守る代償
あの夜の後、博麻はウンノを連れて村に戻った。
山が騒がしかったことは、村中の人間がなんとなく気づいていた。
夜が明けてすぐに、薩夜麻は村人たちに事情を説明することにした。
薩夜麻が村人を集めた場所は、博麻の家の裏手だ。
ラジンの亡骸は博麻、薩夜麻、豆、そしてウンノの四人で埋めて、葬った。粗末ではあるが、木の墓標を立てて、ラジンの死を悼む場所とした。
それから墓前に集められた村人は、村が賊に襲われかけたという事実を知り、恐怖を感じていた。
しかしラジンの奮闘ぶりを知ると、恐怖は悲しみに変わっていった。中には涙を押し殺す者もいた。
ラジンという人間がそれだけ好感を持たれ、受け入れられていたのだ。
「……以上が、昨晩の出来事だ。ラジンはこの村で受けた恩を返すために戦い、同郷の賊に殺された。ラジンの遺言を守るため、私は兄貴とともに、ウンノを守ってやりたい」
薩夜麻は墓標を示して語った。そして最後に、村人たちに向かって頭を下げた。
「どうか、そなたたちも力を貸してくれ」
頭を下げてきた薩夜麻を見て、村人たちはどよめいた。
「わっ、若さま、頭を上げてくだせえ」
「もちろん力を貸しますよ。こんな哀れな娘っ子を、放っておくもんですか」
「みんな! ラジンさんのためにも、ウンノを守ってやろうぜ」
村人たちは団結して、薩夜麻の言葉に快く応じた。今までラジンやウンノと関わりが薄かった者たちも、迷うことなく応じてくれた。
「ありがとう、みんな」
博麻も頭を下げ、礼を言った。
「ラジンさんは、体を何度も刺されても、男たちに立ち向かった。あの人は最期に、俺の手首をつかんで、娘を頼むと言って泣いていた」
血の跡がついた手首をかかげると、村人たちはざわついた。
「物凄い力だった。最期の力を振り絞って、あの人はこの子を託してきたんだ」
隣に立つウンノに、博麻が目を向けた。
ウンノは涙をこらえ、唇を噛みしめている。
親亡き子となった彼女の目は暗い。だが、ただ暗いだけではなく、やるせない悲しみと怒りを孕んでいる目だ。
博麻はウンノの肩を優しく叩いた。
ウンノは博麻をじっと見上げたが、それから目線を落とした。
彼女の心の傷を、今すぐ埋めてやることはできなくても、放っておくわけにはいかない。
どんなことがあっても自分は味方だと、言葉と行動で伝えて、壊れそうな彼女をつなぎとめなくてはならない。
「おい、何か聞こえないか」
ある村人が隣にいた者に訊いた。
博麻もその言葉を耳にしてから、こちらに向かってくる馬蹄の音に気がついた。
眼下に広がる村に目線をやると、村の中を武装した兵隊が通っていた。その兵隊の先頭には、馬に乗った男が二人いた。
兵隊はそのまま高台のふもとの木立に入っていった。どうやら博麻の家まで上ってくるつもりらしい。
ほどなくして木立を分け入って現れたのは、馬に乗った二人の男と、それに付き従う兵士たちだった。
「兄上……!」
苦い顔で薩夜麻がつぶやく。
博麻は馬上にいる二人の男を知っている。彼らは薩夜麻を疎んじている兄たちだ。
武装した兵士たちが現れたことで、村人たちが後ずさる。
代わりに博麻と薩夜麻が前に出て、兵士たちの前に立ちはだかった。
「こんなところにいたのか、薩夜麻」
「大兄上……」
薩夜麻が大兄上と呼んだのは、筑紫氏の長男、国麻呂だ。
ひげを生やした彼は若い頃の現当主にそっくりで、体も大きいため、馬の上に乗っているだけで威圧感がある。また厳格な人物として知られており、筑紫氏の中で彼に意見する者はいない。
