第61話 手に触れたものは

『……だーめ♪』

「……え?」


 私の頭の中に響く、どこかで聞いた声。

 なんとか思い出そうとするが、すぐにそんな余裕はなくなった。


「……う、あ、あぁああああ!」


 頭に奔る凄まじい痛み。

 まるで脳を直接触られ、別の形に作り変えられているかのようだ。


「ぐぅ……だ……れ……?」

『あ、この子を通さなくても、私の声を聞こえるようになったんですねぇ~♪ 私が近くに来たのもあるけど、やっぱりそれのおかげですねぇ。プレゼントしといてよかったぁ♪』


 私の目の前に、黒い宝玉が浮かんでくる。

 さっき手に入れたふたつめの魔王の武具だが、先程と違い、黒い光を放っている。


 そして、その輝きに呼応するように、後ろから私に迫ってくる。

 それは無数の手。

 黒でもない、あの幽鎧帝たちの影でもない、『闇そのもの』の手。


『そ・れ・よ・り……』


 その手は、私の体をなぞるかのように指を這わせ……


「あ……あぁ……ぎぃいっ!」


 急に私の体を掴みあげる。


「……う、あがあああぁあああ~~!!!!!!」


 あまりの激痛に、獣の咆哮のように叫ぶ。

 手の形をした闇は私の体の中まで入ってきて、肉もろとも骨や心臓を……いや、体そのものを握り潰してくる。


「あ……ああ……あぁ……ああっ…………」


 あまりの激痛で立っていることすらできなくなり、地面に倒れ込もうとする私を黒い手が抱きとめる。

 そして私は、闇の手によってされるがままとなり、糸に吊るされた操り人形のように宙に浮かされる。

 そんな私の顔に手を伸ばし、子犬を愛でるように、私の『脳』を撫でながら、優しく、優しく語り掛けてくる。


『ダメじゃないですかぁ~。敵はまだ残ってますよぉ~?』

「て……き…………?」


 闇の手によって、下げていた頭を無理やり上げられる。

 そして、激痛のあまり、閉じかけていた目を無理やりこじ開けられた私の視界に映るのは……


「…………」


 私の状況を見て、戸惑うエミルだった。


「……ち、がう……エミ……ル……は……あああぁああああ~!!!!」


 また、体中に奔る凄まじい激痛。


「……シルフ!」


 私の状態から考え、闇の手を斬ろうとしてくれたのか、エミルは風の刃を繰り出すが風の刃は、闇の手を素通りしてしまう。


「あ、がぁ……! あぁあああ~~!」


 そして、刃が放つ風圧が私の体に触れ、全身が痛覚と化している私にさらなる激痛が奔る。


『あらあらあらあらぁ~♪ 風を当ててくるなんて、酷いことしますねぇ~。今のレムリア様はぁ、指で軽く触れるだけで痛い痛いなのにぃ。……こんな風にね♪』

「う、がああぁああ~~~~!!!」


 私の反応を楽しむように、胸元に闇の手を這わせる。


「お願い! ランプ替わり!」


 そしてエミルは光の精霊を呼び出し、光の光線を放つ。

 光には闇と考えたのだろう。

 実際に相反する効果はあったようだが、深すぎる闇を貫くことはできない。

 だが、闇の手に一撃を与えたことは変わりない。

 ……そしてそれは、風圧以上の衝撃となって、私に返ってくることでもある。


「あ、ああ…………」


 迫りくる衝撃に怯える私。

 既に痛みで発狂しそうだというのに、これ以上の痛みを受けたら、私はどうなってしまうのだろう。


「あぁ……あ、あ………」


 想像を絶する激痛を前に、ただただ恐怖することしかできない。

 だが恐ろしいことに、一向に痛みは来ない。


 もしかしたら、風の刃のときと違って、衝撃は来ないのかもしれない。

 闇の手には光が有効だと分かったのだから、エミルならなんとかしてくれるかもしれない。


 そんな希望が私の中に生まれる。


『……もしかしてぇ~、痛みは来ないかも~とか、闇の手から解放されるかも! とか思ってますぅ~?』


 ――だが、頭に響く声が、そんな希望は浅はかだったと伝えてくる。


『そんなレムリア様に教えてあげましょ~! ひとーつ。この手にはたしかに光は有効です。でもでもぉ、この手は消滅させるには、光はかなり強力かつ巨大なものになる。それってどういう意味か分かりますよねぇ~?』


