ラジン(ウンノ) 対 物部熊

「さあさあ、これより始まるは三つの氏族の力比べ! 男ならば寄って見いや!」




 土師のあおりに、見物していた大勢の人間が喝采を上げる。

 筑紫と物部の兵たちは周りの熱気に戸惑っていたが、土師の部下たちも見物人と同じく叫んでいる。




「土師よ」




 喧噪の中、物部が問う。




「無駄に時間をかけるつもりはない。手っ取り早いものにしろ」

「なんや、意外に乗り気っちゅうことか」




 土師は肘で物部をつつくが、物部はすぐに一歩離れた。




「そうさな……手早く決着をつけるものなら、隊で選ばれた人間どうしの一騎打ちや。恨みっこなしで、気が済むまでやり合うんや」

「良いだろう」




 物部は了承した。

 それから土師は、薩夜麻を見た。




「お前のところからは二人選んで、わしらのそれぞれと戦ってもらうぞ」

「私たちだけ二人ですか」

「おうよ、あくまで主役はお前らや。わしと物部をどちらも納得させてこそ、皆から認めてもらえるんや」




 二人が選ばれると聞いた筑紫兵は、自分たちの先頭に立つ三人に、自然と目を向けた。この隊の中で出るとしたら、薩夜麻、博麻、ラジンの三人しか考えられない。




「俺が行く」




 博麻自身もそのつもりだったようで、迷うことなく名乗り出た。




「兄貴、頼めますか」

「当然だ。こういうのは、俺に任せろ」




 前に出た博麻の背中を見て、薩夜麻はふっと笑った。




「ならば、もう一人は私が」




 そう言いながら馬から下りようとすると、ラジンが手で制した。




「もう一人は僕が行く」




 ラジンも前に出て、博麻の隣に並び立つ。

 武器の扱いが上手くなったとはいえ、ラジンの正体は少女である。

 いくらなんでも自分が出ないわけにはいかないと薩夜麻は思ったが、ラジンは顔を後ろに向けた。




「若さまは将だ。大事な将を危険にさらすわけにはいかない」

「しかし……」




 薩夜麻は博麻に視線を移す。

 兄貴ならラジンを止めてくれるはずだと思ったが、博麻はむしろ嬉しそうだった。




「いけるか、ラジン」

「当たり前だよ、おじさん」




 博麻とラジンが前に出たのを見て、この二人が代表者だなと周囲も理解した。




「あの刺青親子が出るらしいぞ」

「父親のほうはともかく、子どものほうは戦えるのか?」

「わからん。だが、先ほど投げてみせた石つぶては、なかなかだった」

「石投げで争うことはあり得ないだろう。相手は土師と物部だ」




 周りは二人のことを刺青親子と呼び、二人の実力がどの程度かとささやき合う。

 土師と物部も、前に出た二人に目を向ける。




「お前ら二人か。さっきから気になっていたが、面白い彫りものしとるなあ」




 博麻とラジンの顔を、土師は興味深そうに見てきた。




「わしの故郷にも彫りものをする集落はあるが、それとは少し毛色が違うなあ。朱の刺青はあまり見たことがない……炎や太陽を尊び、大自然に畏敬を込める、狩人の彫りもののように見えるのう」




