第5話 テレビ界とアンチファン

 世の中には、ファンがいれば、必ずアンチのファンというのも存在するもので、特にスポーツなどのチームには、よくあることである。

 日本でいえば、プロ野球であったり、Jリーグサッカーなどがその一つで、最近ではバスケットやバレーなどもプロ化したことで、特に、

「地元に根差したチーム」

 というのが、増えてきているのだった。

 アメリカなどでは、

「三大メジャーすぽー津」

 ということで、MLB,NBA、NFLと言った、野球、バスケット、アメリカンフットボールなどのチームが、地元密着型で存在している。

 日本では考えられないが、メジャースポーツの中には、

「夏の間は、MLBのチームと契約していて、冬季になると、NFLで活躍する」

 という選手も少なくはない。

 なぜなら彼らは、学生時代スポーツをする時、最初から、どのスポーツをするということを決めずに、野球部に所属しながら、バスケット部で活躍するというような、マルチプレイヤーが多い。大学を卒業してから、どちらに行こうか迷っていると、ドラフトに掛かったので、野球を目指す。あるいは、バスケットを目指すといって、プロ入りの際に決める人もいる。

 要するに、スポーツで頂点を掴めるくらいの実力のある人は、それだけ運動神経が優れているということであり、どんなスポーツもこなせるということになるのだろう。

 どうして日本人には、そういう考えがないのかというと、一つは、

「昔は、プロというと、野球しかなかった」

 という考えと、また、

「日本人と欧米人とでは、そもそもの身体の作りが違う」

 というのもあるだろう。

 欧州や南米などではサッカーが盛んだったりするので、日本でJリーグができるまでは、プロになりたければ、ハングリー精神と裸一貫のつもりで、外国に乗り込むくらいでなければやっていけなかっただろう。

 実際にJリーグができた時、最初の頃の選手は、そうやって外国でやっていた選書を引き抜いてきたりもしていたであろう。

 あの頃のフィーバーは今思い返してもハンパではなかった。

 入場券など、ほとんど手に入ることもなく、一番のピークの時には、入場券を巡って、殺人事件が起きたくらいだったのだ。

 そんな時代を思い起こすと、翌年からブームがまるで、蜘蛛の子を散らしたかのようにサーっと消えていったのは、意外であった。

「殺人事件まで起きたのに」

 というくらいで、

「一過性のブームだった」

 というには、殺された人は残された遺族には、代償が大きすぎたに違いない。

 そんなJリーグであったが、プロ野球とはその経営方針に大きな差があった。

 プロ野球というのは、基本的に、経営会社は一つである。中には、共同で経営しているところもあるが、昔から一つというのが主流であった。

 ドラマやバラエティにおいて、スポンサーの一社提供というのは、ほとんどない。それでも、プロ野球が尊属できているというのは、すごいことなのだろう。

 昔でいえば、鉄道会社、映画会社、などが多かったのだが、今では、大ナンス会社であったり、IT企業と呼ばれるものが進出してきたりと、時代の違いを感じさせるが、今も昔も変わりないのが、新聞社であったり、食費会社などである。

 そんなプロ野球も、アメリカのMLBを目標に形成されていったのだろう。

 プロ野球が、百年以上の歴史があるにも関わらず、その後にできたJリーグサッカーのプロ化というのは、実はまだ、三十年も経っていないのだ。後二年くらいでやっと三十年ということで、平成になってからできたものなのだ。

 経営体制は、プロ野球とはかなり違っている。リーグの理念としては、

「ワールドカップで通用するような選手を育てるという意味での、リーグによる選手のレベルアップと、地元に根差した組織づくり」

 が理念となっているのだ。

 つまり、プロ野球では考えられなかったようなことが、Jリーグでは起こっているのだ。

 一つは、運営会社の複数化である。

 地元に根差しているということで、何もスポンサーは一社である必要はない。あくまでも、地元に根差してさえいればいいのだ。

 そして、今ではプロ野球でもたまにあるが、プロとアマの試合が行われるということである。

 特に、天皇杯などのように、大学、高校からもエントリーができる大会に、Jリーグのチームも出ることができる。もちろん、シードされることにはなるのだが。

 要するに、選手のレベルアップが目的なので、チームの優勝というよりも、そちらの方が優先されるということであろう。

 最近ではプロ野球も、育成制度などもできて、育成や三軍は、学生との交流試合もこなしている。特に育成選手は、球団の支配下選手としての、公式戦には出れないので、そういう交流試合も行われることになるのだ。

