ラジンの死
顔を上げれば、凄惨な光景だった。
賊たちは倒れ、ほとんどがおびただしい血を流している。中には火にまかれ、生焼けになったまま死んでいる男もいた。
「お父さん、お父さんっ!」
ウンノが泣き叫びながら、ラジンのもとへ駆け寄る。
博麻たちも彼女に続いて、そばに寄って片膝をついた。
「ラジンさん!」
博麻がラジンの体を起こし、仰向けにさせて抱えた。
ラジンは頭から血を流し、意識はない。背中と腹には刺し傷を負い、今も腹から鮮血があふれ、顔は死人のように蒼白だ。
「くそっ、これではもう……」
薩夜麻は素手で腹の出血を押さえようとしたが、血は一向に止まらない。
ウンノの悲痛な泣き声が、暗い山に響く。父の首にすがりつき、全身を震わせて嗚咽している。
「……ふっ、うぅ」
その時、ラジンの口から息がこぼれた。気のせいかと思ったが、じっと口の動きを見れば、か細く呼吸している。
「生きています!」
薩夜麻が声を上げ、博麻とウンノもはっと目を見開く。
「血だ、血を止めないと!」
「ああ!」
博麻と薩夜麻が協力して、腹の傷を手で押さえつけた。
ラジンが死のふちをさまよっているのなら、できる限りのことはしてやりたい。出血を完全に止めることは不可能でも、ほんの少しだけ命を引き延ばすことはできる。
「もっと、強く押さえろ!」
荒療治であるが、方法はこれしかない。二人は腹の刺し傷を強引に手で押さえ、こぼれる血をなんとか止めようとした。
傷口に力が加わった痛みによって、ラジンの意識もわずかに戻ってくる。
死人のような顔が苦痛にゆがんだ。
それを見て、ウンノも必死に呼びかける。
「お父さん! 起きて、起きてよお!」
声が枯れるまで、何度も叫んだ。
博麻たちもラジンに叱咤の声をかけ、最後まで諦めない。
やがて、まぶたが開いた。
ラジンのおぼろげな視線が、泣き腫らしたウンノの顔を捉えた。ウンノは驚いた表情で父の目を見てから、さらに声を上げて父にすがりついた。
うつろな目だったが、ラジンはウンノがそばにいることを理解し、血だらけの手で娘の頭を抱き寄せた。
「ラジンさん!」
博麻が叫ぶと、ラジンの目線はゆっくりとこちらに向いた。
「やっぱり……博麻どの、でしたか」
ラジンは泣き笑いのような顔で、博麻に言葉を伝えようとする。
「私はもう、だめです……一言、あなたに、礼を言いたかった」
「っ……無理をしてはいけない!」
こみ上げそうになる涙をこらえながら、安静に努めるように呼びかけた。
しかしラジンはなおも話し続けた。自らの最期を悟り、今にも消えそうな命を燃やして、伝えなければならないことがある。
「聞いてくださいっ……あの、男たちは……同郷ですが、人殺しの賊です。恩を知らず、たくさんの村に、何度も押し入って、弱い人を傷つけていました……」
「やはり、そうでしたか」
薩夜麻がつぶやく。
そのつぶやきに、ラジンはうなずいた。
「そう、です。情けないことに、私はそれを知ったまま、あいつらを止めることができず……あいつらは、何度か、私を仲間に誘い、でも……一線だけは、越えたくなかった。どんなにひもじくても、この子に、そんな姿だけは……!」
断片的な言葉だったが、事情は伝わった。
ラジンとウンノも職を得られず、港から逃げて、放浪していた。
賊たちは同じ境遇のラジンに何度か近づいたが、ラジンは略奪に加わることはなかった。あくまでも、親子二人でさまよっていたということだ。
「どうして、今になって賊どもと再び接触したのですか?」
「博麻どのに助けられる前に……断り続けたせいで、おどされ、ました……略奪に手を貸さないなら、大きな獣を狩ってゆずるか……ウンノをよこせ、と」
これを聞いた博麻たちはもちろん、ウンノですら事情を知らず、言葉を失っていた。
「あいつらは、慎重です。私が村で世話になると、それを隠れて、見ていて……私が一人になった時に、あの時の条件を、忘れるなと……」
