パンケーキと意思確認(2)
「あのときというと、半年前のことですかね?」
「はい」
資料室でのアルカとの会話を思い出す。時折、仕事の範囲内ではあるがワケありの探宮者に過剰に世話を焼くときがあると。
当時ボロボロになっていたワンダに、欠員が発生していたギルドの仕事を紹介したのがステラだった。以来今この瞬間まで何かと世話になっている。そしてアルカの言を信じるならばレイシアにも同じような少し過剰な干渉を行っていると思われる。――なんでここまでしてくれるのか知りたい――というのが本音だ。
「あのときは……そうですね、単純に見てられないってのもありましたけど、このままだとワンダさんのやってきたことをワンダさん自身が否定してしかねない感じでしたので」
ステラが手に持ったフォークとナイフを置いて、こちらを見据える。
「私も――聞いてるかもしれないですけど昔
淡々と語るステラをワンダは信じられないという気持ちで見つめていた。目の前のステラの語っている内容と今のその姿がうまく結びつかない。
「そんときにギルドに拾われて今に至るんですけど、まああの時は酷かったというか色々と捨て鉢気味になっていたというか……なんというかとにかく自分自身が嫌いでうっとおしくてどうしようもなくて、後悔ばっかりだったんですね。『どうしてこんなことになってしまったんだろう』って」
――どうしてこんなことになってしまったんだろう。
思わぬ言葉が目の前の人から出てきて、ワンダは背筋が泡立つ思いがした。この半年間の間、ずっと自分が胸に抱いてきた言葉。深い悔恨とどうしようもない困惑が詰まった、たった一言。
「この仕事を――
いつものステラと同じように淡々と――いや、違う――いつも通りに見せようとしている、とワンダは感じる。波も立てない水面のようなその口調からは、熱が滲み出している。
「――正直望んで就いたかと言われれば自信を持って答えられません。けど、かつての自分と同じような人間を助けられるかもしれないこの仕事は好きです。そういう人たちが自分自身に、夢に呪われてしまう前に助けられるかもしれない」
「夢に――呪われる」
「やめるにしろ、続けるにしろ、それに思い入れが強ければ強いほど決断には強い意志がいるし、後悔も大きくなります。時にはそれをした自分を恨んでしまうことだってある」
――でも、そういうのって悲しいじゃないですか、とステラが小さな声で付け加える。
「自分が好きで――そうでなくても強い意志を持って望んできたことに、呪われてしまうなんてのはどうしようもなく悲しいことです。どんな道を選ぶにしろ納得できるように、後悔しないように、手助けをする――それも大事な仕事だって思うんですよ、私」
「…………」
言葉が、出なくなる。
「まあ、そうは思っててもなかなかうまく行かないことばっかりというか、助けようと思っても手も届かないままやめられちゃったりすることも多いというか――まあですので、ワンダさんが気に病む必要はないんですよ。
「は、はい」
ワンダは力なく返事をした。そうは言われても色々と頭の中では嵐が駆け巡っている。
「さて、まずは食べて午後からの仕事に備えましょうか――というかほとんど食べてないようですけど大丈夫ですか? もうそんなに時間がないですけど――」
ステラの言葉を受けて自分の皿を見ると、まだあまり口を付けていないパンケーキがそこにあった。店の時計を見ると昼休憩終わりまで時間が無い。もったいないなあ――と思いながらいつもの昼食の何倍もするであろうパンケーキを急いで掻き込んでいった。
夕日が地平線に沈み出すころ、迷宮街では小さな光があちこちで灯り出す。
魔石ランプが放つオレンジ色の淡い光――迷宮資源で支えられているこの街を象徴する明かりは夜遅くまで迷宮街の通りをまるで昼間のように照らす。そしてその明かりの下を仕事帰りの
そんな活気あふれる街の小さな路地裏、人もなかなか入ってこないような場所に小さなバーがあることを知っているものはあまり多くはない。
店主は元
そんなバーには夕方もまだ早いこの時間、ひょろ長で禿頭の店主と一人の男がカウンター席に座っているだけだ。白髪交じりの銀髪に深いしわが刻まれた顔、だが服の下の身体はまだまだ雄々しくたくましい。手に持ったグラスの中では、飴色の穀物酒がゆらゆらと揺れている。
銀髪の男――ヴォルフがここの常連であることを知る人間はそれほど多くはない。
レクスやダリア、そして今三人が身を寄せているクランの連中にも知る人間は少ないはずだ。考え事やあるいは何もかも忘れてボーッとしたいときヴォルフはよくここに来る。