 もう一つは。選手の期限付きのレンタル移籍というのも、Jリーグは可能だ。

 プロ野球の場合は、スポンサー企業との関係が深いので、なかなか難しいのかも知れないが、都市対抗野球のように、優勝チームがポストシーズンを戦う時に、他のチームから指名できるようにするというやり方も面白いのではないだろうか。

 プロ野球も、結構歴史が長いので、マンネリ化しているところもあり、Jリーグに圧されるという危機感もあるのか、ここ二十年くらいの間にいろいろと改革があったりした。

 まずは、プレーオフ制である。

 これは、昔パリーグが行っていた、

「前後期制」

 というのがあったのだが、これは、

「前期優勝チームと後期優勝チームがポストシーズンで争って、リーグ優勝を決める」

 というものだった。

 約十年ほどでなくなったが、そのなくなった理由というのが、

「前期優勝が、ダントツの強さでどこかのチームに決まってしまうと、それ以降の前期の試合は、消化試合ということになり、試合が面白くない」

 というのが、表向きの理由であるが、実際には、

「消化試合になって、客が減ると、経営に影響する」

 というスポンサーからの考えであった。

 ただ、前期も後期も両方優勝した場合は、

「完全優勝」

 ということで、プレイオフは行われなかったのだ。

 だが、今もプレイオフというのが行われているが、それは、二シーズン制ということではなく、一シーズンの間に、優勝チームはもちろん、二、三位のチームも、日本シリーズに参加できる可能性があるということで始まった。

 確かに、こうしておけば、以前の二シーズン制がなくなった時の懸念はなくなるだろう。

 三位までに入ればいいということで、いくつものチームがシーズン終了まで争うことになるからだ。

 しかも、ポストシーズンとして、試合があるのだが、上位のチームお球場で行うので、レギュラーシーズン+ポストシーズンの金が入ってくるのだから、上位でフィニッシュすれば、球団側は儲かるという仕掛けになっているのだ。

 だが、この制度は、三位のチームが、勝率は五割にも達しないところが勝ち抜いてくる可能性もある、そうなると、見ているファンも白けてしまうというのが実情のようだ。

 特に、昔からのファンは、

「こんな制度、やめればいい」

 と思う人が多いだろう。

 特にいつも優勝争いをしているチームのファンとしては、

「せっかく一年頑張って優勝しても、ポストシーズンの調子によっては、三位のチームがリーグ代表などとなり、

「下剋上」

 と言われることもあるのだが、これは決して下剋上などではない。

 あくまでも、

「敗者復活戦で勝ち残っただけだ」

 というだけのことなのだ。

 アメリカなどではチームが三十チームもあるので、同一リーグに、東、中、西地区とあり、三チームで優勝を争うわけではなく。ワイルドカードというものを持ったチームが出場することになる。

 そのチームというのは、地区優勝の三チーム以外のチームの中で、一番勝率の高いチームが出てくることになる。地区が違うので、下手をすれば、他の地区の一位のチームよりも、勝率がいいということもあるのだろうが、何度もいうが地区が違うだけに、優勝チームがどこになったとしても、不公平をいう人はいないという形になっている。

 それに比べれば、今の日本のプレイオフ制度、いわゆる、

「クライマックスシリーズ」

 というものが盛り上がらないのも、無理はない。

 なぜなら、テレビで放送もしないからだ。

 特に最近ではプロ野球中継というのはほとんどない。

 昔であれば、ゴールデンタイムと言われる午後七時から、午後九時くらいまでは、どこかのチャンネルで、放送していたものだ。

 もっとも、全国的に人気があるチームの試合だけを映しているので、

「いつもいやらしいまでに、マスゴミに贔屓されるあのチームのファンは、野球を知らない人か、女か子供ばっかりだ」

 と言われるくらいだった。

 同一リーグであれば、敵チームの選手としてテレビに映るが、別のリーグであれば、何かの特集か、地元チームか、あるいは、地方遠征で地元に巡業してきた試合くらいしか、中継はしないだろう。

