百済の盗賊たち

 それから博麻たちは酒の器などを適当に片づけ、すぐに寝床に入ることにした。


 明るいうちから飯を用意して、村人を呼び、博麻も疲れきっていた。

 久しぶりの酒で酔いも回っていたので、いつもより深い眠りについていた。



 みなが寝静まった頃、ラジンは起き上がった。

 彼が寝藁をはぎ、身体を起こしても、博麻たちは気づかない。そばで寝ているウンノも、すやすやと寝息をたてている。




「……すまない、ウンノ」




 ラジンはそっとつぶやき、眠っているウンノの頭をなでた。

 それから音を立てないように用心して、家を出た。


 ラジンが外に出ると、青白い月明かりに照らされた。杖をついて立ちつくし、夜空を見上げると、空にも自分という人間を見定められているように思えた。




「博麻どの、すみません……俺は、俺は……」




 ラジンはうつむき、手で顔を覆い、涙を流した。

 その涙のわけは、本人にしかわからない。


 ひとしきり涙を流したラジンは、顔をぬぐい、深呼吸をした。


 腰には剣を差している。イノシシに応戦して以来、使ってなかった愛用の武器だ。

 剣は冷たい輝きを発している。

 月光を跳ね返す刃を覗けば、ぼんやりと己の顔が映る。




「それでも俺は、こうするしかないんだ」




 血走った己の目を、そこで改めて確認した。

 暗い夜道だったが、ラジンは迷うことなく歩きだした。



 木立を抜けて、村の道に出た。村の家々に明かりはなく、誰もが寝静まっていることがわかる。ラジンはさらに川を渡り、山へ入った。


 山はさらに暗く、気を抜けば自分が来た方角すら危うくなってしまう。


 ラジンは近くの木の枝を折ってから、着物の内から火打ち石を取り出した。

 ちっ、ちっと何度も石を擦ったが、うまくいかなかった。乾いた枯れ葉も集め、再び石を擦って、やっと木の枝に着火した。



 暗い森の中に、赤々とした炎が灯った。小さな焚き火だったが、これだけでもまぶしく思えた。


 ラジンは太い木の枝を探し、それに火を移した。

 これで即席の松明を手に入れた。そして剣を腰から外し、焚き火から少し離れた場所に置いた。刃の上には落ち葉を被せた。




「これで、良い」




 ラジンはつぶやき、顔を上げた。

 炎の光が木々を赤く染め、立ち昇る煙は木の葉をなでてから、空へ消えていく。


 今日、村の者たちと火を囲んで酒を飲み交わした時、ラジンは博麻の笑顔を見ていた。


 村の仲間や、薩夜麻と語らう博麻は、生き生きとしていた。

 いつも博麻は農作業と伐採に励み、息子と力を合わせ、ラジンやウンノの面倒を見てくれた。笑顔がないというわけではないが、自分の背中に三人分の生活がかかっているという想いを忘れず、博麻は懸命に働いていた。



