チャプター1【御堂筋美琴1】
チャプター1
【御堂筋美琴1】
とあるビルの屋上。七階建ての古ぼけたその作りは一昔前の雑居ビルを思わせる。
鉄柵で囲われたその先にはポッカリと隙間があり、柵を飛び越えれば『間違いなく』地面に叩きつけられる。
それを理解した上で一人の女性は鉄柵に手を掛けた――
「…死ぬのか?」
「―…!」
突如背後から聞こえた声に、御堂筋美琴(みどうすじみこと)は驚いて後ろを振り返る。
「…あなた…どうしてここが……」
美琴が驚くのも無理はない。彼女は誰も居ない事を確認した上で此処を選んだのだから。
そう――『以前復讐した奴が住んでいた場所』で。
「そこから飛べば間違いなくお前は死ぬな」
突然に現れた男性――シンは、無表情な面持ちでそう言った。
――自分は以前この男性に『復讐代行』を依頼し、それは見事に遂行された。自分が最も憎んだ相手はすぐに命を絶ったが、相手から受けた仕打ちや痛み、恐怖は消えない。また、そんな自分も相手と『同様』であると、美琴は『知って』しまった。
(私は、私が憎む相手と同じ事をしてしまった。憎んだ相手がいなくなっても自身が受けた疵(きず)は消えないのに。『死ねばいい』なんて自己満足だ。それは自分を守るための大義名分に過ぎない……)
――自分が嫌になった。
自分が、復讐をしてしまった事に。
人を死に追いやってしまった罪に。
美琴は逃げ出したかった。誰かに『赦して』欲しかったのかも知れない。
『君は悪くない』
誰かにそう言って欲しかった。それで自身が犯した罪の重さを消化したかったのかも知れない。
「…死にたいって思って何が悪いの?」
美琴は恨みがましくシンを睨む。
「ーーいや?」
意外そうに首を横に振るうシン。
「死にたいなら死ねばいい。ただーー」
シンはそこで一旦言葉を切る。
「……ただ、何だって言うのよ?!」
今にもシンに喰ってかかりそうな勢いで美琴はシンに詰め寄った。
「…お前はまだ生きれる。今此処で死を選んでも転生はしない」
「―…ッ!」
シンの断定的とも取れる言い回しに、美琴は眉間に皺を寄せて口を噤んだ。
「……」
そして小さく溜息を吐いて、しばし何かを考えるように顎に手をあてがう。
「ーーねぇ」
「何だ」
美琴が口を開けば、シンが気づいてこちらを向く。
「…シンさんって……、あ、『シンさん』でいいわよね?」
と、美琴が同意を求めればシンは黙って頷いた。
「シンさんって、…その…『予知』、出来る人?」
「……どうだかな」
「質問の答えになってないんだけど?」
シンの端的な言い回しに不服そうに唇を尖らせる美琴。
「…ハァ……」
そんな彼女にシンは深い溜息を吐き、
「どう表現していいか分からん」
面倒臭げに小さく呟いた。
「…そう」
美琴はそれ以上聞く気が失せたのか諦めた様な溜息を吐いて踵を返した。
「…じゃあ、バイバイ」
再び鉄柵まで歩みを進め、柵を両手で掴み身体を乗り出す様に膝を柵にかけた。
――背中から、静かに冷たい風が吹き抜けてくる。
柵を越える。その外側は、人ひとりがようやく立てれる幅の隙間。下を見降ろすと、車道や電柱、電線などの町並みが少し歪んで見えた。
――ああ私。やっと楽になれる。
美琴は表情こそ笑顔ではあったが知らず内に涙が溢れ出ていた。
「…やだ…どうして……」
眼下の町並みが涙でぼやけた。
カタカタと足が震える。
怖くない。怖くない。怖くない。
楽になれる。もう解放される。大丈夫、怖くない。
呪文の様に自身に言い聞かせ落ち着かせる。
けれど足の震えは止まらない。頭が真っ白になる。周りの音が遮断され、自分の動悸と苦しげな呼吸だけがやけにうるさく聞こえて――
「…ちょっと! 止めなさいよ!」
美琴は後ろを振り返り、そこにいるであろうシンに向かって怒鳴った。
「……何故?」
シンは心底分からないと言う表情をしている。
「目の前で人が死のうとしてるのよ!?」
大声で捲し立てつつ、美琴は越えた柵をまた登り、怒りを含んだ足音と共にシンの目の前まできて、
「助けるでしょうがッ、普通ッ!!」
シンの胸元を右手の人差し指でツンツンと突く。
「…死にたいのではないのか?」
そんな美琴の態度に臆することもなく、シンは断定的に言い放つ。
「そうだとしても!」
美琴は痺れを切らしたのか右手でシンの胸倉を掴み上げて眼前まで顔を寄せると、
「助けて欲しいのッ!」
と、空いていた左手で頬に伝った涙を拭った。
「……はぁ」
シンは思いっきり溜息を吐いた。
「最初から素直にそう言えばいいものを…」
呟きつつ自身の胸倉を掴んでいる美琴の手首を掴み、「さっさと放せ」と、端的に低い声色で言ってのける。
「…あ、ごめんなさいッ」
美琴は言われて初めて気付いた様に掴んでいた胸倉を放す。居心地悪そうに俯いてシンから少し離れる様に数歩後ろに引いた。
「ーーねぇ」
「何だ」
美琴が上目遣いでチラリとシンを見て静かに声をかけると短い返事が返ってきた。
「……助けてくれてありがと…」
「ーーいや」
少し照れた様に美琴がそう言うと、シンは首を小さく横に振る。
こちらには目もくれずただ空の果てを見つめるシンの姿を見て、美琴は少し訝しげに眉をひそめ、
「もう一度、聞くのだけれどーー」
勿体ぶる様に前置きしたあと、「…『予知能力』あるの……?」と、先程から心に引っ掛かっていた事を素直に聞いてみた。
「……」
シンは小さな溜息をひとつ吐き――
「お前達が言う、『能力』とは少し違う」
如何にも面倒くさげにそう切り返してきた。
「…『超能力者』、でも無いわよね?」
美琴は首を傾げ、シンに同意を求める様に聞いてきた。
「どうだかな」
「ねぇ、さっきもそれ聞いた」
シンが端的に言えば、美琴は呆れた様に胸の前で腕を組み唇を少し尖らせる。
「…どう説明していいか分からん」
眉を少し顰めてあさっての方に視線をさ迷わせるシン。
「…それもさっき聞いたわよ? 同じ答えしか無いの?」
溜息混じりに呟く美琴を、シンは興味深げに上から下まで見回した。
「ーー何? 何者か答える気になったの?」
美琴はシンの視線に気付いて訝しく眉を顰める。
「そうだな」
シンは静かに頷いて、右手の人差し指と中指を立て『何か』を挟む様に美琴の前に差し出せば――なんの前触れもなく、指の間にカードが一枚挟まれていた。
(…なに……? 手品のつもり?)
美琴が怪訝な面持ちでシンをチラリと見やれば、
「それと似た様なもんだな」
と言って、シンは美琴に手渡すようカードを突きつけた。
「…どういう事?」
困惑しながらもカードを受け取る美琴。
「ー…ッ!」
カードを目にした途端、美琴の顔は驚きの表情に変わった。
「…ちょっと…どう、して…ッ?!」
慌てふためいたように口元に手を充て一瞬シンの顔を見たあと、
「―…私ッ、帰るわ!」
シンに背を向け、急ぎ足でその場を去って行った。
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