 中継をしても、

「選手を知らない。チームも知らない。球場の観客はほとんどいない」

 というひどい状態で中継をしても、誰も見る人などいないということである。

 しかも、午後九時まで試合が終わらなかった時の問題もあった。スポンサーの威光によるのだが、三十分延長したりする。

 その時、九時からドラマなどがあったりした時は、三十分番組が繰り下げて放送されることになり、昔のビデオなどでは、三十分の延長機能がついているものは、何とか録画をすることで見ることができるが、どうでなければ、予約録画をしていても、見逃すことになってしまう。

 それは、主婦やドラマのファンからすれば、大きな苦情になってしまうだろう。

 最近では、さらに、スポンサーの威光で、どうしても、イニングの途中にスポンサーのCMを流す必要から、

「せっかくのイニングの途中のイベントが見れない」

 という苦情も起こってきた。

 当然、勝利の後のヒーローインタビューの時間など見ることもできず、

「試合を最後まで見れるのがいい」

 というファンの意見と、さらに、その頃から増えてきた。有料放送というものがむずびついたことが大きかった。

 月々、数百円で、好きなチームのホームゲームを試合開始から試合終了後のインタビューや勝利イベントまで見ることができる」

 という触れ込みで、視聴者を募集した。

 ファンとすれば、選手目線であったり、自分の贔屓チームを、完全にサポートしてくれる放送なので、文句が出るはずもない。

 さすがにビジターのチームのファンには、辛いが、それもホームの試合が、全試合の半分はあるので、十分に満足できる。

 しかも、それぞれの放送局がタッグを組んで、

「プロ野球セット」

 などという表現で、例えば、六チャンネル契約しても、三チャンネル分の契約料でいいというような組み方をするので、自分の贔屓チームの試合がビジターである時も見ることができたりした。

 そのような、

「セット契約」

 は、それぞれのテーマに特化した放送局で幾パターンも出来上がっていて、それだけに、

「有料衛星放送局」

 が主流になってきたことで、民放の野球中継を見る人はほとんどいなくなってしまったのだ。

 それが、ゴールデンタイムという、一番視聴率が稼げるところで穴が開いてしまったことで、その穴を埋めているのが、売れているのか売れていないのかよく分からない芸人によるバラエティ番組だった。

 そんなことをやっているくらいなので、若者のテレビ離れは顕著であり、

「家にテレビはない」

 という人が結構いて、

「今さら誰が民放なんか見るか」

 という次第である、

 当たり前のことであるが、某NHKと呼ばれる放送局も例外ではない。ここに関しては、さらに以前からテレビ離れが顕著になっていて、今では、そこを攻撃する政党があるくらいである。

 さらに最近は、テレビ離れがひどく、

「配信藩組で見ればいい」

 ということで、

「家にテレビすらない」

 という人も多いようだ。

 パソコンやスマホで見ればいいということで、昔からテレビを見ている人は、大画面で見るが、テレビのない人はスマホの画面で見るのだから、同じものを見ていても、違った感覚になるのではないかと思うが、どうなのだろう?

 そういう意味で、最近のテレビ番組の傾向がよく分からない。

 朝、昼の番組の中心は、ワイドショーである、

 朝のワイドショーは昔からのことだが、昼というと、以前は、昼休みなど、バラエティ関係の場組があったものだが、最近はそれがなくなった。そして、最近の主流は、なぜか、元、あるいは現役の芸人がMCを務め、それをアナウンサーが補佐する。そして、コメンテイターも芸人で、しかも、売れなくなった人たちを使うという番組が多かったりする。

「一体、放送局は何がしたいんだ?」

 と思う。

 以前であれば、午後一時からは、

「奥様劇場」

 という形でも、奥様向けのドラマがずっと続いていたが、今ではワイドショー枠になっている。

 確かに、昭和の頃に比べて、共稼ぎが増えたので、奥さんが午後の一時に果たしてテレビを見ているかというのは、疑問であり、視聴率を稼げなくなってきているのも分かる気がするが。だからと言って。ワイドショーが果たして視聴率を稼げているのかというと、疑問である、

