夏子、作家になります~ 👘

上月くるを

第1話 前口上をばひとくさり 🥁





 お金が欲しかった、おっかさんと妹の邦子、女三人かつかつ生きていけるだけの。

 端的に言えばそういうことになるかしらねえ、いまさら繕っても仕方ないし……。


 ひとつ付け加えるとすれば、マンネリ? 和歌三昧に飽いていたとは言えるかも。

 三十一文字の狭い世界ではなく、もっと長いもので胸の内を明かしてみたかった。


 


      *




 二男三女のうちでも、ことのほか次女のわたしに目をかけてくれたおとっつぁんの計らいで、人気の中嶋歌子先生の歌塾「萩の舎」に入塾したのは十四歳の夏だった。


 それまでいくつかの小学校を出たり入ったりして首席でやめたきり、ありがちな「女子には学問より裁縫」というおっかさんの反対で上の学校には進めなかったの。


 おとっつぁん、向学心を持て余していたむすめを案じたんだろうねえ、おっかさんの渋顔をよそに、勉強好きだったわたしにせめてもと歌の道を拓いてくれたのよね。


 幼いころから早熟で、親の目を忍んではものかげで草紙の類を乱読していたことも幸いしてか、入門から間なしの身で、師にも朋輩にも一目置かれるようになったの。




      *




 といっても新人には相応のカワイガリが待っていたことは言うまでもなかったわ。人並みの愛嬌というものに欠け、生意気に思われがちなタイプだったからなおさら。


 それに弟子千人といわれた「萩の舎」で圧倒的な存在感を示していたのは、断然、華族の令嬢や令夫人で、豪奢な着物で綺羅を競い合うこと、眩いばかりだったしね。


 そんななか、わたしはといえば、貧乏の証のような例の写真、恒例の発会記念式で撮影した集合写真の最後列で、ひとり硬い表情をしているとされる、例のあれ……。


 振袖の袂を重ねた最前列や歌子師を中央にした二列目の先輩連をよそに、わたしはおっかさんが知り合いから調達して来た古着の解き直しで出席せねばならなかった。


 それはたしかに屈辱ではあったけれど、そのころには早くも自分という稀有な存在にたしかな自信を芽生えさせ始めていた身には、試練はむしろ歓迎でもあったのね。




      *




 あ、樋口家の身分? 一応は士族だった……ふふ、ちょっと訳ありっぽく言わねばならないのは、本当に訳ありだったからで、いわば株を金で買っての士族だったの。


 自伝とか評伝とか言われるものにありがちな、細かい年号とか地名とかは省くけど(だって退屈でしょ)、そもそもの樋口家の経歴をかいつまんで説明しておくわね。


 それからついでに言っておくと、のちの東大赤門の斜め前にわが家があったことをことさらあげつらう人がいるみたいだけど、研究に利用されるのはちょっとね……。


 話をもどすと、おとっつぁんとおっかさんは、甲斐の田舎の百姓の出自だったの。

 優れた容貌に惹かれ合った幼馴染みのふたりに子どもができ、やむなく出奔した。


 臨月のおっかさんは、同郷の家の世話になって間なしに長女ふじを出産したけど、生活の手立てもなかったんでしょうね、わが子を里子に出して、他家の乳母に出た。


 当初は頼りなかったおとっつぁんも、これではならじとてあれこれ手段を尽くしたらしく、やがて妻を呼びもどすと、長男泉太郎と二男虎之助を相次いでもうけたの。




      *




 そして、これまた同郷の伝手で東京府庁に入り、のちに警視庁に移った父は副業として高利貸しを始めたらこれが当たり、相当な蓄財を得て本郷に広い屋敷を構えた。


 士族の株はそれより前に購入してあって、ご維新の改革で無駄にはなったけれど、どんな時代でも士分の身分は便利なので、それなりに役に立ったものと見えるわね。


 次女夏子(わたし)、三女邦子が生まれるころには相当裕福な暮らしを営んでいたようだから、ああ見えておとっつぁんには生来の利の才が備わっていたんだろうね。


 ただ山っ気っていうの? 策士策に溺れるの諺どおり、せっかく安定した下級官僚の職をなげうって事業を起こしたのが、わが家の暗転の歴史の始まりとなった……。




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