怒りと約束

 まだ賊の仲間がいたのかと思い、二人は急いで武器を構えたが、集団の足音は山の下から近づいてくる。


 自分たちと同じように、村の方からここへ向かってきている。


 自分たちが来た方角へ目を向けると、五つ以上の炎が見える。

 足音たちに合わせて、その松明の炎が揺らめいている。




「誰だ!」




 博麻が集団に向かって声を上げると、その中の一人が進み出て、姿があらわになった。




「若さま、探しましたぞ」




 現れたのは革の鎧をまとい、腰に剣を帯びた中年の男だった。後ろから続く男たちも同じ装備をしており、よく規律がとれている集団だ。


 中年の男に、博麻は見覚えがあった。


 以前、筑紫氏の屋敷を訪問した時に、屋敷を守る兵士たちの長だった。

 厳格な男で、薩夜麻と仲が良い博麻が相手でも、屋敷の前をうろつくなと釘を刺してきたことがある。




「隊長、なぜここに来た」




 険しい顔つきで薩夜麻が問うと、隊長は呆れた顔で答えた。




「あなたを連れ戻すためでございます。百済の難民が港に押し寄せ、その一部が許可なく逃げ出し始めています」


「そのようなこと、わかりきっている」


「ええ、そうでしょう。ならば、その状況下で筑紫氏の次男であるあなたが、好き勝手に動くことは控えていただきたい」


「父上には報告している。今日はお目付け役の従者も連れていたから、問題はない」


「それでも心配ばかりかけているのは事実です。父君も、しばらくは家で政務を手伝うようにと、きつく言い渡していたでしょう」


「俺を縛りつけたいのは、父上ではなく兄上たちだろう。あの人たちがやっていることは、父上の真似だけだ。しかもほとんど自分の手足を使わないから、俺が動くことで穴を埋めているんだぞ」




 薩夜麻が言い返すと、隊長はやれやれと首を振った。




「隊長、この男たちは!」




 後ろにいた若い兵が、倒れている男たちを見て、声を上げた。




「うむ。やはり村々を襲っていたのは、百済の賊たちだったか。ここに転がっている物を調べろ! 剣や農具、食糧など、すべて盗品で間違いない!」




 隊長の命を受けて、後ろで控えていた筑紫氏の兵士たちが散らばる。


 ラジンを除いて、この場で倒れている百済人たちは略奪を働いていた。

 彼らの死体が握っている棍棒や刃物はもちろん、懐に隠していた雑穀なども、村で奪い取った物だった。




「おや、この剣は」




 一人の兵士が奥に転がっていた剣を拾った。

 他の剣よりも分厚く、刃も長い剣だったので、目を引いたのだろう。


 あっとウンノが声を上げて、その剣を拾った兵士につかみかかった。




「この、何をする!」




 いきなりつかみかかってきたことに驚き、兵士はウンノの手を強引に振りほどいた。


 後ろに転びそうになったウンノを、博麻が受け止めた。

 ウンノを薩夜麻に預け、兵士のもとに近づいた。




「おい、それはこの娘の父親の剣だ。返してやってくれ」

「なんだと? 馬鹿を言うな。盗賊が奪った物を、わざわざ返せというのか」




 兵士は要求に驚いていたが、すぐに強い口調で拒否してきた。




「違う。あそこで死んだ父親だけは別だ。同じ百済人がさらに村を襲おうとしたから、それを止めようとして刺し違えたのだ」

「そんなことあり得ない。港から逃げ出して、こんな場所で死んでいるんだぞ。そこにいる男だけ別というのは、おかしいだろう」

「何度言わせる! この親子は百済の賊が来る前から、俺が山で保護した。後からやってきた百済の賊が略奪に手を貸せと言ったが、それを断ったから殺されたのだ!」




 しびれを切らして、博麻が声を荒げる。

 その迫力におののき、若い兵士の足が後ずさった。




「返してやれ。この娘にとって、その剣は父親の形見だ。父は最期まで正しいことをしたという、唯一の証だ」




 そう訴える博麻の瞳が、兵士の目をまっすぐ見据えている。絶対に譲らないという意志が、ひしひしと伝わる。


 それから両者は無言だったが、兵士の方が根負けした。念を押すように博麻がうなずくと、兵士も応じてうなずき、慎重な手つきで剣を返そうとした。




「待て!」




 突然、隊長が大声でそれを止めた。

 言い合っていた二人も、固唾を飲んでそれを見ていた者たちも、隊長の方に注目する。




「顔の左に刺青……博麻という名だったな」




 隊長が博麻に歩み寄りながら、名を確認する。

 うなずいた博麻に、隊長は目の前に立ちはだかって質問を投げかけた。




「先ほど、この親子は賊が来る前から、自分が保護していたと言ったな」




 とがめるような隊長の物言いに、博麻は眉間にしわを寄せた。




「それが、なんだっていうんだ?」

「百済人を山で保護しておきながら、筑紫氏の屋敷に報告しなかった。落ち延びた盗賊や、どこかから逃げ出した罪人かもしれないのに、それをあえてかくまったということになるな。本来なら、筑紫氏の誰かに知らせるべきにも関わらず……」

