第9話 小説家・樋口一葉の誕生 🖊️
明治二十五年、十九歳の秋に春日野しか子名で『経つくえ』を甲陽新聞に連載、『うもれ木』を『都の花』に発表(田辺花🈨の周旋)。やむなく半井桃水と絶縁した夏子は、想い人への追慕の代償めいた周囲の助けで、独自の道を歩み出して行った。
以降は日記から離れ、冷静でシンプルな小説家誕生への道程のみ拾っていきたい。無理やり別れさせられた恋はいつまでも未練の燠をともらせることはいつの時代にも道理で、固有名詞を省いた記述が後世の読者の胸を打たずにいられないのだが……。
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――恋はあさましきものなりけれ。心を尽くし、身を尽くしてなりぬべき仲ならばこそあらめ、この恋なるまじきものと、われから定めてさてもなほ忘れ難く、ぬば玉の夢うつつ思ひわずらふらんよ。
もとよりその人の目鼻、おとがひ、さては手足の何方におもひつきたりともなく、手かき、文つづる類ひ、もの言ひ、声づかひ、たてたる心、いづくいづくと言ふべきにもあらず。ただその人の恋しきなれば、常にわが思ふにも違ひて、ひとつひとつにいへば、恋しきところもあらじかし。
ものの心なくあわつかなる人は、一時の恋に身をあやまつたぐひ、かかるところにこそおこれ、少しもの思ひ知りて静まりたるは、この恋に負けじとすまひて、身の中はただ燃ゆるやうに焦がるるも心地はしぬべくわづらふも、なほ、まことの迷ひには入るらで、つひに夢の覚めぬるもあり。
女などは心のほそきものなれば、争ひ負けて狂気がるたぐひもあめり。されどこれは横ざまなる恋にて、まことの妻女といはんに、これほどの仲ならましかばいかがは人もうらやみ、世の褒め者もならぬことか。
貞女節婦などいへるは、かうやうなる心を中に含みて、人の世のつとめを表にせしなるべし。親子の仲か、君と臣の間、いづ方にも、この心のあらまほしきものの端にはしりては片おもりするものにて、したがひては害になりぬることもぞある。
この頃、見るところ聞くところあるまじき人にあるまじき行ひなどの交るらんよ、なほこの類ひにておなじうは、まめやかなる道に伴ひまほしきを。
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明治二十六年、『暁月夜』を『都の花』に、『雪の日』『琴の音』を『文学界』に発表、晩年までの交流となる平田禿木の初来訪を得た。翌二十七年、天啓顕真術師・久佐賀義孝を訪ねて金や物資の無心を行い、『花ごもり』を『文学界』に連載した。
二十二歳のこの年、星野天地・馬場孤蝶・戸川秋骨ら『文学界』の同人がこぞって来訪し、終焉の地となる本郷丸山福山町の樋口夏子宅はさながら文芸サロンと化す。同年夏から『暗夜』を『文学界』に連載し、十二月『大つごもり』を同誌に発表。
同二十八年には『たけくらべ』を『文学界』に連載、『軒もる月』を毎日新聞に『ゆく雲』を『太陽』に発表、『経つくえ』を『文芸倶楽部』に再掲、『うつせみ』を読売新聞に、『にごりえ』を『文学界』に、随筆『そぞろごと』の一部を読売新聞月曜附録に、『十三夜』を『文芸倶楽部』に発表、『やみ夜』が同誌に再掲された。
同二十九年、『この子』を『日本乃家庭』、『わかれ道』を『国民之友』に発表、『たけくらべ』を『文学界』に連載して完結、『大つごもり』を『太陽』に再掲、『裏紫』を『新文壇』に発表。斎藤緑雨、横山源之助と知遇を得たが、肺結核発病。
同年四月『たけくらべ』を『文芸倶楽部』に一括発表し、『めさまし草三人冗語』で森鴎外から絶賛される。五月『われから』を『文芸倶楽部』に発表、『通俗書簡文』を博文館から刊行、随筆『あきあはせ』を『うらわか草』に発表、三木竹二・幸田露伴ら来訪、随筆『すずろごと』を『文芸倶楽部』に和歌八首を『智徳会雑誌』に発表、森鴎外の紹介で青山胤道医師往診、絶望と。十一月二十三日没。享年二十四。
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