夜は更けて(1)

「――その後俺たちは文字通り這うようにして地上にまで戻ってきた。重傷を負っていた俺とレクスはダリアの治療こそ受けているものの動けるのがやっと。比較的軽傷だったダリアも術の使いすぎで倒れる寸前。ワンダは言わずもがな――俺が持っていた虎の子の転移アイテムを使うには十分すぎた」


 ヴォルフが持つグラスの中で、酒がゆらゆらと揺れている。


「魔力の暴発――本当にごく希にだが、魔力を制御できなくなって不安定になった魔素マナがエネルギー体となって炸裂する。未熟な術者じゃ全く無いってわけじゃない――あそこまでの規模はまあまず無いようだが」


 グラスの中に入っていた大きめの氷はほぼ溶けきってしまっていた。ヴォルフは先ほどからずっとグラスに口を付けていない。マンジは最初話に集中しているからだろうと思っていたが、それだけでは無いというのを話が進むに連れてなんとなく理解してしまっていた。


「その後数週間ほど、俺たちは迷宮に潜れなかった。俺とレクスの怪我が思った以上に重かったというのもあるし、ワンダに至っては怪我こそ無かったもののとても戦える状態じゃなかった。そうして俺もレクスも動けるようになったころ、ワンダは俺たちに脱退の話を切り出した――」


 マンジも途中から一切グラスの中の酒に手を付けられなくなっていた。話に聞き入ってしまう以上に、今何を飲んでも喉を通りそうにないという感じがした。酒で麻痺させることなどできそうに無い、むき出しの痛みがそこにあった。


「――正直に言うとな、あの子が辞めると言ってくれて内心ほっとしたんだ。ずっと自分でもどうにもならないことに悩んで崩れてくあの子を見るのは正直辛いなんてもんじゃなかった。だからもし界隈から離れて生活していけるならそっちの方がいいかと思った」


 ヴォルフの顔が悔恨で曇る。このたかだか数十分の間に、マンジはこの強靱で老獪な探宮者エクスプローラーの姿が、ひどく小さくなってしまったように見えた。


「何より――俺はあの子が怖くなってしまっていた。自分のすぐそばに深い穴があることにようやく気づいたような気分だった。あの子が――自分とは違うものを見ていて、それで悩んでいてもどうにもできないということにも」


 ――身勝手だな。と小さくヴォルフは付け加える。マンジには何も言葉にすることができなかった。普段なら気休めの言葉の一つや二つ吐けそうなものなのに、そういったものが何一つ浮かんでこない。


「――調子が崩れた理由は結局分からずじまいなんか」

「ああ、さっぱりだ。お前さんの話の通りならだいぶ調子を取りもどしてるようだが、周りが見えづらいって欠点はそのままのようだし、何よりまた同じ状態にならんとも限らん」


 少し気が抜けたのか、ヴォルフはグラスに口を付ける。喉が渇いていたのかグラスの中身はあっという間に消える。


「――とりあえず俺から話せるのはこれで全部だと思う。お前があの子をどうする気なのか分からんが――もし仲間にしたいってんなら俺には止めようがない。レクスたちがどう言うかまでは分からんがな」


 ヴォルフが隣のマンジのほうへと向き直る。強い憂いをたたえた瞳――何かを致命的に間違えてしまった時、よく人はこういう目をするということをマンジは知っていた。けれどその奥には強い意志がまだ残っている。罪を負ってしまったものに残された、最後のプライド。


「ただ、俺が――俺たちが言えた義理じゃないってのは分かってるんだが――もし仲間にするってんなら、あの子を傷つけないようにしてやってくれないか」


 ヴォルフの言葉を受けて、マンジは手元の酒をあおる。潮時だと思った。これ以上は何も聞き出せない――いや、聞き出すのはあまりに酷だ。


「……ええ酒じゃったわ。ごちそうさん」


 カウンター席から立ち上がり、出入り口のドアへと向かう。早めにここから出たほうがいい――そう考えつつも不意に足が止まってしまった。


「――あんた、あの嬢ちゃんをここに連れてきたのは間違いだったと思っとるか」

「……どうだろうな」


 この位置からでは、ヴォルフの表情はうかがい知れない。ちょうどいいと思った。今から言ってしまいそうな言葉を出すには、顔が見えないほうが都合がいい。おそらく到底自分には言えた義理の無い台詞だ。


「あんたがそう考えてしまうとあの嬢ちゃんがかわいそうじゃ、だからあんたらぐらいはそう考えんでいたほうがええと思うがの」


 それだけ言ってマンジは店から出た。一瞬ヴォルフが何か言いかけたように聞こえたが、すぐにドアが閉まったので何も聞こえなかった。






 ――投げかけられた言葉にヴォルフが後ろを振り返るとすでにマンジの姿は無かった。


 ドアに付けられた鈴の音だけが不自然に長く残る。もともとそれほど客が来ない店とはいえ、今日は特に人が来ない。店主もいつの間にかどこかへと消えている。かなり立ち入った話になっていたのでこっそり消えたのだろう。