 そんなのは分かり切っている。

 熱線によって、私は光の攻撃に巻き込まれる。


『魔力を手に入れて忘れちゃってるみたいですけどぉ、人間っていうのはぁ、ちーっちゃな炎の魔法でも大怪我なんですよぉ? それを、この魔王の力を払う程の光魔法の余波を喰らったらどうなる? 手が消し飛ぶ? 足が消し飛ぶ? あ、もしかしてぇ……』

「……ひっ!?」


 急に目の前に現れた手が、私の目を振れる寸前まで指を指す。


『……この頭、なくなっちゃうかもねぇ~♪ アハハハハハハ~~♪』


 頭に中に響く、狂ったような笑い。

 私の反応も、恐怖も、そのすべてが心の底から面白いのだろう。


『……それと、もうひとつ教えておきますねぇ?』


 私の目の前に現れる、闇の手。

 その手は他の手と違い、朽ち果てる寸前のようだった。


『レムリア様が怖がってる、とっても、と~~っても痛いのはぁ、実はもうその体に流れているんですよぉ~』

「え、でも……」

『これもアポカリプス……いえ、闇の力のちょっとした応用ですねぇ~。サクリファイスペインって言うらしいんですが、効果は痛みの身代わりしつつ、その痛みを蓄積して触れた相手に返すというもの』


 ゆらゆらと動く手。

 指の形すらも消滅しかかっており、どれだけの痛みを蓄積しているか想像もつかない。


『ちなみに、どれぐらい痛いかというと……!』

「えっ……なっ……!?」


 地面から突如現れるおびただしい数の闇の手。

 私の状況に気を取られていたエミルは、闇の手に捕らえられてしまう。


「……こんなの!」


 エミルは、光を出しつつ闇の手を薙ぎ払っていく。

 だが、その膨大な量は捌ききれず、その隙をつくように先ほどの手が宙を舞いながらエミルに近づいていく。


『……ちょん♪』


 そして、その朽ちた指がエミルの鼻先に一瞬だけ触れる。


「…………くっ、あ、あぁぁあああああぁああ~~~~~~!」


 エミルの聞いたことない大きな声が響く。

 そしてそのまま、無言で地面へと倒れ込む。


「あ、あぁ…………」


 精霊憑依も解かれ、痙攣するかのように動いているだけ。


『見てみて、レムリア様! ちょっと触れただけで、あんなになっちゃってる~! 潰されたのにまだ動いてる虫みたいでキモーイ♪』


「う……ぐ、ま……だ……」


 だが、勇者にかかる精霊の加護のせいか、動けるようになる。


『普通なら廃人になる痛みを受けたのに、すぐ意識を取り戻すとか、さすが勇者様~♪ もしかしてぇ、勇者ってキブリとかの仲間かもぉ~?』


 ケラケラと響いてくる声。

 本当に、心底楽しそうにしている。


『……本当ウザい』


 ……だが次の瞬間、殺気と呼ぶには生ぬるい、聞いただけで心臓が捕まれるような声が響く。


「え……」


 急に私は闇の手から解放され、目の前にはあの、痛みを蓄えた手が浮かぶ。


『レムリア様! この手をあのクソ虫にぶつけて♪』

「そ、そんなこと……できるわけ……」

『いいんですかぁ~? 言っとくけど私、レムリア様が発狂するまで痛めつけるためにここにいるんですよぉ~?』

「……ひぃ!?」

『あのクソ虫にぶつけないならぁ、この手はレムリア様に使う…ううん、刺しちゃう♪ そしてそのあと、この手よりすごい苦痛をプレゼントして、この子の力で時間を戻してあげます♪』


