探り合い(1)
サン=グレイルの
夕方はその日の稼ぎをその日のうちに換金しようとするものたちで。一方朝はその前日の稼ぎを一刻も早く換金しようとするものたちで。この二つの時間帯は普段あまりこうした窓口に立たない職員もかり出されることが少なくない。
この日の朝も相変わらず換金の窓口は盛況だったが、今は少しずつ落ち着きつつあった。そんな窓口の一角で――
「――だからよお、少なくねえか? サイズはもちろん重さ的にも申し分ねえ魔石のはずだぞ」
――ワンダは対応していた
頭を丸めた三十代ぐらいの男。いつぞやもワンダが対応したことがあり、そのときも買い取り価格が低いとゴネていたが、今日もまた不満たらたららしい。
「それによお。素材も今回に関しちゃ上物のはずだぜ? もうちょい高くてもいいんじゃねえかって思うわけよ俺は」
「はあ――」
ワンダは気のない返事を返す。話の内容は聞こえているし理解も出来るが、いつぞやのような焦りは無い。話を聞いていれば聞いているほど感情から身体が切り離されていき、生気の無い言葉を繰り返す操り人形と化していくのを感じた。
「俺もよお、正直生活がかかってるわけよ。そろっと装備とかも換えねえとマズい頃合いだしさあ。もう少し高くならねえかなあ?」
「すいません――」
「えっと、嬢ちゃん大丈夫か……? さっきからずっと生返事だぞ……?」
さすがに男もワンダの様子が妙なことに気づいて、気遣うような声を出してきた。しかしワンダは男の様子を介さずマニュアル通りの言葉を吐き出し続ける。
「すいません大丈夫です。金額ですが、ギルドの基準に沿ったものをお出ししておりますので、不満等があるようでしたらその他要望の窓口でお願いします」
「えっと」
「基準です」
ワンダの様子に気圧されたのか、男は引き下がっていった。心なしか丸まっているその背中を見てワンダは空中に小さく息を吐く。
「……大丈夫?」
他の探求者の対応をしていた先輩の受付嬢――ルシエが話しかけてくる。
「ええ、まあ、なんとか……最初は怖かったんですけど、途中から色々面倒くさくなってただ相づち返してるだけになってました」
「無私の勝利だねえ……」
ルシエは深く関心したかのような顔を向ける。いつぞやと比べれば確かに勝利と言えなくもないが、徒労感は相変わらずだ。
「……あ、もうそろっと空いてきたし、戻って大丈夫だよん」
「ありがとうございます……」
ワンダは立ち上がり、窓口ブースから出る。フラフラとした足取りでギルド内の廊下へとでるとその場で大きくため息をついた。
――ゴブリンの討伐から一週間近くが経過している。
あの日帰った後もしばらく体調は戻らず、結局三日ほど休んでしまった。そこからどうにか動けるようになり職場復帰してから何日も立つが、どうにも身体と精神共にふわふわした感じが抜けない。
まるで現実にいるはずなのに夢の中にいるようなそんな気分。とはいえ以前
その場で少し伸びをして身体をほぐす。窓から差す午前の光がほんの少しだけ精神を現実に引き戻してくれる気がする。
あの日以来、レイシアたち討伐班のメンバーとは顔を合わせてはいない。あの後サン=グレイルまで戻ってきてギルド本部前で分かれたのが最後だ。と言ってもこのときもワンダは相当調子が悪く、ステラに連れられて自宅までどうにか帰ったという状態だったのでほとんど憶えてはいない。
また、ここ数日は朝焼け亭にも行ってはいなかった。あのときワンダが暴れ回らなければ取り返しのつかないことになっていた可能性はあるが、一方で殺しかけたのもワンダである。正直オーツの様子を見に行きたいのは山々だったが、どうしても行く気にはなれず、帰りも普段とは違う道を通っていた。
(なんか、ぐずぐずだなあ……)
倉庫に戻る道を、ワンダはうつむき加減に歩く。
少しは使い物になるかと、そうではなくても邪魔にはならないぐらいにはなるかと思っていたが、結局はこの体たらくだ。確かに人は助けたかもしれないがレイシアたちがいなければまた半年前と同じ――いやよりひどいことになっていた。
――やっぱり、
この一週間ばかり、どんな風に考えてもこの結論に行き着いてしまう。決して愉快とは言えない答え。その度にその場で足が止まってしまうような回答。
(――えーい、仕事だ仕事!)
