第2話 田辺花🈨著『藪の鶯』 🐦





 のちの貧乏はともかく、物心がついたころには贅沢をさせてもらった身が言うのもなんだけど、高利貸の仕事柄、人さまの恨みを買うことも少なくなかっただろうね。


 それやこれやで零落して持ち家を売り、親子五人、次兄のもとに身を寄せることになったんだけど、子どもの目にも分かるご都合主義がうまくいくはずもなくて……。


 というのも才気煥発で謹厳実直な長男とは真逆の次兄の生来の質を疎んだ両親は、早々に陶匠に丁稚奉公に出していたからで、いまさら転がりこんでもちょっとねえ。


 不運は重なるというけど、頼みの綱の長男が肺結核で儚くなると、おとっつぁんは早々にわたしに相続戸主を継がせたものだから、両親と次男の仲は決定的になった。


 親子四人で別の借家に移るとすぐ、後見人のおとっつぁんまで儚くなってしまい、それからはおっかさんとわたしと妹、女三人で生きていかねばならなくなったわけ。


 暮らしは貧窮を極め、あちこちの借家を点々としながら裁縫や洗濯の賃仕事、小物の内職、それにどぶ板長屋の子ども相手の駄菓子屋で細々日銭を稼ぐ身上となった。


 え、同郷の渋谷三郎さんのこと? みんなに婚約者と思われていたみたいだけど、実際はなにも、それどころか三郎さんは妹の邦子に……いえ、なんでもござんせん。



  

      *




 さて、お待ちかねのコイバナ(笑)とまいりましょうか。あ、その前に、せっかくですから「萩の舎」の雰囲気をわたしの日記『若葉かげ』から知っていただきます。


 どういう土壌で歌人としてのわたしが育ち、さらには作家を志望するに至ったか、間接的にでも知っておいていただいたほうが、なにかと話のつごうがよろしいので。


 なお、徒然の記録をそのままご紹介しても芸がないので、第三者的な視点に直してお目にかけたく、その辺りにもささやかな作家の矜持を見ていただければ幸いかと。




      *




 そうそう、先んじてお話しておきますと、十四歳の夏から和歌ひと筋に励んでいたわたしが小説の道を志し始めたきっかけは「萩の舎」の田辺花🈨さんに由来します。


 三歳上の先輩だった田辺さんは華族の令嬢でしたが、そのころよく見られたように華やかな見かけと違い台所は切羽詰まっていて家族の葬式代にも事欠かれたようで。


 そこで一念発起して自らの才に恃み、文壇の坪内逍遥先生のご推挽を得て小説集『藪の鶯』を出版し、その稿料で葬儀を出されたと、もっぱらの評判だったんです。


 はい、わたしはひそかに野心をかき立てましたよ~、先輩に出来て自分に出来ないことはないだろう、執筆でひと山当て、内職にやつれた母と妹を喜ばせてやりたい。


 実際は田辺さんの作品はさほどの出来ではなかったので、義理がらみで引き受けた版元でも困惑して通常よりかなり安い稿料だった、という嫉み話も耳にはしました。


 けれど、それでも十分にうらやましかったのです、安いと言ってもおとっつぁんの俸給一月分を凌ぐ金額をもらえるのですからねえ、文字どおりの筆一本で。(*''ω''*)


 そのころ初婚に敗れた姉は再嫁しており、長兄は病死、次兄はあのとおり、実質的な惣領となった身として家族を守りたい、母と妹の笑顔を見たい、それだけでした。




      *




 なお、自ら口にするのもおこがましいことですが、のちの世に「樋口一葉の作品はことごとく下町の人情譚なれど、ふしぎとそこには雅がある。すなわち雅と俗の融合こそ普遍人気の秘密たり」と評された所以を「萩の舎」での交わりに見たいのです。


 また、現代で言うところのハッピーエンドとは真逆に、むしろ思うに任せない未来を予感させる不穏な筆致で寸止めしたところにも長い人気の秘密があるそうですね。


 たしかに奇跡の一年の呼び水となった『大つごもり』は「のちのこと知りたや」で〆てみました。以降の『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』のいずれも登場人物に感情移入してくれた読者を放り出す格好になりましたが、あれは敢えてなにかを意図してにあらず、二十四年を限りとした人間ウォッチングの成せるものでございます。




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