 二人の刺青の形を見ただけで、土師はその意味のほとんどを理解した。




「詳しいな」




 博麻が感心すると、土師は得意げに笑った。




「出雲には古くからの風習や、神さんの言い伝えが腐るほどあるんや。それくらいのものは、なんぼでも見てきたわ」

「世間話はそこまでにしておけ」




 話しこむ二人に物部が割って入り、博麻に顔を向けた。




「子どもを相手にするつもりはない。私がお前を、」




 物部が博麻を指名しようとした時、ラジンが剣を抜き、切っ先を物部に向けた。

 いきなり剣を向けられ、物部はあぜんとした。




「お前の相手は僕だ。かかってこい」




 明らかな挑発を受けた物部だったが、怒りよりも驚きのほうが強かった。




「小僧、本気か」




 厳しい口調で物部が問うと、ラジンはわずかに口角を上げた。




「ああ」

「痛い目を見るぞ」

「そっちこそ。小物へのお仕置きは、僕で充分だ」




 まったく挑発をやめないラジンに、物部はやれやれと首を振った。

 少年が相手とはいえ、ここまで言われてしまえば物部としても引き下がれない。




「面白い小僧やのう」




 横で見ていた土師はくすくすと笑った後、博麻に向き直った。




「わしの相手はお前や」

「おう」




 博麻も小さな笑みを浮かべてうなずいた。




「よっしゃあ、お前らついてこい! 西の入り江で力比べじゃあっ!」




 土師の号令により、再び大勢の人間が熱狂し、我先にと西へ走った。


 港町から西へ進めば、砂浜に囲まれた三日月状の入り江がある。

 入り江に続く道は広い下り坂となっており、その坂の両脇には崖がそびえ立つ。


 力比べをする四人、薩夜麻、そしてその他の地方豪族が、砂浜の中央に集まった。

 殺到した見物人は砂浜に収まりきらず、下り坂から遠巻きに見るか、危険をおかして崖の上から眺めるかのどちらかだ。




「ここに集まった諸侯には、この力比べをしかと見守ってもらいたい」




 物部が地方豪族たちに向けて言う。

 豪族たちはうなずき、了承の返事をした。


 彼らは半円を作り、海側以外を囲むようにして座った。これで部外者は邪魔できなくなる。仮に乱入しようとする者が現れれば、豪族たちがただちに斬り捨てるだろう。




「さて、早速始めようや。どちらから行くんや?」




 土師が言うと、物部は部下に鎧と剣を預け、代わりに長い木製の棒を受け取った。




「そら」




 物部はその棒を投げ、ラジンの足元に転がした。




「お前はそれを使え。遠慮はいらん」




 挑まれたからには受けて立つが、素手どうしで戦うのはさすがに大人げない。侮る、小馬鹿にするといった次元ではなく、物部としては当たり前の配慮だった。


 周りで見物している者たちも、物部のとった行動を当然と見ていた。真っ向から殴り合うのも面白いが、それではラジンに分が悪すぎる。一方的な勝負を見たいわけではないので、ラジンが棒を拾って構えても、怖気づいたかと馬鹿にするつもりもなかった。


