それからの日々(3)
二年前――当時のワンダは祖父を亡くして以来身よりも無く、故郷の村でいろんな人のつてを頼って暮らしていた。それほど器量もいい方ではなく、唯一誇れる祖父から習った魔術の腕も、ここではそれほど活かせる機会は無い。それでもここ以外行き場所が無かったワンダに突然の転機が降ってわいて来た。
レクスとヴォルフ、そしてダリアら一行が、ワンダの住む村を訪れたのである。ヴォルフの旧友である魔術師エリック――つまりワンダの祖父を訪ねるためだった。
ヴォルフがエリックのもとを訪れたのはかつての仲間と旧交を暖めるためでもあったのだが――優秀な魔術師を見つけ出すのに力を貸してほしいという目的もあった。当時
エリックはとうに亡くなっており、目的の半分は果たせなかったが、思わぬ拾い物はあった――ワンダだ。
火・水・風・土の基礎四属性の使用に加え、無詠唱による魔術の行使――ワンダの力を見たレクスたちは目を見張ったが、仲間にすることにはヴォルフが待ったをかけた。
確かに才能はある。しかしおとなしく押しも強いわけではない、この田舎以外の場所以外も知らない年端もいかない女の子を
この時、ワンダを特に仲間に加えたいと主張していたレクスは最後まで粘ったという。レクスもまたワンダと同じく田舎の出で、父親の残した土地で母や兄弟と共に暮らしながら日々役に立つのかも分からない剣術の鍛練に明け暮れていたという。彼もまたそれだけが唯一自慢できるもので――だからワンダにも同じものを感じてしまったのかもしれない。
「一緒に来てほしいんだ、ワンダ」
あの日、ワンダの故郷の村にある小高い丘の上でレクスは言った。暖炉の火のような彼の赤毛に、オレンジ色の夕日が当たってさらに激しく燃え上がるように見えたのをワンダは昨日のことのようにおぼえている。
「……うまく言えないんだけどさ、ここは君のいるべき場所じゃない気がする。俺はこうやって剣振るぐらいしか取り柄も無いし、だからじいさんに着いていこうと思った。けど君は――」
きっと、俺よりすごいことができる――そう一切疑いのない目で言い切った。それを今だに鮮明に思い出せるのはそんなことを言われたのは祖父以来だったからだったと思う。
レクスだけでは無い。ヴォルフもダリアも自分の魔術の腕を認めてくれた。両親が死んで引き取ってくれた祖父が死んで以来、この狭い世界で働き者であること以外を、生活の役に立つかどうか分からないものを褒められたのは始めてだった。
だから賭けてみたいと思った。彼がそう言ってくれる自分を信じてみたいと思った。自分をすごいと言ってくれる人たちのために自分の力を使ってみたいと思った。
だからあの日の明け方、住み慣れた故郷を飛び出した。そして半ば押しかける形でレクスたちのパーティに加わり、
――けれど――
遠くに見える明かりをぼんやりと見つめながら、ワンダは物思いにふける。あのどこかに、レクスたちもいる。
事情が事情なのでできるだけ直接顔を会わせないで済むようステラが手を回してくれているが、仕事上レクスたちのその後の足取りは嫌でも耳に入ってきていた。ワンダが抜けた直後にレクスたちのパーティはヴォルフの知り合いのクラン――すなわちパーティを複数抱えた団体――の「預かり」になっている。時々仕事で見ることになる資料を見る限りでは積極的に迷宮には潜っているようだった。
――今、どんな気持ちでレクスはいるだろう。半年前のあの日どうしようもなく打ちひしがれていた彼は。自分のことなど忘れて新たな環境でよろしくやっているだろうか。それとも――まだ引きずっているだろうか。
ワンダはおもむろに立ち上がる。これ以上考えていると間違いなく寝付きが悪くなるし、下手をすれば明日にも響く。そう思い部屋の隅に置いてある身の丈ほどの杖を手に取った。杖の先に赤い宝石が取り付けられた、古い杖。祖父の形見であるそれと、寝巻きにショールだけ羽織って、外に出る。
下宿の外へ出るとひんやりとした空気が肌を差した。サン=グレイルは温暖な気候とはいえこの時期の夜はまだまだ寒く、羽織物は欠かせない。湯上がりの身体には少々を冷たいかもしれない外気を若干気にしつつ、ワンダは下宿裏の林へと足を進める。