 私の背後から感じていたものが、私の前に現れる。


「……あ、ああ……」


 初めて見るその姿に、私は言葉を失う。


 ――闇に上書きされた空間。


 そう表現するしかないぐらい、そこにあるのは闇そのものなのだ。

 本来そこにあるべき空間に浸食し、塗りつぶし、闇と同一化させているようにみえる。

 ただひたすらに、『闇』と表現するしかない存在だ。


『レムリア様もやったでしょう? この子の闇の力で、時間を少しだけ操れるんですよぉ~♪ だ・か・ら、あまりの痛みで死にかけても、痛みを受ける前に体だけ戻して、また死ぬような痛みを与えてあげます。何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も! こーんな痛みをねぇ!!』

「……あ、うぐあぁあああ~~!!!!」


 エミルと同じように、あの手が私に少し触れる。

 奔る激痛は今までで最大のものであり、手が離れてからも痛みがまったく引かない。

 まるで、体そのものが痛みを発する器官そのものになっているようだった。


『あはははは! あははハハハっ! す、すっごいぃ! すっごいいい声、レムリア様ぁ! その声だけでぇ! 私、興奮しちゃいますよぉぉ!!』


 私の悲鳴を聞き、ただひたすらに歓喜の笑いをあげる。

 だが、今の私はその笑いに構っている余裕はない。


 あの手に蓄えられた痛みをすべて受けたら、確実に気が狂う。

 いや、気が狂うなんて生ぬるい。

 おそらく、人としての思考も、何もかもを失う。

 想像できる残虐な拷問の全てを集めても足元にも及ばない苦痛が目の前にあるのだ。


「あ……あ……」


 それを前に、私はただ震え、言葉を失う。


『ふふっ、どうすれば分かりますよねぇ……?』


 私の手に、あの闇そのもの同じものが宿る。

 これがあればあの腕に触っても痛みが伝染せずに触れられる。

 そう直観した私は、手に触れる。

 案の定、あの痛みは走らない。


『そう、いい子ですよぉレムリア様。ちゃんとあのクソ虫に当てられたら、ご褒美に痛いのはやめてあげます♪』


「ほんとうに……?」

『ええ! 私はともかく、あの闇は約束とか、契約を守る主義ですからぁ♪』

『……契約は絶対だ』


 最初に響いてきたときと同じ声が私の頭に入ってくる。

 どうやら、ふたつの声は別の存在なのだろう。


(……だけど、今はそんなことどうでもいい……)


