それからの日々(1)
「――だからよぉ! この買い取り価格はおかしくねえかっつってんだよ!」
ワンダの頭上に怒声が響き渡る。
サン=グレイルの
大迷宮から持ち帰った迷宮資源の換金や、外部からの依頼の受注等、探宮者にまつわる様々な手続きを行うそこは、程度の差こそあれどいつも人でごった返している。そして特に混雑する時間は通常の窓口対応に当たる職員だけでは到底追いつかないときもある。
そういうときには、時として基本は裏方にいる人間が呼び出されることも少なくは無い――すなわち今のワンダのような。
大抵の探宮者はニコニコしながら帰っていく。想定通りあるいはそれ以上の稼ぎを得て。そういうときは足取りも軽やかだ。だがそうもいかないときも少なくは無い。不機嫌だったり露骨にげんなりした顔をしながら帰って行くこともある。いいときとはうって変わって歩幅も小さく、足取りも元気が無い。それでも素直に出口までは向かう。
だが、本当にごくまれに――いや「ごくまれによくある例」として。
「前々から思ってたんだけどよお。買い取り価格下がってねえか? 前はこれぐらいの魔石だったらもうちょい高く買い取ってたろ?」
……こうして素直に帰ってくれない例もある。しかも大抵怒声付きで。
ワンダはなるべく目線を合わせないようにしながら目の前の男を見る。頭を丸めた三十代ぐらいの大柄な男。動きを阻害しない程度の防具を身につけ、背中に大きな棍棒を背負ったその姿は、街でよく見かける典型的な
実はワンダがこの男を見るのははじめてではない。以前にも受付に立ったときに他の職員が対応しているのを見たことがあった。その時も割と職員に対する当たりがキツかったが、今回は自分の番ということらしい。
「……えーと……まず魔石の価格は変わってない、です……ここ半年は多少変動はあってもギルドの買い取り価格は変わってなくて……」
「なら、どうしてこんなに安いんだって聞いてんだよ!? 魔石がダメなら素材のほうか!? それだってもうちょい高かったはずだろ!?」
ワンダは目の前の男に対してテンプレ通りの台詞を返していく。最初はこれすら怪しいものだったが、受付にも立つようになってから数ヶ月。慣れというのは残酷なもので一切の感情を込めないで接客マニュアル通りの台詞を吐けるようになっていた。が、今回はそれでも厳しそうだとワンダはうっすら感じ始めている。
手元の書類を見る。魔石の査定は基準通りだが、素材のほうが若干状態が悪かったらしく額が低くなっている。だが、正直に言ってしまうとこれでは火に油を注ぐことになりかねない。
対応に窮し、ワンダは周囲を見回した。だが他の窓口のブースにも人が並んでいてとても助け船を出せる状態ではない。すぐ隣にいる受付嬢と目が合い、助けを求めたが首を素早く横に振られた。万事休すだ。
男の機嫌はワンダの態度もあってか本格的に悪くなりつつある。ワンダがいろいろと覚悟した矢先。
「――すいません少しよろしいですか?」
――背後から涼やかな声が響き、ワンダは思わず振り返った。亜麻色の髪の毛を結い上げ、紺色の職員服をしわ一つ無く着こなしているその姿にワンダは思わず泣きつきたくなる。
「ステラさん……」
「お疲れ様です。少し手が空いたのでこちらに」
そういって女性――ステラはウインクした。ワンダの先輩職員で、ギルドにおける上司でもある。
「ここならわたしが引き継ぎますので、倉庫のほうに戻って大丈夫です。すいません人手足りないとはいえ」
「えっと、その……」
「大丈夫ですよ。さ?」
ややあってワンダは立ち上がり席を替わる。実際このままではさらに周りに面倒をかけるのも事実だった。
「あ、えーっと……」
「バズさんですね? えー換金金額についてですが……」
涼やかなステラの声を背に、ワンダは窓口を出た。少しずつ強くなっているがまだまだ穏やかな春の日差しが差し込む職員棟の廊下を抜け、本来の持ち場であるギルドの倉庫へと向かう。
迷宮街における
ギルドへの依頼受付とそれの
――あの夜から半年近くが経過している。
窓の外を彩る木々は青々とした葉を纏っている。温暖で四季のはっきりしたサン=グレイル一帯は春を過ぎ、すでに初夏。日が入らず、少しかび臭い倉庫も、もう少しすればジメジメと蒸し暑くなるのかもしれない。
――足が止まっていることに気づいた。急いで戻らなければならない。物品の数の確認とリスト作りなどやることはそれなりに多い。それを自覚した上でなお、もう一度足が止まる。
半年が、経過している。経過してしまっている。
何もかも終わりと思っていたはずなのに、それでも自分の世界は続いてしまっている。
ここは平穏だ。時折ああした探宮者もやってくるが、それでも少しづつ慣れてきている。大迷宮の中のように自分が傷ついたり、周りの人を傷つけるかもしれない状況からは開放されている。
けれど――
「――どうしてこうなっちゃったんだろう」
あの夜から何度もし続けている問いは、誰にも聞こえないまま無音の中にかき消える。