所有者もおらずそれほど手入れもされていない木々の中は夜ともなると目の前すら見えない暗闇と化すが、幸い今夜は月が出ていてまだ視界は良好だった。野生の動物やら不審者やら、あるいは「はぐれ」の魔物やらに襲われても文句の言えない状況下だがとにかく急いで足を進める。
やがて林の奥の少し開けた場所に出る。目的の場所だ。
うっすらと芝生が生えた柔らかい土の感触を踏みしめながら、ワンダはそこの中央へと向かう。頭上には少しだけ欠けているもののほぼ真円に近い月が地上を睥睨している。もうすぐ満月か――とワンダは気づく。
月の満ち欠けは魔素の働きに大きな影響を与えていると言われ、中でも満月の時期はその働きが強くなる。当然この時期はグレイルも活発に魔物を生み出し、それを目当てに探宮者たちも積極的に潜っていく。「狩り」の季節だ。
当然この時期はギルドも忙しく、猫の手も借りたい状況になる。来たるべき繁忙期にささやかながら思いをはせつつ、ワンダは今はこちらに集中しようと杖を目の前に掲げる。
(集中――)
深く静かに呼吸を積み重ね、頭の中をクリアにしていく。自分と周辺の世界が溶け合い、一つになる。その瞬間を逃さず、ワンダは脳内で告げる。
(――出でよ、炎よ)
瞬間、周囲の空気が振動し、粟立つ。訓練を受けたもの以外には知覚すらできない魔素の活動の証。魔術師の意思に反応し、奇蹟を起こす前兆。空気の振動は高まり、全身の感覚を揺さぶる。そして次第にワンダのイメージに従い世界をねじ曲げていく。
いくつもの小さな赤い炎。それがなにもない空間から突然燃え上がり、尾を引きながらワンダの回りを周回する。
(――集束せよ――)
周回していた炎が、次第に輪を狭め小さな「群れ」と変貌する。ワンダがさらにイメージを進めていくと、群れは密度を増してより小さく、光度を増した炎塊へと変わっていく。
(――集束――)
次の瞬間、炎塊が一気に圧縮されたかと思うと、きれいな球形の炎へと姿を変える。オレンジと赤がマーブル状になって表面を滞留する姿は、さながら小さな太陽だ。
ワンダは一呼吸つき、目の前の炎の球を見つめる。呪文を必要としない基礎的な魔術の行使だが、それでもある程度安定かつ持続して魔力を送り続けていないとあっという間に消滅、あるいは弾け飛んでしまう。魔術師が行う、基礎的な訓練の一つだ。
──家賃が安いこと、昔の仲間となるべく顔を会わせたくないなど、グレイルの中心地から居を構えた理由はいくつかあったが、これも理由の一つだった。
魔術の鍛練。どれほど優れた技術でも、使わなければあっという間に劣化する。だからこそ日々何かしらの方法で鍛練を積み重ねる必要があるのだが、
炎の球は時おり表面から小さな火柱を上げながら、ゆっくりと回転している。全くできない状態から鍛練を再開して、二ヶ月と少しほど。どうにかここまで調子を戻しつつあるが、まだ不安は残る。
不安──
――例え全盛期の調子に戻ったとして、なんの意味があるのか──
──迷宮から、
そうささやいてくる頭の中の声をどうにか押し込める。今の自分にできないことは多い。けれど、できることをしている間はほんの少しだけできない自分を忘れていられる。
(次、水──)
ワンダが念じると炎の球がかき消え、今度は水の球が空中に出現する。その次は風の塊。その次は──と次々に属性をスイッチバックしていく。
そうして鍛練は夜遅くまで続いた。
その翌日の昼。結局思った以上に熱中してしまい眠い目を擦りながら作業をしていたワンダのもとにステラがやってきた。
「ワンダさん、昨日の話なんですが今よろしいですか?」
「あ、はい! 大丈夫です」
実は今の今まで頭の中から消えていたのだが、それは表に出さないようにして返事をする。ステラも特に気にする素振りもなく「それではこちらへ」と言って廊下へと向かった。ワンダはその後を付いていく。
連れてこられたのは来客用の小さな応接室だった。確かギルドに来た王国の騎士団の人たちや、取引のある商人やらが通される場所だ。何でこんなところにとワンダが思っている中、ステラがドアを軽く叩く。
「ギルド長。ワンダさんを連れてきました」
「おう、入んな」
「……え?」
ワンダの困惑した顔をよそにステラがドアを開け、入るよう促す。止まってしまった思考が回復しないまま、ワンダは応接室へと足を踏み入れた──
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます