パンケーキと意思確認(1)

 迷宮街の飲食店街のかき入れ時は主に二つ。一つは夕方から夜にかけて、これは仕事帰りの探宮者エクスプローラーが主な客層。もう一つは早朝から昼少し前にかけて。こちらは仕事に出る探宮者エクスプローラーたちが朝食とその日の昼食を仕入れるために混み合う。


 では昼はどうかと言えば――この二つの時間帯ほどではないにしろ人は多い。


 迷宮街は探宮者エクスプローラーだけで回っているわけではない。彼らが迷宮に潜っている間にも様々な人間が仕事をして街を稼働させていて、そうした人間も立派な客だ。今日の昼もそうした人々で通りはごった返している。


 そんな飲食店街の一角。こじんまりとした喫茶店の中にワンダとステラの姿があった。


 二人の目の前のテーブルの上には三段に積まれたパンケーキが二皿。上には生クリームが乗せられ黄金色の蜜が垂れている。ステラと同じものをワンダも頼んだのだ。


「はえー……」

「食べないんですか? おいしいですよ?」


 パンケーキにナイフを入れながら、ステラが話しかけてくる。


「すいませんなんか普段なかなか食べられない代物なんで……ご馳走になっていいんでしょうか……」

「私の都合で来てもらったわけですからいいですよこれぐらい。この間のお礼も兼ねてますし。だいぶ無理させちゃいましたからね」


 そう言ってステラは口にパンケーキの切れ端を運んだ。しばらくするとその口元がほんの少しだけ弛緩する。それを見て、ワンダも口へと運んだ――確かにおいしい。ふわふわとした生地に甘い蜜がからんで、乾いた身体に染みこんでいくように感じる。


「どうです?」

「染み渡ります……!」

「あんまり聞いたことない表現ですね……」


 ステラがクスクスと笑った。確かに大げさかもしれないが実際午前中の諸々で疲れていたらしい身体には文字通り染みこむように効いてくるのが分かる。


「でも、ちょっと変わった味の蜜ですね? 蜂蜜っぽいけどなんか違うというか……」

「ああ、それはですね……クラウドビーって聞いたことあります?」

「魔物のですか?」


 クラウドビーは大迷宮内に出現する蜂の姿をした魔物だ。人の手のひらぐらいの大きさで一匹一匹は決して強くないが、大抵集団で襲ってくるので面倒くさいということはワンダも知っている。


「あれの作る蜜なんですよこれ」

「え、食べられるんですか!? というか魔物の肉とかってまず不味くて食べられないんじゃ……」

「魔物そのものじゃなくて魔物がこちらの世界のものを使って作る生成物ですからねー。倒しても残りますし、なんなら食べられるものもありますよ」

「なるほど……」

「まあ、足も相当早いですから迷宮街以外ではまずお目にかかることが少ないですからね。地元ならではの名物ってやつです。」


 そう言ってステラは再びパンケーキを口の中へと運ぶ。そのたびに緩む口元をワンダは興味深く眺めていたが、ふとなぜここに来たかを思い出した。


「あの~ステラさんそれで話って……」

「あ、すいませんつい……ここ最近忙しくてなかなか来れなかったものだから……」


 ステラは口元を拭いて、小さくコホンと咳払いをした。すると一瞬で仕事場での真剣な雰囲気に戻り、ワンダも思わず威を正してしまう。


「まあ単刀直入に聞いちゃいますけど……ワンダさん、本格的に探宮者エクスプローラーに復帰したいですか?」


 ワンダは思わず息を飲んだ。それを見たステラがすかさず返してくる。


「あ、これはもちろんワンダさんがお役御免だからとかそういう話ではないですよ? 実際ギルドウチの仕事はよくやってもらっていると思っているので。……ただ、これから先まだ探宮者エクスプローラーの仕事をやりたいかっていう話です」

「先……」


 これから先の話。この半年間の間は考えることすらできなかったこと。考えるのをやめていたこと。


 それが今目の前に突きつけられている。


「……ステラさんはどう思ってますか」

「それを私に聞くのはあんまり良くないですね」

「……すいません」

「……まあ、この際ですしね。忌憚なく言わせてもらえるなら――」


 ステラがもう一度咳払いする。その目の色が少しだけ変わるのをワンダは見る。


「――さっさと復帰すべきだと思ってます。むしろ何やってんだって気分です」

「…………」

「ゴブリン十数匹とロード手前のホブゴブリンを一人で殲滅しきる人がこのサン=グレイルにどれだけいると思います? しかも六ヶ月のブランクがある上でです。 というかそういう人がやっていい動きじゃないです」

