第5話 性欲の神
全能の神の息子が差別に神であるなら、娘はどうなのだろう?
全能の神には、娘もいたのだ、その娘は、
「性欲の神」
と呼ばれている。
そもそも、性欲という言葉はあまりいい使い方をされているわけではない。コンプライアンスの問題などもあって、
「男性の性欲が、性犯罪を招く」
と言われていて、性欲の強さは、ロクな意味にとられない。
しかし、最近では、
「草食男子」
などと言われて、男性が性欲を持たないことが多くなった。
それは、きっと道徳教育などで、
「性欲というのは、性犯罪に直接結びつく」
などと言われて、男性が尻込みしてしまい、自分から女性に行けなくなった。
女性の側としては、せっかく、男性が来るのを待っているのに、全然見向きもしないので、逆に女性からアプローチをするようになってきた。
しかし、男性側の防御本能はすごいもので、女性が寄ってくると、反射的に逃げ腰になってしまう。
もちろん、性欲絶倫の男もいる。そんな男は、昔からいるように犯罪に走ってしまうのだ。
女性が変に、自分たちの今まで弱かった立場を、急に強くしてしまおうと、男女平等を叫ぶようになってから、このような弊害が出てきたのだ。
昔からのワルはそのままのさばるが、せっかく、正常だった男性が、今度は女性離れを起こし、女性を怖いと思うようになる。
「下手に近づいたら、痴漢呼ばわりされたり、変質者扱いにされてしまう。今は、男女同権ということで、女性が、被害者面すれば、男性が圧倒的に不利だ。コンプライアンスの問題にしてもそうであり、女性がちょっとしたことでも大げさに叫ぶと、怖くて、上司も、女子社員に何も頼めなくなってしまう。
性欲に限らず、ほとんどの男性が女性恐怖症になると、性欲など湧いてくるはずもない。
しかも、不倫しているわけでもないのに、疑われたりなどすると、奥さんに対して、
「なんとか疑いを晴らそう」
と思うよりも、
「離婚した方がましだ」
と思うに違いない。
「自分を信用もしてくれず、男は皆浮気をするものだ」
などと思われているとすれば、離婚した方がいいに決まっている。
「だったら、何のために結婚したというのか?」
そう考えると、再婚に踏み切ることもできなくなる。
一回、うまくいかなければ、男性は、
「もういい」
と思ってあきらめる。
女性の側は、生活をしていかなければいけないので、離婚してからしばらくは、恋愛どころではなくなってくるのだろう。
そうなると、女性も中年くらいに差し掛かると、性欲が増してくると、聞いたことがあった。
きっと、もう自分と同じくらいの年齢にはうんざりしているだろうから、結婚するわけでなければ、イケメンの若い男を捕まえる方がいいと思うことだろう。
男の中には、そんな女から、むしり取ろうとする輩がいる。そんな連中からすれば、中年の独身女はカモではないだろうか?
「まるで、ホストに狂う女」
を見ているようだ。
このあたりの一番の原因が、男女平等などという発想が巻き起こした歪なのだろうと思うのだが、それだけではない。
人間が、そもそも持っている、
「性欲」
というものを、正しく使えないこと、そして、その性欲に対しての偏見の目が、世の中を狂わせてきたのだろう。
さらに、性欲が薄れていったことで、問題になっているのが、
「少子高齢化問題」
である。
世間では、結婚しない人が増えた。結婚しても、三組に一組は離婚するという世の中。
さらには、せっかく結婚したのに、子供を作らない夫婦が増えている。それだけ、子供を作っても、育てていけない状態なのだ。
日本では、ほとんどの夫婦が共稼ぎをしている。共稼ぎをしないと生活していけないのだ。
そうなると、子供を作るとどうなるか? 子供はどこかに預けなければいけない。
昔のように、核家族ではないので、祖父母が見てくれるというわけにはいかない。そうなると、保育園などの施設に預けることになるのだろうが、保育園の数が絶対的に少なく、保母さんもほとんどいない。そうなると、預ける先がなく、
「待機児童」
などという問題が露呈してしまうのだ。
そうなると、無認可の保育園が増えたり、数十人の子供を、一人、二人の保母さんで管しなければいけなくなり、事故が発生したり、犠牲をこうむるのは、子供たちである。
そうなると、
「子供は作らない」
「結婚もしない」