 下手をすると、

「テレビをつけておいて、他のことをしながらの状態で、画面から、番組が流れている状態というだけなのかも知れない。

 さらに、奥さんの方でも、

「奥様劇場」

 などの番組で、不倫であったり、ドロドロとした恋愛であったりする内容が思た過ぎると思っているのかも知れない。

 ひょっとすると、主婦の中には、本当に不倫をしているので、その不倫を思うと、番組を見ていられないと思っている人も多いのかも知れない。

 その時間、主婦が仕事をしていて、テレビを見ることがなくなったおか、それとも、家にいるが、そんなに重たい番組から遠ざかってしまったのかは定かではないが、奥さんが昼下がりに、奥様劇場を見るという感覚ではなくなったのかも知れない。

 ただ、これは作者の勝手な想像であるが、

「韓流ドラマの影響があるのではないだろうか?」

 ということである。

 昭和の頃の、

「奥様劇場」

 と比べて、韓流ドラマにおいては、明らかな違いとしては、日本のドラマに比べて、主人公の年齢が下がり、いわゆる、

「イケメン」

 を使っての、重たい番組ではあるが、まだ若い人たち、二十代前半を中心とした人たちの恋愛ドラマになっているので、ドロドロはしていても、まだ、先が見えるような内容に、奥様連中は、夢中になっていた。

 それがちょうど、今から、十数年くらい前のことだった。奥様劇場がなくなってきたおは、その頃からだったのではないだろうか?

 これはあくまでも作者の考えであって、ドラマが打ち切られた公表されている理由としては、やはり、

「主婦層のドラマ離れ:

 という漠然とした答えであったが、基本的になくなったのが、十年とちょっと前くらいということは、

「冬のソナタ」

 などのドラマで、

「ヨン様」

 などと呼ばれていた俳優が活躍していた時代とかぶっているからである。

 話が脱線したが、テレビが、完全に迷走を始めたことで、有料放送としては、昔のドラマや映画の再放送を流したりする方が、それでも、民放を見ているよりもお金がかかっても、まだいいということであろう。

 人間、昔を懐かしがってばかりいるのは、あまりいい傾向ではないといえるだろうが、それ以上に、テレビ界の迷走は致命的なのかも知れない。

 スポーツ番組は完全に有料放送に取られた。

「自分の贔屓のチームの試合を試合終了まで見れる」

 という触れ込みがそれだけ視聴者を引き付けたことか。

 民放で野球中継があろうがなかろうが、まったく関係はない。最初から民放など見ないのだからである。

 昭和の頃であれば、野球が延長になって、その後の番組、主にドラマなどが、延長にあると、本来なら十一時に終了するものが、十一時半になってしまう。

 この頃の九時からのドラマというと、二時間番組の、サスペンス劇場が毎日と言っていいほど放送されていて、

「二時間ドラマ」

 と言われていた。

 そんな中で、

「サスペンスの帝王だったり、女王」

 などと言われる俳優も出てくるくらいで、一時期、パチンコ台になったりしたのも笑えたものだ、

 それくらい、パターン化されていた。

 まるで、ドラマの水戸黄門でも見ているかのようで、事件解決シーンは、必ず、どこかの、海の断崖や、砂浜だったりする。ひょっとすると、同じ俳優を使っている場合は、違うドラマを、同じ場所でまとめて買い越シーンだけを一気に撮ってしまい、

「経費の削減を図る」

 などという姑息な手段だったのではないかと勘繰ってしまうが、冷静に考えても、信憑性がありそうに思うので、この考えもまんざらではなかったのかも知れない。

 ドラマの監督はそれぞれ違っていても、解決シーンだけは、解決シーン専門の監督がいたとすれば、それも考えられないことではない。もし、その通りだとすれば、実に滑稽な気がする。

 ちなみに、ドラマの原作が小説やマンガであり、それを脚本家がドラマ化するために、脚本を書く場合と、ドラマオリジナルで、脚本がそのまま原作となる場合があるが、どちらが、難しいといえるだろうか?