 自分より年下だというのに、博麻は頼りがいのある、誠実で堅固な男に見えていた。


 しかし今日の博麻の笑顔を見て、ラジンは気づいた。


 本当の博麻は、あんなにも無邪気に笑うのだ。底抜けに明るく笑い声を上げ、時にはつまらない軽口を叩く。そんな彼の姿を、ラジンはしっかりと焼きつけていた。




「今度は、俺が、俺が」




 熱に浮かされたように唱え続けて、ラジンは歩きだした。

 右手に杖、左手に松明を掲げ、山の奥へと進んでいく。


 そう時間もかからず、山に流れる沢に着いた。

 沢のそばには木を組んだだけの隠れ家がいくつもあり、そこには十人の男たちがいた。




「よう、ラジン」




 隠れ家から男が出てきて、現れたラジンに声をかけてきた。




「もう傷は癒えたのか?」

「ああ、なんとかな」




 ラジンはそう答えてから、周りにいる男たちを見渡した。


 男たちの服は血と泥で汚れており、動物のような臭いがただよっている。

 頬がこけ、ひげも生え放題だが、彼らの目は異様な光を宿している。それは飢えた獣の目に似ていた。




「相変わらず、山の獣を食っているようだな」




 ラジンのこの言葉に、男たちが噛みついてきた。




「獣? それならマシなほうさ! 三日前から虫と葉っぱを食っているんだ!」

「冬眠の準備か、めっきり動物を見かけねえ。このままだと飢え死にしちまう!」




 腹を空かせているせいで、男たちは不機嫌を隠さない。焦り、不満、怒りが蔓延しており、話す言葉も野蛮なものばかりだ。




「なあ、早くあの村を襲おうぜ。ここしばらく、米を食ってねえ」

「お前、あの村で世話になっていたなら、わかるんだろう? あの村も、どうせ裕福なんだろう? だったら、少しくらい分捕ってもバチは当たらねえよ」




 声を上げる男たちの手には、棍棒や刃物がある。それらの凶器に付いているのは、動物の血だけではない。


 この男たちも、戦から逃げてきた百済人だった。


 避難してきたほとんどの百済人は、筑紫国の港に流れ着いた後、そこに住む漁師や役人たちに保護されている。彼ら避難民は倭人の仕事を手伝う代わりに、食糧をゆずってもらい、寝床も貸してもらっているという状況だ。


