終わりと始まり(3)

「……行くあてはあんのか」

「じいさん――!」

「なあ、レクス。ちょっと聞いてくれ」


 ヴォルフがレクスをたしなめるような声で続ける。レクスはそんなヴォルフの口調に何かを言いかけ、黙る。


「ワンダを連れ出したときに言ったな。『俺はこの子が探宮者エクスプローラーとして使い物になるか分からん』と」

「……うん」


「あのとき俺はああは言ったが、今の俺はお前の決断が間違ってたとは思わん。ワンダは俺の想像以上だったし、今となっちゃ欠かすことの出来ないうちのパーティの一員だ……けどな『今の』『この瞬間』のワンダには無理だ」


 頭ごなしに叱りつけないよう、しかし肝心なことは曲げずに伝えるようにヴォルフは話を続ける。それはこの一年ちょっとの間に彼とレクスの間で何度も見られたようなやり取りだった。


「――無駄に長いことやってるとな、色んなやつを見る羽目になる。それこそ今のワンダみたいに、ここがどうしようもなく折れちまったやつも何度も見た」


 そう言ってヴォルフは胸のあたりを指差す。


「実力もある。いざって時の度胸もある。けどある日突然心がポッキリといっちまうやつはいる。そしてそういうやつほど本当にギリギリになるまで気付けない――俺でもな」


 そう言ってふとワンダの方をチラリと見る――その視線が耐え難くてワンダは思わず下に視線をそらす。ヴォルフはああ言うが予兆はあったし、みんな気にかけてはいたが、何も出来なかった――おそらくワンダですら。


「だから今回のことはお前さん一人に負わせられるもんじゃないし、負う必要のないことだ。とはいえお前さんが俺たちのリーダーであることには変わらんし、どこかで決断しなけりゃならない局面はある……あらためて聞いておくが、うちを出ていってから行くあてはあるんだな?」


 ワンダを首を縦にふる――実際のところはまだ完全に本決まりというわけではないがすでにある程度「渡り」はつけてある。例えうまく行かなくてもどうにかして自分一人を養えるぐらいにはどうにかするつもりだった。


「……なら俺個人としては止めることはできん。ワンダの言う通り日銭を稼げない以上うちに置いとくにも限度がある……実際このままうちに置いといても針のむしろだぞ? 違うか?」


 レクスは黙っている。おそらく「そのとおりだ」と「でも仲間なら」との間で揺れ動いている。けれど目の前の現実が、その天秤を否応なしに傾けていってしまっている。


「――レクス、私からもいいですか」


 沈黙を割って芯の通った声が響く。ダリアだ。


「ダリア……」

「すいませんレクス。ですが今この場のワンダの心情も少し考えてもいいのでは?」


 いつも通りの淡々とした口調。けれどほんの少しだけ鋭いものが混じっているのをワンダは聞き逃さない。


「……ここ数日のワンダの様子をずっと見てきましたし、実を言うと相談も受けています。だからこそ言いますが今回のワンダの申し出は本人なりによく考えて出したものです。一時の感情に流されたものではありません」

「……本当?」


 レクスの問いにワンダは肯定で返す。ダリアは一見話しかけづらい。けれどどんな問にも真っ直ぐに答えてくれる。それ故に本当に大事な相談をすることも多く、今回もそうだった。


「……あなたは優しいです、レクス。だからこそ私も好意を抱いていますし、あわよくばあれやこれやいやんばかんなことも含めて関係を深めたいと思っていますが……」

「すまん今それいるかダリア?」

「失礼、場を和ごまそうと。……ともかく、ワンダはあなたの将来の足かせになりたくないと思っていますし、今この状況下であなたのその優しさははっきり言ってワンダにとって重荷です。……決断するのも優しさでは?」


 ダリアがこちらの心情を率直にほぼ説明してくれたので、ワンダは少し胸のつかえが取れたような感覚を覚える。レクスはややあって力なく天井を見上げた。


「……二対一か」

「三対一ですよ、レクス」

「……そうだった」


 苦笑いをしながらレクスは顔を下ろした。そうして重々しく口を開く。


「……分かった。認めるよワンダ。俺たちは俺たちでなんとかするから。今までありがとう」


 ――終わった。そう思ってワンダは人知れず胸を撫で下ろした。ここ数週間の嵐のような、それでいて奇妙に凪いだような日々がようやく終わる。ただそれだけで胸がいっぱいだった。


