているのが、よりそれを増幅させている。


「――あー、そろっとええか?」


 微妙な居心地の悪さにワンダがそろそろ限界に達しつつあったころ、ワンダの斜め前に座っていた男――マンジが口を開いた。ボサボサの黒髪を後ろで束ね、東国イースト風の黒い着物に、サムライと呼ばれる戦士の着る鎧を所々に身に付けている。


「……何よ」


 男に反応してレイシアが口を開く。やはり機嫌はそんなによろしくはないらしいがはほぼ無視して続ける。


「やー、そろっと自己紹介する頃合と思っての」

「……さっき済ませたじゃない」

「名前だけじゃろ? お互い何が出来るかぐらいは確認しておかんと」


 マンジの東国人イースタン特有の訛りの混じった口調は適度に場の空気を弛緩させる効果があった。とはいえレイシアの態度を軟化させるまでには至らない。


「別にそういうのいいじゃない」

「そうもいかん。動きが分からん限りはワシらも立ち回れん。邪魔されるのは嫌じゃろ?」

「…………」


 レイシアは無言になる。と、そこでワンダが思い切って切り出した。


「あの、いいですか。わたしも気になるので」

「お、そっちの嬢ちゃんは話が早いの。ええぞ?」

「えっと、その格好見る限りだと僧侶なんですか? それ確かヴォダラ教の僧服ですよね?」

「お、分かるのか。確かにこいつはヴォダラの坊主の服じゃが……ワシ自身は坊主じゃない。東国あっちの法術は多少かじっとるが」


 ヴォダラ教はプラウジアの地から「東壁イーストウォール」と呼ばれる巨大な山脈を隔てて存在する国々――東国イーストにおけて最もポピュラーな宗教だ。


 プラウジアにおける最大の宗教である聖櫃アーク教とは異なって多神教であり、万物に宿るとされる神や精霊、修行によって半神へと至った者を崇める。プラウジアの中でもここサン=グレイルがあるアリオス領は東国に比較的近く、移住してきたものにヴォダラ教の信徒も少なくは無い。


「ただまあ本当にかじった程度じゃし、身体治癒はこの土地では少々「効き」が薄くなるんであまり当てにはせんでくれ。自己の身体強化なら問題ないんじゃけどな」


 魔素を操る術式である【汎用術式】レギュラード――その中で魔術が呪文が奇蹟を起こすための「鍵」であるのに対し、身体強化や回復を行う法術は聖なるものへの信仰と祈りが「鍵」となる。


 そのためその土地でメインで信じられている宗教が違う場合往々にして――特に自分から他者にかける回復の術の場合――「効き」が薄くなるのは珍しくなかった。


「けど、こっちをぶん回すなら多少は得意じゃからな。そっちはそれなりに期待してくれてええぞ?」

「そんなナリしてそんなんでどうすんのよ。ったく……で? そこのあんたは何ができるの?」


 レイシアはワンダの隣に座っていた少年――あるいは少女に水を向けた。薄いグレーの髪に涼しげな目元。細く中性的な身体は男か女か区別がつかない。黒いケープを羽織り、口元もこれまた黒いスカーフで完全に覆っている。


「……シエル。俺、シエル」


 スカーフの奥から少し高いが青年の声が響いた。それでようやくワンダは彼が自分とそう年が変わらないであろう男性だと気づく。


「いや、それは分かってるから。何ができるって聞いてるの」

「…………」


 シエルは答えずもぞもぞとしている。それにレイシアのイライラがさらに増して思わず身を乗り出そうとする。


「アンタね……」

「あー、待て待て待て。こいつはちょっとワケありでな? 喋れんとじゃ」

「喋れないって……」

「一応簡単な単語とかは話せるし、全くコミュニケーションが取れないわけじゃなから安心せい……シエルあれ持っとるじゃろ?」


 シエルは首を小さく縦に振ると、腰にぶら下げたポーチの中から丸めた古い羊皮紙のようなものを取り出した。広げると小さめの手ぬぐいぐらいの大きさになるそれには特に何も描かれていないようだったが、しばらくするとまるであぶり出しのように文字が姿を表した。


『少し 長い 話 を するとき は これ で 話す』

「……これ、念紙マインドシートですか? 初めて見ました」

「話が早くて助かる。長い話はこいつでするようにしちょる」


 念紙マインドシートはその名の通り、考えたことを紙の上に文字として出力することのできる魔道具だ。羊皮紙の表面を砂より細かく砕かれた夜光石の粉でコーティングしており、人間の思念に反応して文字を浮かび上がらせるようになっている。


 とはいえ文字を正確に出現させるにはある程度訓練が必要であるし、浮かび上がらせた文字も長時間残しておけない。製造の手間の割に使える機会もそこまで多くないのもあって、普及もそこまでしていない代物だ。


「わたしも話に聞いたことがあるぐらいなんで良くは知らないんですけど……ここまで正確に文字を出せるってかなり練習したのでは?」

『たくさん した』


 あまり時間をかけず次の文字が出る。速度の速さも見るに相当訓練したのだろう。


『話 戻す  役割は主に斥候 得物は ボウガンと ナイフ 毒を使う』


 そう言って腰にぶら下げた二本のナイフと手首のあたりに付けた小さいボウガンらしいものを見せる。ただボウガンの矢をセットするところの幅はとても狭いのが気になった。


「矢はどちらですか? なんというかすごく小さいですけど」


 シエルは腰の長いポーチから大きめの針のようなものを取り出した。金属製ではない、白っぽく重量感のないものだ。


『ヘッジホッグ という 魔物に 生えている針 軽くて頑丈 良く飛ぶ』

「へー、そんな使い方が……」

『さわらないで どく ぬってある!』

「あっ……ごめんなさい……」


 思わず触ろうとしたワンダを見て、とてつもない早さで文字が出力される。手を引っ込めたワンダを見てシエルはホッとした顔を向けた。


『小さい方のナイフにも 毒塗ってある。 これで相手の動き止めたり 鈍くしたりする』

「大きい方は素材を取るためのものですか?」

『武器にも使うけど ほとんどそう』

「……まあ、そういうわけじゃ。こう見えてもコイツもそこそこ年期入ってるから心配せんでええ」

「……随分詳しいじゃないの」

「ワシら二人“流し”じゃからの。一緒に組んで仕事することも少なくない」


 レイシアの疑問にマンジが答える。探宮者エクスプローラーは基本どこかのパーティに属して活動するが、どこにも属さずあちこちを転々としながら活動する者もいる。いわゆる“流し”と呼ばれる者たちだ。


 メンバーを多数抱えているパーティやクランはそれほど多いわけではなく、大半はギリギリの人数で回していることが多い。そのため突然欠員が出たときなどに穴埋めをできる“流し”はある程度の需要があり、様々な事情から“流し”として活動して生計を立てるものも少なくはなかった。


「さて、次はお前じゃ」

「え、わたしですか?」

「さっきからあれこれ質問しおるからには自分の事も話してくれんと。のう?」


 マンジに水を向けられたシエルも首を縦に振った。そんなものだろうかと思いながらワンダは言葉を選んで話し始める。

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