第6話 巧みな話術に幻惑さる 🔏 




 いやですわね、根が生真面目といいますか、艶っぽい話がどうも不得手でして。

 ついつい堅い筆致になりましたけれど、要するに、わたしのひと目惚れでした。


 だって世慣れない娘に無理はありません、じつにいい男ぶりだったんですもの。

 たとえ、一度は所帯を持った方で、玄人筋にも聞こえた遊び人だったとしても。

 

 いえ、であればあるほど、わたしの目と耳と心は相対する人に傾いていきます。

 あちらからすればコチコチになっている小娘が、さぞ可笑しかったでしょうね。


 なんですか、あちらはあちらで日記を認めていらして、初見のわたしに対して歯に衣着せぬ感想が書かれていたとか、あとでうかがって興ざめでしたが……。(一一")

 

 それに先述のご自身の小説についての言わずもがなの弁解などふつうならいただけない話ですが、ただただ上ずっているわたしはひたすら畏まって拝聴していました。


 


      *


 


 ふたたび日記より。桃水を再訪した夏子は、先回預けておいた草稿一回分について「新聞にのせんには少し長文なるがうえに、あまり和文めかしきところ多かり。いま少し俗調に」のアドバイスを受け、朝日新聞主筆を紹介するとまで言ってもらった。


 それまでの世渡りの経験から「ひとたび見てよき人も、二度目にはさらぬもあり」と用心していたのだが、先回よりさらに親しみを寄せてくれるとはまこと稀な人物と尊敬はいや増し、助言にしたがっての訂正を約し、またしても夕飯を馳走になった。


 のち平河町に移転した桃水に呼び出された夏子は「大阪の書肆を版元にして雑誌を創刊する、ついては小説家として夏子を推薦したい」と言われて舞い上がり、さらに日を置かずに呼び出され、朝鮮の元山げんざんからの珍しい鶴料理をふるまわれたりした。




      *




 かくて、ひそかに思慕する半井桃水により小説家として世に出る道が拓かれたかに思われた夏子だったが、まもなく事態は一変する。翌明治二十五年一月八日、親せきや歌子師、友人知人らに新年の挨拶をしたあと、二十歳の夏子は平河町に向かった。


 だが「門戸かたく閉ざして貸家の貼り紙ななめに貼られたり。まず胸とどろかれて立ち寄りてみれば、半井氏お尋ねの方は六丁目の何某まで参られたしとなり」同家に急いで桃水の行方を問えば、主婦らしき人が旅行に出かけていて留守と言うばかり。


 自分の名前を告げ、連絡を請うと頼んだが一向に心許ないので、ぶしつけは承知で先の貸家に取って返し「まず庭口の方より見れば縁側の障子新たに張り替えて物なんとなくあらたまりたるようなるは、もし世の人の住家に変りたるかなども疑われる」


 格子戸から声をかけても答えはないが、火鉢に沸く湯の音からだれかいるようでもあり、さらに見やれば、格子戸の尻に栓をさして出入りができないようにしてあり、水口の戸が開け放してあるので入ってみたが人影はなく、急に恐ろしくなって来た。


 だが、せっかくここまで来たので、台所の板の間に土産の小箱を差し置きして帰途に着く俥のうえで「年たけると共におもての皮厚くなるなり、はしたなくもなりつることよ」と自嘲しながら、人に知られたら妙な噂を立てられるだろうと気が揉めた。


 二時半には家に着き、あまりにも早い帰宅に驚く家族や親せきの目を交わしながら夜を迎え、いくらなんでもあんまりなと憤懣やる方なく桃水に手紙を認めた。何度も書き直したが、のちの憂いの種を考慮し、封筒に入れたまま出さずじまいになった。




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