 しかしラジンは拾わない。恐怖や緊張で固まっているのではなく、物部に対して本気の怒りを向けていた。




「安心しろ。それを拾って戦っても、力を認めないとは言わない。良いから攻めてこい」




 重ねてかかって来いと言ったところで、ようやくラジンは棒を拾った。

 さあ始まるぞと周囲に緊張が走ったが、ラジンは博麻のもとに戻り、棒を手渡した。




「おじさん、それを構えて」

「……わかった」




 ラジンのやりたいことを、博麻はすぐに理解した。


 博麻は渡された棒を両手で持ち、剣のように体の正面で構える。

 すらりとラジンが剣を抜いた。




「しゅうっ!」




 鋭く息を吐き、剣を振るう。木の棒がわずかに揺れたかと思った直後、棒の半分から先が砂浜に落ちた。


 ラジンは剣を納め、落ちたほうの棒を拾って投げ返した。

 今度は物部の足元に、半分の長さになった棒が突き刺さった。




「これで対等」




 ラジンはそう言って、博麻が持っていたほうを受け取った。

 彼女のこの行為に、周囲が騒ぎ出す。大人をなめるなと叫ぶ声が大半だが、良い度胸だぞと面白おかしく笑う声もある。


 即席の木刀になった棒を、物部は拾う。

 彼は真剣な目で、ななめに斬られた切り口をまじまじと見た。




「……この小僧」




 見物している人間のほとんどは、物部の目つきが変わったことに気づかない。気づいたのは土師など一部の豪族と博麻、そして目の前のラジンだけだ。




「小僧、名は?」

「ラジン」

「ふむ……覚悟はできたか、ラジン」

「とっくに」




 その返答に物部はうなずき、木刀を高々と構えた。

 それを見てラジンも木刀を構えた。姿勢を低くし、体を半身にした。


 両者が構えた途端に、見物人は慌てて騒ぐのを止める。

 先に動いたのは物部だった。




「つぁああーーっ!」




 砂を力強く踏みこみ、大柄な体型とは裏腹に、素早く距離を詰めてくる。


 物部の狙いは、半身になったことで前に出たラジンの右肩だ。

 ラジンはななめ後ろに大きく跳び、紙一重で避ける。


 しかし物部の攻めは止まらない。

 背が高ければ、当然ながら足も長い。一歩の踏み込みがラジンの二歩分であり、かわされても再び踏みこんで追いかければ、跳び下がったラジンにも木刀が届く。


 この勝負を楽しく見物しようとしていた者も、物部の息もつかせぬ攻めに震え、ごくりとつばを飲んだ。




「あれ、本気じゃないか」




 誰かがそうつぶやいたが、そうだなという相づちは返ってこない。わざわざ言葉にしなくても、物部が本気で攻撃を仕掛けているのは一目瞭然だからだ。




「すぅーー……ぉおおおっ!」




 七、八度と木刀を振ったところで物部は一呼吸、そこからさらに猛然と攻めかかる。

 ほんの少しの休みを入れただけで、物部の動きは激しさを増した。木刀の切っ先が何度も迫り、少しずつラジンの服をかすめた。


 心配そうにラジンを見ていた薩夜麻は、隣の博麻に目をやった。

 博麻は腕を組んでじっと見ているが、組んだ手は服の一部を握りしめていた。


 物部がここまでの剣士だったとは思わなかったのだろう。ラジンの強さを信じている博麻ですら、この戦いの結末は見通せない。


 連続する攻めの中で振り下ろされた木刀を、ラジンが避けた。

 そこで物部は手首を返して、即座に斬り上げた。


 あっと声が上がった瞬間、ラジンは真上に跳んだ。斬り上げをかわし、そのまま物部の側頭部に打ちこんだ。

 鈍い打撃音が響き、物部の体が傾く。

 着地したラジンは好機と捉え、前に出ようとする。




「浅い!」




 博麻が叫んだ。

 傾いた物部の体がただちに力を取り戻し、歯を食いしばって剣で薙ぎ払う。


 まさに気合一閃。ラジンはとっさに木刀で防いだが、びしっと亀裂が走り、そのままの勢いで吹き飛ばされた。




「兄貴、ラジンが危ない!」




 薩夜麻は叫んだが、博麻は首を振った。

 すぐさまラジンは体勢を立て直す。


 目の前まで迫っていた物部が、さらに剣を振り下ろしてくる。

 これも間一髪で防いだが、ひび割れていた木刀がついに折れた。


 これで終わったと、周りの見物人の誰もが思った。

 次の瞬間、ラジンは折れた木刀の先端を、物部の目に向けて突き出した。




「ぐっ⁉」




 ささくれがまぶたに刺さるが、それでも物部は怯まず、ラジンの胸ぐらをつかんだ。




「そこまでや!」




 土師が大声で止めた。

 両者の動きがぐっと止まり、二人とも土師のほうを見た。


 ついにラジンを捕まえて、優位に立ったばかりの物部は顔をしかめた。

 ラジンも同じように不機嫌そうな表情だった。自分よりはるかに大きい物部に捕まっても、戦意は失われていなかった。


 しぶしぶ二人は離れたが、どちらも土師に不満げな視線を向けた。




「物部、わしらは試す側や。このまま投げ飛ばすのはやりすぎってもんじゃろう」




 土師は苦笑いしながら物部を落ち着かせた後、次にラジンを諭した。




「坊主も良い勝負根性をしているが、これで終わりや。次にお前が本気で刺す相手は、海の向こうにいる唐と新羅の兵隊や」




 それから振り返り、土師は声を張った。




「お前ら、よく見たか! 勝負は半ばじゃったが、お互いに白熱した力比べじゃった!」




 見物していた者たちは手を叩き、両者を賞賛していた。

 物部の激しい剣と力に圧倒され、改めて彼は凄かったと多くが語る。


 しかし、それよりもラジンのことを称える声が、ほんの少し上回っている。物部の実力は皆が知っているが、未知数だったラジンがここまで食い下がったのは驚くべきことだ。




「あの小僧、やるな」

「うむ。砂場でも身軽に動き、物部どのの頭に一撃を当てた。あれが木刀でなかったら、物部どのも危うかった」

「身軽な剣士ならいくらでもいるぞ。それよりも剣が折れても立ち向かってくる戦意にこそ、目を向けるべきだ。あれが敵の兵士なら、たまったものではない」




 周りの豪族たちもラジンの実力を認めていた。争いごとに慣れた豪族たちですら、ラジンの戦いぶりには舌を巻いていた。


 ラジンは顔を上げ、少し離れた物部の顔を見た。


 物部の目じりには木の破片がいくつも刺さっているが、彼はそれを痛がる素振りもなく引き抜き、砂の上に捨てている。その間も彼はラジンの顔を見ていた。




「……まあ良い。それだけ戦えるのなら、私には関係ないことだ」




 そうつぶやいてから、物部は自分の部下たちのほうへ戻っていった。


 ラジンは服を整えながら、一瞬、胸元に手をやった。

 女であると感づかれたかもしれない。あのつぶやきにラジンは緊迫したが、物部のあの様子なら、みだりに他言しないだろうと結論づけた。




「大丈夫か」




 博麻が隣に来て、彼女の背中を叩いた。




「うん」

「怪我は」

「手がしびれただけ。あとはどこも」

「そうか」




 博麻はそれから、さらに声を落とした。




「あいつに知られたか」

「多分ね。でも、大丈夫だと思う」

「そうか……」




 遠ざかっていく物部の背中を、博麻も見送った。


 己の家系に強い誇りを持ち、相手の家系を公然とさげすむ傾向はある。しかし他人の秘密を裏で言いふらす男ではないだろうと、博麻もそう感じた。

 ラジンが女であると物部が言う時は、今のように大勢の人間が集まっている時に違いない。




「おじさん」




 ラジンが顔を上げ、博麻のほうを見た。

 博麻はラジンに目を向けたが、ラジンはそれ以上何も言わない。




「……よくやった」




 周りの目がある中だったが、博麻は照れくささを我慢して、彼女の頭をなでてやった。

 なでても彼女の表情はほとんど変わらなかったが、わずかに目を細めた。




「次は俺の番だ。若のほうへ戻っていろ」

「うん、頑張って」




 ラジンは小走りで薩夜麻のそばに向かった。

 博麻は振り返り、土師が待つ砂浜の中央へ進む。

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