「兵たちから聞いたぞ。またお前は勝手なことをしていたようだな」
もう片方の、馬に乗っていた男がそう言った。
この男が次男の安麻呂である。ひげは生えておらず、頭の生え際は薄くなり始めているため、国麻呂と比べて威厳がない。言葉遣いも軽薄で、弟の薩夜麻を明らかに侮っている。
「兄上、勝手なことというのは、どのことですか」
薩夜麻が問うと、安麻呂は博麻のほうを指差した。
「そこの男がかくまっていた百済の人間を、お前の裁量で泳がせたそうだな。しかも百済の賊の所持品を回収する任務を、お前たちが妨害したと聞いている」
「知った口を利くなよ」
そう言いながら博麻が前に出て、安麻呂に近づく。
兵士たちがすかさず壁を作ったので、そこで博麻は足を止め、安麻呂を見上げた
「俺たちが保護した百済人は、この村に恩を返すため、同郷の賊に抵抗して殺された。その百済人の遺品を回収しようとしたから、それを止めただけだ」
博麻は振り向き、ウンノのほうを見てから、安麻呂に向き直った。
「あの娘の父親は、賊に立ち向かった勇敢な男だ。あの娘の前で下手なことを言うなら、お前たちもただじゃすまさんぞ」
兵士たちを見渡す博麻の目は、一寸も揺らぎがない。
博麻と目が合った者は、彼のその態度が虚勢ではないと直感した。
この男は本気で、武器を持った俺たちを脅している。何か言おうものなら、素手のまま襲いかかってくるかもしれない。
「……ちっ」
静かに怒る博麻の圧に耐えかねて、安麻呂は目線をそらした。
それでも博麻は引き下がることなく、剣を持つ兵士たちの前に立ちはだかったまま、国麻呂のほうへ目を向けた。
「皆がここに集まったのは、ラジンさんの死を悼むためだ。要件があるなら、早く済ませてくれ」
豪族に対して遠慮をしない博麻に、兵隊たちはもちろん、隣にいる薩夜麻ですら冷や汗を感じていた。
「大した度胸だな。我が兵を殴り倒した罪で、今から裁かれるというのに」
裁くという国麻呂の言葉に、村人たちがざわつく。
「どんな裁きだ」
しかし、当の博麻は平然としていた。腕を組み、国麻呂を見上げている。
国麻呂の目が鋭くなり、それからあごをしゃくった。
兵士たちが左右に分かれ、一人の男を板に乗せて運んできた。
「……お前か」
ふんっと鼻を鳴らし、博麻は吐き捨てた。
運ばれてきたのは、博麻に殴り倒された男だった。鎧や剣を外され、平服の姿で板の上で横になっている。意識はあるが、顔色は悪く、呼吸も荒い。
「お前は知っていると思うが、彼は我が兵たちを率いている男だ。それが今や、お前に不意打ちされ、まともに手足が動かなくなった」
「なに?」
「お前に殴られたことで、重い怪我を負ったのだ。これを許すわけにはいかん」
国麻呂はぴしゃりと言い切った。
博麻は板の上に寝かされた男を見た。
たしかに男の手足の動きは鈍く、動かそうとすると小刻みに震えている。演技かと思ったが、苦痛にゆがむ彼の表情は本物だった。
あの時、男の首に振り下ろした一撃は、後遺症を与えたのだ。
さすがの博麻も目を閉じ、大きなため息をついた。
「観念したようだな」
国麻呂がそう言うと、博麻はうなずいた。
「待ってください、大兄上!」
薩夜麻が声を上げる。
「博麻さんは大怪我を負わせようとしたわけではありません。これは、悪い偶然が重なってできたことです!」
「黙らんか!」
国麻呂が怒鳴った。彼を普段から知っている兵たちすら、びくっと身を固めた。
「薩夜麻、それでも筑紫氏の一員か! 領地を守り、我が一族を守る兵が傷つけられたことを、重く受け止めよ!」
