第3話 日記『若葉かげ』より 🍃
「花にあくがれ 月にうかぶ折々の こころをかしきも まれにはあり」🌸🌙
こう書き出してみると、あらためて自分の欲するものが明白になって来たようだ。
「おもふこと いはざらむは 腹ふくるるてふ たとへも侍れば」と徒然草を引き、「おのが心に うれしともかなしとも おもひあまりたるを もらすになん」で〆。
「さるはもとより 世の人に みすべきものならねば ふでに花なく 文に艶なし」「ただその折々をおのづからなるからあるは あながちにひとりぼめして今更におもひなきもあり 無下にいやしうて ものわらひなるも多かりき」謙遜しながら自戒。
「名のみことごとしう若葉かげなどいふものから 行く末しげれの祝ひ心には侍らずをかし」としつつも「卯のはなの うきよの中の うたれさに おのれ若葉の かげにこそすめ」と詠んで、はるかな目標と現実を行ったり来たりの心情を紡いでゆく。
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一気にここまで書いて来て、夏子はほっと息を吐いた。あれから何年か過ぎたが、いまだ作家への道の手がかりさえつかめていない。嵐のただなかにいる心地だった。
そのやるせなさをせめて日記というかたちで記しておこう、だれに見せるでもない自分のために……思い立ったのは「萩の舎」の花見に触発されたためだったろうか。
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明治二十四年四月二十一日、吉田かとりこ邸での花見に招かれた夏子は、師の家に集合する友人たちとは別行動で、家に籠りがちな妹を誘って、俥で出かけて行った。
折しも「花ぐもりとかいふらんやうに少し空うち霞みて 日のかげのけざやかならぬもいとよし」の日和に恵まれ、途中、上野の丘では「さと吹く朝風のひややかなるに ぬれたる花びらの吹雪とばかり散りみだるるはいとをかしくて」の情趣を甘受。
そうこうするうちに隅田川の畔に至ると、妹の邦子が、亡き父が家族を伴ってよく来たところだわね~としみじみ言うので「山桜 ことしもにほふ 花かげに ちりてかへらぬ 君をこそ思へ」と詠んで、あわれ姉妹ふたりで永訣の袖をぬらし合った。
鉄道、区役所、郵便局など維新後にできたところを通過すると、亡き長兄泉太郎が少年のころ手習いに通った師匠の屋敷付近に至ったので、いたずらに歳月ばかり過ぎゆくが、のこされた自分たちはなにひとつ成し得ていないと嘆き合う姉妹であった。
墨堤の入口の枕橋で俥を帰し「散りもせず咲きものこらぬ花の匂ひいととこまやかに遠くのぞめば ただ一村の雲かとばかりうたがはれ 近く見渡せば 梢につもる雪かとのみ見ゆめる」という情趣が物思いに沈みがちな姉妹を慰めてくれるのだった。
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こう淀みなく書き連ねてみると、十九歳の夏子はあらためておのが文才にひそかに恃まずにいられない。上の学校も出ていない身でここまで筆が立つのは歌塾で賜った薫陶のおかげではあろうが、そうはいっても生来の素質というものもあろうと……。
あら、ごめんなさい、いきなり語調が変わって驚いたでしょう。これも一種の作家気質というものかしら、自分のなかではそれなりのケジメをつけているつもりなんだけど、知らず知らず語りが入れ替わるのは一再ならぬゆえ、どうかご寛恕のほどを。
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