ということになると、どんどん出生数は現象していく。
しかし、今度は高齢者が元気になることで、少ない労働力で、老人たちを支えなければいけなくなり、経済の活性化も行き詰ってしまう。
これが、
「少子高齢化」
という問題なのだ。
そんなことが問題になってくると、精神的に、
「子供がいらないのであれば、セックスも必要ないのではないか?」
ということを考え始めると、肉体も、性を求めなくなってくる。
そもそも、性欲というのは、種の保存という遺伝子の宿命によって受け継がれてきたものだろうから、その種の保存という問題が、目の前の生活とを比較した時、どっちが大切かと言われれば、それは当然、目の前の生活であろう。
下手に性欲などを持っていると、悶々とした気持ちが、先に進もうという気持ちにしてくれることもなく、堂々巡りを繰り返してしまう。
女性を好きになっても、ただ、遊ぶだけの性欲であれば、今の若い連中は持ちあわせていない。
付き合って好きになるのか、好きになったから付き合いのか、どっちにしても、先に結婚という言葉が控えているから、付き合うことも、相手を好きになることも、嬉しくワクワクするものなのだ。
それなのに、その感情が、
「世の中の現実:
に阻まれてしまう。
「結婚したって、いずれは別れることになるかも知れない。さらに、子供ができれば、子供を養うために、仕事をして、子供を預けるところもなく、共稼ぎでなければやっていけない世の中で、どうやって、生活をしていけばいいというのか?
そんな状況にした、国家のために、なぜはたらいてやらないといけないのか? そんなことを考えていると、結婚するということ自体が、無謀なことに感じられる。
そうなると、女性を好きななってしまうという感情が恨めしく感じられる。好きになりさえしなければ、こんなに悶々とすることもないのに、これが人間の本性だとするならば、こんな皮肉なことはない。
そう思ってしまうと、
「性欲」
などという無駄なものを与えた神に恨みを持つようになるだろう。
日本人はそんなことを考えていたが、この国の奴隷たちは、少なくとも、子供をたくさん作らないと、自分たちの仕事がこなせないのだ。
とにかく、奴隷は人海戦術しかないのだ。
「労力を増やすには、労棒人口を増やすしかない」
という単純な考えがあればいいだけだった。
日本人のように、余計なことを考えないで言い分だけ、彼らは、性欲を当然のこととして受け入れ、それが、支配国との、お互いのwinwinになるということであろう。
だから、そのために、
「性欲の神」
は存在するのだ。
「人間をたくさん増やす」
この考えは、少し怖い気がする。そのことは、団長も少し気にかけていた。一番気になっているのは、やはり日本という国の、
「大日本帝国時代」
であったのだ。
当時の日本は、元々の、封建制度の時代である徳川幕府から二百年続いた、
「鎖国制度」
というものがあり、その末期に、アメリカからの黒船による、
「砲艦外交」
によって、強引に開国させられてしまった。
最初こそ、
「尊王攘夷」
という思想で、外国のうち払いを考えていたが、それが適わないとなると、今度は国の体制を変えるしかないということで、倒幕に動いた。
そして、目指すは、
「天皇中心の中央集権国家」
であった。
そしてその後、憲法や議会の制定によって、できあがった、
「立憲君主国」
となったのだった。
諸外国に対抗するために、
「富国強兵」
「殖産興業」
をスローガンに打ち立て、まずは、軍備強化と、産業省令により、
「強い国」
にして、安全保障の観点から、日清、日露の戦争を経て、日本は、大国へと進んでいった。
だが、中国大陸における進出の遅れを取り戻すために、行った強引な中国政策のために、日本は孤立し、最後には、あの大東亜専横に突入してしまった。
その頃には、大国である、米、英、蘭と戦わなくてはいけなくなり、結局、泥沼の戦争に突き進んでしまったのだ。
世は世界大戦の真っ最中、日本軍も日本政府も、
「初戦で、インパクトのある勝利を重ね、半年間をめどに、戦争を有利に進め、ちょうどいいタイミングを見計らって、英、米、蘭に対して、和平交渉に入る」
というのが、最初の青写真だったはずだ。
しかし、実際には、戦術的な勝利が続き、あまりにも計画のいい方にばかり結果が出てしまったことで、日本軍は当初の目的を忘れた。
