最も面白い小説
先輩が一冊の本になった。それはそのままの意味で、つまり人間としての先輩はもうこの世にいない。まさか小説を読み耽っていた人間が小説そのものになるなんて誰が予想できるだろう。先輩はどんな気持ちなのだろうと、それは少し気になるところではある。そもそも気持ちを持つ事すらできないのかもしれないけど。
当たり前だけど本は喋らないし、顔や身体があるわけでもない。先輩と呼んでいいのか分からない「それ」と私。放課後の部室にあるのはそれだけだった。
先輩のタイトルは「読むな」というシンプルなもので、私は最初本を開く事をしなかった。もちろん読みたいという気持ちはあったけど、それが先輩の意思ならと、なんとか自分の誘惑を断ち切っていた。
ある風の強い日だった。少しだけ開いていた窓から隙間風が入り込み、部室のカーテンを優しくなびかせる。季節の香りを運んでやってきたそれが、机の上にあった先輩のページをペラペラと捲り上げた。見るつもりはなかったけど、視界の隅で慣れないものが動いていると思わず目を向けてしまうのが人間だ。
見えた文字には「エピローグ 出生」とあった。その文字列が面白過ぎて、私の欲望はとうとう爆発した。先輩ごめんなさいと、心の中で一応謝って本を開く。
どうやらそれは先輩の一生が記された本のようだった。どこの病院で生まれたとか、十二時間かけて生まれたとか、産声をあげなかったから周囲が大慌てしたとか、そういう事が事細かに書かれていた。
短いエピローグが終わり、いよいよ本編に入るぞ、というところで下校のチャイムが鳴ってしまった。私は溜め息交じりに先輩を閉じ、「また明日です」と呟いて部室を出る。
先輩はいつもこの場所に置いていっている。どこに持っていけばいいか分からないから、というのは建前で、ここならどこにも行けない先輩と私の二人きりになれるからだ。一種の独占欲というやつなのだろう。
翌日の放課後、さっそく私は本編を読み進める。第一章は幼少期だった。先輩は物心付く前から大人しい子供だったらしい。教室の隅で本を読んでいるような、典型的な根暗な子供。それは私も同じだったので決して悪くは思わないけど、もう少し人と話してもいいのにと思うくらい先輩は無口だった。食事をする時以外は一日に一度くらいしか口を開かないような子供。ちゃんと私に面と向かって話をしてくれる、今の先輩からは想像できなかった。
結局幼少期は小学校の卒業まで続いて、次の章へと入る前にまたチャイムに邪魔をされた。先輩を家に持って帰ろうかとも思ったけど、さすがにそれは私の一存で決めていいものではない気がしてやめた。既に「読むな」という先輩の意思を踏み躙っていたからというのもあった。
中学の先輩も先輩は先輩だった。消去法じゃなく、自分の手で孤独を選び取って本ばかり読んでいる。小学校の時と変わらず、ただずっと四季が三周するのを教室の隅で待っていた。
いよいよ高校編。いつも通りチャイムに邪魔をされて私は先輩に別れを告げる。私は先輩と真逆で、この部室にいる間だけは四季が三十周くらいしないかなと思っていた。
翌日、遂に先輩はこの部活に入る。部員は誰もいなかった。独りでただひたすら活字を追いかけ、四季が一周した後で私が先輩の元へと現れた。
先輩の中の私は、なんだか私が思っていた私と少し違っていた。やっぱりこれも良し悪しの問題ではないのだろう。交わりそうで交わらない、お互いのお互いに対する価値観。これがもしフィクションだったなら、あまりにもつまらなくて読むのを止めてしまいそうだと思った。
読み進めて驚いたのは、先輩の中にこんな一文があったからだ。
『タイトルに「読むな」と書いているにも関わらず、この後輩は僕の物語を読み進める事を選んだ。』
私は気付く。先輩の残りページはまだ半分以上残っている。つまり、これは先輩の一生を書いたものだ。これから先の、決められた先輩の人生。余生と呼ぶには長過ぎるような、半生と呼ぶには手遅れなようなそれ。
『この後輩は僕を読み、少し残念な気持ちになる。彼女が僕に抱いているものと、僕が彼女に抱いているそれでは少し意味が違ってくる。「好き」だとか「綺麗」だとか「悲しい」だとか、何にしても人と人とが僅かなズレもなく、全く同じ感情を抱くと考えるのは傲慢だと僕は思うのだ。もし人間がそんな作りだったのなら、文芸なんていう概念はこの世界に生まれていない。』
私はそこで本を閉じた。ここから先を読んでしまえば、先輩は決められた人生に沿った生き方をするだろう。そしてそれは私もそうだ。もしもこの章が終わって、そこから先に私の存在が一つも綴られていなかったら、私は。
先輩と別れるべきだと強く思った私は、先輩を抱えて部室を後にし、しばらく連れ回した後で本屋に売り飛ばした。最後に「さよならです」と告げ、私は二枚の十円玉を握りしめて店を出た。少しの時間先輩を連れ回したのは、私の最後の我儘だった。
私が学校を卒業した後で、先輩は日本で最も有名な本として様々なメディアに取り上げられる。作者不明、発行日不明、更に、この世には一冊しか現存しない小説。
一般の人間はオリジナルの先輩に触れる事すらできず、代わりに文庫版や漫画版が発売され、更にアニメ化や映画化も成す。二十円程度の価値だった先輩の一生は、一億三千の眼に晒される事となった。
聞きたくもないけど、感想やレビューなんかはラジオ、テレビ、ネットなどを通じていくらでも私の耳に入る。そしてその全てに、先輩を悪く言うものは一つもなかった。
先輩の一生を読んだ、見た、知った、全ての人間は決まって言う。「高校を卒業した後からが面白い」と。日本人全員が口を揃えて言うのだ。
本も漫画もアニメも映画も、何も見なかった私はその先を知らない。恐らくだけど、彼の人生において最も彼に近かった私より、彼の人生において交わる事もなかったであろう有象無象の方が先輩について詳しいのだと思う。それでいいとはとても思わないけど、可能性がゼロではなかった、起こり得たかもしれない「たられば」を心に残しておく方が気持ちは幾分か楽だった。「もしも」の想像の余地さえ失いたくなかった。先輩と私が交わり続けていたかもしれないその先の事を想っていたかった。
それとも、私がこんなにも貴方の事で悩んでいる事実さえ、貴方の中では決まった物語だったのですか? ねえ、先輩。
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