「そんな、俺の知らぬ間に、そのようなことが」
悔しさと怒りで、博麻はどうにかなりそうだった。
自分はラジンとウンノの世話をしていて、二人のことを立派に守っているつもりだったが、それこそ思い上がりだった。
その時も、ラジンは人知れず苦悩していた。同郷の賊から絶えずおどされ、助けられた恩と娘の身柄、この二つの板挟みになっていたのだ。
「あいつらが、あなたの村にっ……次は、あの村だと言ったから、だから……我慢できなかった! あんなに優しい人たちを、あいつらは、食いものに……っ!」
絞り出すように語っていたラジンが、そこで勢いよく血を吐いた。
ラジンが血を吐いたことで、ウンノは顔を上げ、何度も叫んで呼びかける。
彼女は百済の言葉を、無我夢中で叫ぶ。博麻たちにも、死なないでという意味だとわかる。
そこでラジンが、ウンノの頬を触れた。
涙を流すウンノに、百済語で何かを伝えた。
その瞬間、ウンノの表情が固まる。
泣きじゃくっていた彼女が、はっと息を呑んだ。
博麻はウンノの様子に不自然なものを感じ取った。
「がはっ……」
ラジンが大量の血を吐いた。何度も咳きこみ、その度に血を吐いたが、ラジンはそれでも力尽きない。歯を噛みしめながら、博麻の手首に手を伸ばす。
腹の傷を押さえていた博麻の手首に、血まみれのラジンの手がつかみかかった。
死にかけているとは思えないほど、凄まじい力が伝わる。
「あなたにしか……どうか、どうかこの子を……ウンノを、守ってください……」
最期の願いを伝えたところで、ラジンから力が抜け、ゆっくりと手がすべり落ちる。
落ちていくその手を、博麻は両手で強く握りしめた。
「任せろ」
この言葉が届いたかどうか、わからない。
それでも握った瞬間、ラジンの目が涙にあふれた。痛みに耐え、張り詰めていた顔に、安堵が広がった。
それからすぐに呼吸は止まった。まぶたは閉じられ、二度と開かなくなった。
呆然とした顔のまま、ウンノが手を伸ばす。手のひらで父親の頬に触れる。
消え入りそうなかすれ声で、父親の名を何度も呼びかけた。だが、もう返事が戻ってこないと知った。亡くなった父親の首に腕を回し、抱きしめて泣き叫ぶ。
ウンノは大粒の涙を流し、博麻と薩夜麻はやるせない想いでうなだれた。
「なんと、痛ましいことだ。私は、見誤っていました」
薩夜麻の声には、悔恨がにじみ出ていた。
「賊からの圧力と、日頃の恩……それに苦しんでいた男を泳がせて、ただ賊だけを追いかけようとして……」
領内の様子をつぶさに知るために、日ごろから父親とともに外を出回っていたが、自分はこの百済人たちを追いきれていなかった。賊に身をやつした百済人を、もしも事前に捕まえられていたら、この親子は今も無事だったかもしれない。
困っている民たちのことを知り、いち早く駆けつけられるのは自分だけだと薩夜麻は思っていたが、この男の死によって、自分の未熟さを思い知らされたのだ。
「すまない、すまないっ……!」
博麻も、ラジンの骸に向かって詫び続けた。
いずれラジンとウンノは、自分の知らない場所で過ごすと思っていた。
自分ができることは、彼らが独り立ちするまでの手助けだけだと一線を引いて、ラジンとウンノについて深掘りすることを避けていた。
あんたのことはよく知っている。安心しろ。
あの時、自分の吐いた言葉が、今では虚しく響く。
いくら考えても、後悔ばかりだ。せめて薩夜麻にひとつでも相談していたら、ラジンは殺されずに済んだかもしれない。
薩夜麻が、肩に手を置いてきた。
「行きましょう、兄貴。亡骸を、運ばないと」
「……わかった」
うながされたことで、やっと体を動かすことができた。
ウンノに声をかけてから、ラジンの遺体を抱え直して立ち上がろうとした。
その時、大勢の人間の足音が聞こえてきた。
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