夢みたいな話 ①

 二度寝をしたところで夢の続きを見られるわけじゃない。知っていて尚、それに縋っていたくてまた瞼を閉じる日がある。夢から覚めた後で、夢の中に出てきた大切な人の記憶が失われていくにつれ、その喪失感に涙を流す事から始まる一日もある。目覚めてしばらくして我を取り戻し、その感情が冷めてしまっている事に気が付いて少し寂しく思う日もある。普通はそんな経験なんてしないものなのだろうか。分からない。どっちでもいい。

「夢」というものには危険な依存性がある。どんな事だって叶うけれど、人は決してそれを手に入れる事ができない。それを失った後で精神的な幻肢痛に悩まされる。

 しかしながら、手に入れるまではいかないものの、「夢」を夢以上に我が物とできるテクノロジーはある。それがVRだ。

 高校を卒業し、何者にもなれなかった私は現実逃避をするようにVRにのめり込んだ。それは言わば「もう一つの選択肢」だ。人生における過ちを正し、それを疑似体験する。もちろんもっとそれ以上の使い方だってある。自由に空を飛べたり、怪獣になって破壊の限りを尽くしたり、人を殺す事だって、世界を救うヒーローになる事だってできる。

 しかし私はある程度の柵がないと自由を謳歌できない人間なので、こうも自由であると逆に何をする気にもなれなかった。永遠みたいに広い世界に反比例するように窮屈さを感じてしまい、むしろ「現実じゃないからな」なんて身も蓋もない事を思ってしまうのだった。

 だから私は何者にだってなれる仮想世界で、それでも「私」でいる事を選んでしまっていた。もっと言えば、あの高校生活をただ繰り返していたかったのだ。

 VRの世界にはもちろん、学校だって数えきれないくらいたくさんある。そこで楽しい高校生活を選ぶ事だってできた。でも私はそうしなかった。どんなに自分の通っていた高校に似ていても、どれだけ自分の担任に似た先生がいても、結局私の高校生活というのはあの部室に集約されるものだったからだ。

 乱雑に散らばった書類、ガラクタの机を寄せ集めてできた偽の長机、ぎっちりと棚の中に詰められた本、綺麗とは言い難い黒板、使い古された備品のパソコン。どこの学校に行ってみたところで、あの完璧な聖域はどこにも存在しなかった。夢以上に、VR以上に、あの狭い箱だけが完璧だったのかもしれない。

 いつも通り、存在するはずもない部室と先輩の残り香を探し求めていた、ある日の事だった。私はまたとある学校を見つける。そこは不思議な学校だった。なにせ校舎は一つだけで、それも二階建てというあまりにチープな作りだったからだ。

 靴の無い靴箱を通って中に入ってみるが、そこに人の気配は全くない。廊下も教室も静まり返っていて、少し不気味ですらある。

 階段を使って二階へと上がり、とある教室を覗く。私は驚いた。教室の窓から外の景色を眺める男子学生が一人で立っていたからだ。

「……あの」

 小さく声をかけると、その人はこちらを振り向く。一応は男子だけど、あくまでアバターでしかないこの見た目は当然、現実の自分とは全く違う見た目にだってできる。容姿、年齢、性別も。人ですらない見た目をしている人だって少なくない。

「彼」の見た目は、自由に容姿を変えられるにも関わらず陳腐な初期アバターだった。どこにでもいる、普通ど真ん中みたいな見た目。もちろん、「彼」を動かしている人もそうだとは限らない。

「あの、こんにちは」

「こんにちは」

 私の言葉に、彼は柔らかく微笑んで挨拶を返してくれた。どこにでもいそうな見た目というのは、どこかで見た事のあるような見た目、とも言い換えられる。静かな微笑みに私は、懐かしさにも似た安心感を覚えた。

「すいません、ここはどこですか」

 私は咄嗟に訊ねていた。どこも何も学校だ。見れば分かる。

 彼は私の言葉に不思議がるような素振りも見せず、やっぱり「学校です」と言っただけだった。

「まだ建設途中なんです。もう少しだけ大きくする予定です」

「じゃあ、この学校は貴方が建てたんですか」

「VRなら何でもできますからね。便利ですよ」

 ふと、彼の後ろにあった窓に私自身の姿が映ったのが目に入った。私のアバターもやっぱりどこにでもいるような初期アバターの女の子だった。強いて言えば、高校時代に髪を切ってショートにしてしまったのを少し後悔していたので、ここでは肩にかかるくらいに髪を長くしているくらいだろうか。