「隊長! それはあまりに乱暴な言い方だ。兄貴は善意でその親子を救い、飯と寝床の世話をしていただけだ!」




 すかさず薩夜麻が反論したが、隊長は頑として言い張った。




「ですが、博麻が行ったことは、他の村を危険にさらしたのです! 武器を持ち、みすぼらしい格好の人間が山をうろついていたら、誰もが豪族に知らせます。それが危険な人間なら、同じ村に住む者の身がどうなるかわかるでしょう!」




 隊長の考えは正論そのもので、雇い主である薩夜麻ですら、とっさに言い返せないものだった。




「だが、この娘の父親は善人だった。そこで倒れている百済人たちとは違う」

「いいえ、それは通りません。当人たちは全員亡くなり、ここに散らばっているのは人里から盗んだ物ばかりですから。この父親というのも、略奪品の分け前を言い争った末に、返り討ちに遭っただけということも……」




 言い終わる前に、博麻が隊長の腹に拳を入れた。ぐうっと隊長はよろめいたが、さらに博麻は後頚部に拳を打ち下ろした。


 重い衝突音が響き、隊長の体が地面に倒れる。

 意識を失い、口から泡をこぼしている。


 あっけにとられた兵士たちだったが、すぐに剣を抜いて博麻に向けようとした。




「貴様、よくも……」




 一人の兵士が怒りの言葉をもらしたが、博麻はさらに大きな声で怒鳴った。




「黙れえ!」




 弾けるような博麻の怒号に、兵士たちが一斉にひるんだ。そばで見ていた薩夜麻ですら、ここまで激怒する博麻を見たことがなかった。




「なにが賊だ、なにが報告だ! お前たちも百済の賊にいいようにやられて、今さらのこのこ出てきただけだろう! そのくせ、ふざけたことを抜かしたな。娘を守り、同胞を止めようとして殺された男を、よくも賊だと決めつけたな! これ以上、物言えぬ死人を悪く言うなら、俺が相手だ!」




 怒りに吼える博麻に対して、剣を構える兵士たちのほうが退いている。

 拳を握り、肩をいからせている博麻の方が、先に飛びかかりそうな勢いだ。


 しかし、このままでは余計に事態が悪化してしまう。兄貴分である博麻はもちろん、ここにいる兵士たちも、薩夜麻にとっては家を支える大事な人間だ。




「待ってください、兄貴!」




 一旦、博麻の方を制してから、隊長に代わって兵士たちに指示を飛ばす。




「お前たちの目的は、俺を連れ戻すことだろう。俺もすぐに帰るから、お前たちは隊長を運んで引き揚げろ。そして、ひとまずこの男の剣は置いていけ。他の物は盗品で間違いないから、それだけは持って帰って、父上に報告しろ。いいな!」




 薩夜麻の命令を受け、戸惑いつつも兵士たちは動き出す。


 気絶した隊長をかつぎ、散らばっている盗品を手当たり次第にかき集めた。

 ラジンの剣を拾った兵士も、震えた手で博麻に返した。



 博麻はラジンの剣を見た。


 刃は血に染まり、柄にも血の手形がついている。深手を負いながら、それでもラジンが果敢に剣を振るった証だ。

 たった一振りの剣で大勢の男たちに立ち向かうとは、並大抵の勇気ではない。


 兵士が去るのを見届けてから、ウンノの方に向き直って、剣を差し出す。




「ラジンさんは、立派な人だ。村のみんなを守るために、あの男たちに立ち向かってくれた」




 ウンノの手に、父の剣が戻る。

 剣を受け取った彼女の頭に、博麻はそっと手を当てた。




「約束だ。お前のことは俺が守る。たとえ、なにがあっても」




 博麻がウンノの目を見て、約束を交わす。

 彼女の瞳に涙が浮かび、わあっと声を上げて、博麻の胸にしがみついた。


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