転機(2)
その日の夕方、仕事を終えたワンダは、いつも通り朝夕の食事を調達するために朝焼け亭へと向かった。朝焼け亭の前に行くといつも通りライザが出迎えてくれ、店内でこれまたいつも通り堅焼きのパンを手にとってレジに向かう。
ただ一つ、いつも通りでないことは――
「ライザさん、表の張り紙は――」
「ああ、あれね。明日から数日ちょっと休むからさ」
朝焼け亭の入口のドアに貼られた張り紙。そこには明日の日付から数日休む旨が記されていた。
それに気になることもある。オーツの姿が見えない。
「……オーツさん、調子でも悪いんですか?」
「ああ、違うよ違う。ちょっと別の用事さ。実はギルドから討伐の依頼が来ちまってね。あの人がちょっと行くことになったんだよ」
「討伐の依頼って……魔物の?」
「そ。近くの村落とか街道で魔物が出てるらしくて、それをね。あの人もわたしも免状は返してないから、一年に一回ぐらい? 人手が足りないときに駆り出されるんだよ」
「そうなんですか……」
「久々だから準備も多いし、いくらこの店が小さくても、一人じゃ回せないからねえ。翌日も疲れてまともに動けないことも多いし。だからまあしばらくお休みしちゃうんだけどごめんね」
「ああ、いえ全然。構いませんので」
そう言ってワンダは支払いが終わったパンを手に取る。それからややあって思い切って聞いた。
「ライザさんはその……いやオーツさんも、大丈夫なんですか?」
「大丈夫って?」
「いや、その、前に言ってたから。
そこまで言ってワンダは口をつぐむ。当人たちにも色々理由があるだろうに、いきなりこんなことを言って、と恐ろしい勢いで後悔する。
そんなワンダの様子にしばらくライザは考え込んでいたが、しばらくして普段とそれほど変わらない声音で口を開いた。
「まあ、あの人なんやかんやで頑丈だし、そこそこ強いし、そんなに心配はしてないわよ? ギルドから専門の法術使いさんも来てくれるしね。……それにね、こういうのは結局自分たちのためにもなるからやるんだよ」
「自分たちのため?」
「そ。ここのお客さんって探宮者とかそうじゃなかったらグレイルの人たちだけど、たとえば周りの土地からグレイルにたまたま来た人が来るかもしれない。でもそういう人たちが魔物に襲われて最悪死んじゃったら? それこそ商機を一つ逃すことになる」
「あ……」
「あるいはこのパンを作ってる材料だって基本はグレイルの外から仕入れてくるものだろ? でそれを作ってるのはこのグレイルの周りの農家さんなわけだ。その人たちが魔物に教われたり、あるいは畑が荒らされたりしたら? それこそ材料が入ってこなくなって商売すらできなくなる」
「…………」
ワンダはなんだか何も言えなくなって黙りこむ。ライザの話は続く。
「ま、世の中どこでどうつながるか分からないから、やれる範囲で助け合うことはそんなに悪くないってことだよ。不安がない訳じゃないけどね。そら、お釣りと――これ持ってきな?」
そう言ってライザは茶色い紙袋を差し出す。中にはパンの切れ端を揚げたものに砂糖をまぶしたものがどっさり入っていた。
「しばらく日にち空いちゃうからね、足りないかもだけどこれで食いつないでよ。また店開けたときにはよろしくね?」
「は、はい」
それだけ答えてワンダは朝焼け亭を出る。手に取った瞬間は分からなかったが、もらった紙袋からはじわりと熱が染み出ていた。人肌ぐらいの熱を胸に抱えながら、ワンダの中で先程のやり取りが回り続ける。
──こういうのは結局自分たちのためにもなるからやる──
──世の中どこでどうつながるか分からないから、やれる範囲で助け合うことはそんなに悪くない──
(わたしは──)
ワンダは紙袋を強く抱き締める。相変わらず腕の中で静かに熱を持つそれは、明確な答えをワンダにくれそうでくれなかった。
「えー、やればいいじゃんそんなの」
ワンダの目の前に座る少女はあっけらかんと言い放った。細身の身体に動きやすそうなシャツにズボン、オレンジ色の短く切った髪の毛の間からはふかふかの獣耳が飛び出ている。獣人の一種、
「軽いよなあミャオは……」
「いーじゃん、実際数合わせで最悪立ってるだけでもいいんでしょー? 楽な上にお金までもらえるじゃん」
「他人事だと思って……」
「他人事だしー」
ミャオと呼ばれた少女はあっさりと言い放つ。ワンダは深いため息をついた。彼女のこういうところは嫌いではないし気が休まるときもあるが、同時にこうしてがっくりと気落ちするときもある。
ミャオは元探宮者で今は商人をしている。ワンダよりも先にサン=グレイルに来て
朝焼け亭から出てしばらくサン=グレイルの街中をブラブラしていると、街中でミャオから声をかけられた。そして同じく仕事帰りだった彼女に一緒に夕食でも食いに行こうと誘われ、今に至る。
「でもお給金とは別で臨時収入もらえるんでしょ? 今の仕事だってそんな多く貰えてるわけじゃないから魔符作りの内職までして食いつないでるわけだし、あたしならやるなー」
「現金だなあ……」
「お金は大事だもーん。それに実際のとこ苦しいっしょ?」
「そこは……」
実際、苦しい。
元々そこまで贅沢しない質の上、ある程度サン=グレイルに来てからの蓄えもあったがそれでもギルド内の仕事と内職でどうにか食いつないでいる状態だ。もし少しでも何かあれば最悪夜の街に沈むことになりかねない――そこでうまくやっていけるかは別として。
「第一さ、
「……それはミャオだって同じじゃない」
「あたしは食い扶持は複数確保しときたいから。今の所ありがたいことに用もないけど」
ミャオはそう言って目の前の料理を口に運ぶ。よく食べ、よく飲み、よく喋る。シンプルで力強く、人懐っこいところは間違いなく彼女の才能だとワンダは思う。
「まあワンダが色々怖いのは、分かるけどさー? あたしも直で見せつけられてたわけだし。けどねえワンダぐらい実力があって、続けたいってんなら、復帰できそうなら乗っちゃったほうがいいと思うんだよね」
「…………」
ワンダは黙り込む。
半年前から今この瞬間までずっと、考えている。
できること、できないこと。
やりたいこと、やりたくないこと。
自分の中でその全部が複雑に絡み合っていて、下手に触れば崩れて間違いなくもう一度傷つくことになると分かる。それゆえに迂闊に結論を出せない。出したくない。
けれど――
「――ま、そのへんワンダ次第だからあたしからはなんとも言えないけどねー」
「うわ、投げた」
「だってあたしがいくら言ったって、ねえ? それよりほら、いい加減食べなよ。何するにしても空腹は思考の最大の敵じゃん?」
「……そうだね」
ワンダもいい加減空きっ腹だったので、目の前の料理を口に入れる。少し脂っこい肉料理はワンダの好みではないが、今の状況ではそれなりに美味しい。
「どう、ここの料理うまいっしょ? 最近見つけてさあ」
「うん、まあ肉料理って感じ」
「ざっくりしてんなあ。もうちょい感想無いの」
「油っこくて個人的には好みじゃないけど、それなりに美味しいとは思う」
「直球!?」
ミャオがケラケラと笑って、ワンダもそれにつられて笑いだしてしまう。こういうとき、彼女と一緒にいるとつられて元気になれそうなそんな気がする。
それからとりとめのない会話は夜遅くになるまで続いた。
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