国麻呂に𠮟り飛ばされ、薩夜麻はしぶしぶ黙った。
それから国麻呂は、博麻に視線を向けた。
「お前は罪を償わねばならん。しかし、ただ裁くつもりはない」
「どういうことだ」
「本来なら領地から追放するところだが、それでは我々に益がない。大事な兵が使い物にならなくなった上に、税を納める若い働き手を追い出しただけになる」
国麻呂は手で兵たちに合図して、後遺症を負った男を下がらせた。
「先ほどの男は、今回の百済遠征にも出陣する予定であった。ならばお前ができる償いは、あやつの代行として百済へ出陣することだ。武器を取り、筑紫軍の一兵士として戦え」
「俺が、兵士だと」
「嫌とは言わせないぞ。慣例に基づけば、お前とその家族、さらに保護した娘も含めて領地から追放することになるが、こたびはお前一人が兵となれば罪を許そう」
博麻は何も言わず、後ろを見た。
後ろには薩夜麻と豆、そしてウンノがいる。
彼らは不安な表情で博麻を見ており、薩夜麻は小さく首を振っていた。兄上の条件は受けてはならない、戦に行くのは駄目だと、必死に目で訴えていた。
しかし博麻が選ぶことは決まっていた。
「俺が兵士になる。その代わり、俺の家族はこの村に居させてくれ」
博麻が答えた瞬間、薩夜麻はうなだれ、豆とウンノは呆然とした。
豆は涙を流して膝をつき、首を振って泣きじゃくった。
「もう覆らんぞ。後悔はないな」
国麻呂が問う。
「ない」
博麻が答えると、国麻呂は目を閉じてうなずき、それから馬首を返した。
帰ろうとする国麻呂の背中に、博麻が声をかけた。
「おい、俺を兵士にするんだろう。ここで縛って連れていかないのか」
「罪人を正規の兵として扱うつもりはない。罰を受け入れると言質が取れただけで充分だ……出陣までの期間は、せいぜい家族と過ごすことだな」
国麻呂はそう言い残し、安麻呂と部下を引き連れて去っていった。
残った薩夜麻と村人たちは、博麻の背中に声をかけられずにいた。
家族と別れを告げて、異国の戦に出陣しなければならない男に、一体どんな言葉をかけてやれば良いのだろう。
「兄貴」
最初に口を開いたのは、薩夜麻だった。
「どうして、あのような条件を受け入れたのですか」
薩夜麻の声は震えていた。悲しみもあるが、それよりも怒りが強いようだ。
「兄貴には守るべきものがあるでしょう。豆も、ウンノも、あなたは見捨てるのですか」
「違う。俺はすべてを守るために、あの条件を受け入れた」
そして博麻は歩き出した。
薩夜麻の肩を叩いて通り過ぎ、豆とウンノに手を差し出す。
博麻の右手を豆が、左手をウンノが握った。
二人の子どもを連れて、博麻はラジンの墓前に立った。
「家族で領地を追放されたら、この墓を訪ねることができなくなる。ウンノとラジンさんを、再び引き離すわけにはいかない」
次に、元々あった墓標の前に立った。
「俺の妻も、ここに眠っている」
博麻は豆の手を引き、親子二人の手を重ねて、墓標に触れた。
「豆よ、俺たちが去れば、母ちゃんはひとりぼっちだ」
博麻は息子の目を見た。
「それでも良いのか」
泣いていた豆は空いている手で涙をぬぐい、首を振った。
目元は赤く染まっていたが、その瞳には力が宿っていた。
博麻は息子の瞳に、愛する妻の姿を見た。
気丈で、快活な、素晴らしい女性だった。
「さすがは
豆の頭を抱き寄せた。豆は腕の中で震え、今度は声を押し殺して泣いた。
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