「手続きは明日の朝にしよう。下宿は?どうする?」

「えっと……しばらくは友達のところに」

「分かった」


 そう言ってレクスは立ち上がる。立ち上がる姿はほんの少しだけ弱々しい。


「何だ。帰るのか」

「うん、ごめんじいさん。ちょっと一人になりたい。勘定頼んでいいかな?」

「おう、気をつけてな」

「うん。……じゃあおやすみみんな」


 そう言ってレクスはダイナーの外へと出ていった。残されたものたちは彼が出ていったのを確認して大きく息を吐く。


「……迷宮以外で寿命が縮むかと思ったのは久しぶりだぜ」

「流石に法術でも寿命は伸ばせませんから気をつけてください」

「……ごめんなさい」

「いいんだよ。お前さんは悪かねえ」


 悪くない。


 何度聞いた言葉だろう。けれど誰も悪くないのなら、どうして誰も彼もこんな風に傷ついているのか。誰も悪くないのなら、どうしてこんなにもこんがらがってしまっているのか。


「ワンダ」


 そんな風に考えているとダリアから声をかけられる。


「大丈夫ですか?」

「えっと、はい。なんとか。……さっきはありがとうございました」

「いえ、正直見ていられませんでしたので」


 そう言って天井を向きながら息をつく。心なしかほんの少しだけ疲れているように見えなくもない。


「彼のああいうところは美徳ではありますが――」

「分かってます。だから、わたしだってここで一緒にやって来れたんです」

「――ワンダ、私からもいいですか」


 ダリアはワンダに向きなおる。いつも均質で色のない顔――けれど全く感情が現れないわけではないその顔に、今日ははっきりと憂いの色が浮かんでいた。


「なんでしょう」

「後悔しませんか」


 その言葉に、ワンダの心臓が跳ねる。


 あれほど硬い決意をしてここまで来たはずなのに、一気にグラつきそうになる。


 ダリアは相変わらず、先程から変わらない表情でこちらを見ている。ダリアの表情は氷山のようなものだとワンダは思う。表向きはそれほどでなくてもその内側には遥かに大きなものが隠れていて、そんな彼女がこれだけはっきりと顔に出すのはそれだけたくさんのものが内側で渦巻いているということ。


「……わかりません」


 ワンダは目をそらす。ダリアのそんな顔を、見ていられなくなる。


 そしてそろそろ限界だと感じ、立ち上がった。


「……すいません、その、わたしも、少し外に出ていいですか? ちょっと気分悪くなっちゃって」

「別に構わねえぞ。気をつけてな」

「はい」


 ワンダは立ち上がり、いそいそと外へと出ていく。足がまるで自分のものでなくなったようにうまく動かなかったが、気取られないようどうにか出口のドアへと向かおうとする。


「――その、ワンダ」


 ダリアが声をかけてきた。少し――ほんの少し――疎ましく思いながらワンダは声のしたほうを振り返る。


「ダリアさん? なにか?」

「――いえ、何でもありません」


 ワンダの表情から何かを読み取ったのか、ダリアは正面へと向き直った。自分の心根が見透かされてしまったかと思い、ワンダは相変わらず重たい足を引きずって出口へと向かう。


 太陽の盃亭の外は想像より暖かった。


 日が暮れて間もない時間帯、迷宮街の中央を走る大通りはまるで昼間のように明るい。魔物から取れる魔石を光源とするランプが、あたり一帯を明るく照らしているのだ。ろうそくの火とも、暖炉の明かりとも違う淡い橙色の光が、通りを歩く探宮者や飲み屋や商店の人たちを包み込む。


 サン=グレイルに来たとき、ワンダが驚いたのは夜の明るさだった。


 自分が住んでいた村では夜ともなれば目の前すらろくに見えないほどの暗闇に包まれるのに、ここではその欠片すらない。村ではあんなにはっきりと見えていた星の光が中心部ではほとんど見えないほどなのだ。けれど迷宮街での生活が続くにつれ、暗くジメジメした迷宮から外に出て、淡い橙色の光が見えるとひどく安心するようになった。


 けれどそれも今のワンダにはどうしようもなく辛いものでしかない。身を隠すようにして路地裏へと入り込んだ。


 その場に膝を抱えてうずくまる。ふとこんな時間帯に薄暗い路地裏に入ることの危険性が頭の隅をかすめるが、すぐに自分自身の浅く、早い呼吸音に飲み込まれた。知らない間に息を止めてしまっていたらしい。そうしてふと上を見上げると、狭い隙間から星の光が見えた。


 魔石ランプの光に負けないぐらいに大きく光の強い星は、ここ迷宮街でも見えないわけではない。そんな光を見てワンダは不意に故郷を飛び出してきた日のことを思い出す。


 レクスたちを追って故郷を飛び出した日、取り急ぎまとめた荷物だけかかえたワンダが住んでいた家を出たのは、まだ太陽もほとんど上っていない時間だった。レクスたちが逗留していた宿場町を目指して薄暗い道をひたすら駆けていったとき――そのときにもこんな風に空に星が浮かんでいた。


 あのときはどんな気分だったろう。怖かった――というのは憶えている。けれどそれ以上に何かが始まるかもしれないという予感に突き動かされていた。


(――どうしてこんなことになっちゃったんだろう)


 夜空を見上げるワンダの頬を温かいものが伝う。


 それから顔をうずめ、声を押し殺すように泣いた。

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