中には、
「ちょうど今がいいタイミングなので、外交的な和平交渉に入るべき」
という人もいたであろうが、ほとんどの政府、軍部首脳は、
「何を言っとるか。ここまで来て戦争をやめるなど、諸外国に舐められる」
という意見が多く、
「勝利に奢ってしまって、相手を深追いしてしまった形になった」
のであった。
そうこうしているうちに、
「やめ時」
を見失ってしまい、ここから先は、敗北か民族滅亡しかないという道に踏み込んでしまった。
元々は、戦争に勝ち続けたことによる民衆の歓喜と、それを扇動するマスゴミによる報道によって、政府も後押しされる形になって、戦争終結を考えられなくなってしまったということも背後にはあった。
ただ、
「戦争に勝っているのに、生活は一向に楽にならないどころか、生活必需品まで配給になってしまった」
ということに、国民は次第に疑問をいだくようにはなっただろう。
しかし、その時には、すでに戦時体制を脅かすことは、非国民と言われ、政府に従わないものは、特高警察に逮捕、拷問を受けるという、恐怖政治になっていったのだ。
そんな戦時中の思想として、
「日本人は、陛下の臣民であり、陛下のために、命を捧げる覚悟が必要だ」
という教育を受けてきていた。
戦場で、たくさんの兵士が亡くなっていく中で、
「産めや、育てよ」
とばかりに、男の子が生まれれば、その子は、
「国家のために、立派に戦う兵士となる」
ということを、生まれ持って約束されたようなものだった。
「兵はいくらいても、足りないということはない」
ということなのであろうか。
制海権のない太平洋上を、いくら日本軍が、増軍のために輸送船団を送り込もうとしても、護衛船団もまともにない状態で、ただ攻撃されるだけで、せっかく育てた兵隊を、戦わずして、海の藻屑としてしまうのが、当時の日本だったのだ。
兵役招集も、
「赤紙」
と言われる紙が一通送られてくることで、強制的に、軍に入れられる。
まともな訓練も受けずに、最前線に送られていく兵士は、どこまでを、
「捨て駒だ」
と思って、政府や軍首脳は考えていたのだろう?
ここまで戦争が泥沼化してしまって、戦争で亡くなる人が増えると、上層部も、次第に人間としての感覚がマヒしてくるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「生まれてきた命は、国家のため、天皇のためと言って、無駄な消費に使われたと考えると、やはり、戦争というものの虚しさを感じずにはいられない」
ということになるのであろう。
日露戦争から後の、日本の中国政策、その行き過ぎから、諸外国や、中国との間に起こった様々な事件が、日本を、世界大戦に巻き込むことに繋がっていったのだ。
中国政策の行き詰まりである、
「満蒙問題」
の解決を、武力占領という形で成し遂げようとして起こった、
「満州事変」
という、クーデター。
そして、そこからの満州帝国建国後の、世界経済の大恐慌などが相まって、国際連盟だったに始まり、孤立を深めたことで、ドイツ、イタリアと組む、枢軸国の一員になってしまったことは、致命的だったのかも知れない。
その瞬間、日本は、
「孤立から、世界を敵に回してしまう」
という暴挙に出てしまったのだ。
それを考えると、日本という国は、すでにそのあたりから、着地点を見いだせない国なってしまったのか、日露戦争で、あれだけの綱渡り的な戦争を、相当な犠牲を出しながらでも、勝利という形で収められたのは、すべての戦術、戦略において、曲がりなりにも成功したからに他ならない。戦闘だけではなく、
「外交におけるホームラン」
とでもいえる、
「日英同盟」
を締結できたことは、
「ロシアの南下政策への対抗」
という、共通の課題があったことでもあったが、外交努力のたまものであることに間違いはなかった。
当時の日本は、それほど、真剣に、
「皇国の荒廃」
を考えていて、何とか、負けることなく、日露戦争を乗り切ることができたのだ。
そのことを、満州事変からの歴史において、
「忘れてしまったのではないか?」
と思えるような状態になってしまった。
それを思うと、
「皇国の滅亡は、国民を欺き、命を軽視し始めた時から、始まっていた」
と言ってもいいのではないか?