 しかし中には、鼻つまみ者がいる。


 元から百済で盗みや傷害などを働いていた者たちは、避難民たちに憎まれ、敬遠されていた。倭人もその事情を知れば、仕事を寄越すことはない。

 倭人にも自分の生活がある。同じように働いてもらって食糧をゆずるなら、善良な百済人のほうが望ましい。




「あいつらが俺たちのことを悪く言わなければ、今頃、温かい寝床で眠れたはずだ。そうだろう、お前ら!」

「おおっ! その通りだ」

「返す返すも腹立たしい! 倭人どもも、俺たちが頭を下げているのに、水も食糧もくれなかった。あの地獄も知らねえくせに、いい気になりやがって!」




 そして、男たちは飢えと屈辱に耐えかねて、人を襲うようになった。


 はじめは自分たちをおとしめた同郷の百済人を襲い、食糧や衣服を奪った。

 それから落ちるのはあっという間で、徒党を組んで襲うのはもちろん、倭人の村すらも襲撃した。


 村を襲えば、食糧や水を奪うだけではない。面白がって家を焼き、力の弱い女や子どもを狙って、性的な欲望を満たすこともあった。




「ラジン、案内しろよ。もう、待ちきれねえよ」




 顔役の男がうながす。その後ろには、残忍な賊となった九人の男が控えている。

 ラジンは目を閉じ、息を吐いてから「わかった、ついてこい」と言った。




「へへっ、そうこなくちゃなあ」




 背を向けてラジンが歩き出すと、男たちも楽しそうに歩き始めた。

 森の中を男たちが進む。先頭をラジンが歩き、すぐ後ろに顔役の男、さらに後ろを男たちが喋りながらついてくる。




「なあ、村に着いたらどうする?」

「まずは米だ。倉を打ち壊して、持てる分だけ持っていく」

「この時期なら、酒も造っているはずだ。農民は自分の家に酒を隠すから、それもいただくとしよう」

「農民が襲ってきたら、殺してやろうぜ」

「若い女がいたら殺すなよ」

「わかってるさ! 楽しませてもらわなきゃ、困るからな」




 男たちの下品な話を背中で聞いて、ラジンの顔は少しずつ険しくなっていく。




「ラジンよ、怪我したお前を手当てしたやつは、どんなやつだ?」




 後ろにいる男たちの一人が、先頭のラジンに声をかけてきた。




「ただの若者だ。偶然助けてもらって、それから家に世話になっていただけだ」

「そうかい。お前がなかなか山に戻ってこないから、てっきりお前の娘ともども、倭人にこき使われていたのかと思ったぜ」

「そんなことはなかった。単に、俺は食って寝ていただけだ」

「へえ、そりゃずいぶんなお人好しがいたもんだ。その男、所帯持ちか?」

「……いや、息子だけだ」




 ラジンが答えると、別の男が小馬鹿にした笑い声を上げた。




「はんっ、その若い男もとんだ間抜けだなあ! まさか自分が世話してやった男に、家と息子をめちゃくちゃにされるとは思わんだろうな」

「なに、俺たちが故郷で受けた苦しみに比べたら、安いもんだ」

「違いない!」




 男たちの笑い声は、密かにラジンの拳を震わせた。


 すでに恐怖は消えていた。

 先ほどまで迷っていた自分はどこへやら、今ならどんなことでもできそうな気がしてきた。




「あれ、火があるぞ」




 顔役の男が、前方の焚き火を指差した。




「さっき、俺が焚いたんだ。松明もなくて、目印も必要だったから」

「そうか」

「あそこで少し休んでいこう」




 ラジンが提案すると、顔役の男は異議を唱えた。




「もう休憩? いらないだろう」




 拒否されるとは思わなかったため、ラジンは一瞬黙ったが、男たちの気を引けることがあったと思い出した。




「ご、豪族の息子が、村長の家に泊っているんだ」

「なに?」

「手下も少ないし、その息子が強いとは思えないけど、それについて話そう。何も考えず村を襲って、その息子に逃げられたら困るだろう」

「なるほど。そいつを逃がして、手下をたくさん連れて戻ってきたら厄介だな」

「そうだろう? 俺は長いことあの村で世話になっていたんだ。家の場所も、数も、道と川の場所も知っている。お前たちもそれを知った上で、村を襲うほうが得をすると思う」




 これで男たちはラジンの提案に耳を貸す気になった。彼らは焚き火に近づくと、それを囲んで座った。そして座り始めると、意外にもラジンを急かす声は少なかった。


 彼らは温かい焚き火を囲むことを、少しだけ懐かしんでいた。




「さて、そろそろ聞かせろよ」




 顔役の男だけ、焚き火から離れた木に寄りかかった。

 ラジンはそれを見て、心の中で舌打ちした。不意を突くなら、顔役の男を狙いたかったからだ。




「わかった。まず、村の形から話すよ」




 ラジンは立ち上がり、村がある方角へ歩き出した。

 焚き火から離れるラジンだったが、それだけの動きを不審に思う者はいなかった。


 ラジンが振り返り、左手に持っていた松明を、近くにいた男に投げた。




「なっ、うわああっ⁉」




 いきなり自分の体が燃やされ、男は叫んでもだえる。

 周りがあっけにとられたのを見逃さず、ラジンは落ち葉の下に隠していた剣を拾い、別の男の首を斬りつけた。




「ぐわっ!」




 首を断つことはできなかったが、刃は首を半ばまで断ち、鮮血が噴き出た。




「てめえ、いきなり何を!」

「裏切りやがったな!」




 男たちは怒り狂い、武器を構えて突っ込んでくる。

 しかしラジンも負けていない。男たちに向かって怒声を浴びせながら、半狂乱になって剣を振り回した。


 その勢いに、凶暴な男たちも攻めあぐねた。反撃しようとしても、がむしゃらに振った剣がかすめ、下手には近づけない。剣をかいくぐろうとする男もいたが、腕と顔を深々と斬られたことで、悲鳴を上げながら転げ回った。