「……ステラさん……?」

「正直ギルド長があなたを引っ張り出すと言い出したときは、早すぎると思いましたけど、蓋を開けてみたら大暴れだし……というかなんですかあれ。人が作っていい破壊の痕じゃないですよ?」

「ステラさん……?」

「というかワンダさんみたいな人が迷宮にすら潜れないというのは何かおかしいと思いますよ正直。そりゃ色んな事情があるのは分かりますし、私がこっちに引っ張り込んだってのもありますけど、でもやっぱりあんなの見せつけられてギルド内で倉庫番させとくっていうのも――」

「ステラさーん……?」

「……すいません」


 ステラが恥ずかしそうに目を伏せた。やはりこの人、思った以上に鉄面皮というわけではないのかもしれない――とワンダは思う。


「まあ端的に言うなら、ちゃんと能力のある探宮者エクスプローラーの人が迷宮にすら潜れないってのはギルド――っていうかサン=グレイル全体の利益にならないってのが私の意見です――でもあくまでこれは私の意見でしかありません」


 ステラの視線が矢のようにこちらを貫いてくるようにワンダは感じる。


「重要なのはワンダさんがどうしたいかってことです。能力があったとしても、当人がそれを望んでいなければ意味がありませんし、なんなら不幸すら招きます――ワンダさんはどうしたいかそれを今日は聞きたいんです」

「――分からないんです」


 自分でも驚くほど素直な言葉が出ていた。今更取り繕うのも難しく、少しずつ思っていたことを言葉に出していく。


「ずっと『まだやりたい』って気持ちと『もう出来ない』って気持ちがせめぎ合ってて――だから色々踏ん切りが付かなくて――だからこの間の話にも乗ったんです。けど――やっぱり色々ダメで」


 だからこそあのときレイシアに何も言い返せなかった――自分でも一番良く分かっていたから。


「自分ではまだやれるかもって思ってたけど、何にも変われてなくて――でも、あのとき思っちゃったんです。『次が欲しい』って」


 誰かを傷つけるかもしれない自分のままで終わりたくないと。


 ちゃんと誰かのために力を使える自分でありたいと。


 ――そう心の底から思ってしまった。


「このまま終わっちゃったらこの先一生後悔するって、もう絶対自分を好きになることもできないって、だからそのどうしたらいいかっていいのか分からないけどわたし――」

「はい、ストップです。ちょっと深呼吸してください。よく分かりましたんで」


 ステラが人差し指を立てて制止する。そこでようやくワンダは自分が息を継ぐことすら忘れていたことに気づいた。


「――とりあえずまあ復帰はしたいとは思ってるけど、そこに至るまでの具体的なプランまではまだ分からなくて迷っているってことでいいですかね?」

「……はい」


 少し呼吸を落ち着かせながらワンダは答える。テンションが落ち着くにつれ、一人で勝手に盛り上がってしまった自分が恥ずかしくなってきた。


「ええとですね、わたし――」

「はいストップ。それ以上踏み込むと次に進めるのが難しくなるんで。――とりあえず、意思確認だけはできて良かったです。あとはまあそこに至るまでの具体的なプランになりますけど……一応聞いておきたいんですが、古巣に戻るとかは考えてます?」

「……うーん……」


 レクスたちの元を抜けたいと言ったのは自分からだし、当のレクスたちは別の場所にすでに落ち着いている。それでも、もしワンダが戻りたいと言えば歓迎はしてはくれるかもしれないが――


「……やっぱり心情的に無理ですね……現実問題としてあわや壊滅させかけてるんで……」

「ですよねえ……」


 考え込むステラの前でワンダはうなだれる。やはり古巣に戻るというのは今のワンダの中では現実的ではない。


「ちなみに他に頼めばパーティに参加させてくれそうな知り合いとかは」

「……いません……」

「となるとしばらく“流し”として活動しながら新しく入れるところを探すしかないって感じになりますかね……まあそのへんはおいおい考えて行きましょうか」


 淡々と話を進めるステラにワンダは力なくうなずく。早速心が折れそうだ。


「なんかすいません……というかこっちの勝手でギルドにも迷惑かけそうですし……」

「まあ人手が安定しないってのは確かに困りますけど、こっちとしても探宮者エクスプローラーが増えるのは悪いことじゃないですし。ウィンウィンってことにしておきましょ。ね?」

「――あの」

「はい、何でしょう?」

「以前からお聞きしたかったんですが、なんであのときわたしに助け船を出したんですか?」

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