「原作があるのだから、それを脚本に書き換えるだけなので、原作がある方が楽なのではないだろうか?」

 と考える人が多いだろう。

 しかし、実際にはそうではない。

 というのは、脚本と小説の執筆とではまったく違うものだということだ。

「小説というのは、読む人を中心に、作家が読者に直接歩み寄る形で書き上げることになる。だから、場面の描写であったり、登場人物お心理なども、しっかり書かないといけない」

 ということであるが、脚本というのはそうではない。

「脚本というのは、書いた内容を俳優が演じ、監督がそれを指揮するという形になるので、脚本の段階で、あまりにも具体的に書きすぎると、演じる俳優や、指揮する監督が身動きが取れなくなるので、セリフ以外の描写や登場人物の心理状況などは、最低限にとどめるようにする」

 というのが、脚本である。

 だから、ドラマの撮影前に、脚本家が書いたものを監督やプロデューサーが見て、いろいろな注文を付けることになる。

 小説の場合は、判断するのはすべてが読者であり、出版社が介入するのは、最初の企画段階までで、そこから先、執筆に掛かると、編集者側からは、ほとんど何も言われることはない。さすがに上がった原稿を見ることもあるだろうが、出版ギリギリで上がってきた作品を見る時間がなかったりする。

 そこが、小説と脚本の大きな違いだ。

 しかも脚本というのは、

「ドラマを作るうえでの、一つの駒でしかない」

 と言ってもいいのではないだろうか。

 だから、脚本家が小説を書いたり、小説家が脚本を書いたりすることは、ほぼないといってもいいだろう。

 テレビドラマの製作場面など見ることはないので、こちらもあくまでも想像になるが、以前、作家と脚本家のそれぞれの話が乗っている本があったが、そのあたりの話を書いていた。対談ではなく、別々の取材に答える形だったので、ほぼ信憑性があると言ってもいいだろう。

 冷静に考えても、辻褄の遭っている話に聞こえるので、その通りだと思う。

 さて、前述の野球ファンなどであるが、昔から人気のあったチームは今もそれなりに人気がある、だが、昔のように、

「他のチームやリーグは、ほとんどテレビ中継がないので、まったく知らない」

 ということはなくなった。

 しかも、テレビ中継がなくなってきた頃から、特にパリーグなどでは、サッカーJリーグの主旨のような、

「地元密着型のチーム」

 が増えてきた。

 チーム名は基本的にはスポンサー名だが、その上に地域の名前がついていたりすることが多い、地域としても、それぞれの県であったり、東北や北海道のような地域が名前についていることが多い。

 それだけ、地元密着をアピールするものであり、今までのような、人気チームにファンが集中することもなくなってきたのだ。

 昔から人気のあるチームには、ファンというのがもちろんいて、そして、ライバルチームの存在がある。そのライバルチームのファンというのはそのほとんどが、人気チームのアンチだといえるだろう。

「もし、人気チームのファンが野球ファン全体の三割だと仮定すると、アンチファンというのは、残り七割すべてではないか?」

 と思っている。

 それは、ライバルチームのファンが、ほとんど、そのチームのアンチだということが分かっているからだ。

 これは野球に限ったことではない。

 政治に対しても同じことがいえるのではないだろうか?

 皆が皆、そうだとは言わないが、

 与党である自民党の支持率が、三十パーセントだとすれば、不支持は七割ということになる。

 不人気政党になればなるほど、支持率も低く、不支持も低いというものではないか。

 野党の政党で、

「支持率が一パーセントであったとすれば、不支持は九十九パーセントか?」

 ということになるが、そんなことはありえない。

 不支持も支持とほぼ変わらないくらいにとどまるのだ。

 それだけ、国民の関心は薄く、

「どうでもいい政党だ」

 ということになるのだ。

 ということは、

「アンチファンも裏を返せばファンの一種である」

 と言えるのではないだろうか。

 嫌いだということは意識しているということであり、

 例えば、ライバルチームが今年、なぜか調子よく、首位を走っていたとして、人気チームが最下位に沈んでいたとして、ライバルチームのファンが、人気チームに対して、真剣に、

「ざまあみろ」

 と思うだろうか?

 どちらかというと、

「人気チームを倒してこそのわがチーム。いくら首位にいたとしても、人気チームが弱ければ、喜びも半減だ」

 と、半分、やる気をなくしたかのように思うのではないだろうか。

 つまりは、

「アンチファンというものは、必要悪のようなもので、いればいるで、厄介なものだが、いなければ、やる気も失せるというものだ」

 と言えるのではないだろうか。

 野球中継に限らず、テレビ界の迷走は、視聴率だけを見ていて、視線が一点に集中しているように、野球を見ているファンだけではなく、アンチファンの存在を見逃していたことから考え直さなければいけないのではないかと思うのだった。

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