「……またずいぶんと肌寒いところにいるじゃないですか」
ギルド本部の中庭、その隅の日の当たらない木陰でワンダが一人パンをかじっていると、頭上から涼やかな声が降ってきた。ステラだ。
時刻は昼時、ギルド本部は昼の休憩時間に入っている。普段は他の同僚と一緒に食べることもあるワンダだが、今日は誘いをかけられる前に中庭に向かっていた。
昼までに多少は気持ちも回復するかと思ったがうまく行かなかった。こういうときは人が来ないところで、一人で落ち込んでいるに限る。かくして昼時はあまり人もいないギルド本部の中庭で一人昼食用のパンをかじっていたのだが――
「あの、えっと……」
「お昼休みになっても休憩室に来ないと思ってたら、中庭のほうに行くのが見えましたので。はいこれどうぞ」
そう言って小さな器を手渡してきた。見ると赤茶色をしたお茶が、ほのかな熱を持って揺れている。
「こんなところで冷たいもの食べてたら心が凍死しますよ? ないよりはいいんじゃないかと思いまして」
「……いただきます」
気を使わせてしまっていることに後ろめたさをだいぶ感じつつも、器に口を付けた。この時期にしては少し熱すぎるぐらいかもしれないお茶が身体の芯をじわりと暖めていく。
「今日はまた運がなかったですね。臨時の対応でよりによってあの人に当たるなんて」
「いえ、まあ覚悟はしてたんで……」
ここに潜り込んではや半年、あの手合に驚かなくなるぐらいにはこの職場にも馴染みつつある。
「……ただまあ帰りに犬のフンでも思いっきり踏んでくれないかなあってちょっとだけ思いますね」
「若干黒くなってきてますねー。いいですよーその意気で行きましょう」
荒み気味なワンダの台詞にも、ステラは微笑みながら返す。
「でも、だいぶ慣れてきたじゃないですか。以前よりはずっといいですよ」
「そうでしょうか」
「少し前にはじめて受付に行ってもらったときはしどろもどろだったじゃないですか。そのときよりはずっといいです」
「……だといいんですか」
実感は無いが、気を使われているのは分かるのでそのまま受け取っておくことにする。
「……だいぶ良くなったみたいですね」
ふと、ワンダの顔を見ながらステラが言う。どういう意味か分からずワンダは首をかしげた。
「顔色ですよ。半年前はそりゃひどいもんでしたから」
「ああ……」
半年前――レクスたちのパーティを抜ける前後に憔悴しきっていたワンダを、面談したのがステラだった。そのとき人員が不足していたギルドの仕事を紹介してもらい、現在に至っている。
「今日はアレでしたけど受付のほうの仕事もだいぶスムーズにこなせるようになってますし、十分にやって行けてますよ。私としても鼻が高いです」
「いえ、そんな……」
ワンダが謙遜していると、どこかステラの様子がおかしいことに気づいた。なんとなく次の言葉をどうしようか考えているようにも見える。
「どうかしましたか?」
「えーとですね……実はちょっとお話がありまして、明日少々お時間をいただきたいんです」
「お話……」
ステラの微妙に言葉を選んでいる様子にワンダが内心首をかしげていると、一つの可能性が急速に浮上してくる。
「え、まさかクビ……」
「いえ、そういう話ではないです! 断じて! 絶対に!」
「その否定は逆に怖くなるんですけど……」
「……えっと、とにかくですね。ちょっとお願いしたいことがありますんで明日の午後ぐらいにお話できればと。おそらくワンダさんにとっても悪い話ではないと思いますので」
「は、はあ……」
次の瞬間、チャイムが響き渡る。休憩終了の合図だ。
「では、よろしくお願いしますね。時間になったら倉庫まで迎えに行きますので」
「りょ、了解です」
ステラはいつも通り颯爽とした様子で歩き去って行った。ワンダはその様子を見送ったあと、自分もまた急いで持ち場に戻る。
半ば駆け足で廊下を歩きながら、先ほどのステラの様子について考える。だいたいいつも通りだったとは、思う。けれどうまく言えないけれど少し様子が違っているように感じられる。特に――
――おそらくワンダさんにとっても悪い話ではないと思いますので――
その瞬間、ステラの流れるような言葉が少し澱んだように聞こえたのは気のせいだったろうか――
――本当に彼女で無ければダメでしょうか――
――いえ、条件に合致するのはワンダさんだというのは分かってます。ですが、経緯が経緯ですし……よくよく考えると性急すぎるかもと――
――そうですね。まだ引き受けてくれるかどうかも分かりませんし。引き受けるようでしたら私のほうでできる限りフォローはします――
――ええ、実力はあると思います。あのヴォルフさんの眼鏡にかなった人ですし。だからこそあの時このまま見捨てるのもって思ってしまったのも事実です――
――分かってます。深く関わりすぎだって、でも――
――自分の夢に呪われちゃうほど悲しいことは無いですから――
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