 ――今この場には自分一人だ。そう気づく。


「――若造が。言いたいことだけ言って行きやがって」


 ヴォルフは再びカウンターのほうに向き直った。すっかり空になってしまったグラスを弄びながら、先ほど投げかけられた言葉を反芻する。


「――分かってるんだよそんなことは」


 酒の力を持ってしても重たい沈黙が垂れ込める店内でヴォルフは一人、つぶやいた。






 マンジがバーがある裏路地から表の通りから出ると、周囲はすっかり暗くなっていた。石畳が敷き詰められた広い通りを魔石ランプの光が照り返している。初夏に入るか入らないかという時期だが、夜中はまだ冷える。


 マンジの目の前を仕事帰りに一杯引っかけたと思しき探宮者の集団が通り過ぎて行く。今日の稼ぎが良かったのか、赤ら顔でだいぶご機嫌な様子だ。その日いいことがあったものもそうでないものもオレンジ色の光が優しく飲み込んでいく。


「マンジ」


 ふいに横から声が響き、マンジは思わず飛び退く。見るといつの間にかすぐそばに寄ってきていたのかシエルが立っていた。


「何じゃおったんか。驚かせおって」

『そこまで 驚かなくても いいと思う』

「そうは言うても音も無くいきなり横に来られたら驚くわ――というかずっと待っとったんか? 時間になるまでそこらへんうろついててええって言うたじゃろ」

『うろついてた 時間になったから 戻ってきた』


 シエルがマンジに向かって突き出している念紙マインドシートから次々と言葉が吐き出されていく。こうした形での「会話」はマンジにとっては慣れたものだ。


 本格的にパーティを組むにあたりマンジがまず声をかけたのがシエルだった。シエルもある程度自分の「事情」を知っているマンジの誘いに乗らない理由も無かったため二つ返事で引き受けてくれた。今回の下調べにも暇さえあれば付き合ってくれている。


『話 聞けた?』

「……ん、まあな……」


 どう言ったものか、マンジは悩む。聞くには聞けたし、なぜあのような境遇に陥っているかも理解はした。しかし――


(もーちょっとしょうもない理由だと思ったんじゃけどな……)


 想像以上に重たい事情があったことを知ってマンジは内心引いてしまっている。仲間に入れたとして果たして自分に扱い切れる人間なのかと。あの百千錬磨であろう男でさえ、匙を投げざるを得なかったようなものだというのに。


 ――あの子を傷つけないようにしてやってくれないか――


(……そんなこと言われちまうとなあ……)


 臆している。自分の理性のまともな部分が「やめておけ」と言っている。ワンダの暴れっぷりを「面白い」と感じたのは否定しようもない事実だが、今はそれ以上に見えている爆弾のほうが目に付いてしまう。


 ――と、シエルの指がマンジの腕をつついているのに気づいた。何かと思いシエルのほうを見ると、突き出した念紙マインドシートに文字が現れる。


『迷ってる?』


 ――マンジは内心舌を巻く。今目の前にいる腐れ縁の男にはつくづく隠し事ができそうにない。


「……あそこまで、面倒なもん抱えたやつとはおもわなんだ」

『マンジが言うなら 相当』


 シエルが小さく息を吐く。手に持った念紙マインドシートからは時間を置きながら言葉が吐き出されていく。


『俺は どっちでもいい そろそろ どこか 落ち着きたい マンジが いるなら やりやすいってだけ ただ――』

「ただ?」

『ここ数日の あれこれ 調べ物してる マンジ 楽しそう あんまり 見たことない』


 マンジは思わず言葉を見失う。組む相手について調べるのは、この稼業で生き残り、日銭を稼ぎ、目的を達するため。それはそのままマンジの探宮者稼業へのスタンスに直結している。楽しみとは無縁のはずだし、いつもと同じつもりでやっているはずなのだが――


(――いや、そうでもないか)


 実際問題としてここ数日、少しだけ、この稼業を続けてきて覚えたことのない高揚感を味わっていることにマンジは気づく。生きるためだけに続けてきた仕事に、世界に、まだこんな風に「面白い」ことがあるとはじめて気づいたような、そんな感覚。


『たまには 面白そうだと 思うこと してみたら いい』

「……えっらそうに」


 マンジはシエルを軽く小突く。シエルはそれを優しく受け止める。


「……まあ、そうじゃの。たまに変なことしてみてもええじゃろ。うまくいかんかったらその時じゃ」


 シエルは短く首を縦に振る。どのみちどれほど調べ物や準備をしたところでうまく行かないときは徹底的に行かないし、逆もまたしかりだ。そして今のマンジは珍しく冒険をしてみたい気分になっている。


(――さて)


 ワンダに関しては腹が決まった――もちろん当人のやる気次第ではあるが、どうにかして引き込めるなら引き込んでみようと思う。あとはもう一人のほう。おそらくワンダと同じか、それ以上の難物。


(ワンダもそうじゃが――あのじゃじゃ馬の方はどうかのう)

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