百済兵ラジンの過去

 その日から、ラジンとウンノの親子が居候することになった。


 家は狭くなったが、不便というほどではない。

 動けないのはラジンだけで、ウンノは働き者だったので、生活が苦しくなることもなかった。豆にもこれといった不満はなく、合わせて四人で過ごした。



 ウンノの歳は十五歳で、豆の五つ上だ。

 彼女は庶民的な家事を知らなかったようだが、物覚えは悪くなかった。農作業から始まり、豆がやる料理や洗濯も、博麻がやる木こり仕事や狩りも、綿が水を吸いこむように次々と覚えていった。


 その物覚えの良さは、倭の言葉を覚える際にも役立ったようだ。豆と遊ぶ時は、倭の言葉を使って会話をしていた。




「無口だが、聡明で、勇敢な子だな」




 ラジンと酒を飲んでいる時に、博麻がウンノのことをそう言った。


 この日の昼、豆とウンノは外遊びをしていた。

 そのため二人は子どもたちの目を気にせず、米から作ったにごり酒を飲んでいた。収穫を終え、米のたくわえが豊かになった時期にしか、酒は飲めない。




「ありがとうございます」




 娘を褒められ、ラジンは嬉しそうに礼を言った。




「ですが、あの子の性格は私も困っているのです。博麻どのの前では、まだ少しだけ遠慮があるようで」

「それは仕方ない。無理やり水浴びをさせようとした俺も悪かったからな」

「それでも、あの子は博麻どのを信頼していますよ。あの子がのびのびと過ごせているのは、博麻どのと、ご家族のおかげです。倭に渡ってから、あの子に笑顔はありませんでした。ここでの生活があったから、生き生きと笑うようになったのです」




 ラジンはしみじみと語る。彼の顔は赤くなっており、いつもよりも饒舌だった。




「そういえば、母親はいないのか」




 博麻が尋ねると、ラジンは静かに首を振った。




「戦に巻きこまれ、守りきれませんでした。家族は、ウンノだけです」

「すまない、いらぬことを聞いた」

「いえ、良いのです」




 ラジンは器をあおってから、妻について話し始めた。




「私の妻は、ユナは新羅の生まれでした」

「新羅……異国の妻をめとったのか」

「はい。まだ新羅と大きな戦が起こる前に、ユナと出会い、あの子が生まれました」




 ラジンの語りは、物思いにふけっているかのようだった。




「彼女は貧しいながらも、新羅では家柄のある女性でした。しかし、ある裕福な男のもとに身売り同然で嫁ぐことになり、それを耐えかねて故郷から逃げたのです」

「そして知り合った、と」

「そうです。私のような平凡な男にはもったいないほど、可憐で、立派な妻でした。ウンノが生まれてからも、ユナはいつも私を支えてくれました」




 過ぎ去った温かい過去を語り、ラジンの目はうるんでいた。




「けれども、幸せは終わりました。戦が始まり、私も戦場に駆り出されました。家にはユナとウンノが待っていましたが、生活できないほど肩身の狭い思いをしたとウンノは言っておりました。新羅人の母と、その血を引くあの子は、村の人々にとって異物となったのです」


「馬鹿な、生まれが新羅でも関係ないはずだ。現に夫であるあんたが、百済のために命を賭けて戦ったのだろう」


「現実は、誰もそう思ってくれなかったのです……ユナの出身を理由に、ほどなくして私も軍から追い出されました。それから村に戻ると、辺り一面が焼け野原になっていました……ウンノだけ生き残ってくれたことが、唯一の救いでした。あの子とともに必死に逃げて、ついに倭国まで流れ着きました」




 この話を聞いて、博麻はやるせない想いを抱いた。


 ラジンは兵士として戦場におもむき、家族はもちろん、見知らぬ百済の民も守る立場となった。彼のような兵士がいるおかげで、国が守られ、生活がおびやかされないようになっているのだ。

 しかしラジンの家族の近くにいた民は、ラジンの決意を踏みにじった。自分たちの命を守る兵士をさげすみ、その兵士の大事な家族をおとしめた。




「守ってくれる人間の背中に、つばを吐くような真似をするとは……!」




 憤りをもらしながら、乱暴に器をあおった。

 ラジンは目を丸くして、博麻のことを見ていた。




「変わった人ですね。まるで、自分のことのように怒るなんて」

「当たり前だ。あんたや、その家族が受けた仕打ちを思うと、腹の底が煮えてくる。同じように、子を持つ親としてな」




 この言葉に、ラジンは目元をつまんでうつむいた。




「……あなたのような人がいたら、妻も逃げきれたかもしれない」




 さめざめと泣くラジンの背中を、そっと叩いた。


 ラジンはたくましい体をしていたが、肩を震わせて悲しみに暮れる姿は、とても小さく見えた。

 愛した女性を守り切れなかったという過去は、彼の人生に深い影を落としたのだ。

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