大東亜戦争半年後のタイミングで和平に走らなかったのは、勝利に奢ったというよりも、「犠牲と言うマイナスを考えなくなってしまった」
というのが、大きな問題なのではないだろうか?
結局、大東亜戦争を含む、第二次世界大戦は、一次大戦と同じで、
「大量虐殺による消耗戦」
という様相を呈してきた。
その消耗というのは、武器、弾薬だけではない。人間という、暖かい血が流れているものも、消耗されることになったのだ。
消耗戦という意識しかないから、醸造部には、人間というのが、捨て駒にしか見えていない。
大東亜戦争における敗北にはいろいろな理由があるだろう。そのうちの一つ、しかも、大きなものとして、
「経験豊富なベテラン兵士の死」
というものがあるだろう。
その代表例が、
「ミッドウェイ海戦」
と言ってもいいだろう。
ミッドウェイ海戦というと、史上初の空母による機動部隊同士の大規模な戦いだといってもいいだろう。この戦闘における敗戦にも、いろいろ理由があるが、まずは、
「無線の傍受と、暗号解読能力の差」
と言ってもいいだろう。
米軍はすでに暗号を解読していて、日本軍の動きを察知していた。それによって、作戦も決まっていたのだが、日本側は、油断もあったのか、
「ミッドウェイ島の攻略」
と、
「米空母機動部隊の殲滅」
という。両方向の作戦がとられた。
それにより、最初はミッドウェイ島の第二次攻撃と、空母発見という状況に浮足立ってしまい、空母の甲板上で、兵装転換という初歩的なミスを犯した。
攻撃用の爆弾から、空母攻撃用の魚雷に兵装転換するのだから、どんなに急いでも、かなりの時間がかかるだろう。その間に、敵空母から出撃した戦闘機から狙われることになる。
しかも、本来であれば、甲板からすぐに出撃しないと、上空には、ミッドウェイ攻略に向かっていた第一波攻撃隊が、帰還してきていたのだ。早く収容しないと、燃料が尽きて、海に落ちてしまう。
そんな状況の中で、兵装転換していたのだから、敵に見つかれば、ひとたまりもない。
鉄器の急降下爆撃機が襲い掛かる。甲板には、魚雷に付け替ている最中の戦闘機がひしめいている。甲板に爆弾を落とせば、一気に誘爆するというものだ。
甲板の下では、爆弾が並んでいる。そちらも誘爆を起こせば、あとは沈むことしか残っていないであろう。
出撃することもできず、熟練パイロットは、空母と運命をお共にする。さらに、攻撃から引き揚げてきて、上空で待機している戦闘機も燃料が尽きて、墜落するだけになってしまった。
これもベテランの熟練パイロットであろう。
この戦いで、日本軍は、所属の空母六隻のうち、四隻が撃沈され、多くの戦闘機と、ベテランパイロットを失った。
この時の一番の痛手は、空母や戦闘機ではない。
「ベテランの熟練パイロット」
だったのだ。
空母や戦闘機は、また作ればいいが、熟練のパイロットを育てることは、そうもいかない。
訓練に訓練を重ねて、実戦経験を積んで、ここまで来ていた人たちが、一瞬にして海の藻屑と消えていくのだ。
それを考えると兵装転換がどれほどのミスだったのか分かるというもの。あの時、上空に控えている攻撃機の収納を考えれば、爆弾装備で空母に向かっても、爆弾を落とすことで、甲板に損傷を与え、戦闘機が活動不能にくらいはなっていたはずである。
こちらの被害とを比較すれば、すぐに分かりそうなことを、海軍首脳が分からなかったというのは、それだけ、開戦初戦からの立て続けの勝利が、おごりとなって、彼らの思考回路をマヒさせてしまったのかも知れない。
それが、大東亜戦争の真実だった。そんなことが分からない首脳がいたのでは、すでに戦争に勝利するという妄想にとりつかれたとしても、仕方のないことかも知れない。
その情報操作のために、死んだことにされて、無人島で、ひそかに監禁されていた、
「ミッドウェイの生き残り」
がいたということが、この戦争での象徴と言ってもいいかも知れない。