「どうして学校を建てようなんて思ったんですか」

「大きな理由は無いです。ただ、僕にとって高校は特別に思い入れがある場所なので、それを少しでも再現したかったんです」

「その気持ちは、よく分かります。私も同じです」

「そんな事しても虚しいだけなのは分かってるんですけどね」、なんて言って彼は何かを諦めているみたいに鼻で笑った。

 私も彼と全く同じだったから、彼のしている事の無意味さも充分に分かってしまった。虚しいと分かっていても、存在しないと知っていても、絶対に手に入らない「それ」に手を伸ばさずにはいられない性分なのだ。

「どのくらい大きくなる予定なんですか?」

「一つの校舎は五階建てで、それを三棟作る予定です」

「大変そうですね」

「一人の人間が学校を丸々一つ作るとなれば、それなりに大変です」

「私でよければお手伝いしましょうか」

「ありがたいですが、大切な人との場所なので自分の手で作りたいんです。お気持ちだけ受け取っておきます」

「大切な人?」

 私が首を傾げて訊ねると、彼はどこか懐かしそうに遠くを眺めて「昔の話です」とそれを話してくれた。

「当時の僕は部活に入っていたのですが、そこの部員に想い人がいたんです。でもそれを伝えられる程の度胸はありませんでしたから、せめてあの場所を再現して、臆病者じゃなかった僕という『もう一つの選択肢』を想いたいんです」

「……本当に、私と同じなんですね」

 私は無意識に、彼と先輩の姿を重ねてしまっていた。もし私が消化できないこの想いを先輩に告げていたら、こんな「もしも」しか生み出せないような虚偽の世界に縋り付かずに済んだのだろうか。

「不思議と、貴女は彼女に似ているような気がします」

「本当ですか」

「無理やり言葉にするなら、彼女と同じ香りがする。僕が追いかけていた残り香が」

「私もそうです。貴方はどこか彼と似ています」

 それから私達は少しだけ話をした。まるでお互いがお互いの想い人であるみたいな疑似体験。あの高校生活の延長線上みたいな時間をなぞった。

 彼と先輩を重ねていた私は、私が知らない先輩について訊ねた。そしてそれは彼にしても同じだった。彼には私が先輩に見せた事のない私についての話をした。

 やがて、「ピピピ」というような無機質な電子音が響いた。私のかけているVRゴーグルのバッテリー残量が尽きるのを知らせるアラームだった。

「楽しかったです。また来ます」

「ええぜひ。もしよろしければ、その時はまた都合のいい関係を演じましょう」

「都合のいい?」

「僕は貴女が『彼女』と思って、貴女は僕が『彼』と思って。お互いがお互いを利用してあの日々を再現するんです。今日やったみたいに」

「それは確かに、都合がいいですね」

「僕らにもそれくらいの利用価値ならありますから」

 私と彼は笑い合い、それで別れた。そのタイミングで私のゴーグルの電源も落ちた。

 本当に彼と先輩はよく似ていると思ったし、でもそれとは別に、彼がいい人だというのも充分に分かった。何かが間違っていれば私は彼を想ったのではないかとすら感じる。

 ゴーグルを充電器に刺し込んだところで気が付いた。またあの学校に行こうと思っていたのに、彼と話すのに夢中で、学校の場所をメモするのを忘れていた。例えるならそれは、突然放られた知らない土地で一度だけ見た桜の樹をまた探そうとするようなものだ。それに加えて仮想世界は現実と違い、日々あり得ない速度で変化していく。またあの学校に行くのは不可能と言い切っていいだろう。

 約束を守れず、少し申し訳ない気持ちになる。私自身も、またあの心地の良い都合のいい関係で彼を利用したかった。とても残念だ。

 ふと思う。彼の事を「先輩」と呼んでいたら、彼は先輩と同じ表情で「なに?」と微笑んでくれたような気がする。もしかすると、本当に彼は先輩だったのではないだろうか、なんて馬鹿な事を一瞬だけ思う。

 彼の連絡先や学校の場所をメモしなかった事を悔やみたくなかったので、「そんな夢みたいな話あるわけないだろ」と、二度寝したところで夢の続きを見られないみたいに、私はあの時間の続きを想う事を止めた。

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