今日は
現在ヴォルフたち三人が身を寄せているクラン――「灼熱の蜥蜴竜」は構成員も多く、フルメンバーで迷宮に潜るということはまず無い。今日はレクスとダリアが他のクランメンバーと潜っており、ヴォルフは地上で休暇を取っている。
とはいえ特にやることも思いつかないので諸々の用事を済ませてからこうして夕方の早い時間から酒をあおっているというわけだ。楽といえば楽。しかしこういうのはあまり好きでは無いとヴォルフは思う。
大手クランではある程度明確なローテーションを組んで迷宮に潜るところも少なくなく、「灼熱の蜥蜴竜」では若手の育成に力を入れているのもあって、自分のようなベテランはどうしても現場に出る機会が減り気味だ。むろん潜らなくても訓練等やることはあるが、それにしても限度はある。
(――やはり早々に蜥蜴竜からは離れたほうがいいかもしれんな)
「灼熱の蜥蜴竜」に身を寄せて半年近く。少し前からヴォルフは再び「赤いたてがみ」を復活させるためあれこれ動いてはいたが、当のリーダーであるレクスがあまり乗り気ではない。致し方ないとはいえ、歯がゆい。しかし、ヴォルフとしては強引に復活させる方向に持って行くのは避けたかった。
レナードの故郷でレクスを拾ってから数年。ダリア、ワンダを引き込み「赤いたてがみ」を立ち上げさせてからというもの、ヴォルフはその場ごとに助言はすることはあってもパーティの意思決定はレクスにさせるよう努めてきた。自分がリーダーになれば色々なことが回りやすいということも分かっていても、それを固辞してきたのはレクスになんとしてもいずれは自分たちを率いる将になってもらわなければならないという狙いがあったからに他ならない。
確かに自分のような経験の多い人間が上に立てば「赤いたてがみ」はそこそこのラインまで行くだろう。だがおそらくそこまでだ。自分たちが掲げる「目標」――すなわちサン=グレイルの最下層到達を実現させるには、それをやり遂げられると他のメンバーに信じさせるだけの何かを持った人間が上に立つことが必要になる。
――そう、かつてレクスの父親であるレナードが自分たちを纏めスマウグに立ち向かったときのように。
おそらくレクスにはそれがある。まだ頼りないが人を引きつけるカリスマ性の片鱗とありとあらゆる事態を打開できうる「切り札」――レクスにはそう遠くないうちに再び自分たちの上に立ってもらう必要がある。「灼熱の蜥蜴竜」の首脳陣もレクスの非凡さには目を付け始めている。“取り込まれる”前に距離を取るのは早急の課題だ。
(――とはいえどうしたもんかね)
結局考えごとをしてしまっているなと、ヴォルフは心の中で苦笑する。すると次の瞬間、背後の店の入り口のドアが開く音がした。
男だな――とヴォルフは背後から近づいてくる足音を聞いてまず思う。たぶんそこそこの高身長。しかも足の動かし方が独特だ――
「いらっしゃい――お客さん初めてだね」
「おう、知り合いからこの店のこと聞いてのう。――すまんがそこの御仁と同じ酒をくれんか」
「あの酒? いいけど――結構するよ?」
そう言って店主がメニューを見せると男は「……すまん別のヤツで」と言って、棚にある別の酒を指さした。ヴォルフが飲んでいるものよりだいぶランクの下がる大衆酒。どうやら持ち合わせはそれほど無いらしい。
――と、気づかないうちにジロジロ見てしまっていたのか、男と目が合った。
すぐさま目をそらし、グラスに口を付ける。だが、男は逆にこちらのすぐ近くまで近づいてきた。そしてしばらく顔をのぞき込んでいたが、やがて何かに気がついたように言った。
「――お前さん、ヴォルフか? “千里眼”の! 邪竜殺しの! そうじゃろ!」
「……人違いじゃねえかね」
「いーや、違わない! この界隈であんたの顔と名前を知らんのはモグリかド新人のどっちかじゃ! 違うか?」
男はヴォルフを見てだいぶテンションが上がっているようだった。ヴォルフはその様子を見ながら内心苦笑する――
「まさかこんなとこでこんな有名人と会えるとはのう! 腕利きの
――どこまで本当だか。
「付き合うのはいいが――というか俺はいつも通り飲ませてもらうだけだが――名前を名乗らねえってのは良くねえと思わねえか」
「ああー! そうじゃのう」
そう言って男は右手を差し出す。その顔は育ちすぎたイタズラ小僧のようにも見えた。
「――マンジじゃ! よろしくな!」
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