命を軽視した結果、最後には軍人だけでなく、民間人まで、空爆の被害に遭い、国土は荒廃、すでに、国家としての機能を失いかけていて、組織的な戦闘もできなくなっていた軍部に勝ち目はなく、やっとここで和平交渉を考え始める。
そんな状態で和平交渉などできるはずがない。結果、日本を狙っているソ連に、仲介を頼むなどという、本末転倒で、滑稽なことになってしまうのだった。
結果、滅亡への階段としての、原爆投下、そして決定的なこととして、仲介を頼んでいたソ連が、満州になだれ込んできたということになり、戦争は一気に終結へと向かったのだ。
まさか、ソ連が、アメリカと密約をしていたなどと思ってもいないだろう。そして、まだドイツも降伏してもいない状態で、戦後の青写真を計画しているなど、夢にも思っていないはずだろう。
それだけ連合国には余裕があったのか、それとも、一次大戦での失敗に、よほど反省があるのか。
どちらにしても、日本の運命は風前の灯だったのだ。
そんな大日本帝国の興亡が、団長には、頭の中から離れないようだった。
「性欲の神」
と聞いて、考えることが、大日本帝国のことだというのは、他の人たちからは想像もできないことであろう・
「性欲の神か、崇めたい気持ちも分からなくもないな」
と言って、団長は目を瞑って、考え込んでいた。
これまで、全能の神の話、奴隷の神の話、差別の神の話といろいろしてきたが、ここまで性欲の神に対して団長が考えてしまうということを、団員たちは想像もしていなかったに違いない。
「性欲の神については、私も分かる気がします。確かに奴隷の数は、少ないよりも多い方がいい。しかし、それは、支配する側が考えることであって。支配される側が考えるというのはおかしいんじゃないでしょうかね? 奴隷たちは、人間としてのプライドというものがないんでしょうか?」
と団員がいうと、
「その逆じゃないのかな? 彼らは人間としてのプライドというよりも、奴隷としてのプライドがあるから、奴隷であっても、種の保存を行い、数多くの始祖を残すということも、彼らが生きているうえでの義務のように感じているのかも知れない」
というのだった。
「どういうことですか?」
「彼らは、人間としてというよりも、奴隷としてのプライドが強いと思うんだ。それは、自分たちが他とは違うということを考えているからではないのかな? 奴隷には奴隷のプライドがあって、それが奉仕の精神であれば、何も悪いことではない。本人たちが、奴隷として生きると感じているのであれば、それは彼らにとっての正義であるといえるのではないだろうか?」
と、団長は言った。
「難しいですね」
という団員に、
「そうか? そうでもないぞ、人間というのは、どんな立場であっても、自分の正義を持っていて、そこに対しては素直になるものさ。だから、彼らが奴隷として生きる立場に素直になっているのだとすれば、決して奴隷も悪いことではない。ただ、奴隷制度を許してしまうと、世界的な秩序が失われてしまうことで、奴隷制度は悪いことだということになったんだろうな。そう思うと、彼らが奴隷を嫌なものと思わず、素直に考えることは、自分たち奴隷の子孫をたくさん作ることだと考えるのさ。そうじゃなかったら、奴隷なんて自分たちの代で終わらせようと考えるはずではないか? そうしないということは、彼らは自分の運命を受け入れ。それを自分たちの正義だと感じているからなんじゃないかと思うのさ」
と、団長はいうのだった。
団員は、何となく分かった気がするが、それが限界だ。団員にはそれが分かるほどの経験値があるわけではない。そのうちに団長のそばにいることで身についていくものに違いないだろう。
ただ、ここで特質すべきは、
「性欲の神の父親は全能の神であるが、母親は別にいる」
ということであった。
義母の奴隷の神は、そのことを知っていて、敢えて何も言わない。全能の神といえども、奥さんには半分頭が上がらないのが、必定であろう。
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