両手で自分の頬を張り、身体を前に動かす。そうして倉庫に戻ろうとした矢先。
「ワンダさーん、ちょっといいですかー?」
後ろから声をかけられた。後ろを振り返るとファイルを抱え持ったステラが立っている。
「あ、はい。なんでしょうか?」
「午後からいくつか面談があるんですが、ここにある方の個人用ファイルをいくつか持ってきてくれませんか? 私これからちょっと用がありまして」
そう言ってステラはいくつか名前の書いてあるメモをよこしてきた。
「資料庫の者にはステラからと言えば大丈夫なはずです。時間が無ければ他の方に頼みますけども……」
「いえ、大丈夫です。ステラさんの机の上に置いておけばいいですか?」
「はい、お願いしますね」
ステラはそのまま歩き去って行った。相変わらず一切の無駄の無い動きでワンダは見とれるのと同時に半ば呆然としてしまう。まあ、ともあれ仕事だ。資料庫まで行って指定されたものを取ってこなければならない。
(あ、そうか資料庫……)
ワンダはここに来て思い返す。ギルドの資料庫。そこに一応いる「番人」のことを。
(……わたしあの人苦手なんだよなあ……)
資料庫はギルド本部敷地内のかなり奥まった場所にある。主にワンダが仕事のしている倉庫棟のすぐ脇。扱っているものの関係上からか窓も少なく、建物内は少しばかりかび臭い。
そんな資料庫の受付で――
「やほ~、ワンちゃん久しぶり~!」
――ワンダは「大型犬」と対峙していた。
ふわふわした暗い栗色のロングヘアーに、かけた四角い眼鏡の奥からは常に下がり気味の目尻。人なつっこそうな顔と声をいつもこちらに投げつけてくる。その姿を見るたび、ワンダは田舎に住んでいる時分に見た大きな人懐っこい犬を思い出す。
「お久しぶりですアルカさん」
ワンダは「大型犬」の女性――アルカに挨拶する。このギルド資料庫の管理者だ。
「いや~ワンちゃん今日もかわいいねえ。ふわっふわだねえ。ちっちゃいねえ」
「ありがとうございます……あと、ごめんなさいその呼び方はちょっと……」
「え~でもワンちゃんちっちゃいしふわっふわだし、かわいいからぴったりだと思うんだけどなあ」
「そ、そうですかね……」
顔を合わせるのは久々だが、相変わらず独特なテンポでこちらに接してくる。とはいえこちらも仕事なので、さっさと話を進めていく。
「ええと、ステラさんからこちらの資料を持って来いって言われたんですが……」
「あーはいはい個人ファイルねー。ふんふん」
ワンダから受け取ったメモをしばしアルカは眺める。やがてそれを再びワンダへと手渡した。
「はいはーい、入っていいよーん」
「え、アルカさんが取ってくるのでは……?」
資料庫内の資料には、当然のことながらギルド職員内でも閲覧できるものが限られているものもある。だからこそ受付に「門番」としてのアルカがいるのだが……
「だって、あたしが探すよりワンちゃんが探すのが早そうだしー? 見たとこワンちゃんが見ても大丈夫そうなとこのやつだから直接持って来なよ」
「早いって……」
「どうせワンちゃんなら変なとこ入ったり見たりとかもしないだろうしー、ほら入りなって」
そう言って、アルカはカウンター脇の小さな扉を開けた。アルカはカウンターの席から動きそうな気配を全く見せない。ワンダは内心かなり戸惑いながらカウンター脇をくぐってその奥へと入っていく。
倉庫での物品整理等裏方の仕事に関わっているため、必然的にワンダも関わることも少なくないのだが、良く言えば大らか、悪く言えばいい加減なこのノリには毎度戸惑う。もちろん当人なりに守るべき筋があるようには感じられるのだが。
「個人用ファイルはその右奥のほうねー。看板あるからそれに従って。誰か来たら面倒だからその前にサクッとよろしくー」
あんまり良くないことしてる自覚はあるんだな……とワンダは内心でため息をつきながら資料庫の個人用ファイルの棚のほうへと向かった。
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