 私は、あの手を持ちながらゆっくり、ゆっくりとエミルに近づく。


「くっ……」


 まだ体力が回復しきっておらず、立ち上がることすらできるエミル。

 それはつまり、ここで私が手をぶつけなかったとしても、あの闇が確実にエミルにぶつけるられる。

 そして、あの闇は確実に、それを行うだろう。

 そしてエミルは、私と一緒にただただ闇に弄ばれ続ける。


「ごめん……なさい…………」


 そして私は、心からの言葉を紡ぐ。


「ごめんなさい……ごめんな……さい……ごめん……なさ……い……」


 私はただひたすらに謝る。

 他に言葉も出てこないから。

 それ以外の感情が出てこないから。

 まるで、壊れたラジオのように私はごめんなさいと繰り返す。


「ごめん……なさい……エミル……。こんな……ことに……巻き込んで…………」


 私は、心からの言葉をエミルに言う。

 おそらく、この手をぶつけたらエミルだろうと発狂するだろう。

 もし精霊の加護で耐えたとしても、闇が確実にエミルを嬲り殺す。

 私がこの闇を連れて来なければ、こんなことにはならなかっただろう。


『いいですよ、レムリア様! さぁ、さぁ、どーんといっちゃってぇ~!』


「ごめん……なさい…………」


 そして、私は謝罪を続ける。


「ごめ……ん……なさい…………レムリア……さん……体、返せない…………」

『……え?』


 そして私は、残った力でエミルに治癒魔法をかける。


「体が……!」


 少しだが、これでエミルは動けるだろう。


『……はぁ。マジ最悪なんですケド……』


 心底うんざりしたという声が響いてくる。


『まぁ、お仕置きできるからいいとしますかぁ♪』


 私の手から、あの闇の手が離れ、私の目の前に浮く。

 そして私の周りをぐるぐると回り始める。

 私の顔に、手に、足に、触れそうになるが触れない。

 あの声が私の恐怖を煽り、弄んでいるのだろう。


 これから先、私はどうなるんだろう。

 あの手によって、私は壊れて終わりなのだろうか?

 それとも、壊れることすら許されず、あの声の宣言通り、時間を戻されて拷問されるのだろうか?

 どんな結果であれ、それは私の精神は壊れるまで続けられるだろう。


「エミル……逃げて……ね……」

「……ま、待って!」


 そして手は狙いを定め、私の体にゆっくり、ゆっくりと入ってくる。


「……っ! ……っ!? …………っ!!!!」


 激痛によって、言葉を発することもできない。

 ただ、息だけが吐き出される。


 入ってきたのは、まだ朽ちた指だけだというのにこれだ。

 あの手をすべて受け入れたら……


(また……ふたりで……ラズリーのプリン……食べたかった……な……)


 徐々に入ってくる速度が上がっていく腕。

 もう意識を、思考を保つ限界で、そんなことを思う。


「…………」


 痛みで倒れながら、私はまだ動く手を伸ばす。

 届かないと分かっていても、ただただ、手を伸ばす。


「レム……リ……ア……さ……」


 そして伸ばしたその手は……


「――ここにいるわ」


 ……温かい手に包まれた。


「レム……リア……さん……?」

「ええ、私よ」


 その言葉と同時に、近くで響く炸裂音。

 目の前が光ったと思ったら、痛みが消えていた。


 本来なら喜ぶところだろう。

 地獄から解放されたと。

 でも、今はそれどころではない。


「ごめん……なさい……私……また、傷つけて……」

「くだらないこと気にしてないで、今は休みなさい。なんだったら、子守歌でも歌ってあげましょうか?」

「それ……すごく聞きたい……。今度寝る前に……おねがい……しま……す……」


 そして、私は意識を失った。


 ///////////////////////////


 魔導銃から吐き出される新型の巨大薬莢。

 魔力が凝縮された弾丸は、あの子の首を掴む腕を吹き飛ばした。

 どうやら、あの黒い手は幽鎧帝の体と同質のようだ。

 物理攻撃や炎や雷などは効かないが、魔力そのものではダメージを与えられるらしい。


「…………」


 私は、アオイを地面に優しく下ろす。

 その体に外傷はない。

 だが、明らかに衰弱しきっている。

 そして何より、目から流れる涙……


 それを見た私の中に、今まで感じたことがない感情が奔る。


「この子をこんな目にあわせたのは、勇者? それとも、そこの見るに堪えない、黒く塗りつぶされた出来損ないの絵画みたいなやつ?」


 私は、近くにいる存在を睨みつける。

 私の言葉にふたりは反応しない。

 勇者は私の認識阻害が効いているからか、新しい敵にどう反応していいか分からないといったところか。

 そして、あっちの黒いのは会話をする気がない。

 体の作りだけでなく、幽鎧帝と似たタイプなのだろう。


「……まあ、どっちでもいいわ」


 そう、どっちでもいいのだ。

 私のやることはただひとつだから。


「……この子を傷つけて、生きて帰れると思うな!!」


 そして私は銃を構え、アスガルドを起動させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る