 兵士として戦に身を投じたことが活きていた。

 賊となった男たちよりも、武器の扱いに少しだけ慣れていた。


 だが、それよりも、自分が戦わなければ博麻が危ういという想いが、ラジンの体を強く突き動かしていた。

 欲を満たすために凶器を振るう者と、恩を返すために命賭けで剣を振るう者の、大きな差がそこにあった。




「うらああ!」




 一人の男の棍棒が、ラジンの側頭部に命中した。

 重い衝撃と痛みが走り、視界が傾く。




「やっちまえ!」




 ここぞとばかりに男たちが押し寄せる。

 その瞬間、ラジンは下唇を噛み切って、意識を手放さなかった。


 一人が刃物を構えて突っこみ、ラジンの腹を刺した。

 これで終わったと男たちは思ったが、ラジンは倒れなかった。歯を食いしばって踏ん張り、刺してきた男の髪をつかみ、首筋に刃を突き立てた。




「が、くぁっ……」




 思わぬ反撃を受けた男は、血を噴く首を押さえながら崩れ落ちた。




「はぁっ……はぁっ……」




 腹に刃物が刺さったまま、ラジンは立っている。肉を切り分けるための小さな刃物だが、刃は深く刺さり、そこから赤い染みが広がっていく。


 肩で荒い呼吸をして、今にも痛みで倒れそうだが、目は死んでいない。


 ラジンの瞳に迷いの色はない。村を守るという執念が、痛みを忘れさせていた。




「全員だ、全員……殺して、やる……!」

「うっ……」




 ラジンが前に踏み出すと、男たちが後ずさった。

 残る男たちは七人、そのうち一人は腕に深手を負い、ひいひいと泣いている。




「ま、待て、ラジン!」




 顔役の男が叫んだ。




「お前、本気で俺たちと刺し違えるつもりか? あんな村のために、命を捨てる気か?」




 ラジンは何も答えず、前に進んだ。

 男たちはラジンの決心を鈍らせようと、次々と声を上げる。




「お前の娘はどうなる? お前が死んだら、一人になるぞ!」

「死んだらどうにもならないぞ! 娘よりも、あの村が大事なのか?」




 しかし、ラジンは剣を構えた。




「ウンノは、博麻どのが守ってくれる……あの村のみんなが、面倒を見てくれる……お前たちとは違う!」




 血を吐きながら叫ぶラジンに、男たちは怯んだ。

 ラジンがさらに一歩踏み出して、男たちに向かって突撃しようとした。


 そこで顔役の男が武器を捨てて、ラジンの前に出た。




「よく聞け、ラジン」




 男は丸腰のまま手を広げ、ラジンに語りかける。




「お前の妻は生きている」

「……なに?」




 ラジンの足が止まる。目線が揺れ、唇が震えだす。




「嘘だ、嘘だ! 俺とウンノが村に戻った時……すでに村は、火の海で……!」




 ラジンは首を振り、男の言っていることを否定する。




「嘘じゃない! 新羅の張堯ちょうぎょうという将軍がお前の妻を、ユナをはべらせていたのを、俺はこの目で見たんだ」

「張堯、だと」




 聞き覚えのある名を聞き、思わず言葉を繰り返した。




「張堯はお前を覚えていた。評判の美人だったユナをお前に奪われた時から、張堯は狙っていたんだ。あんな小さな村をわざわざ焼き払ったのだって、ユナを取り返すためだ」


「で、でたらめを……!」


「俺は張堯の軍に捕まり、奴隷のようにこき使われて、やっとの想いで逃げてきた! あいつの軍馬の糞を掃除していた時に、お前の話を耳にしたんだ! お前に付けられた矢傷を、片時も忘れていないとな!」




 矢傷のことを触れられた途端、ラジンは目を見開く。


 ラジンは張堯という男と因縁がある。

 新羅人だったユナと駆け落ちして結ばれたが、そのユナの許婚の相手が、張堯という若者だった。彼はユナを奪い返すために馬で追いかけてきたが、ラジンは顔に矢を浴びせ、彼を落馬させて逃げきった。


 誰にも言っていない二人の因縁を、眼前の男が事細かに知っている。嘘や出まかせにしては出来すぎている。


 ならば妻は生きていると、ラジンは確信した。かつての恋敵が将軍という地位に上り詰め、村を滅ぼしてから妻を奪ったということになる。


 ラジンに隙が生まれ、男たちはそれを見逃さなかった。顔役の男が飛びかかり、ラジンに体当たりする。




「今だ!」




 顔役の合図とともに、男たちが襲いかかる。

 ラジンは剣を振り回そうとしたが、顔役の男が剣の柄をつかんできた。剣の奪い合いになってしまい、その間に男たちがラジンの脇腹や顔を蹴りつける。




「ぐあっ!」




 脇腹に蹴り足が入り、痛みに叫ぶ。

 その叫びは森の中に響き渡った。




「お父さんっ! お父さんっ! どこにいるの?」




 ウンノの声が聞こえ、全員の動きが一瞬止まった。


 男たちが声のほうへ振り向くと、少し遠くの木々の間から、ウンノの姿が見えた。

 ラジンも娘の声に気づき、しまったと思った。後から目を覚まして、自分のことを追いかけてきてしまったのだ。




「来るな! お前は来るなっ!」




 父の怒鳴り声が届き、ウンノは足を止めた。

 しかし男たちも動きだす。




「おい! ウンノだ、ウンノを先に捕まえろ!」




 顔役の男が指示を出すと、二人の男がウンノへ向かっていく。目の前のラジンには目もくれず、ウンノを捕まえて人質にするつもりだ。




「ぐっ……」




 そうはさせるかと、ラジンも追いかけようとした。

 その隙に、別の男に棍棒で頭を殴られた。




「いやああっ、お父さぁぁん!」




 父親が襲われた瞬間を見て、ウンノは悲鳴を上げた。




「に、逃げろ! 博麻どのの、家に……!」




 痛みに耐えながら、声を振り絞った。

 視界はぼやけ始めていたが、ウンノが背を向けて走り出した姿は見えた。




「くそ野郎、せめてお前だけでも!」




 罵声とともに、ラジンの背中に刃が突き刺さった。

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